八話:研究対象
ルーファスとエリザは、ミッドガル聖教皇国の政庁から技術開発局のあるエリアへと歩を進めていた。
聖都の街並みは清潔で整然とし、穢れの欠片もない。行き交う民衆の顔には笑顔が溢れ、ルーファスを見つけると手を振ったり、屋台の主人からは焼きたてのパンや果物を気さくに手渡されたりした。
平和そのものの光景だった。 エリザは、市民から渡されたパンを頬張りながら呟いた。
「平和ね。ここは」
「そうですね。治安維持には力を入れてますし、下級市民の救済として社会福祉も充実してます。一度、ドロップアウトしてしまっても社会に復帰するシステムがあるので安心です」
ルーファスは淡々と答えた。
「凄い。こここそが安息の地なのかもしれないわ。吸血鬼が昼間も動ける日光防御リングなんてものもあるし」
エリザは、腕に嵌められたリングを愛おしそうに見つめた。
「貴方も人気ものなのね? 大勢の人から尊敬の視線を向けられているし、こうやって貢ぎ物も貰える。貴方は一体何をした人なの? 聖騎士様」
「神の使徒として当たり前の事をしているだけです。神の命令に従い、悪を打ち砕く。そして人に優しく、善良な態度を心がけています」
「そう。立派ね」
「そう言ってもらえれば幸いです」
ルーファスの言葉は滑らかだったが、心の奥では虚しさが渦巻いていた。全ては神祖の掌の上。命令に従い、悪を討ち、理想の騎士を演じる。
それで得た名声も地位も、自身の努力や意志とは無縁のものだった。エリザの「立派」という言葉は、彼の心に響かず、ただ空しく耳を滑った。
(自ら考え、行動する人間の方がよほど立派だ。俺はただ、神の道具として動いているだけなのに)
だが、そんな思いを抱えながらも、彼にはそれを変えるほどの情熱もなかった。神の命に従い、堕落しながら功績を積み、報酬に浴する。それが彼の人生だった。
「エリザ様は、女王としてどんな治世を?」
ルーファスは話題を変えた。 エリザは少し遠い目をして答えた。
「神祖様に比べられると恥ずかしい統治しかできなかったわ。吸血鬼の中でも人を襲うことを嫌がったり、人を愛した者たちを集めて、平和に暮らせる場所を作ったの」
「それが安息の地、ですか?」
「ええ。吸血鬼は血を吸わなければ人へ近づく。だから最初は上手くいったのだけど、反逆者が現れた」
「反逆者。貴方よりもっと上手く統治できると思った者がいたんですか?」
「いえ。私は血の女王と呼ばれるだけ強い力を持っているの。始祖と呼ばれていて、私から力だけを奪う事を企んだ吸血鬼がいたの」
「なるほど。クーデターではなくテロリストですか」
「無論、勝ったわ。だけど疑心暗鬼になった人々は団結を失い、その勢力は大きく削がれた。そしてほそぼそと暮らしているところに謎の勢力が現れ、襲ってきた。貴方達に救われた」
エリザは深いため息をついた。
「大きな力を持つからといって、支配者の適性があるかといえばそうじゃなかった。私はただ力があるだけの小娘だったの」
その言葉には、力ゆえに支配者の役割を押し付けられた後悔が滲んでいた。ルーファスは彼女の言葉に共感を覚えた。力だけで人を従わせても、歪みが生じる。それは彼自身、神の使徒として感じてきたことだった。
「この都市をみていると思うわ。本当に上手い、と。これだけ大きな都市なのに貧民がいない。実際は居るのでしょうけど、物乞いが街の中にいたり、スラムを形成していない。ボトムの水準が高いのね。だから犯罪率も低いから繁栄する」
「ですね。組織の内部の腐敗も広がらないように、定期調査や監査罰滅を行う機関も存在します。どうしても人である限り腐敗自体は起こってしまうので、それを素早く発見し、切除する。そういった方針が取られてますね」
「自浄作用が働くようになっているのね……凄いわ」
二人はやがて研究所エリアに到着した。
ミッドガル聖教皇国の技術開発局エリアは、聖都の中心からやや外れた一角に広がる、異様なまでに洗練された空間だった。
そこには、まるで天を突くかのようにそびえ立つ白い塔が、圧倒的な存在感を放っていた。その塔は、純白の外壁に陽光を反射し、神の威光を体現するかのように輝いている。
表面は滑らかで、継ぎ目一つないガラスと金属の融合物で覆われ、時折、塔の表面を流れる淡い青白い光の脈動が、まるで生き物の鼓動のように脈打っていた。
この光は、第二太陽のエネルギーを直接引き込む導管の名残であり、塔が単なる建築物ではなく、技術と神の力が交錯する聖域であることを示していた。
