表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

ダークレイス②

 儀式が進む中、黒翡翠の興奮は抑えきれぬほどに高まっていた。

 ナインの男らしい体に触れるたび、彼女の心は熱くざわめき、理性が薄れていく。彼女の手は彼の肩を掴み、その硬い筋肉の感触に指先が震える。そして、衝動を抑えきれなくなった彼女は、突然ナインの首筋に顔を寄せ、甘く軽い噛みつきをしてしまった。


「っ……!」


 小さな歯の感触と彼女の温かい息がナインの肌に触れ、黒翡翠自身もその行為に驚いたように一瞬動きを止める。

 しかし、彼女の瞳はさらに熱を帯び、頬は真っ赤に染まり、興奮が収まるどころか増すばかりだった。


「貴方の…匂いも、感触も…我慢できない……」


 彼女の声は甘く掠れ、まるで夢うつつのように呟く。

 ナインは一瞬驚いた表情を見せるが、すぐに穏やかな笑みを浮かべて彼女を見つめた。彼は紳士的な態度を崩さず、優しく、しかし落ち着いた口調で彼女を諭す。


「黒翡翠、気持ちは分かるよ。でもね、君はそんな風に我を忘れるような子じゃないだろう? 少し落ち着いて、私と一緒にこの状況を乗り越えよう。」


 彼の手がそっと彼女の肩に置かれ、その温もりと優しい声に、黒翡翠の身体がビクッと反応する。彼女は恥ずかしそうに顔を伏せ、唇を噛んで興奮を抑えようとするが、ナインの首筋に残るわずかな甘噛みの跡を見て、さらに心が乱れる。


「ご、ごめんなさい……貴方に触れると……頭が変になって……」


 ナインは小さく笑い、彼女の頭を軽く撫でて安心させるように言う。


「謝る必要はないよ。君がそんな気持ちでも、私はちゃんと受け止める。ただ、儀式を終えるのが先だよね。君の力が必要なんだ」


その言葉に、黒翡翠は目を潤ませながらも小さく頷き、なんとか自分を立て直そうとする。だが、ナインの優しさと男らしい存在感が、彼女の心をまだ少しだけ疼かせていた。


 ナインと黒翡翠は互いに協力し合い、儀式を進めた。ナインの穏やかな導きと、黒翡翠がなんとか感情を抑え込んで集中した結果、部屋に満ちていた重苦しい空気が徐々に薄れていく。そして、突然、閉ざされていた休憩室の扉がガタンと音を立てて開いた。


「成功したようだね」


 ナインは安堵の笑みを浮かべ、扉の向こうに広がる自由な空間を見やる。黒翡翠もほっと息をつくが、すぐに先ほどの自分の行動——特に甘噛みや興奮した様子を思い出し、顔を真っ赤にして俯いてしまう。


「その……さっきは、私……」


 言葉を濁す彼女に、ナインは優しく首を振る。


「気にしないでいいよ。無事に済んで良かった」


 そのやり取りの後、黒翡翠は少しモジモジしながら、勇気を振り絞るように口を開いた。


「あ、あの…また闇霊に襲われた時のために、連絡先を交換しておきませんか? その……私が知ってるから、助けになれるかもしれません」


彼女の声は小さく、言い訳じみた建前が明らかだったが、その瞳はどこか期待に満ちていた。 ナインは一瞬彼女を見つめ、すぐに穏やかな笑顔で頷いた。


「そうだね、君の知識は頼りになる。また何かあったら助けてほしい。交換しよう」


 ナインは自然な仕草で連絡先を取り出し、黒翡翠に渡す。彼女は少し震える手でそれを受け取り、自分の連絡先を返すと、恥ずかしそうに目を伏せた。


「ありがとう……ございます。貴方に会えて良かった」


 ナインは王子様らしい優雅さで軽く手を振る。


「こちらこそ、君のおかげだよ。また会えたら嬉しいね」


 そう言って彼は休憩室を出て行くが、黒翡翠は彼の背中を見送りながら、胸に手を当てて小さく呟いた。


「また……会いたいな」


 黒翡翠は普段、静かでどこか神秘的な雰囲気をまとっている。闇霊の知識を持ち、冷静に状況を分析する姿は、彼女が自分をしっかり制御できる人間であることを示している。しかし、ナインとの出会いとその肉体に触れた瞬間、彼女の内面に眠っていた感情が一気に溢れ出した。


 彼女の心の中には、孤独と好奇心が同居している。闇霊という得体の知れない存在と向き合う日々の中で、誰かと深く繋がる機会はほとんどなかった。だからこそ、ナインの温かさや男らしい魅力に触れた時、彼女の心は抑えきれぬほどに揺さぶられたのだ。


 彼の首筋に甘噛みをしてしまった瞬間、彼女は自分でも驚くほどの情欲に囚われていた。普段は抑えている本能的な衝動が、彼の存在によって解き放たれた。それは、彼女が感じたことのない「生々しい熱」であり、同時に「恥ずかしさ」と「罪悪感」を呼び起こすものだった。



