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第三十二話



 アルゲディたち一団が目を覚まして最初にレオが見当たらないことに気がついたのは、全員が目を覚ましてから1時間ほどだったからであった。

 同じ部屋で眠っていたアンティリエやマルカブやメラクは、レオは先に起きて1人でやるべきことでも見つけていると思っていた。

 アルゲディたち女性陣は、まだレオが部屋で寝ているものだと思っていた。

 

 「彼はまだ眠っているのかしら。」


 痺れを切らしたように、アルゲディの呟きに違和感を抱いたマルカブが返事する。


 「少年か? もう起きてるぞ。」

 「その割には今朝から姿が見えないのですが。

 あなたがた、ちゃんとレオさんのこと見てたんですか?」


 なにを言っているのとメサルティム。

 しかし、マルカブたちだって同じことを思っていた。

 両者の間にしばしの沈黙ののち、胸中に不安や疑念といったネガティブな考えが浮かんでくる。

 

 「マジでレオくんどこですか・・・。」


 アンティリエの呟きに、その場にいた全員がレオの動向を認識していないことを理解する。

 誰1人として彼の行方を知らない。

 誰か1人くらいは知っているだろうという、そんなあたり前の前提が砂の城が風に吹かれたみたいに崩れていく。

 その崩れる様を目の当たりにして、心臓が跳ね上がる思いをする人物だっている。


 「っ!」


 机を勢いよく叩きながら立ち上がったマルカブが、疾風の速度で部屋を出る。

 それに倣って全員が外へと飛び出す。

 そこに掛け声や意識を共有するための行為はなかったが、まるで当然のこととして全員が受け入れて、失踪中のレオを捜索するのだった。


 一目散に部屋を飛び出したマルカブが、回廊を駆け抜けた先の十字路に、ベッタリとこびりつき、既に乾いた血痕が見受けられた。

 それを見つけて、


 「こっちだ!! 誰か、来てくれ!」


 と、大声で叫ぶ。その声につられて、ぞろぞろと別のメンツも集まってくる。

 血痕が誰のものかなんて考えるまでもない。間違いなくレオのものだと誰もがわかった。

 戦闘の形跡も見られた。壁は倒壊し瓦礫が散乱していた。


 「・・・レオくん。」

 「こんな、ひどい。」


 姿が見えない、せめて死体だけでもと願った者の呟きであった。


 「待ってくださいよ。この血の跡。」


 そう言って、メラクの指差す先を見ると十字路同様に、血が一本の川のように続いていた。

 その形跡から、誰もが殺されたレオが引き摺られていたことが見てとれた。

 だから、その時の情景を想像し、その時の苦しみを想像するだけで、メサルティムはその場に黄色い胃液を吐き出した。


 誰がなにを言うでもなく、その血痕を追いかける。

 着いた先は、集団が初めてレオと会った場所。そこは、『ヴァンデミアトリックス幽域』には似つかわしくない温かな印象を受ける空間で。

 ドアにそっと手を触れて。


 ***



 「───」


 「──くん!!」

 「──殿!」

 「──年!」

 「───さん!!!」


 「お兄さん! お兄さん!」

 「───、・・・んぅ?」


 心地の良い目覚めであった。

 質のいい寝具と、質のいい環境下で、生まれたての体が産声を上げるような、そんな目覚め。

 スッキリとした気持ちで己の瞼をそっと開く。

 外から差し込む光に目を焼かれそうになる。真っ白な世界はやがてその明るさに陰りが生じて、だんだんと調節されていく。


 「貴方。」

 「八神くん、わかる?」

 「お兄さん! お兄さん!!」

 

 いい目覚めだ。綺麗なものを見ながらの。だから思わず呟いてしまう。


 「とっても綺麗だ。いい目覚め。」


 穏やかな面持ちで、健やかな気持ちでそう吐露する。

 そこに嘘偽りのないことを受け取った正面にならぶ美女3人の少女に動揺が走る。


 「なんなのよこの人は。」

 「さ、さあ〜?」


 にしても、随分と見覚えのある顔だ。

 そもそもここはどこだ。俺は誰だ。どうしてここで寝ていたんだ。いつからだ。なぜだ。何が起きているんだ。

 

 回らない頭を必死に動かしていると、頬に苛烈な痛みが生じる。

 痛み。


 「おおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 痛い? 痛い。痛い痛い痛い、痛い。

 頬が腫れ上がって爆発して肉が裂けて血が流れてそれで、なにか大切なものがなくなるのだ。だから痛いのは嫌なんだ。

 何だろう、なにがなんで、どうしてなにを、なんだって何なんだ。


 「ちょっと、落ち着きなさいよ。その、ぶったのは悪かったから。そんなに驚かれると困るわよ。だから落ち着きなさい。」


 己の肩を揺さぶられる。顎が前に出たら後ろに引っ込んだら、頭が揺れる。

 落ち着く。落ち着く。落ち着こう。落ち着くんだ。

 そうだ、落ち着くと言えば深呼吸だ。深呼吸ってのは、あれだろ。えーと、何だっけか。







 そう!

