10 昼と夜
前)猫とお姫さま
アリル姫の疑問は、日が暮れればすぐに分かるものだった。
ニャーニャー鳴く青い猫を抱えて途方に暮れている少年のもとに、イレア姫と魔術師のモジュ、腰に手をあてたドリン大臣が揃ってやってきた。
「あ、あの……ひ、日が暮れたら……」
うろたえる少年に対し顎ひげをさすりながらドリン大臣が品定めの目を向けている。
「ほう、この少年が」
「ああ、確かに王妃の魔法ですね」
魔術師は魔法石を薄く切り出した片眼鏡越しに少年と猫を見ると目を細めた。
「なんでも『早く長く一緒に居させてあげたいけれどちょっと二人は若いから』ですってよ」
シワシワの紙を片手に眉間にシワをよせつつイレアが言う。
「ごめんなさいね。あなたどこまで聞いてここに来たか教えてくださる?お名前は?」
突然城に入り込んでいる若い男をつまみ出すでもなく、姿を消したアリル姫を探すでもない小綺麗な人間たちを前に少年は困惑していた。
「え、あの……ノヴェスト村ではノトラと呼ばれています」
老女と出会っての一部始終と、彼女にも話した自身の境遇を一通り話し終えて、少年は出された食事にありついていた。
これまで目にしたこともないような豪華で温かい食事を、
「簡単なものでごめんなさいね」
と言う姫。
見るからにみすぼらしい自分にあまりにも似つかわしくない場所に少年はひたすら恐縮しつつ、かつて味わったことのない美味しい食事に感動していた。
青い髪の姫が姿を変えた猫は、幸せそうに食べる少年をじっと見ながらしっぽをゆったりふっている。
「それでノトラ、あなた昼間に猫になるのは母様の魔法だけど、それだけじゃないわね?」
「え、ほかの魔法もかかってるんですか俺?」
「何かかなり強い護りの力のようですが。こんなのは見たことがない……」
魔術師も唸っている。
「まもり……お守りならずっと身につけてます」
「ちょっと失礼」
少年が首から外したお守りに手を伸ばし、魔術師が表裏をじっくり観察する。
金属のメダルには紋章のような図柄が描かれており、不思議な色の石が嵌っていた。
「これはこの国のものではありませんね。確かにこれも護りの魔法石のようですが」
「その印どこかで見たような」
大臣も言う。
メダルの星と鳥と麦の紋章を見た後イレアはその裏にかすれた文字を見つけた。
この国の言葉ではないそれを読み上げる。
「『愛し子アミラを護り給え』と書かれているわ」
「アミラ?ばーちゃんの名前です!」
これまでお守りに書かれている言葉など知りもしなかった少年は驚いた。
「それであの、説明無しにこんな目に合わせてしまって申し訳ないとは思うのだけど、昼間猫になるあなたの魔法は王妃が戻らないと解くことはできないの。衣食住は整えさせていただくからどうかしばらくここにいてくださらないかしら」
「まさかこんな食事を毎日……」
ごくりと唾を飲み込む。
「もちろん明日からの夕食はもっときちんとしたものを用意させていただくわ。日中は……猫向きの食事の方が良いのかしら?どう思うモジュ?」
「ああありがとうございます!あの、俺も何か出来ることはやりますので仕事があれば与えてください!出来るの夜だけですけど」
「ではこの子のお世話をよろしく頼むわ」
微笑むイレア姫に撫でられた青い猫は小さく鳴いて少年の膝に乗った。
ひんやりと夜が深くなるころ、少年は寝間着を渡されそれに着替えた。
すこし大きく袖もだぶついているものの、これまで触れたこともないような、なめらかで柔らかい布地は着心地が良かった。
猫と二人きりになった部屋で、少年は静かに語り始めた。
「さっき自分の名前ノトラって言ったけど、ばーちゃんは俺のことをルトラって呼んでたんだ。村の人はそんな王家の名前みたいなのはダメだって、それでノトラって呼ばれてたんだけど」
少年は恐る恐る猫を撫でた。
「こんなにもてなされたのは初めてだよ。今日はずっと夢でも見てるみたいだ」
猫は嫌がらず頭を寄せた。
(お父様の匂い…)
少年に頭を撫でられながら青い猫はまどろんでいた。
嫌な人が来たらすぐおじい様に追い返してもらおうかと思っていたけれど、彼はそうね、嫌ではないわね。
見上げると手を止め微笑みかけてくれる。
彼の緑の瞳は優しい。
私に見えはしないけれど、私の糸が、この温かい手と繋がっているならそれはとても素敵だと思う。
食事をとても美味しそうに食べて、つらい境遇を語るときも穏やかで、私をとても丁寧に扱ってくれる。
この人からは優しい匂いがする。
どうかしら?
