43 ルトラの子守歌
前)祈り
幼い姫にお守りを作った。
姉と二人で力を込めた石をセルヴェル王国の紋章にはめ込んで。
『愛し子アミラを護り給え』
そう記して。
癒しの力が私より強かった姉は、困窮しているプリエラ王国へ呼ばれ、そのまま王妃になって帰って来なかった。
そして。
ロルギニス王国がセルヴェルに侵攻してきた。
王は私に、呪いの魔法石を作るように言った。
すべてを呪いに沈めてしまっても、フィエラの癒しの力があればきっと取り戻せるからと。
それでも。
自分の呪いの力がこの国を覆うなんて恐ろしいことが現実にならなければいいと思っていた。
そして、王妃たちが東へ逃れる前の日、眠るアミラ姫に魔法をかけた。
どうかこの子が強く強く護られますようにと。
そうして、多くの者が国外へ逃れた後、呪いの魔法石は使われてしまった。
傷を負って動けない者たちを癒しもせず、私は黒い雨から逃れた。
私が逃げることで彼らが助からないと知っていながら。
私が作った呪いに沈む者たちを見捨てて、私は逃げた。
逃げて、逃げて、ようやく姉のもとにたどり着いて、これでセルヴェルが救われると思ったのに。
フィエラは言った。
『私の運命はセルヴェルを助けない。私の運命は、私の王と子を助ける』
セルヴェルは呪いに沈んだまま。
私が呪いに沈めたまま。
そして、絶望の淵にいる私を、プリエラの男たちは泉に沈めた。
抵抗する力も、もはや残ってはいなかった。
そうか、姉はもう、セルヴェルのフィエラではない。
プリエラのフィエラは私を殺すのだと。
私はすべてを恨んだ。
憎んだ。
私の中にはもう怒りしか残らなかった。
それなのに。
アリル。
アミラ姫のお守りを持ったプリエラの姫。
お前はフィエラがここにいると言った。
許せなくても共に生きると、命をかけてロルギニスまでも救おうとして。
どうして……。
泉の浅瀬でルトラは瀕死の白猫を撫でながら呼びかけていた。
「アリル!アリル行かないで!」
「どうしてこんな……何があったのアリル!」
ルトラの横で、イレアも呼びかけるが反応はない。
「イレア姫!俺の命をアリルにあげることは出来ないか?アリルが助かるなら俺は死んだっていい!繋がってる糸にどうにかして……」
「わからない……やってみないと分からないわ!」
イレアは自分の糸を猫に巻き付けた。
「わたしの力をアリルに!」
イレアにはくらりと血の気の引く感覚があった。
「……いけるかも知れない!でもあなただけではダメよルトラ!アリルにはあなたが必要だもの。もっとたくさんの人に力を借りるわ!」
イレアは念じた。
(糸よ、強く光れ!)
瞬く間にイレアの糸はルトラにもわかる光の線になり通路の外に伸びていく。
イレアは走り、通路を抜けると書庫の窓から外へ呼びかけた。
「お願い!皆アリルを助けて!この糸に触れて力を分けてちょうだい!」
ドリン大臣が窓の下にやってきた。
「イレア!これは何事か!」
「お願い!力の余っているものをこの糸に触れさせて!アリルを助けたいの!」
こぼれる涙が風に乗った。
(どうか!この糸に触れる者の力をアリルに分け与えて!)
魔女の森があった荒野からプリエラ城を目指す途中、馬を降りたラフィ王子は地図を広げていた。
「王妃、今の位置って分かります?」
「ええ、そうね。川があるからこのあたりだと思うわ」
ここまで何もない土地を進んできたが、ようやく周囲に倒れた木などが見えてきたところである。
「真っ暗になる前に場所が確認できて良かった」
地図をしまいながら、ラフィは突如として前方から強く光る糸が伸びてくるのを見た。
「え?え?うわ何これ!」
ラフィの糸を見てテイニー王妃が言う。
「え、うそこれ、イレアの糸だわ!あ、そうか!ロルギニスに向かってた糸、あなただったのね。それどころじゃなくなっちゃってすっかり忘れてたわ!」
「え?え、なんか……え、あれ?何だろ力が抜けてく……」
ラフィは立ちくらみ、泥地に倒れ込んだ。
(生きてアリル!俺の命をあげるから!)