 空気を吸って・・・吐いて。

 吸って・・・吐いて。

 吸って・・・


 「あ、アルゲディじゃないか。」

 「!! そ! そうよ!! アルゲディ様よ。私が誰かわかるのかしら!!」

 「ああ。わかるよ。アルゲディだ。えーと、アルゲディは。あれだ。傲慢で高飛車で上から目線で押し付けがましいブーメランがよく刺さってるぐぼえほ。」


 そこまで言って、こめかみにチャップを受ける。

 

 「な、なんてことするんだ!!」


 思わず文句を口にする。


 「貴方が出鱈目なこと言うからでしょうが。私だって貴方のことをぶつなんてしたくないのよ。でも貴方がテキトウなことばかり言うから仕方なく。そうよ、これは仕方がなかった。私はわるくないわ。貴方が悪いの。貴方が私がぶたなきゃならない理由を作ったの、わかる?」


 いつもの早口で捲し立ててくる様子にちょびっとだけ安心感を覚える。

 なんでも自分の都合のいいように正当化するところもアルゲディらしい。少々納得のいかない面はあるが、気にしてはいけないよ。だってアルゲディだもん。


 「し、少年。体は!!」


 レオに駆け寄る黄ばんだ歯の男、マルカブの姿が見えて自分の体に視線を落とす。

 血の滲んだ服は、ところどころ引き裂かれたような跡がある。

 レオの頭、というより髪も血が乾燥してか、カピカピしていた。

 

 「なんなんだ──」


 そうだ。なぜ自分は、レオはこんなところにいるのだ。ここにくる前の記憶を手繰り寄せる。

 自身の状態から、少しでも関連する記憶を呼び覚ます。


 



 「───」

 「お、お兄さん?」


 『蚊王』だ。アイツがまた殺してきて・・・。


 「少年?」


 肺は? 潰れてない。骨は? 折れてない。


 「レオ殿?」


 なぜだ。なぜなぜ。俺は死んだはずだろ。


 「・・・レオさん?」


 頭を弄る。穴がない。穴がない。確かに口吻を刺されて脳が吸い尽くされたのだ。吸い尽くされて、だから時期に死ぬしかなかったのだ。


 「八神くん?」


 足は? 穴はない。でも、服には空いてる。おかしい。今までにない。なかった。


 「貴方?」


 だって、おかしい。普通なら時間を遡る。ずっとそうだった。だから今の状況はすこぶる疑念が残るんだ。


 「レオくん?」


 なんで体だけ『巻き戻ってる』んだよ。


 思考にしてみて初めて生まれた新たな恐怖にありもしない手に心臓を鷲掴みにされた気分に陥る。

 自分の身に起きている不可解な現象への困惑。

 心地よかった目覚めが一瞬にして最悪になる。それはまるで悪夢から覚めたみたいなものだ。

 いや、むしろ悪魔の方がマシだ。まさか現実の方が悪夢だなんて笑えない。


 「───あ、ああ。」


 全身の産毛が逆立つのを感じた。

 目の前にいる奴らの誰かがレオを殺そうとしたことを、ようやく思い出したのだ。

 それを悟らせないようにしたつもりだった。

 

 「誰ですか。レオくんをこんなにしたのは・・・」

 「──はぁ? アンカスはまた妄言を」

 「メサルティムさんは今黙ってて。誰だって聞いてるんですよ。レオくん、今アンテたちに怯えてましたよね。目でわかりますよ。アンテたち全員が気持ち悪いって顔してました。

 誰にやられたんですか。」


 「───」


 アンティリエの言葉にアルゲディが「それは本当なの!?」と食い入るようにつめるが、レオはさらに恐怖でがんじがらめになる。

 なにもわからない。

 

 「レオくん、怖かったですよね。大丈夫ですよ。アンテが助けますから。助けて、そいつを同じ目に遭わせてやる。」

 「───」

 「ねぇ、さっきからアンカスはなんなの。まるで私たちがレオさんに酷いことしたみたいな。まだ何も言ってないのに。」


 視界の端でまた昨日のぶり返しになる。

 レオのことをそっちのけにして、お互いを醜く、口汚く罵り合うアンティリエとメサルティム。

 それでもレオの胸中にはヘドロのような感情が表面にコーティングされている。


 「なんでよ。意味わからない!」

 「明らかに異常じゃないですか! この顔を見てくださいよ。メサルティムさんたちはまったく見てきてないかもですけど。こんな表情の時は決まって時間を遡ったときなんですよ。

 レオくん、誰にやられたんですか!?」


 「ちがう」


 そう、違う。違うのだ。

 そうじゃないのだ。きっと表情は同じなのだろう。

 でも、そうではないのだ。今レオの身に起きていることは全くもって違う。

 

