44 朝
前)ルトラの子守歌
朝が来た。
地図のかかった部屋で目覚めたアリルは少女の姿に戻っていたが、髪は白いまま、目も赤かった。
痛みは嘘のように消えて、感覚は鈍く、体は鉛のように重い。
ぼんやりとした視界の中、人の姿のルトラに触れた。
(あたたかい……ふふ、なんだか不思議、ルトラが小さくなったみたい。いままで人の姿のルトラに触れていた時は猫の姿だったものね)
頬を撫でると、ルトラが目をあけた。
「おはよう。ルトラ」
アリルが声をかけると、安堵の笑みを見せてルトラもアリルの頬に手を伸ばした。
「おはよう。アリルの目……雪の日の朝焼けだ」
「私、姿が変わってしまったのね?」
白くなった髪をながめながらアリルは言った。
「それでも一緒にいてくれる?ルトラ」
ルトラは不思議そうな顔をしてアリルを見た。
「アリルはアリルだろう?俺の姿が変わってしまったら一緒にはいられない?」
「いいえ……そうね、猫でも人でもルトラはルトラだったわ」
アリルはルトラの手に頬ずりをし、ふと気づいて、その手をしげしげとながめた。
「猫の時はものすごく大きく見えたの」
二人はお互いの手を確かめあって笑った。
「私、もう死んでしまうんだって思っていたの。あの時はそれで良いと思ったの。役立たずの娘が、降り注いだ呪いを癒やして、皆の役に立って死ねるならって」
「アリル……」
ルトラはアリルを抱きしめた。
「でも、ルトラが来てくれたでしょう?あなたに触れたら、私、生きてたいって思ったのよ」
アリルは笑顔で涙をこぼした。
イレアはほとんど休みもせず城のあちこちで指示を飛ばしていた。
泉で聞いた話の通りなら魔女の森にも、ロルギニス王国にも呪いが降り注いだはず。
アリルと、二人の魔女の癒やしの魔法がどこまで届いたかはわからない。
森の様子を確認に行かねば。
母様とモジュは魔女の森にいたはずなのよ。
立ち止まってはダメ。
泣いてはダメ。
私はこのプリエラの王になるのだから。
避難者の間からはロルギニスに対する恨み言も、いっそ早くロルギニスに国を渡した方がいいのではという声も聞こえてくる。
こんな目に遭わされて、それでも大国相手にプリエラが勝てるとは思えなくても仕方ないだろう。
一時相手を追い返したとはいえ、森の魔女すら避難してきたわけだし、昨日のあの光や風や雲を皆知っている。
けれど今プリエラの国民同士で対立してしまっては、それこそロルギニスに良いようにされてしまう……。
ロルギニスの様子を探るにはどうしたらいいかしら。
一度撤退していったロルギニス兵が戻って来ないとも言い切れない
魔女の森やノヴェスト村の住人もしばらく帰れないとなると生活の支援も必要だし……。
ああ、やっぱりダメだわ……もう頭が働かない。
けれど眠っている場合でもないし。
それに、そうよ、私のベッドも今は空いていないわ。
アリルの部屋は避難民が使っていたので、イレアは自分の部屋を今はアリルたちに使わせていた。
その他の城の部屋も今はほとんど避難民に解放している。
(アリルたち大丈夫かしら。ああ、ドリンの家になら空き部屋がありそう)
イレアが考えていると、何やらどよめく声が上がった。
「大変です!糸の先の人が来ましたよ!イレア姫!」
糸……糸の先って何?
しまった!
私の糸を皆に見えるように光らせたままだったんだわ。
この国は今ロルギニスの侵略を受けているのよ!
そのロルギニスの王子が来たということは……。
来たの?
何で?
いえ、わからないわねどういうことかしら?
