21 王妃テイニー
前)セルヴェル王国
イレア姫の糸を追っていたプリエラの王妃テイニーは、ロルギニスの国境の街の手前で一息ついていた。
女のひとり旅では危険も多かろうと、プリエラ王国を出てからは姿を筋肉隆々の大男に変えている。
大国のロルギニスまで行くなんて思いもしてなかったけど、私がイレアとアリルにできることといったら、これしかないもの。
城の中に味方を増やせばきっとイレアが王になっても助かるはずよ。
私が女の子しか産まなかったことで、ドリン以外の大臣をはじめあれこれ言う人は多かった。未だにイレアを王と認めないという者もいる。
どうして男の子を産まなかったのだと責められることも多かったけれど。
「魔女が二人も姫を産んでくれたんですよ?プリエラ王国にとってこんな有益なことは無いでしょう?」
モジュが大臣たちに言ってくれてからは随分風当たりはマシになった。
もっとも、アリルに魔女の力は継がれなかったけれど。
あの子は王と同じように身体が弱くて可哀想だけれど、あの優しい少年ならきっとアリルを大事にしてくれる。
いつも一人部屋に取り残されて寂しがりなあの子は、今はあの猫になった少年と一緒にいるかしら。
仲良くなってくれるといいけど。
それにしても相手がロルギニスの人だなんて、やっぱりイレアはすごいのね。
イレアは髪こそ青くないけれど、異国の言葉もすらすら読めるあの金の目は私なんかよりずっと強いのではないかしら。
それにずっと王になるって言っている。
それはきっと、あの子の運命なのね。
だから、王になるあの子に、糸の先の人物は役立ってくれる人でないといけないわ。
私は魔女の森から一生出ることはないのだと思っていた。
物心ついたときには両親はいなかったけど、村の皆は優しかったしあの森が好きだった。
他の魔女と同じように、森で生きて、死ぬ。
できることならば、糸で結ばれた優しい魔術師と共に暮らして、子を産めたらきっと幸せだと思っていた。
たとえ魔術師が私を置いて森を去っても、愛する子がいれば生きていけるんじゃないかと思っていた。
けれど。
私は森を出られてしまった。
そして。
王の妃になって、王の子を産む運命だった。
出会った頃の王は……そりゃあ顔は息をのむほど美しかったけれど、身体が弱いのは気の毒だったけれど。
それでもこんなのが王様だなんて嘘でしょう?と思うほどひどい人だった。
誠実さも賢さもない本当にダメな男で、いっそネズミにでも変えて湖に投げ込んでやろうかとさえ思った事がある。
それでも運命に逆らうことはできなかった。
けれど、いつだったか、あの美しい顔を腫らして帰って来た日から、ずいぶん穏やかな人になった。
階段で転げたって言ってたけど、あれはよほど頭の打ち所がよかったのだと思う。
アリルが産まれる頃には、昔を知らなければ絵本の通り聡明な王と見られるであろう人物になった。
それでも、表に出ていないものまで見てしまうイレアは、
「お父様は本当にはじめからこの絵本のような人物だったと思えないの」
などと言うものだからびっくりしてしまった。
下手に嘘をついても仕方ないからあの子にしか見えないように秘密の手紙を書いて本当のところを教えてしまったけれど。
それを見て秘密の手紙をうらやましがったアリルに、王は優しい父親らしく手紙を書いてあげて……。
若い頃のあの人からは考えられないような細やかな優しさは、一体どうやって手に入れたのかしらね。
人は成長するものなのだと感心してしまった。
最期の時も、ただあの人は穏やかに、思ったよりも長く生きてしまったなんて言いながら、残される私たちが幸せであるようにと。
イレアとアリルを私に託し、繰り返し繰り返し感謝の言葉を口にし、
「これからはテイニー、あなたの望むように生きて」
そう言った。
だから、私は王と結ばれてとても幸せだったのだと思う。
可哀想なのはモジュよ。
ずっと、縛り付けてしまった優しい魔術師。
きっと私たち家族を恨んでるに違いないのに。
王が死んで、ようやく自由になれるはずなのに。
それなのに、王と子を成したあとは見えなくなっていた糸が、今になってまた見えてしまった。
それを嬉しく思ってしまった自分が恥ずかしくて情けなくて申し訳なくて。
イレアに糸を見られてしまったらと思うと怖くて、モジュを遠ざけてずっと引きこもっていたけれど。
魔女の森に居たとき、私はモジュと生きていけると無邪気に思っていた。
けれどあの人は何も言わなかった。
モジュと、王と、二本の糸が見えてしまってからもずっと。
一体これまでどんな気持ちでいたのか私にはわからない。
ただずっと、ずっと優しいままでそばにいてくれた。
そして、城に縛り付けてしまったせいで、彼はほかの誰かと結婚することもなかった……。
いけない。
今はとにかく、これから王になるイレアの手助けするのが私の仕事よ。
テイニーは両手で頬を叩くと立ち上がり歩き出した。
国境の関所には人や馬車の長い列ができていた。
(ロルギニスに入るのってそんな厳しいのかしら?)
人目のない林の陰で姿を鳥に変えた王妃は関門の上に止まり様子を伺った。
(この国では魔女って嫌われてるのよね。絶対バレないようにしなくちゃ)
門の内側には大勢の人がいた。
(何だろう?お祭りかしら?)
門に近いところではキラキラと銀の光がちらついている。
光の向こうには整然と並んだ馬車。
反対の奥の方は色とりどりの布屋根が並んでいる。
風に乗って時折食欲をそそる匂いが漂う。
あちら側には食べ物の屋台もあるようだ。
よく見ると近くの銀の光は金属の甲や胸当てをつけた兵士たちだった。
不意に聞こえてきた言葉に王妃は耳を疑った。
「プリエラから来た者、プリエラに向かうもの者がいたら確実に捕らえるんだ」
(プリエラ?どういうこと?私がここにいるってバレてる?いいえ、そんなわけないわ。プリエラに向かう者まで捕らえるなんて、ロルギニスは一体何をしてるのかしら)
王妃は屋台の上を飛び、人気のない路地を探して降り立つと、再び姿を大男に変えた。
店は食品だけでなく、日用品から装飾品、プリエラでは見たことのないものまで様々並んでいる。
(城下でもない街なのに、大国には本当に何でもあるのね)
大男は感嘆のため息をついた。
「お、兄さんも兵になりに田舎から出てきたんだろ?」
串焼き屋のオヤジが声をかけてくる。
「今回は小さい国相手だから楽勝だろうよ。ほれ味見してけ」
湯気を上げる小さい肉の串を受け取りながら聞き返す。
「小さい国って……どこの……あっつ」
くわえた熱々の串は濃い塩気と肉汁がしみ出しなかなか美味い。
「あんた知らずに来たのかね。プリエラだよ。なんでもこないだ王様が死んじまったらしいじゃないか。今叩けば赤子の手をひねるより簡単ってわけだな」
ごくり、と肉を飲み込んだ王妃はそのまま息が止まるかと思った。
横からひょろりとした若い男が会話に入ってきた。
「そうそう、あの国にゃまだ魔女が自由に暮らしてるって言うじゃないか。だからあの国もロルギニスの一部にしちまって、ついでに魔女も狩っちまおうってんだろ?おっちゃん俺にも味見させて」
(な……なんですって!どうしよう!どうしたらいいの!!)
手が震え、テイニーはつまんでいた串を落とした。
次)決別