 「戻ってない。殺されてない。体だけ、戻ってる?」

 「──っ!」

 「それは本当か!少年!!!!!!」


 レオの胸ぐらを掴み、勢いよく押し倒して耳が破れるような怒声をあげて訪ねる。

 レオは尋ねてくるマルカブほ目を見ることもできずに、ただ顎を引くことしかできない。

 そのレオの様子にマルカブは、自分の体を自分で抱き寄せながら後ろ手にして、腰から崩れて尻餅をつく。


 「───」


 なにかが引っ掛かる。

 

 「これって。」


 レオの頭には『ヴァンデミアトリックス幽域』に迷い込んだ時のことが想起された。

 彼はここにくる前は永青海で溺れそうになっていた。その時のレオは、セラ・シャドウレイルに半殺しにされて、なにを勘違いしたのか、ガレルバとソルフィアに殺されると感じて逃げ出した。

 その時受けた傷も何もなかったかのように消えていたのだ。


 「───そんなことができるのか?」


 レオの中に生じた疑問。しかし、今と状況が酷似している。

 

 「なあアンティリエ、簪をちょっと貸してくれないか?」

 「だいたいメサルティムさんは───って、んあ?

 まあ、いいですけど・・・。」


 口論していた彼に口を挟んで、携帯していた銀の簪。その一本を受け取る。

 レオはその針の先を、自身の親指に浅く突き刺す。

 親指からはぷくりと血の水滴が漏れる。

 それを別の指で潰して傷口がより鮮明に見えるように擦る。


 「やっぱりだ。治る。」


 傷口が一瞬で閉じる。その様子にたまらず「ああ」と悲鳴に近い音が漏れる。

 体が巻き戻ったのではなかった。体が修復されたのだ。

 過去にエルノーラたちとの旅の途中で治癒魔術を使っている様子を何度か目にすることがあった。

 レオには『剛体化』のスキルがあるため怪我とは無縁であったが、仲間がそうだとも限らずその光景を眺めているだけであったが。

 

 そこまで考えてさらに疑念が生じる。

 

 「俺は、脳みそを啜られたんだぞ。啜られてなくなったんだよ。空っぽになった。だから死んで当然だったなのに!!生きてる。

 今までだって、もう4回頭啜られてるんだぞ。その度に時間が巻き戻ってるんだそれなに!

 それなのになんで今になって体が治癒したんだよ。

 何なんだよ。わからない。」


 わからない。わからない、わからない。


 わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない。


 理屈が理解できない。

 空を飛ぶ飛行機を現象として処理しても、高校生のレオにはどのような原理で動いているのかなんて知らない。

 別に知る必要もないし、役に立つから知らなくても使う。

 でもそれとこれとは違う。


 「殺されたんだぞ。骨も折れてた。内臓だって潰れてた。血もたくさん流した。でも死んでない。

 なんなんだよこれは。」


 膝に頭を押し付けながら、己の身に起きている不可解な現象に頭を悩ませる。

 レオの呟きは掠れるような、か細いもので他の誰にも聞かせるものでない。独り言のようなものだ。


 あらゆる角度から噴出する疑念と不安でレオは気づかない。


 部屋の外から足音が響いていることに。

 カン、カン、という聞こえれば心地いいと思った音色が。

 口論しているメサルティムやアンティリエは気が付かなかった。また、思考を巡らせて魂が抜けたようなマルカブにも気が付かなかった。


 「──なにかしら。」


 一言呟くと、アルゲディが扉の取手に手をかける。

 スライド式の扉を開けると、赤い液体が部屋に飛び散る。

 

 「えあ、はあ?」


 間抜けな声が漏れた。

 赤い液体がなぜ飛び散ったのだ。

 遅れてドサりという音が部屋に響く。

 音の発信地をみて、口論中であったメサルティムが絶叫をあげる。


 「いやあああああああああ師匠様ああああああああああああああああ!!!」


 音の正体はなんと、アルゲディの頭が地面に落ちたことによって発生したものだった。

 そして赤い液体はアルゲディの首から噴水のように噴き出す鮮血。


 大の字に後方に倒れる胴体と、その胴体を踏みしめて入ってくるのはアルゲディの首を撃ち落とした張本人。

 

 腕が4本、足が2本。筋肉質な見た目だか体は外殻に覆われ、背中には6枚の羽が備わっている。

 獰猛な瞳をもち、長く尖った口が印象的。

 頭からは2本の触覚が生えており、触覚の見た目はフサフサの毛がたくさん生えているように見える。

 手先は鎌のように尖っており、その中の一枚には血がこびりついている。


 「蚊王、、、」


 メラクの呟き。


 その先の世界をレオは見たことがある。知っている。

 

 「───な、なんだ。なんだなんだなんだ。何が何だか、なんでどうしてなぜなぜにいいいいいいいいい!!!!????」


 ***


 指の間から一本の銀の簪が滑り落ちる。

 滑り落ちた簪が奏でる音色によって意識が覚醒する。


 「うおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああありゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああしゃらあああああああああぐぼおおおおおおおおおおおおおおおおおうううううううううううううううううううううううううううううううううううやらあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」