泉に残されたルトラは白猫に頬を寄せ子守歌を歌っていた。
小さくなっていく鼓動に、出来ることはそれしかなかった。
かつて自分を癒やしてくれた歌が、どうかアリルを救ってくれるようにと。
ただ、ただ祈りながら歌った。
〈お前はなぜその歌を知っている……?〉
頭に響く声に顔を上げたルトラは光る女の姿を見た。
「この歌を知っているの?」
〈だって作ったのは私だもの〉
シティメは歌い始めた。
彼女が歌う子守歌には詞がついていた。
幼子よ おやすみなさい
青の星の輝く夜に
緑の森の静かな夜に
幼子よ おねむりなさい
豊かな土の育む命
清らな水の育む明日
幼子よ 愛しいあなた
おやすみなさい
おねむりなさい
途中から、自分の声に、鈴を振るような澄んだ声が重なっていることにシティメは気づいた。
傍らに、自分を抱き涙を流すフィエラの姿があることに。
〈フィエラ……〉
《あなたを……セルヴェルを助けられなくてごめんなさい》
二人は猫を抱くルトラを見た。
《緑の瞳、シティメの護り……あなたはアミラ姫の血を引いているのね》
「あなたたちは……ばーちゃんの日記にあった……魔女の姉妹?」
「ルトラ!アリルは?」
イレアが息を切らして泉まで戻ると、ルトラのそばに二人の光る人影が見えた。
「大丈夫だ!呼吸が落ち着いてきたよ!」
「あなたたちは誰……一体アリルに何が起きたの!」
フィエラの鈴の声が告げた。
《かつて私が作った呪いの魔法石が魔女の森に使われ、それを使った側のロルギニスにも同じ呪いが降り注ぎました。それを、アリルは命をかけて癒やそうとした……プリエラだけでなくロルギニスまでも》
「そんな!」
「アリルに、癒しの力があったっていうの?」
〈命をかけて……アリルも、ルトラというこの少年も、自分の命を差し出すことに躊躇がなかった。フィエラも、癒しの力を使うことで自分の体が痛んでも、それでも迷わず力を使っていた〉
イレアは光るシティメの姿を見ていた。
〈私は……私は誰も助けずセルヴェルから逃げて……逃げて……ただ、絶望して死んだ。誰を助けることもなく〉
苦悩するシティメにイレアは言った。
「私は、誰のためであっても命を捧げることがそんなに良いこととは思わないわ」
ルトラとフィエラもイレアを見た。
「うん。誰も、死なない方がいい」
ルトラがつぶやく。
「私にアリルと同じ力があっても、きっと私は命をかけない」
顔を上げたシティメはイレアを見た。
「私にはやるべきことがあるから死ぬわけにはいかないの。だって私はプリエラの王になるのだもの!」
《王?魔女の娘が……王妃になるのもあれほど反対されたのに……魔女がプリエラの王になるの?》
フィエラは驚いた顔でイレアを見ていた。
〈やるべきこと……やるべき……私は何をしようとした……?〉
シティメは記憶を手繰った。
かつて自分がその足にしがみつく者たちを癒やしもせず振り切ってセルヴェルから離れたときに、何を成さねばならぬと思っていたか。
〈私は……私はセルヴェルの呪いを癒やすため、呪いに沈む地を清浄に戻すためフィエラのもとへ……〉
《シティメ……》
フィエラがシティメに寄り添う。
〈やるべきことを。フィエラ、お願い私と……〉
《ええ、やりましょうシティメ。二人で……アリルの望んだように》
魔女たちは白猫をそっと撫でた。
見上げる緑の瞳に、シティメは言った。
〈ルトラ、セルヴェルの英雄の名の子。幸せにおなり〉
見つめる金の瞳に、フィエラは言った。
《イレア、プリエラをよろしく》
シティメとフィエラ、二人は互いの手を取り泉に入った。
二人の姿は光り、輝く水面に溶ける。
そして。
まばゆい光は、はるか空へと上って行くのだった。
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