32 凪の点描
前)迷子
朝早く、テイニー王妃はノヴェスト村を出て魔女の森へと向かった。
川向こうの村人と、いくらかの兵を村に残し、イレア姫たちは城に向かう馬車に揺られていた。
兵と共に今後のことを検討しているイレアに恐縮しつつ、ルトラも同じ馬車の端に乗っていた。
日記と本を抱えて。
読めない文字の本を開き、挿絵を一つずつ見ていた。
はじめのページに描かれていたのは、やせた少年だった。
恐ろしい姿の幻獣、おどろおどろしい森、光、雨、水辺、人々、豊穣の土地。
(この少年はどうやって英雄になったんだろう)
最後のページには星のような花の絵があった。
プリエラの城ではアリル姫たちが忙しく働いていた。
昨日の夕方。
アリルとドリン大臣が書庫に居るときだった。
窓辺の青い髪を見つけて一羽の青い鳥が飛び込んできた。
すぐさま姿を変えたその鳥は、魔女の森の異変を伝えようと先駆けて城に到着した魔女だった。
「森に……?何ということだ!」
ドリンは驚き、アリルは震えた。
「大丈夫かアリル?」
「おじい様がいてくれて本当に良かったわ。みんな居ない時にこんな……」
ドリンはすぐにほかの大臣と城に残る兵を集める指示を出し、アリルはその場で倒れてしまった魔女を介抱しつつ話を聞き取った。
魔女が村を出た時点で、ある程度の人々は城を目指しており、負傷者もいるとのことだった。
ドリン大臣から話を聞いた城働きの者たちが書庫に駆けつけた。
アリルは皆にできる限りの受け入れ用意をするよう伝え、魔女には休むよう言った。
けれど、彼女はとてもじっとしてはいられないと言うので、アリルはもう少し詳しく村の話を聞き書類を作った。
イレア達が帰ってきたときにきっと必要になると。
炊き出しの用意が進んだ頃、魔女の森からはじめの馬車が到着した。
アリルは馬車に妊婦の姿を見つけ、自分の部屋を解放した。
日が暮れてからはノヴェスト村からも馬車が次々到着し、城と城下町では慌ただしく避難者の受け入れが行われていた。
アリルは次第に体調も悪くなり、猫の姿で何も出来ないまま、胸元のルトラのお守りと彼の子守歌を支えに長い夜をじっと耐えた。
朝、南側の村は問題ない様子であるとの報がドリンたちにもたらされ、支援の手も増えた。
負傷者の看護や、遅れて城に着いた者たちからの聞き取りなどに追われていたアリルの顔色がいよいよ悪いのを城の者たちが心配し、休むよう言われたアリルはふらふらと書庫の窓辺へたどり着いた。
「やっぱり……役立たずね私」
アリルは小さくつぶやいて木窓を開けた。
いつもは髪を揺らす風がなく、下からの騒がしい声だけが聞こえていた。
「母様も姉様たちも北に向かったはずなのに。敵には会ってないかしら、ノヴェスト村はどうなってるのかしら。ルトラ……」
アリルは滲む視界の先に猫の姿を探していた。
ノヴェストからの馬車にルトラは乗っていなかった。
ずっと胸が苦しい。
何か恐ろしいものが近づいているような、恐ろしい生き物にずっと睨まれているような、そんな感じがする。
あの森の、山の、その先のロルギニス王国はプリエラに何をしようというの?
魔女の森は、ノヴェスト村は。
プリエラはこれからどうなってしまうの?