 「な、な、な、なに、な、な、なになに、なになん、なんな、なんなん、なな、なんで、なんでなん、なんでで、でなん、で、なんです、何ですなんですかレオくん!?」


 けたたましいいななきをあげるレオの咆哮に罵り合っていた内の1人であるアンティリアが肩を震わせながら飛び跳ね、その場でよろめき倒れながら耳に手を当てて訊ねる。


 「走れ!!!!!! 逃げるんだよ!!!!!!」


 それだけ言い残してレオは万全の体に血を巡らせて早々に部屋を出る。

 まったくもって意味不明な状況ながらも、冷静さを欠かなかったメラクが部屋から出ることを進言する。


 「ほら、マルカブ殿も!」

 「・・・」

 「ああくそぅ!!」


 動けずにいたマルカブの太い胴を携えて最後尾をメラクは駆け抜けていく。

 

 先頭を走っていたレオの中に、疑問がなかったわけではない。

 それこそ、なぜ今回ばかりは治癒ではなく時間遡行だったのか、とか。

 もっと先決して謎を解き明かしたいものもあるが、目の前に迫る脅威に何もしないで殺されるなんてのは嫌だった。


 ───アルゲディが殺された。

 ───メラクが殺された。

 ───ポラリスが殺された。

 ───マルカブが殺された。

 ───メサルティムが殺された。

 ───アンティリエが殺された。

 ───龍怜天音が殺された。

 

 そして、レオの脳みそを貪られた。

 もうレオの知るところだけで6回目だ。

 おそらく、この『ヴァンデミアトリックス幽域』にきた時にも貪られたと思うため、合計7回だ。


 「本気で蚊が怖いぞ。」


 回廊を抜けて、『安地』へと辿り着く。

 時間をおいて全員辿り着く。


 「聞かれる前に、説明だよな。」


 「短期的に戻ったんだよ。あのまま行けば全員『蚊王』に殺された。だから急いで逃げ出したんだ。

 ってのは説明端折りすぎかな。」

 「いえ、問題ないわ。・・・はぁ、はぁ。

 私は他の凡俗と違って理解力があるから、それだけで結構よ。うぅはぁ。」


 肩で息をするアルゲディの返答には、いつもの余裕のようなものは感じなかった。

 彼女も必死で走っていたのだ。

 頭が回らないだろうに、レオの煩雑な説明を理解したというのは驚愕だ。

 他のメンバーはまだよくわかっていない人もいるみたいだけれども。


 「それ、、、と。今ひとつ、わかったことがある。」


 レオは指を立てて、続ける。


 「『蚊王』の狙いは多分俺の脳みそだ。必要にかけて狙ってくる。」


 今までのループの中で、他の誰かが脳みそを貪られていた様子はなかったし、子供読み聞かせスペースまで連れ込まれて、生存させられていた人もいなかった。

 食指はわからないが、『蚊王』にレオの脳みそは好物らしく、何度でも味わえるように食べては再生し、食べては再生しを繰り返そうとしている、と思った。

 という仮説までは言わないにしても、だ。


 「みんなの行くとかところ構わず『蚊王』に遭遇するのって、多分俺といるからだよな。

 今更だけど、ごめんなさい。本当に迷惑かけてました。」


 なにがお気に召したのか、そんなこと『蚊王』のみぞ知る世界だ。

 それでも、本意でなくても、己の意思の及ぶところでなかったとしても、謝らずにはいられない。

 だから、自分を慰めるために頭を下げた。


 「──は、なんですかそれ。」


 したがって、レオに向けられる視線は当然に冷ややかなものになる。

 向けられる言葉は、熱を帯びない。


 「あなたが、あなたがずっと、ずっと私たちを危険に晒していたんですね。」

 「そ、そんな言い方ってなんですか!? お兄さんが悪いわけじゃないですし・・・」

 「それでも実際問題として、レオさんが命の危険に晒されている原因だって、本人が、本人の口からそう言ってるじゃないですか。」


 糾弾する姿勢のメサルティムと、それを庇うポラリス。

 レオはその光景を直視できない。

 いつも庇ってくれるマルカブからの応戦がない。

 あれだけ助かると言ってくれていたアンティリエの助太刀もない。

 ポラリス以外が、メサルティムに反論をしない。


 「私たちだけで、やりましょう。」

 「へ?」

 「し、師匠様。私たちだけで何とかしましょう。今思えば、レオさんがきた時ばかり『蚊王』に襲われてその度に私たちがなんとかしてきたんですから。

 彼が抜ければ、ここから脱出できますよ、そうに決まってますよ!!」


 その言葉に何も返さずにアルゲディはただ押し黙っていた。

 見かねたメラクが、


 「アルゲディ殿。流石に見殺しにするというなら私は看過できませんよ。例えレオ殿が原因で『蚊王』が襲ってくるのだとしても彼を遠ざけて物事が好転するとは思えない。」


 メラクの言葉に、レオは胸がチクリと痛むのを感じた。

 負担をかけていることが情けなくて、申し訳なかった。


 「それは、そうですよ。見殺しにはしません。ですが、もう『安地(ココ)』からは出ないでもらいます。

 全てが穏便に片付くまで、ここにいてもらいます。それならメラクさんも文句はないですよね?」


 その質問は、メラクに訊ねると同時に、アルゲディや他のメンバーに向けて送られたものでもあった。

 見殺しにしたくないポラリスにも通じたことだろうから。


 「だから、レオさんはじっとしていてください。

 頼むから、もう迷惑かけないでください。誰も言わないからはっきり言いますね。邪魔です。足手纏いでした。役立たずで、何もできないくせにでしゃばりで。お願いします、どうか引っ込んでいてください。」


