桜の木の下で、彼と二人 (前編)
祖母のカフェを継いだ私。
なんとか開店準備を終え、ある日の朝、看板を『準備中』から『営業中』へ裏返した。
そんな彼女に初めてのお客さんが訪れる。
だけどその人はなんだか浮かない顔をしていて___
予想通り朝のうちはお客さんが来ることはなかった。
うだうだしていてもしょうがないので、祖母の遺したオルゴールのねじを巻き、BGMにして本を読む。風に吹かれてページがパラパラと繰られる。東京にいたころにはとても考えられない、理想的な生活。そこにはとてもゆったりした時間が流れていた。
いつの間にかうとうとしていたらしく、はっと不意に目を覚ますと時計の針は16時を指していた。カウンターに置いていた本も風のせいだろうか、私がまだ読んでいない場所が開かれていた。これではお客さんが訪ねてきてくれても気づくことができない。
眠気を覚ますために珈琲を淹れようと立ち上がる。お湯を沸かして珈琲豆を挽いていると、ガチャリとドアが開いてあらかじめ取り付けられたドアベルがチリン、と軽やかな音を立てて来客を知らせた。
目をやると、そこには女子高校生が立っていた。胸元の赤いリボンがよく目立つ。すぐに高校生だとわかったのは、ここの近くにある学校の制服を着ていたからだ。中学校はもう少し離れたところにあるので選択肢から消した。なぜだか少し、元気がないように見えるのは気のせいだろうか。
いけない、考え込んでしまった。ここはカフェで私は経営者なのだ。彼女はれっきとしたお客様なのだからきちんと接客をしなければいけない。
「いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ」
と声をかけた。
彼女は無言で窓のすぐ近くにある二人席に腰掛ける。メニュー表を彼女の前に開いてそっと置いた。
「ご注文が決まりましたらお呼びください」
彼女はメニュー表ではなく、しばらく窓の外を眺めていた。そして数分後にふっとメニュー表を見て私を呼んだ。
「なんでもいいや、じゃあこの気まぐれセットっていうやつでお願いします」
「かしこまりました、少々お待ちください」
そう冷静に答えたものの、まさか初めてのお客さんに気まぐれセットを頼まれるとは思っておらず、内心焦っていた。ひとまずお菓子の作り置きなどが置いてある棚へ向かう。ぱーっと全部見てみたはいいものの、何を提供すればいいのか全くわからない。こんなとき祖母ならどうするのだろうと思いながら、カウンターから彼女へ不意に目をやった。
彼女の机の上に置いた手は、震えていた。顔は窓のほうを見ているせいで、下ろした長い髪がかかってよく見えない。心なしか肩が震えているような気もする。
彼女は、泣いている。
そう確信に変わったのは、次の瞬間春風に吹かれて、彼女の髪がはらりと舞ったからだった。顔を隠していた髪が静かに揺れる。彼女に失礼になるとは思いつつ、その光景はあまりにも綺麗で、儚くて、思わず見入ってしまった。
私が朝窓辺に飾った桜の枝と、彼女を瞳に映してふと思う。
もしかしたら、彼女は失恋してしまったのではないか。
そう思った根拠なんて、ない。泣いている彼女と桜から私が勝手に連想しただけにすぎない。でもどうしても、この考えが正しいように思えてならなかった。
すると急に私の体が滑らかに動きだした。これは本当に私の意思なのか?と疑うほどにするすると動いて、その手は棚の中からビターチョコレートのクッキーを選ぶ。5枚ほど箱から取り出し、皿にのせた。甘すぎずほんのりと残る苦みが、彼女の今のイメージに重なって感じたのかもしれない。
気まぐれセットという名前であるし、クッキーだけではのどが渇いてしまうと思い、今度は飲み物を準備する。先ほどまで自分用の珈琲を淹れていたのもあり、最初は彼女にも珈琲を出そうかと思ったが、この組み合わせでは苦みが強く残りすぎてしまう。今の彼女の状態的にも、それは避けたい。