アリルは震える手でお守りを握りしめる。
(ルトラ、あなたがそばに居てくれたら、きっとこんなに怖くなかったのに……)
凪の空は青く晴れ渡っていた。
ロルギニス王国の第二王子リュゼスはストレタの案内で反乱軍の中心人物、バルスルトのもとを訪ねていた。
「俺は外で見張ってます」
事情を説明したストレタを見送り、リュゼスは目深にかぶっていたフードを上げた。
「こりゃまた良い面だな」
猫面に目を丸くするバルスルトにリュゼスは微笑んだ。
二人は椅子に腰掛けた。
普通サイズの椅子とテーブルがこの男たちに使われては随分小さく見える。
「ところで第二王子殿。ひどい傷跡をつけた俺を恨んでいないのかね?」
話に聞いた通り熊のような、けれど朗らかな大男を前に、リュゼスは首を振った。
「いや、恨みはしないよ。あんたストレタには殺すつもりだったと言ったらしいが、嘘だろう?」
リュゼスの目の下には同じ時に作った別の傷があった。
腕にやけどもした、それらは小さな傷だったけれど、じくじく痛み熱を持ち、腫れ、水が溜まり、皮が剥けた。
比べてこの男がつけた顔の傷跡はいかにも酷そうな見た目に反して、痛くも痒くもなさすぎだった。
「これはただの見せかけの魔術か何かではないのか?」
「ははは。そこまでわかってるなら戻してやろう」
大男は腰の鞄から小さな袋を取り出し中を覗く。
「ああ、いや、いいんだこのままで」
それをリュゼスは止めた。
「ん?治してやれるぞ?」
「戒めだ。俺はこの顔でいいよ。あんたの邪魔をして結局ストレタを不幸にしたし、俺はこの顔で助かったところもあるから……」
「何が助かるって?」
「おかげで独り身でいられる」
「……こりゃまた。独りじゃない人生も良いもんだぞ?」
「そりゃあ望む相手であれば」
「ははん。なるほど王子様ともなると色々あるだろうな」
袋に紐をかけて鞄にしまいながらバルスルトは言った。
「まぁその猫面も似合ってるしな。必要になったら言ってくれ」
「ああ、ありがとう。その時はよろしく頼む」
リュゼスは笑った。
「それより、俺はあんたが王になろうとしないのが不思議なんだ。あんたは俺なんかよりずっと王にふさわしいと自分では思わないのか?」
「そうだな。俺にもそれなりに王の心構えはあるつもりだ。だがロルギニスの王にはならない。そうだな、俺の名を明かしてやろう」
そう言うとバルスルトは語り始めた。
俺の隠し名はルバルストと言う。
これは王家の名だ。
そうだよ、今は無くなったどこかの王家の血筋だ。
つまり、俺が王になるとすればその国だ。
だからロルギニスの王にはならない。
俺の家族は東に逃げ延びて、そこで新たに縁を結んだりして、それなりに暮らしていたんだよ。
けれど、東にもロルギニスが攻めてきた。
東の王は早々に逃げて国を捨てたが、俺たちは抵抗した。
ロルギニスに喰われた国が、ろくな目にあってないのを知ってたからな。
混乱のなか身重だった妻は死んで、幼い息子や何人かの親族は行方がわからなくなった。
結局負けちまって、残りの親族は北に逃れたが俺はロルギニスに留まった。
いつか、息子に会えないかと思って探し続けているのさ。
俺の国の、はじめの王の名をつけた息子だったんだ。
それで、この国をずっと見てるが、まぁあちこちの国を飲み込むだけ飲み込んでおいて、一体どこに向かってるんだろうなロルギニス王国ってのは。
「レアギンを王座から落とし、その後に第一王子のルシウムを即位させたいんだ。俺よりずっと適任だ」
話すリュゼスをじっと見てバルスルトは続けた。
そうだな。王がすべての悪の根源だと考えている者も多い。
でも違うだろ?
王をそうさせているのは周りの奴らだ。
案外王なんてのは一人では生きていけもしないような人間だったりするだろ?
で、それを持ち上げてる奴らがいる。
いまならベリントス公爵あたりだな。
そしてそれに抵抗しない普通の奴らがいる。
普通の奴らってのが実は一番厄介でな。
自分に害が無いうちは変化を極端に嫌うんだ。
誰が迫害されようが自分に害がなければ興味も持たない。
いつか自分に矛先が向いてようやく気づくんだ。
もう手遅れになってから。
公爵の息子より農家の息子を助けたあんたならきっとわかるだろうと思ったんだ。
この国がこれからどうすべきか。
第一王子にもそれができそうかい?
笑顔で問いかけるバルスルトにリュゼスは頷いた。
「大丈夫だ。ルシウム兄さんの方が俺より視野も社交範囲も広いから、大臣なんかの入れ替えもスムーズに行くさ」
「そうか。ならよかった。……それはそうと、昨日配らせてたビラはありゃ何だ?」
「ああ!反乱軍の皆にも手伝って貰って、真っ先にその礼を言うべきだったのに失礼した」
昨日のうちにロルギニス城下にはビラが撒かれていたが、呪いの魔法石の事などは伏せられたため、いつ来るかわからない緊急事態に備え避難の手筈を整えよという曖昧な内容になっていた。
「実は……レアギン王は呪いの魔法石をプリエラに使おうとしているんだ。それで、その石は使った側にも影響があるんじゃないかって……」
リュゼスはバルスルトの強く握られた拳が震えるのを見た。
「呪いの魔法石を使うだと?」
声は低く、その顔は先ほどまでの機嫌の良い大男の顔から様変わりしていた。
「わかっているのか!あれは国一つを地図から消した石だぞ!」
それはさながらそれは荒れ狂う熊の咆哮だった。
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