 「───ぁ」


 なにも、言い返せない。メサルティムにかけられた単語一つ一つが、鋭利な刃物のように、繊細で割れやすいレオのハートを容赦なく切り刻む。

 その時、レオの中で一つのなにかが死んだのは、間違いのないことだった。


 ***


 その日は眠れずにいた。

 あの後、レオそっちのけで、7人で話が進んだ。

 その場に同席していながら、抜け殻のように反応もできずに、ぬいぐるみのようにその場にいることは苦痛を通り越して拷問のようであった。


 明日には、レオを除いた7人で、『蛇の部屋』にて、本を回収するために、ポラリスのいう『蛇』と戦う。と。

 だから、もうみんな寝静まって、明日に備えていた。


 「───」


 眠れない。

 精神は磨耗し切っており、いつもなら横になれば簡単に、気絶するように眠れるのに。今日に限って眠れない。


 なぜか? そんな質問は愚問というものだ。


 「怖い、怖い怖い怖い怖い。怖い、怖い、怖い怖い怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。」


 レオにはトラウマがあった。

 寝込みを襲われることへのひどいトラウマが。

 それが何を指しているかなんてわざわざ明るみにするまでもない。


 「来るんだ。来るんだ来るんだ。絶対来るんだ来るんだよ来るんだよ。来るんだ、来るんだよ。来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ来るんだ。」


 昨日の晩に、レオを外へと連れ出した人間は、必ずレオを殺しに来る。

 それを、今度こそは見逃さないために起きているのだ。

 恐怖が眠い体に鞭を打ってくれる。

 その人物を排除しないことには、レオへ、本当の意味での安寧は来ない。

 だから、何としてでもその人物を目に焼き付けるのだ。


 そっと、物音が立たないように扉が開かれる。

 

 「───っ!!!!!????」


 「───お兄さん・・・」

 「嘘だ、ろ。嘘だそんなこと!!」


 レオを殺そうと昨夜寝込みを襲ったはずの正体。

 それが、レオを庇って殺さないでくれた懇願してくれた少女だったなんてレオは信じたくない。

 信じたくない知りたくない見たくなかった気づきたくなかった目を背けていた方がマシだった知りたいとそう願っている方がよっぽと心に余裕を持てた。


 「お前、だったのか・・・?」

 「──っ、ちが!」

 「バカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナバカナ!!!!!!!!

 アリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイアリエナイ!!!!」


 どれだけ現実逃避するための言葉を並べても、視界に映る現状は何一つ変わらない。


 「オマエガオレヲコロソウトシテタノカ!!」

 「ち、ちがう。ボクは、ただお兄さんが心配で!」

 「ソレヲシンジラレルカ!! オレガ、オマエヲ、ドンナキモチデ、オモッテイタカ・・・。

 シリモシナイデ、チガウナ。シッテイナガラ、モテアソブノハ、ドンナ、カンカク、ダッタンダヨ!!」


 恐怖と憎悪と憤怒が、好意と愛情と慈悲を塗りつぶしていく。

 真っ黒な衝動が腹の中に潜み、影を落として波紋のように広がる。

 やがてその影はレオの頭の先から爪先にまで到達し、心にはポッカリと穴が空いて、空虚な人の成れの果てへと豹変させる。


 「オマエミタイナ、マモノヲ、シンジタオレガ、マチガッテタヨ。オマエハ、オレノコトナンカ、スキジャナイ。

 イチバン、チョロソウデ、カンタンニ、コロセソウダト、ソウオモッタカラ、ウソデ、スキナフリヲシテ、オモワセブリナ、タイドヲトッタ!!!」


 人にのみならず、魔物にまで心を、好意を弄ばれて捨てられた。

 これを卑怯だとか鬼畜だと糾弾することが果たしてレオに許されるのか。


 「キエロ! コロスゾ! チカヅクナアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」


 発狂しながら、マルカブの木剣を無為に振り回しながら、舌を出して、目を迸らせ、唾液を撒き散らせながら、途中足首をくじきものにぶつかりながらもポラリスへと襲いかかる。


 「いや!」


 ピシャリと扉を閉めて、ポラリスがレオの視界から消える。

 

 「───」


 閉じられた扉の前で、レオは呆然と、ただ立ち尽くしていた。

 そして、胸の内から広がるのは、腹から生まれた怒りのものではなかった。

 締め付けるように顔を見せたのは、悲しみであった。


 自然と大粒の涙が溢れる。


 「うぇえぇぇぇんぐ。うぐぬ。えぐひっぐ。うわああぁぁぁんいぐ。」


 まるで子供みたいじゃないか、かっこわる。


 ***


 

