27話:神剣ティルフィング
その瞬間、空間そのものが悲鳴を上げた。
強敵セーファーの体が、神の審判を受けたかのように一瞬で解体された。鋼よりも硬く、意志よりも重いその肉体は、無数の断片へと砕け散り、血と金属の混ざった異臭が戦場に漂う。だが、その破壊の業を成したのは、目の前に立つルーファスではなかった。
「なっ……」
ルーファスの声は、驚愕と理解の狭間で震えた。
視線の先、陽炎のように揺れる空気の中から、ひとつの影が現れる。白を基調とした装束に身を包み、銀の刃が月光を宿すように静かに輝く。
剣士の姿は、神話から抜け出したかのように荘厳で、どこか不気味なまでに静謐だった。
「待たせた。神剣ティルフィング、参戦する」
神剣ティルフィング。
ルーファスと同じく神の使徒として選ばれし者であり、だがその在り方はまるで異なる。先輩たる彼は、広報という役割を担うルーファスとは異なり、戦闘に特化した存在だ。
神の力をその身に宿し、剣の一振りで次元を裂き、敵を塵に帰す。セーファーを一瞬でバラバラにしたその技量は、彼の戦闘特化の力の証明だった。
ルーファスの視界に映るティルフィングの背中は、まるで戦場そのものを体現するかのように圧倒的で、どこか孤独な気配を纏っていた。
「ティルフィング隊長!」
ルーファスの声には、敬意と安堵が混じる。
「外の迎撃システムや防衛装置を破壊してきたから時間がかかってしまった。すまない」
ティルフィングの声は低く、しかしその中に微かな温かみがあった。戦場を切り開く剣士の言葉とは思えぬ穏やかさだ。
「い、いえ。それにアルファは奪還し、セーファーはティルフィング隊長が倒しましたし、後は帰るだけです」 ルーファスは少し慌てながら答える。戦場での勝利は、確かに彼らの手にあった。
「そうか。美味しいところだけ奪ってしまった形になるな。ならば早速、アルファ嬢の腕の手当てを……」
その刹那、戦場の空気が変わった。
バラバラに砕けたセーファーの肉塊が意思を持ったかのように蠢き始めた。血と肉が絡み合い、黒い瘴気を纏いながら、異形の姿へと再構築される。
巨大なドラゴン。その鱗は夜よりも深く、瞳は憎悪と狂気を宿していた。戦場に響く咆哮は、まるで世界そのものを呪うかのようだった。
「甘い。私は黒龍の力を手に入れている。この程度では死なない」
セーファーの声は、地獄の底から響くように低く、粘りつくような悪意に満ちていた。その姿は、単なる怪物を超え、神話の終焉を体現するかのようだった。ティルフィングは眉を寄せ、静かにその姿を見据える。
彼の瞳には、驚きも恐怖もなかった。あるのは、ただ剣士としての使命と、戦場を生き抜く者の冷徹な計算だけだ。
「ふむ、なるほど。そういうことか。アルファ嬢の腕を捕食し、ウィルスを確保。内部で養殖し、黒龍そのものになるとは……ルーファス卿。ともにドラゴン退治と征こう」
ルーファスはアルファの腕に止血剤を施しながら、ティルフィングに視線を向ける。彼女の傷口から滴る血は、戦場の過酷さを物語っていた。だが、ルーファスの心には迷いはなかった。ティルフィングの言葉は、彼に新たな決意を植え付ける。
「貴方一人では無理なのですか?」
ルーファスの問いは、純粋な好奇心と、戦友への信頼の混在だった。
「可能だが時間がかかる。俺はルーファス卿のような広範囲殲滅型ではないからな。順当な身体強化と射程強化のみだ」
その言葉に、ルーファスは内心で息を呑む。順当な身体強化と射程強化。それだけで、ティルフィングは戦闘担当の頂点に君臨している。その事実は、彼の基礎スペックがどれほど常軌を逸しているかを物語る。 剣術だけで次元を切り裂く男。
その存在は、神話の英雄でありながら、同時に人間の限界を超えた何かだった。
「了解しました。目標はセーファー・ドラゴン! 対象を撃滅します!!」
ルーファスの声は、戦場に響き渡るほど力強かった。
「その意気だ。共に生きて帰ろう」
ティルフィングの言葉は、どこか柔らかく、しかし確固たる意志に裏打ちされていた。
『この戦闘は全ての地域に公開されている。気張ってほしい』
突如、神祖の声が通信越しに響く。その声は天上から降り注ぐ啓示のようだった。
彼はルーファスとティルフィングが敗北するなど微塵も考えていない。その信頼は、二人にとって重い鎖であり、同時に燃え上がる炎でもあった。神の使徒として、その期待を裏切るわけにはいかない。
「聖剣よ、福音鳴らせ」
ルーファスの声が、戦場に響く。聖剣に宿る光は、まるで星々の輝きを凝縮したかのように眩い。
「神命拝聴、魔剣抜刀。三度振れば破滅を齎す魔剣。しかし我らが神威はその約定を跳ね除ける。故に我が剣は汝に託そう、我が信じる神々よ」
ティルフィングの詠唱は、古の儀式を思わせる。魔剣ティルフィングが抜かれる瞬間、空気が裂け、空間そのものが彼の意志に従うかのように震えた。
二人の存在力が、戦場を支配する。
詠唱を終えた瞬間、彼らの力は基準値から発動値へと移行した。そのエネルギー質量は、セーファー・ドラゴンを遥かに凌駕するものだった。
ルーファスの聖剣は雷光を纏い、ティルフィングの魔剣は闇を裂く刃と化す。二人の気配は、まるで神々の降臨を思わせる。
「俺が翼を切り落とす」
ティルフィングの声は静かだが、その中に宿る決意は揺るぎない。
「では本体は俺が焼き払います」
ルーファスの言葉は、炎のように熱く燃え上がる。
「頼む。では征く」
ティルフィングが動いた。
その一歩は、まるで空間を踏み砕くかのように重く、しかし迅雷の如く速い。セーファー・ドラゴンは空中から無数の攻撃を繰り出す。
炎の砲弾は空を焼き、氷の刃は大気を凍らせ、雷の槍は次元を貫く。さらに、物理法則を無視した攻撃が、悪夢のように襲いかかる。だが、ティルフィングはそれらを真正面から迎え撃つ。
彼の剣は、ただの鋼ではない。 神祖とともに歩み、剣術を極め続けた男の刃は、世界そのものを切り裂く意志の具現だった。
身体強化と射程強化――それだけの力で、彼は次元を越えた攻撃を易々と斬り伏せる。炎は散り、氷は砕け、雷は霧散する。
セーファー・ドラゴンの両翼は、ティルフィングの一閃によって切り裂かれ、黒い血が戦場に降り注ぐ。
「邪竜よ、これで終わりだ。己の悪性を呪い、果てるが良い!!」
ルーファスの聖剣に光が集う。それは、まるで星々が一つの点に凝縮するかのような輝きだった。墜ちるセーファー・ドラゴンに向けて、雷光を纏った高出力エネルギー砲撃が放たれる。
その一撃は、空間を歪め、時間を焼き尽くすほどの威力だった。
翼ごと、欠片すら残さず、セーファー・ドラゴンは消滅した。 戦場に静寂が訪れる。
ルーファスとティルフィングは、互いに視線を交わす。そこには、言葉を超えた信頼と、戦いを終えた安堵があった。
アルファを抱えて、聖都に戻ると、死者蘇生術式の解除が行われて、世界の危機は終わった