あなたは私を気に入ってくれるかしら?
夢に入る前。
アリルの耳に少年の鼻歌が聞こえた。
どこか悲しく優しいメロディーが。
朝、目覚めると少年の前には美しい少女の顔があった。
自分の手を見ると、どうにもこれはやはり猫である。
老女に会ってからの出来事は、どうやら夢ではないようだった。
昨夜はひんやり肌寒かったし、猫だと思ってうっかり一緒に布団に入ってしまったけれど。
もしかしてこれはすごく怒られるやつだろうか。
ああ、そうだ、そもそもこのお姫さまにとって俺は招かれざる客だった。
猫のままつまみ出されてもう二度と戻れなかったらどうしよう……。
そんな少年の心配をよそに、青い髪のお姫さまは目覚めるなりこう言った。
「私のことはアリルって呼んでねルトラ。アリルよ、よろしくね」
そして一日中猫に語りかけながら繕い物をしていたし、早めの夕食を取り終わると繕い終わった服をルトラのものだと言った。
「ルトラはお父様よりは小さそうだから少し丈を詰めたのよ。ぴったりとはいかないでしょうけど。母様が帰ってくるまでには昼間の服も用意するわね!とりあえずあなたが夕食を取るとき用と、寝間着ね。今日も一緒に寝ましょうね!」
と言って微笑むものだから、
(いっそもうずっとこのまま猫の方が幸せかもしれない……)
ルトラは息が止まりそうになるのだった。
「今夜は雨が降りそうね」
外を見ながら不安げな顔でアリルが言う。
「私むかしから長雨の時なんか体調を崩しがちだったの。でも雨は嫌いじゃないのよ。だって土地を潤す雨は天からの恵みでもあるものね」
少し湿り気の多くなった日暮れ前、ドリン大臣が腰をさすりながらアリルの部屋にやってきた。
「様子はどうかの?」
「大丈夫よおじい様!」
ドリンの近くまで寄って小声で付け加える。
「追い出したりしなくて大丈夫」
「はっは。そりゃあ良かった、アタタ」
「あら、おじい様、腰を痛めたの?」
「そうなんじゃよ。いや、歳を取るとあちこちガタがきてイカンの」
近づいてきた猫を抱え上げながらアリルは言う。
「早く治りますように」
アリルの腕の中で、ルトラはふわりと澄んだ花のような香りを嗅いだ。
しとしと雨が降りはじめた頃、猫になったアリルは少し苦しそうにしていた。
「アリル……どこか痛いの?大丈夫?」
ルトラが声をかけると猫は彼の腕の中に入ってきた。
(雨のせいかな……ばーちゃんも弱ってしまってからは天気が悪いとき辛そうにしてた)
ルトラはここへ来たときの城の女たちの会話を思い出していた。
(アリルは身体が弱いんだ)
猫を抱いて撫でながら、ルトラは子守歌を歌った。
もっとも、歌詞がわからないので鼻歌ではあったけれど。
ケガをして帰ったときも、熱を出したときも、ばーちゃんが歌ってくれた子守歌。
いつもこの歌を聴くと不思議と痛みが引くような気がしていた。
ばーちゃんが夜中うなされていたときも、そばで歌ってあげるとまた穏やかに眠れていた。
この歌はきっとお守りなんだ。
歌い終わる頃、アリルは小さな寝息をたてていた。
(良かった。おやすみアリル)
ルトラはアリルをそっと腕から下ろして横になった。
鼻の先の青い猫からは花の香りがしていた。
次)お父様の手紙