 どうやら、いつのまにか眠っていたらしい。

 目が覚めて、寝室としていた部屋を出る。

 テーブルに並べられた水と食事と、手紙を手にする。


 「───、なんだ、なにも、読めない。」


 今まで読めていた文字が途端に読めなくなる。

 原因不明の症状であるがいまはさほど気にするようなことでもないかと、食事に手をつけ始めた。


 「ふぁ〜あ。おはようございま〜す。みなさん、朝ですよぉ〜。」


 気の抜けた声がレオのいるリビングのような部屋に響き渡る。

 響き渡る?


 「───んあ、レオくん。おはようございます。

 珍しいですね、レオくんが1番目に起きるなんて。」

 「え、いや。待て。」


 目の前にある食事は、1人で食べるには多いなと感じていた。

 深刻な面持ちのレオの様子に気がついたアンティリエが、机にあった手紙に目を通す。


 「レオくん読みましたか?」

 「いや、そもそも文字がわからないんだ。」

 「じ、じゃあ読み上げますよ。」


 「レオ、アンティリエ両名へ

 今回はあなたたち2人を除いた6人で『蛇』の元へと向かうことにしたわ。

 レオは言わずもがな、アンティリエは仲間の士気を下げるので置いていくことにしました。

 明日までには戻るので、いい子でお留守番しているのよ。アルゲディより。

 P.S.メサルティムはアンティリエが謝れば許してくれると思うわよ。



 だそうです。」

 「お前ガチで厄介者扱いじゃねぇか。」

 「うーん。」


 腕を組んで物思いに耽るアンティリエ。

 彼の様子は置いてかれたことへの怒りなど感じられない。

 だから聞いたのだ。


 「怖かったか?」

 「ぶっちゃけね。だから、行かなくて、置いてかれて少しだけ、ほっとしてます。

 あ、こんなこと、行けなくて悔しい思いしているレオくんにいうべきじゃなかったですね。

 ごめんね。」


 胸の前で手を合わせて、小首を傾げて謝る。

 でも、レオに怒りなどはない。

 そんなことよりも、裏切られたことへのショックが大きくて、アンティリエの不躾、ノンデリ発言なんて屁でもなかった。


 「大丈夫だよ。さーて、お前もはやく飯食っちまえよ。ここで、みんなが帰ってくるまでやることないしさ。」


 そう言ってアンティリエを食卓へと向かわせる。

 テーブルの上にあるパンを一つとってかぶりつく様子を眺めていた。


 「アンティリエは、メサルティムに謝るのか?」

 「・・・うーん。」


 彼は思案しながらも、自分なりの結論にたどり着いてなのか、目を瞑りながら言葉を紡ぐ。


 「許せないですよ、ムカつくんです。でも、メサルティムさんから謝ってくれるなら、アンティリエは許そうと思ってます。」

 「ふ」

 「なんですかレオくん。」

 「似たもの同士というか、手紙にも書いてたじゃないか。お前から謝れよ。」

 「絶っ対やだですよ。やだやだなんですよ。

 アンテは殺害されかけた側ですからね。」

 

 その後もアンティリエとくだらない話をして盛り上がった。

 彼の知らないところを知る機会にもなれたし、悪い時間の過ごし方ではなかった。

 


***



 あれからどれだけ過ぎたことだろうか。

 2人の間には、確信はないがずっと心の中で燻るものがあった。

 モヤモヤとしたもの。


 「レオくん。」


 だから、アンティリエの方から声をかける。


 「遅くないですか? 一日ですよね。」

 「そのはずだ。一日で帰ると手紙に書いてたってアンティリエが言ってたし。」

 「そ、うですよね。」


 レオの言葉に、納得がいかないながらも、自分を説得するように肯定の言葉を並べる。

 ただ、レオの中にもアンティリアと同じ疑念は生じていた。


 「「遅くない、か?」ですか?」


 同時に言葉にした。

 それは、帰りを待つ者の苦悩であり、行き場のない感情をやり過ごすために絞り出した葛藤であった。

 言っていた話とは随分と違うのではないだろうか。

 

 「レオくんは何回寝ましたっけ。」

 「一回だけだ、けど。」

 「アンテは2回です。それと多分結構、がっつりと。

 昼寝とかじゃない。就寝したんですよ。2回。」

 「ああ、交代ばんこで寝たからわかるよ。」


 額に滲む脂汗がレオたちの衝動を駆り立てる。

 確認したかった。


 「もうみんな脱出したんじゃ」

 「そんなわけな───」


 そこまでいって言葉に詰まった。詰まってしまった。

 自信を持って、自分も助けてくれるとそう言えなかった。

 レオは厄介者だ。お荷物だ。

 アンティリエだってそうだ。煙たがられて遠ざけられて、だから置いてかれたのだ。

 いわばここにいる2人は捨て子や捨て犬に近い。

 あの手紙だって、レオたちをその場に居座らせるためのものではなかったのか?