「貴方の体……こんなに近くで感じるなんて」


 彼女の頭の中では、そんな思いがぐるぐると渦巻いていた。ナインの優しい声や紳士的な態度が、彼女の興奮を抑える一方で、逆に彼への憧れや依存心を深めてしまう。

 彼女は彼に触れるたび、自分が普段隠している「弱さ」や「欲求」に気づかされ、内心で葛藤していたのだ。


 儀式が終わり、扉が開いた後も、黒翡翠の心は落ち着かなかった。ナインに連絡先を渡すという行動は、確かに「闇霊対策」という建前だったが、彼女の本心はもっと単純で切実なものだった。


「また会いたい。貴方のそばにいたい」


 それは、彼女にとって初めて芽生えた明確な「執着」に近い感情だった。普段は闇と静寂に寄り添う彼女が、ナインという光に惹かれ、彼の存在を求める自分に戸惑いながらも、それを否定できないでいた。


 彼女の内面は、ミステリアスな仮面の下に隠された情熱と脆さ、そして新しく芽生えた「誰かを求める気持ち」が混ざり合った複雑なもの。ナインとの出会いは、彼女にとって単なる偶然ではなく、心の奥底を揺さぶる大きな転機だったのかもしれない


 黒翡翠の過去には、深い孤独と喪失の影が刻まれている。幼い頃、彼女は他の人間たちとは異なる「何か」を感じる力を持っていた。それは、闇霊や不可思議な存在の気配を察知する能力だった。

 しかし、この力は彼女に喜びをもたらすどころか、周囲との隔たりを生み、彼女を孤立へと追いやった。


 彼女がまだ小さかった頃、親しい友がいた。明るく無邪気な人間で、黒翡翠にとって初めて心を許せる存在だった。しかし、ある日、その友が突然姿を消した。後に彼女は気づく——友は闇霊に取り憑かれ、彼女の目の前で変わり果てた姿となり、やがて完全に消えてしまったのだ。


 黒翡翠は自分の力でその異変を感じていたにも関わらず、何もできなかった。


「私がもっと早く気づいていれば……私が強ければ」


 その無力感と自責の念が、彼女の心に深い傷を残した。友の笑顔が脳裏に焼き付き、夜ごと彼女を苛む悪夢となった。


 それ以来、黒翡翠は闇霊を理解し、対抗する方法を学び続けた。誰かを失う恐怖と、自分が再び無力であることへの恐れが、彼女を駆り立てたのだ。しかし、その過程で彼女は感情を閉ざす癖がつき、他人と深く関わることを避けるようになった。


「近づけば、また失うかもしれない」


 そんな思いが、彼女の心に重くのしかかっていた。 だからこそ、ナインとの出会いは彼女にとって衝撃的だった。


 儀式の中で彼の体に触れ、温かさと強さを感じた時、彼女のトラウマが疼いた。ナインの存在は、かつて失った友の「温もり」を思い出させ、同時に「再び失うかもしれない」という恐怖を呼び覚ました。


 彼に甘噛みをしてしまった瞬間、彼女の内面は混乱の極みにあった。情欲に駆られた自分への驚きと、「彼を近くに感じたい」という切望、そして「近づきすぎれば傷つく」という過去の傷が交錯していたのだ。


 連絡先を交換する際の彼女の躊躇いも、このトラウマに由来している。ナインに惹かれながらも、心のどこかで「また大切なものを失うのではないか」と怯えていた。しかし、彼の優しさと穏やかな態度が、彼女に一歩踏み出す勇気を与えた。


「もう一度、信じてみてもいいのかな」


 彼女の内面では、過去の傷と新たな希望がせめぎ合いながら、ゆっくりと変化が始まっていた。


 闇霊との戦いが終わり、部屋に静けさが戻った直後、黒翡翠の身体がふらりと揺れた。彼女の足元から力が抜け、膝がガクンと折れそうになる。


「っ……だめ、力が……」


 彼女の声は弱々しく、顔は青ざめていた。長い戦いと感情の高ぶりが、彼女の体力を極限まで奪っていたのだ。

 ナインは素早く彼女に駆け寄り、優しく腕を回して支えた。


「黒翡翠、大丈夫かい? 無理しないで、私に任せて」


 彼の男らしい腕が彼女をしっかりと抱え、倒れそうになるのを防ぐ。黒翡翠は彼の胸に凭れかかり、かすかに息を整えながら小さく呟いた。


「ありがとう……ございます。優しいんですね」

「これくらい当然の気遣いさ」


 ナインは彼女を抱えたまま、そっとベッドへと運んだ。彼女を丁寧に寝かせ、枕を整えてから毛布をかけてやる。


「少し休んでて。こんな戦いの後じゃ、疲れるのも当然だ」


 彼の声は穏やかで、紳士的な気遣いが溢れている。ナインは目を閉じ、彼の温もりの余韻を感じながら小さく頷いた。


「うん…少しだけ、眠ります……」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