気まぐれセット、初めての春
初めまして!若月夏葉と申します。
今回が初投稿で、連載する最初の作品になります。少なくとも一週間に一話は更新をしたいと考えています。
『光のひとひら。』は、主人公がカフェ経営者として様々なお客さんと出会い、お客さんと主人公との会話を通して進んでいく物語です。
お互いの過去をゆっくりと紐解いていく中で、少し不思議なことが起こったり___?
ちょっとだけ不思議で儚くて、でも綺麗で、優しい物語です。
この『光のひとひら。』が誰かにとっての、物語に登場するカフェのような心温まる場所になりますように。
最後の椅子を置き、私はそっとため息をつく。
祖母が死んだ、という母からの電話があってから今日で一か月。大学に進学するタイミングで上京し、東京で一人暮らしをしながら毎日せわしなく働く日々に疲れていた私には、今回の件は帰郷するちょうどいい機会だった。母もたまには、と実家でゆっくり休息することを勧めてくれた。
とはいえ、祖母を亡くしたばかりの母のもと、疲れているとはいえ頼り切って生活させてもらうというのは娘としてどうなのかとも思い、
「何か手伝えることはない?おばあちゃんの荷物の整理くらいなら、私にもできると思うんだけど」
と母に声をかけた。しかし、
「そうねぇ、でも捨てていいものと取っておいてほしいもの、毎回私に聞くのは大変でしょう?だからそれは私がやるわ。」
とやんわりと断られてしまった。家事だけ手伝うのではそこまで母の負担は減らせないし、かといって他にできることも思いつかない、と私は頭を抱える。すると母は、
「それならおばあちゃんの経営していたカフェを継ぐのはどうかしら。ここから歩いてすぐ近くなのよ。結局後継ぎが見つからなくておばあちゃん困っていたのよね。思い入れのある場所だから、誰かに受け渡したかったみたい。」
と提案してくれた。
急な話ではあるが、ここは静かな田舎町だ。そこまで多くのお客さんも来ないだろうし、のんびりしながら仕事をして、多くはなくても一応収入を得ることができる。そして幼少期に何回かそのカフェで祖母が働いているところを見たこともあるため、雰囲気も少しは理解している。なるほど、悪くないかもしれない。
もともと飲食店で接客業をするのには興味があったし、このカフェならハードルも高くないのでは、と感じ母にカフェ経営の意思を伝えた。その日から一週間ほど毎日カフェに通って準備を進めて、今に至る。先ほど、掃除をするために隅に寄せていた店内の机や椅子の配置を終えたところだ。一段落ついたところで、カフェといえばもちろん品物を用意しなければいけないのでどうしようかと思ったが、その心配はいらなかった。
店の隅でさりげなく売られていたのであろう雑貨は丁寧に手入れされており、ちょっとしたお菓子の祖母流の作り方もきちんとメモが残っていた。軽く目を通したがそこまで難しくはないし、材料も手に入りやすいものだけで構成されていたので、私にも作れるだろう。味も祖母のものから大きく変わってしまう事態は避けられそうだ。飲み物も簡単なものなら淹れられるし問題はない。
ただ肝心のメニュー表がどこを探してもなかったので、自分で作るかと、紙の上に祖母の残したレシピを一つ一つ書き写そうとして、辞めた。
少し考えて私は、珈琲や紅茶の名前など思いつく飲み物の名前をいくつか書き、その横の空白に『気まぐれセット』とだけ書き入れた。祖母の遺したスイーツのレシピの商品名は敢えて書かなかった。
メニュー表を細かく見たことはないが、きっと祖母なら、こうしていただろうと思ったから。
カフェで働く記憶の中の祖母が「今日はこれでいいんじゃない?」とどんなお客さんにでも、笑顔で優しく品物を差し出す。そんな情景が浮かんでは消えていく。
書き終えたメニュー表を各机にそっと置き、カウンターに立って店内を見渡す。商品の雑貨の配置も終えたというのに少し寂しさを感じて、窓辺にここに来る途中で拾った桜の枝を飾る。そのとき、このカフェの前に立ち、笑っている祖母の写真が窓枠に飾ってあったのに気付いた。そっと持ち上げ、写真を私からも見えるようにカウンターに置き換える。
そのついでに窓を開けると春風にそよそよとカーテンが揺れ、店内に柔らかな光が差す。桜の花びらも数枚舞い込んできた。春の空気の心地よさにあてられて、期待と不安が入り混じって溶けていく。
私は玄関外の看板を『準備中』から『営業中』に裏返した。
最初のお客さんは、いったいどんな人なのだろうか。
カフェに流れるゆったりとした時間、春の空気感を感じていただけたでしょうか。
穏やかな進み方なので印象には残りにくいかもしれませんが、この先から主人公とお客さんとの絡みが出てくるので、物語が動き始めます。ぜひ次のお話も読んでいただけたら嬉しいです。