 もしかしたらアルゲディは既に逃げる算段はつけてあり、その障害となる『蚊王』をレオを遠ざけることでクリアしていたのではないか。

 目まぐるしく変わる思考に脳が熱を帯びる血に焼かれて沸騰しそうになる。


 アンティリエもきっと同じ思考に陥っていることだろう。

 レオだけじゃない。同じく、外の様子が気になるのは。


 「アンティリエはここにいてくれ。俺だけで見に行ってくる。」

 「ちょっと、待ってくださいよ!!」


 鼻息を荒くしてアンティリエがレオの言葉に食らいつく。


 「なんでレオくんだけ!」

 「言っただろ!? 俺がいると『蚊王』が来るんだよ。」

 「だったらアンテが行く。レオくんはここでお留守番ですよ。当初の予定通り。」

 「んな、そんな。先に言い出したのは俺なのに。

 俺が見に行ってくるから。大丈夫。すぐ戻るって。」

 「そう言ってアルゲディさんたちが帰ってきてないじゃないですか!?

 アルゲディさんたちに続いて、レオくんまでアンテを遠ざけるのか!?」

 「いや、そんなんじゃいだろ。ただ確認するだけ。アルゲディ達がいたら連れて帰ってくるって。」

 「そんな、レオくんだってわかってるんだろう!?言わせないでくれよ。もう、死んでるよ。死んでるんですよ。

 作戦は失敗した蛇は強かっただから殺されたわかってるでしょう!?」

 「わかってるわかってるさわかってるとも。だからなんだ、少しでも生きてるって信じることのどこがダメなんだよ。」


 アンティリエと口汚く罵り合いになる。

 

 「だいたいアンティリエ、お前がそんな俊敏に動けるなんて思えない。お前と2人で動けば俺まで巻き添いくらう。だから1人で──」

 「それ、元を糺せばレオくんがいなければ俊敏な行動をアンテが強制されることもない。

 確実にアンテが見に行くべきですよ。」


 『蚊王』の習性を持ち出されると、こちらが不利になる。メサルティムがムキになって言い返したくなる気持ちが少しだけわかる気がした。

 そして、言い返せなくなると、力で解決したらいいだけのこと。


 「うるせ、俺は行く!」


 それだけ言うと、アンティリエを残してレオは螺旋階段まで走り出す。


 「ちょちょちょい、ちょまちょまちょっと、ちょっち、ちょち、ちよちよちょっと、ちょっと待って、ちょっと待ってくださいよ!!」


 回廊に出たレオに続いてアンティリエも外へ、弾き出されるように飛び出る。

 ついてきていることを後ろ目にしながら、レオは回廊の壁を破壊して通せんぼする。


 「ついて、くるなよ!!!」


 拳にめいいっぱいの力を込めて瓦礫で道を塞ぐ。


 「うわああああ、くそ、こんなの!!!」


 アンティリエは地面に手を触れると、氷を生み出して瓦礫を粉砕して粉々にする。

 そのままの勢いで、レオの足元も凍らせてしまう。


 「くっそ、なんで。なんでわかってくれないんだよ。」


 レオはただ、アンティリエに危険な場所へ連れて行きたくないだけなのだ。

 だから、ついてきてほしくないだけなのに。

 どうしてレオのこの、『()()()()()』を無碍にするんだ。

 無性に苛立つ衝動をどうにか宥めて、足に絡まった氷の薔薇を粉砕する。


 「なっ!」


 「これなら!!」


 回廊の地面に拳を打ちつけて、道に文字通り大きな穴を開ける。

 それはアンティリエの脚力ではどうやっても飛び越えれないものだ。


 「はああああ!!!」


 そんな穴を力技でアンティリエも突破する。

 氷の橋をかけて渡り切る。


 氷の礫を不定期な間隔で射出する。

 それを回避しながら螺旋階段に差し掛かり、手すりに捕まり、一気に滑り降りていく。


 「はは、アンティリエさん、お先に行かせてもらう。」

 「な!」


 直線距離ではどうしても距離が開かないので、縦の移動で距離を広げる。

 強引に地につき、足に広がる衝撃に耐える。

 そして、二度三度ふくらはぎを叩いて長い回廊を走り出す。

 脳内には迎えることができるか怪しいが明日を迎えようとしている。

 

 「っあ」


 突然のことで気が回らない。

 足元が滑ってその場に勢いよく転げ回る。

 お尻と手のひらがひんやりとしている。

 下に目線を向けると地面は凍りついていた。

 

 「まあああああああてえええええええええ!!」


 レオが広げたはずの距離を一気に潰すように、アンティリエが凍らせた地面の上を、即席の、スカートシューズのようなもので滑りながらこちらへ疾風の如くやって来る。

 たまらず悪罵が漏れる。

 しかし、このまま距離を潰されるわけには行かない。

 ラストスパート、滑る地面でも、構わず突き進む。

 途中転びそうになっても、この異世界で手にした常人ならざる筋力で無理やり足を前へ、前へと進める。


 「ああおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

 「らああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 レース漫画のラストスパートのような絶叫で、スプリント対決をする。