「テイニー王妃もご一緒です!」
「母様無事だったのね!」
イレアはふらつきながら王妃たちを迎えに出た。
馬が二頭、蛇を巻いた王妃に、糸の先の身なりは良さそうだが泥だらけの若い男は目を腫らしているようだった。
(そう、彼は幼い頃に会って以来の……)
イレアは息を吸った。
「ごきげんようラフィ!」
「……イレア姫?」
名乗る前に勢いよく声をかけられたラフィ王子は驚き顔で馬から降りた。
金の髪に金の目の美しい娘は、幼い記憶と重なりイレア姫に違いなかった。
何より二人の光る糸が繋がっている。
「あれ?何か連絡が行ってたり?」
傍らの王妃と馬を見るも同じように目を丸くして二人揃って首を振る。
「ああ、その馬モジュなのね。無事で良かった。母様、ラフィを猫にしてちょうだい。その蛇……は誰?」
「へ?猫?」
ラフィは固まった。
「猫が嫌なら違うものでもいいけど。あなたはとりあえず人質だから」
「い、イレア?蛇は魔女のククサ婆様だけど、あの、この人はあなたの……」
「母様。そもそも母様が探しに行かなくたってそんなことは昔からわかってるの。それにラフィ、あなたお解り?ここにいて平気かどうか」
ラフィは目の据わったイレアにただ圧倒され、まったく娘に勝てる気がしない王妃もおとなしく従った。
「イレア!おお、テイニー!戻って来たのか!」
ドリン大臣が駆けてきた。
「おじい様、家のベッド空いてる?借りるわね。あ、そうだ、アリルとルトラは私の部屋よ。母様の部屋は避難民に使わせてるから。ああ、モジュの部屋は薬やら石やらあるから触らせてないわ大丈夫よ」
そう言うとイレアは猫を抱え上げ、スタスタ歩いて行った。
王妃は唖然としながら、馬と蛇の変身を解いた。
ククサ婆の姿を見つけた魔女の森の者たちが集まってくる。
「確かに、猫にでもしてイレア姫が抱えていた方が彼も安全かも知れませんね」
主の居なくなった馬を撫でながらモジュが静かに言った。
いくらラフィ自身にその意思がなかったとしても、彼は魔女の森を破壊した国の人間なのだから。
王妃たちはイレアの部屋を訪ね、ルトラに話を聞きながらアリルの寝顔を見た。
「アリルがそんなことになっていたなんて……」
城を出たときとはすっかり違う色になった娘の髪を撫で、王妃テイニーは涙を流した。
そしてドリン大臣に魔女の森での出来事を話し、城や他の村の状況を聞いた。
そうしてモジュは自分の部屋に帰ってきたが、あまりにも色々な事がありすぎて、いつもの景色がかえって不思議なものに思えた。
王妃もそのままモジュに着いてきてしまったものの、いざ二人になってしまうとどうにも落ち着かない気持ちになっていた。
「物の多い部屋ですみませんね。いくら回復の石を使ったとはいえお疲れでしょう、ベッドは使っていただいて結構ですから……ああ、そうか」
取り替えたシーツをたたんで傍らに置く。
「はい。私はこっちで休みますんで猫でも亀でも蛇でもお好きなようにどうぞ」
モジュはテイニーに向かって手を広げる。
「……王妃?」
テイニーは彼を変身させなかった。
日が真上を過ぎた頃、ドリン大臣の家で目覚めたイレアは、同じベッドの上、気持ち良さそうに寝ている猫を見つめていた。
(母様とモジュが帰ってきて本当に良かった……けど、で、私、何を言って何をした?この猫……ラフィ王子だったのでは?私、王子を抱えて来て一緒のベッドで寝たの……何で?)
イレアは頭を抱えた。
(いや、アリルとルトラを正直うらやましいと思っていたわ。思っていたけど、それを王子にやるのは違うでしょ私何してるの……!)
苦悩していると、ドアを叩く音が聞こえた。
「イレア姫!何やらラフィ王子を探しにロルギニスから来た者を捕らえたと連絡が……」
「すぐ行……あ、王妃のところに寄ってから行くわ」
イレアはまだいびきをかいている猫をそっと籠に入れて抱え部屋を出た。
王妃が帰ったと聞き、ようやく起き上がれたアリルはルトラに背負われモジュの部屋の前まで来ていた。
戸を叩くと、猫を抱えたモジュが出てきた。
「青い猫……」
ルトラは猫の自分を撫でてくれていたモジュが違う猫を抱えていることになぜか小さな嫉妬を感じた。
そんなルトラの目線に気づいてか、モジュはじっと猫を見る彼の頭を撫でた。
「モジュ、お帰りなさい。母様も一緒なの?」
「ええ、あの、この……」
モジュは猫を離そうとするが、猫は寝ぼけたままモジュにしがみつき頭をこすりつけている。
「あ、こら、ちょっと爪を立てるのはやめ……」
そこへ籠を抱えたイレアもやってきた。
「ああ、アリル良かった。もう大丈夫なのね」
「こっちにも猫?」
驚くルトラの目線の先で、籠の猫はまだ寝ている。
イレアはモジュの腕の中の猫に言った。
「母様寝ぼけてないで人に戻ってちょうだい」
「え!母様なの?」
アリルはびっくりして大きな声を出し、その声で青い猫は目覚めた。
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