33 破壊
前)凪の点描
朝の光が降り注ぎ、魔女の森の木々は静かに風のさざめきを伝えていた。
住民が避難した魔女の森にはたった二人だけが居残っている。
「皆に逃げるように言っておいて何で自分は立て籠もっちゃうんですか!やめてくださいよ!」
守りの力を持つ魔女、ククサ婆の家の戸に魔術師モジュが張り付いていた。
「皆が逃げたならお前も早く逃げろ!ワシだって逃げたいわい!運命がここから動かしてはくれんのじゃ!」
「あなた一人置いていけるわけないでしょう!だいたい一体何が起こるっていうんですか!運命って何ですか!助けねばならぬ若者とは誰なんですか!」
「知らん!知らん!ワシだって教えてほしいわ!」
ククサ婆曰く、今日これから魔女の森に大変な事が起こるから村の者は全員逃げなくてはならず、自分はここに来る若者を助けねばならないから皆と一緒に城に避難するわけにはいかないということで、とはいえ、いつ敵がまたやってくるかもわからないので婆一人残して魔女の森を立つわけにもいかないとモジュが残っているのであった。
「まったく、梃子でも動かない……魔法石ももう尽きているし、敵が来たら背負って逃げるしかないが……」
悩むモジュの視線の端に青色が飛び込んできた。
「王妃!」
村に突っ込んできた鳥はモジュの横をすり抜けながらテイニーの姿になった。
「魔女の森の皆は大丈夫?!」
「あなた竜とか鳥とか無茶をして!一体何日寝込むおつもりですか。そもそもどうして城から出てったり……」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!皆はどうしたのよ!」
魔術師は姿勢を正した。
「村の皆は城へ向かいました。ククサ婆だけがここを動きませんでこうして説得しています」
王妃の声を聞いたククサ婆が戸の中から話しかける。
「テイニーか!お前からもモジュに言うてくれ。ワシはここでこれから来る若者を助けねばならぬ運命なんじゃ!」
「婆様……そう、運命なのね?」
王妃は戸に手をあて静かにうつむいた。
「じゃあ、しょうがないじゃない!」
「運命って……王妃、昔あなたもそう言われましたね?」
モジュが問う。
「魔女には、そういう事があるのよ」
「己の意思にかかわらず逃れられぬ運命があるとおっしゃるのですか?王の手を取ったのがあなたの……」
「あ!人がいた!すいませーん!ここって魔女の森ですよね?」
二人の前に馬に乗った若い男が現れた。
「若者が、来た……ククサ婆さん!彼ですか?!」
モジュは戸に向かって呼びかける。
婆は戸を開けて叫んだ。
「皆早くここへ入れ!」
「へ?」
馬は家の前まで来たが、若者は驚いた顔で固まっている。
「早く!今すぐに!馬ごとでいいから早くここへ!」
叫ぶククサ婆のただならぬ気配に若者が馬を降り、暴れようとする馬を若者とモジュが宥め損なっているのを見て王妃が指先を向けた。
「ちょっとごめんなさいね!」
「うわっ」
引いた手綱が急に軽くなり若者は戸の中に転がり込んだ。
「イタタタ……え?」
亀が若者の腹に乗っている。
ククサ婆が若者のそばに立ち、杖を突き立てると床に紋様が浮き出した。
「来るぞ!お前たちも早くワシのそばへ!」
王妃と魔術師もククサ婆に駆け寄った。
「来るって一体何が……」
「皆動くな!何が起きても結界から決して出るな!」
叫ぶ婆に困惑する若者に王妃がつけ加える。
「あなたもその亀しっかり抱えて動かないでね!」
かすかな音を立て、魔女の森の中央の木にロルギニスの兵がくくりつけた発動の石が砕けた。
瞬間。
呪いの魔法石から強烈な閃光が放たれた。
眩しすぎる光は命あるものの影を焦げ付かせながら森を抜けた。
禍々しい轟音が地を震わせる。
残る全てを抉るように強い灼熱の嵐が走る。
そしてそれは止む気配もなかった。
「なんだこれは!」
モジュが叫ぶ。
そこにあったはずの、戸も、屋根も、部屋の何もかも、家の何もかも、村の何もかもが一瞬で消え去っていた。
「皆ワシから離れるな!」
滝のような汗を流しながら婆は杖を強く強く握りしめる。
「婆様!婆様!」
ククサ婆の肩にすがりついてテイニーが悲鳴を上げる。
「アワワワ……」
亀を抱きしめた若者は恐怖で言葉も出ない。
ククサ婆は全身を震わせている。
守りの結界は小さくなり、所々ひび割れ軋みはじめた。
「これ以上は……」
婆が小さくつぶやくのを聞き、モジュはマントで皆を覆った。
もちろんそれが何の役にも立たないことはわかっている。
マントを持つ手が青い髪に触れ、しばし奥歯を噛みしめていたモジュは轟音の中叫んだ。
「テイニー!あなたを城に連れて行ったのは、あなたを妻にしたかったからだ!」
王妃は目を見開き顔を上げ、魔術師を見た。
「魔女の妻と共に生き、城の仕事をするのが私の夢だった!」
モジュは真っ直ぐ自分に向いている金の瞳を見た。
「なんで……?なんで今更そんなこと言うのよ!あの時あなた何にも言ってくれなかったじゃない!私お城でどうしたらいいかあなたに聞いたのに!」
「王やらなんやらいっぱいいるとこで言えるわけないだろう!それに糸は王に繋がっていたんだ!どうしようもないじゃないか!」
「お前たちワシの頭の上で痴話喧嘩すんじゃないよ!」
ククサ婆も叫ぶがテイニーは止まらない。
「だって!だって!糸はあなたとも繋がってたもの!」
「え」
モジュが固まる。
「繋がっ……え?」
「でも王の子を産むのが私の運命だったんだもの!運命だったの!」
潤んだ金の目は困惑した魔術師を見つめ続けた。
「私はちゃんとあなたを諦めようとしたの!王妃になったし王を愛したもの!イレアもアリルも愛してる!愛してるのに……」
テイニーの頬をとめどなく涙が伝っていた。
「そんなの知ってる!ずっとそばで見てたんだわかってる!でも、死ぬ前に一度は言わせてくれ!」
「え……死ぬの……?」
婆にしがみついて震えている若者がつぶやいた。
「テイニー!私はずっとずっとあなたを愛してる!森にいた頃から!王のものになろうと何だろうと今も!今も変わらず愛している!」
モジュは微笑み、その手はテイニーの濡れた頬に触れた。
結界はいよいよ小さくなり、モジュのマントの端が音も無く塵になった。
守りが薄くなり、轟音がいよいよ大きくなる。
王妃の嗚咽を聞きながら、若者は紫の石を握りしめた。
(助けて……助けてイレア!)
炎はいまだ荒れ狂っていた。
音は地を揺らしながら、遠く、遠くまで這っていった。
もはやそこに村はない。
人の暮らしのあった家は、もう二度と家族を迎え入れない。
生き物を育み実りを与えた森は、もうどこにもない。
川や湖は干上がり、もう誰を潤すこともない。
暴れる炎の中、雲が沸き立つ。
破壊されたすべてのものを天へ押し上げるように。
悪意の塊のように、雲は大きく、大きく天を覆った。
そして。
ぽつり、ぽつりと呪いの黒い水が降りてきた。
辺り一面を荒野にし、それでも足りぬと言わんばかりに。
雨は次第に強くなり、地表を黒く染めていく。
黒く、重く、悪しき呪いが、かつて魔女の森と呼ばれた場所を沈めていった。
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