塔の周囲には、巨大な四角い研究所が広がっていた。その外観は、人の想像力を超えた無数の機械が絡み合い、複雑に編み込まれた構造体だった。
研究所の外壁は、黒と銀の金属パネルが幾何学的な模様を描き、まるで巨大な回路基板のように見えた。パネルの隙間からは、蒸気や冷却剤の白い煙が微かに立ち上り、絶えず稼働する内部の機械群の存在をほのめかしていた。
研究所の表面には、無数のセンサーやプロジェクターが埋め込まれ、時折、立体映像のデータストリームや解析図が空中に浮かび上がっては消えた。
これらの映像は、研究員たちが外部からでもリアルタイムでデータを確認できるようにするためのものだったが、訪れる者には、都市そのものが知性を持っているかのような錯覚を与えるだろう。
研究所の周囲には、2ndクラスの騎士団が常時配置されていた。
彼らは、黒と金の装甲服に身を包み、魔力を帯びた武器を携え、整然と巡回していた。騎士たちの装甲には、微細な魔力回路が刻まれ、青く発光するラインが流れるように点滅していた。
これにより、彼らは異常事態を即座に感知し、反応する準備が整っていた。
研究所の入り口には、巨大な自動防衛タレットが設置され、赤外線センサーと魔力探知装置が連動して、許可なき侵入者を瞬時に識別し、無力化する仕組みになっていた。
万一、研究所内で異常事態——例えば、実験の暴走や外部からの襲撃——が発生した場合、これらの騎士団と防衛システムが即座に反応し、鎮圧に動く。
騎士団の背後には、浮遊型の無人ドローンが低空を巡回し、鋭いレーザーサイトで周囲を監視していた。その動きは、まるで捕食者を待ち構える獣の目のように冷たく、正確だった。
エリア全体は、聖都の他の地域とは一線を画す無機質な静けさに包まれていた。民衆の喧騒や笑顔はここにはなく、代わりに、機械の低いうなり音と、騎士たちの靴音だけが響き合っていた。
空気には、冷却剤と金属の匂いが微かに混じり、時折、研究所から放出されるオゾンのような鋭い匂いが鼻をついた。
このエリアは、ミッドガル聖教皇国の技術力の結晶であり、同時に、その力が生み出す可能性と危険性を封じ込める最前線でもあった。
白い塔と研究所は、ただの建築物ではなく、神祖の意志と科学の力が交錯する場所——人間の限界を超えた未来を切り開く、聖なる実験場だった。
白く無機質な建物に足を踏み入れると、複数のセキュリティチェックを通過し、許可を得て研究所の深部へと進んだ。そこには研究員が待ち構えていた。
「お疲れ様です、騎士ルーファス」
「お疲れ様です。命令に従い、エリザ様をお連れしました。ここでは何を?」
「ご案内します」
厳重な扉をいくつも抜け、巨大な空間に辿り着いた。そこには、肉塊としか形容できない異形の存在が、巨大な鎖と杭で拘束されていた。
触手と無数の目玉が蠢くその姿に、ルーファスは一瞬、吐き気を覚えたが、理想の騎士の仮面を保ち、冷静に尋ねた。
「これは?」
研究員は淡々と答えた。
「この肉塊は、黒龍ウィルスに感染した者たちの末路です。黒龍ウィルスに感染すると、適合すれば超人となり、不適合ならばこのような肉体になります。クレア様のなり損ないですね。そこで、血の女王であるエリザ様に彼女達の体内構造を改造し、元の姿に戻せないか試して欲しいんです」
「確かにこんな生物が増えてしまえば困るな。ワクチンの開発もしたいだろう」
「その通りです。どうでしょう? エリザ様。可能でしょうか?」
エリザは静かに頷いた。
「ええ、大丈夫よ。すぐに戻せる。哀れな被害者に救済を」
彼女が手を翳すと、肉塊から血が噴き出し、ボロボロと崩れ落ちた。すると、その中から美しい少女たちが現れた。研究員は即座に指示を出した。
「被検体を治療カプセルへ! 急げ! ワクチンの開発がかかっている! カプセルに収容したら武装部隊と研究員を配置し、検査を行う! 被検体にはセーフティチョーカーを装着し、暴走の兆候をみせたら即座に起爆しろ!」
黄色の防護服を着た部下たちが、少女たちを担架に乗せ、治療カプセル部屋へと急いで運んだ。研究員は笑顔で礼を述べた。
「ありがとうございます。これで研究が進みます。念の為、お二人にはご滞在頂いてもよろしいですか? まだ何があるか分からないので」
「分かりました」
「はい、構いません」
ルーファスとエリザベートは客間に案内された。部屋に一人残されたルーファスは、静かに窓の外を眺めた。そこには聖都の輝きと民衆の笑顔がそこにはあったが、彼の心は依然として重かった




