11 手紙
前)昼と夜
朝、魔術師のモジュが猫を撫でに来た。
「モジュは猫好きなのね」
と言いつつ、アリルにはそれが違うとわかっている。
たとえ金の目がなくても。
(猫になったってこの人私には一切触れないのよね)
ずっと近くにいたけれど、モジュは王家の人間に壁を作っている。
私たち姉妹にも、もちろんお母様にも、決して自分から手を触れることはなかった。
(そういうことだったのよね)
「アリル姫、王妃のこと、あらためて申し訳ありません。ご心配でしょう」
姿勢を正し、魔術師は深々と頭を下げる。
「いいえモジュ、あなたのせいではないもの。姉様このところお疲れ気味だからあなたを責めるようなこと言ってたけど……」
「ええ、わかっておりますよ」
(むしろこんな仕打ちをされてまだ微笑んでいるモジュの方が心配だわ)
アリルは思った。
猫を連れたアリルは書庫へやってきていつものように木窓を開けた。
「父様はよくここに座って本を読んでいたの。書物が傷まないようにこの部屋は薄暗いけど、ここの窓辺は明るいでしょう?」
穏やかな風をひげに受けながら猫は目を細めた。
アリルはたくさんの手紙が入った箱を抱えて窓辺に座る。
「イレア姉様の目は何でも読めてしまうの。だから母様は時々姉様に秘密の手紙を書いていてね」
二人だけの秘密のやりとりの方法を知ったときアリルはそれはそれはイレアを羨ましく思ったものだ。
「私が羨ましがっていたら父様が私だけに手紙を書いてくださるようになったの」
手紙を順に取り出して確認する。
「時々本当の秘密の手紙もあったの。魔法石を使った手紙はね、本当に読まれたい相手にだけ封が開くの。読んだら消えちゃうからここには残っていないのだけど……」
昨日、イレアは自分の糸をたどって母を探すことにするとアリルに告げた。
「イレア姉様も糸が見えるの?」
「見えると言っても母様のとは少し違うみたいなのよ。あなたたちの糸はしっかり太く繋がって見えるけど、家族みたいな人が繋がってるようなのが見える時もあるし」
「それはたとえば……」
「ほら、母様は父様と繋がってる糸が見えたわけでしょ?私が見た母様の糸は父様に繋がってるのもあればモジュに繋がってるのもあるみたいなことよ」
「母様はモジュのことが好きだったのかしら」
「ああ、大丈夫よアリル心配しないで。母様は間違いなく父様を愛していたわよ」
イレアは、誰より父を好きだったアリルを抱きしめた。
母様が父様を愛していたのは、確かにアリルから見ても疑いようはなかったけれど。
「どうして今まで内緒にしてたの?」
イレアは口ごもる。
「……初めて糸が見えた頃に、言ったら笑われたのよ。ずっと小さい頃よ?恥ずかしくてそれからは人に言ったことはないと思うわ」
「笑ったのは誰?父様?」
「ああ、いいえ、違うのよほら、あなたロルギニスの姫と手紙のやりとりをしているでしょう?昔そのエフィカ様とお兄様のリュゼス様が運命の相手だって言っちゃって従者の方に笑われてしまったのよ。本当にもう恥ずかしいから思い出させないでちょうだい」
イレアは苦々しく笑う。
「姉様それは……」
アリルはその先を言えない。
「どうしたのアリル怖い顔して」
「父様に、母様とモジュが繋がってるって言ったことある?」
「はっきり覚えてはいないけれど、どうかしらね……でも言ったとしても本気にはしてないはずよ」
「そう、そうなのね」
王の手紙を読み終えたアリルはため息をついた。
「やっぱりそうなのよ」
猫は不思議そうにアリルを見つめている。
箱の中の手紙はロルギニス王国のエフィカ姫からのものも多い。
「私が文字を書く練習をしていた頃にね、エフィカ様がお体を悪くしているって聞いて、お手紙を書いたの。お会いした時は私は小さすぎて記憶がないのだけど、私も昔からよく寝込んでいたから、遠くからお見舞いの手紙が来たら嬉しいかもしれないって思って。それからエフィカ様もお返事をくださって」
手紙の中にひとつ、銀色のものがきらりと光った。
「エフィカ様はとてもお優しくてね、頭痛の時に痛みを和らげるお茶とか色々教えてくださるの。わたし時々秘密の手紙も送ったわ」
体の弱い自分の葛藤を近くにいる人間に話したらきっと悲しい顔をすると分かっていた。
だから誰かに言いたくても言えなかった色々なこと。
遠くにいて、顔も覚えていない優しい年上の姫君が、ただこの辛さを知っていてくれると思うだけでアリルはずいぶん救われたのだった。
「誰にも内緒よ。エフィカ様もね、秘密を打ち明けてくださったことがあるの。お兄様のリュゼス様のことをずっと想っているのだって。だからやっぱり、お姉様に見えているのは家族とかそういうのじゃない、運命の糸だと思うわ」
猫はにゃあんと鳴いた。
「あなたと私もそういう繋がりだと思うの。私はそう思いたいわルトラ。あなたはどうかしらね」
猫は身動きせずおとなしく頭を撫でられている。
「ふふ、いいのよ。いつかそう思ってもらえたらうれしいな」
猫は体を震わせた。
手紙の箱をしまって、アリルは小さな絵本を手に取った。
ルトラにも見覚えのある絵には色がついていて、書かれている文字は読めなかった。
「父様が亡くなる前にね、手紙を預かったの。母様を愛し、母様からも愛されている男に渡してくれって。私そんなの父様だけよって言ったんだけど……」
(あの時の父様、悲しそうな笑顔だったわ)
「お父様ははじめからきっと母様とモジュの関係が分かっていたんだわ。わかっていて、逆らえないのを知っていて母様と結婚して。でもずっとお父様自身も傷ついていたんじゃないかしら」
大好きだった、優しいお父様。
読むと消えてしまった王の手紙の内容をアリルは覚えていた。
「秘密の手紙に書いてあったもの。お母様にはひどいことをしたんだって。どうやってもモジュには勝てないって」
父様が母様にひどいことなんてするはずないし、父様がモジュに勝てないなんて思っているのが不思議だったけど、なぜそんなことを書いたのか今はわかる。
モジュと母様に対しては聡明さが足りなかったのではないかしら父様は。
「父様は完璧な人だってずっと思っていたの。この絵本の通りにね。でも人間らしい父様も私嫌いではないわ」
アリルは微笑んだ。
西日が射す頃、書庫にやってきた魔術師はアリルにこう言った。
「ルトラのお守りはセルヴェル王国のもののようです」
言いながら、モジュの視線は猫を探していた。
「ただあの国の記録はどうにも数が少なくて。ここにも何かないかと思ったのですが……やあルトラ」
猫はモジュの足元にやってきて頭を撫でられている。
「セルヴェル……『沈んだ国』ね。ありがとう、じゃあここは私が探してみるわ」
「そうですか、アリル姫はここの書物にお詳しいですからそうしていただけると助かります。明日からは私も王妃を探しに出ますので」
「そう。お母様をよろしくね」
アリルは魔術師に微笑んだ。
モジュが母様を愛しているのは間違いないと思うわ。
でも愛されてるかどうか、私にはまだわからない。
帰ってきた母様を見て、そうだと確信できれば……手紙を渡す、その時がくるのかもしれない。
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