元気が出る、または少しでも笑顔になれる、そんな飲み物はないだろうか。
棚を漁っていた手が、ぴたりと止まった。ちょうどいいものがあるじゃないか。それも女子高校生にはウケのよさそうなもの。いそいそとその飲み物を準備し、お湯を沸かしている間にレモンを絞った。その果汁を小さい小瓶に移し替える。
気まぐれセットの準備が終わり、私はクッキーと飲み物に加えて、先ほどの小瓶とティースプーンを添えたトレーを彼女の机に運んだ。
「大変お待たせいたしました。こちら、ビターチョコレートのクッキーと、バタフライピーになります」
そう言い終えて彼女の顔をうかがうと、泣き終えたのか渇いた涙の跡が頬にうっすらと残っていた。
「……バタフライピーってなんですか」
「バタフライピーは、一種のハーブティーです。綺麗な青色をしていますが、香りや味はそこまで強くはないので学生さんでも飲みやすいかと思います。そして、少しこのお茶を楽しんだらこちらの小瓶の中身を注いで、ティースプーンでゆっくり混ぜてみてください。」
彼女は少し不思議そうな顔をしたが、納得したように頷いた。そして一言、
「ごめんなさい、急なんですけど、もしよければ私の話を聞いてくれませんか」
と言った。最初に入ってきたとき浮かない顔をしていると感じたのは、間違いではなかったようだ。他のお客さんもおらず特にやることもなかったため、私は承諾した。先ほど淹れた珈琲をカウンターから机に運び、彼女の向かい側の椅子に腰を下ろす。彼女は私の様子を見て、クッキーを一口かじると、ぽつりぽつりと話し始めた。
「実は私、彼氏がいたんですけど、さっき振られちゃったんです」
「やっぱり……」
「え、やっぱり、ですか?」
勘が当たっていた驚きで思わず口に出してしまった。今の発言は失礼以外の何でもない。慌てる私を見て、彼女は面白そうにふふ、とほほ笑む。
「ごめんなさい、私、うっかり……」
「いいんですよ、実際当たってるわけですし。あなたに話を聞いてほしいと頼んだのも私です。お姉さんが謝ること、何もないですよ」
そう言って彼女は目を伏せる。そしてバタフライピーを一口、ゆっくり飲んだ。お茶を飲んで落ち着いたのか、少しずつ話を始めた。
「美味しい。それでですね、私の彼氏は幼馴染だったんです。幼稚園からの」
幼稚園。今の彼女は高校生だから、もう十年以上の仲というわけか。
「しょうもないんですけどね、小学生の時ドッジボールで男子の投げた球が私に飛んできたんです。それを彼はぱっとキャッチして守ってくれて。そこからずーっと彼に片思いをしていて」
「似たような経験ありますよ、私も。小さいころですし、些細なことでもきゅんとしちゃいますよね」
「ですよね、お姉さんも同じだと思うと安心します。で、最初のほうはそんなつもり全くなかったんですけど、どうしても好きの気持ちが抑えられなくて中学校を卒業したタイミングで告白したんです」
「素敵ですね!自分の気持ちを素直に伝えられるの尊敬します。ちなみに、どこで告白されたんですか?やっぱり体育館の裏とかですか?」
ついつい学生時代の恋バナを思い出してのめり込んでしまった私に、彼女は笑う。
「お姉さん、私の友達みたい。恋バナってやっぱり楽しいですもんね。場所はついそこにある桜の木の下ですよ。ほら、このカフェの窓から見える___」
そう言って彼女は窓の外を指さし、そして、固まった。
「……え」
『桜の木の下で、彼と二人』前編、楽しんでいただけたでしょうか。
主人公の考えた気まぐれセット、美味しそうですね笑
書きながらお腹がすいてしまいました。
それはさておき主人公と彼女は、窓の外に一体何を見たのでしょうか。
次のお話では窓の外のこと、彼女のこと、彼のこと、全てが明かされます。
次回、『桜の木の下で、彼と二人』後編、楽しみにしていてください。