 そして、その瞬間は訪れる。

 勢いのままに、レオは荘厳な壁を拳で粉砕する。

 扉は粉々に砕け散って、そのままの勢いでレオも部屋の中へと投げ出される。


 「どわああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 たまらず目を瞑ると、顔に今まで感じたこともないような重力がかかる。

 生き物にぶつかった感触があった。

 弾き返されるように後方へと転ぶ。

 

 「あああああああああああああああああ!!!」


 背後から聞こえる絶叫がやがて耳元まで辿り着き、その後の背中に衝撃が走る。

 それがアンティリエのことだなんて考えるまでもない。


 2人して蛇の部屋で頭から血を流す。

 息も荒く考えがうまくまとまらない。

 だが、一瞬にして息を呑んだ。


 「あああ、」


 アルゲディの死体だ。

 目に光がない。

 半身がなかった。なにかにかぶりつかれたような跡があった。


 「メラクさあああああああん!!!」


 アンティリエの絶叫する方向へと目を向けると、装束に身を包んだ、頭部のない死体があった。

 服装から推測したのだろう。

 そこで漸く今起きている状況が確定された。

 死んでいる状態と生きている状態が重なっていた世界が、紛れもなく死んでいる状態として更新された。


 誰のものかわからない亡骸もある。


 「グルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」


 「わああああああああああああ!!!」

 「いやあああああああああああ!!!」


 風を切り裂くような咆哮がレオたちの心臓を震え上がらせた。

 さっきから気になっていた存在。

 部屋に突入した時に、なにかに衝突した。

 それが何かなんて議論する必要はない。


 「龍」


 聞いていた話と違う。蛇じゃない。蛇にしては大きすぎる。

 霧深い淵の底から這い上がるその姿は、漆黒の影を裂いて顔を出す。

 胴体は蛇のように細長く、十丈を超える長さで、濡れた鉄の鱗が光を鈍く反射し、青味を帯びた闇を纏っている。

 鱗一枚一枚は鋭く、重なり合いながらも滑らかにうねり、岩肌を削るような音を立てる。

 頭部にはニ本の白い角がそそり立ち、鋭く尖り、先端は天を突くように輝く。

 目は琥珀のように澄み、底知れぬ古の叡智を宿し、瞬きするたびに水滴が零れ落ちる。

 四肢はなく、ただ胴体を波打たせながら這う姿は、水そのものが意志を持って蠢くかのよう。

 尾は細く長く、淵の水を掻き乱し、渦を巻く。

 体表には苔や水草が絡みつき、深い水底の匂いを放ち、角の根元には微かに雷光のような青白い輝きが宿る。

 全体が水と闇の精霊そのもので、動くたびに湿った風を呼び、淵の水面を震わせる。


 「龍──いや、これは、『(みずち)』だ。」


 そう表現するのが相応しいと感じた。

 目の前に現れたその青い龍に睨まれて、全身の筋肉がピクリとも動かなくなる。

 龍は、『蛟』は何もしない。

 何もせずにこちらを睨みつけている。

 こちらを、警戒している、、、?

 そこまで考えてふと疑問が生じる。

 なぜこれまでと強大な生物がレオ如きに警戒をしているのだ。


 それは完全に思考の外のことであった。


 レオの背中に衝撃が走り、その衝撃は止まるところを知らずにレオの心臓を貫いた。

 そしてその勢いが止まることなく、『蛟』の鱗を貫いて、桃色の筋繊維を除かせる。

 

 「───かぁ」

 「ヒュルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 『蛟』の苦しむような絶叫が部屋中をこだまする。

 倒れる直前に背後を振り返ると、白目をむいて、口から血を流しながら全身の骨という骨が折れ曲がったアンティリエの姿があった。

 彼はそのまま地面に倒れ伏し、冷たかなっていく。

 

 レオも心臓を貫かれてしまっては、もうどうすることもできない。


 視界の端で、その巨体を必死に捻り大暴れする大蛇の姿を捉える。

 体に回らなくなった血がジンワリとレオを中心に広がっていく。

 やがてその地は湖畔のように、周囲の様子を反射する。

 耳は遠く、あれだけけたたましいと感じていた『蛟』の咆哮すらも感じられない。

 ただ、湖畔に反射して見える『蛟』の苦しみようたるや、以上なものであった。


 暴れる尾がレオの体を吹き飛ばす。

 空中に投げ出される感覚のした数秒後には、全身に重力がかかり、骨という骨が音を立てて崩れる。


 そこに絞り出す程度の苦鳴が漏れるだけ。

 首は曲がりうまく世界を見ることができない。

 最後に何が起きたのか、誰に殺されたのかすらもわからない。

 

 『蚊王』なのか? まあアイツが、レオたちを、不意、う、、、ちで・・・

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