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20話:完璧な都市

 聖都は、呼吸する彫刻だ。

 ロマネスクの重厚な石造りが、半円アーチの静謐な曲線で天を支え、ゴシックの尖頭アーチがその上に祈りのように突き刺さる。


 ステンドグラスは陽光を砕き、色とりどりの断片となって石畳に降り注ぐ。


 技術開発局の金属とガラスが、神の工房から零れ落ちた欠片のように、街の骨格を研ぎ澄ましていた。雑然としない人通り。塵一つない地面。落書きも、貧困も、叫び声もない。


 完璧な都市。

 完璧すぎるがゆえに、どこか虚構めいたミニチュアの箱庭。


 クレアは思う。

 ここは、誰かの掌の上で踊る人形たちの楽園なのではないか、と。 彼女の隣を歩くのは、アルファ。

 金色の髪が陽光を弾き、エルフの尖った耳が微かに揺れる。彼女の瞳は、森の深緑を閉じ込めたガラス玉のようだ。しかし、黒龍ウィルスに侵された肉体が宿す「何か」が潜み、超人の力を与えている。


 『アルファ』と名付けられた被験体。

 聖都の至宝であり、囚われの鳥。

 世界の扉を開くための鍵であり、同時に破滅を呼び込む地獄のスイッチだ。


 クレアの任務は、彼女を護衛し、隔離エリアへと送り届けること。そして、彼女の心を砕かないよう、そっと寄り添うこと。


「ねえ、アルファ」


 と、クレアは口を開く。声は柔らかく、どこか探るように。


「エルフの故郷、森へ帰りたいと思ったことは?」


 アルファの視線は、遠くの尖塔に留まる。彼女の声は、風が枯葉を撫でるように静かだ。


「森? あそこはもう私の居場所じゃない。ウィルスに侵されて、肉塊になり始めたとき、仲間たちは私を見限った。追放されたエルフに、帰る場所なんてないわ」 


 そこに感情はなく、事実を語るだけのように淡々としていた。アルファの顔には諦めも、悲しみもない。

 淡々とした事実の羅列は、クレアの同情を誘った。


「聖都の空気はどう?  息苦しくない?」


 クレアはさらに問う。


「息苦しい?  ふふ」 


 アルファは小さく笑う。


「ここは、森よりも澄んでいるわ。自然に愛された神聖な森より、よっぽど清らかよ。埃もないし、固定概念に囚われて変化を嫌い、腐る者達もいない」


 アルファの口調から、自分を追放したエルフたちに対して恨みがあるのを感じ取る。それを無視しつつ、別の質問をクレアは投げかける。「政庁の仕事は? 辛くない?」

「難しいわ。18年生きてきて……といっても肉塊になってた時間のほうが長いけど、知らない知識や経験が必要となる。でも、だからこそ面白い」


 クレアは、アルファの言葉の端に宿る強さを確かに感じた。だが、同時に、その強さがどこか壊れ物のような危うさを孕んでいることも。


 聖都の市場は、色彩と喧騒の坩堝だ。屋台から漂うスパイスの香り、焼き菓子の甘い誘惑。クレアはアルファの手を引き、雑踏の中を縫う。


「ほら、アルファ。この串焼き、食べてみる? スパイスが効いてて、舌が踊るわよ。あ、でもエルフはお肉は苦手かしら?」

「いいえ、ここの食事は丁寧だから何でも口に合うと思うわ」


 アルファは無言で串を受け取り、ひと口かじる。彼女の表情は動かないが、瞳がわずかに揺れる。


「美味しい」 


 彼女は呟く。味を味わうこと自体が、遠い記憶の断片を呼び起こすかのように。

 二人は商業施設へ足を延ばす。本屋の棚には、革装丁の古書と、技術開発局の印刷技術で作られた鮮やかな書物が並ぶ。


 アルファは一冊を手に取り、ページをめくる。


「扶桑蓬莱・黄金神話、か」


 アルファは呟く。


「こんな話、エルフの森では誰も信じなかったわ。現人神が実在するなんてね」


 クレアは、アルファの言葉に何かを返そうとするが、言葉は喉で絡まる。彼女はただ、アルファの横で本を手に取り、そっと微笑む。


 この瞬間だけは、アルファは「被験体」ではなく、ただの少女に見えた。だが、クレアの胸の奥で、時計の針は無情に進む。


 護衛の終着点――隔離エリアが、すぐそこに迫っている。


 壁の向こう技術開発局の隔離エリアは、聖都の中心にそびえる異物だ。分厚い防御壁は、世界を二つに分かつ神の刃。


 壁の向こうには、アルファと同じ「被験体」たちが待つ。 金髪の獣人、短く整えられた毛が陽光を反射する。


彼の目は、獣のそれでありながら、どこか人間の哀しみを宿す。水色髪のツインテールのエルフは、壁の内側で小さく笑う。彼女の笑顔は、壊れた人形のようだ。


 アルファは、クレアに向かって手を振る。その仕草は、まるで「また明日」とでも言うかのように軽やかだ。


「じゃあね、クレア。今日、楽しかったわ」


 クレアも手を振り返す。だが、彼女の笑顔は、どこか歪んでいるように感じた。


 巨大な防御壁が、轟音とともに降りてくる。アルファの姿は、鉄とガラスの向こうに消える。壁の向こうは、聖都の光が届かない闇。そこに閉じ込められた者たちの運命を、クレアは知らない。


 知ろうとしても、知ることは許されない。

 彼女の胸に、後ろめたさが棘のように刺さる。


「仕事。これは仕事よ。責務を全うする。私はそれだけで良い」


 クレアは自分に言い聞かせる。聖都の石畳を踏みしめ、彼女は帰路につく。背後で、唸る防御壁の重い響きが、彼女の心を閉ざすようにこだまする。


 聖都は美しい。だが、その美しさは、一部の犠牲の上に成り立っているのを自覚させられた。

 クレアは歩く。彼女の足音は、聖都の完璧な静寂に溶けていった。


 聖都の尖塔は、天を刺す神の槍だ。

 かのバベルの塔は神に近づき、それを失墜させることを望んだ人々の強欲と傲慢が、共通言語を破壊した。しかし神祖はそれを容認する。


 神の失墜を目指す気概と能力がある者たちは貴重な人材だ。その手段が人を害するものでないのならば、新たな神として迎え入れる用意すらある。しかし悲しい話だが、それに成功したものがいない。


 寿命や病気といった身体的なものから、油断や驕りなど精神的な理由まで。様々な要因で神祖の領域まで辿り着く存在はいない。


 時間は魂を腐らせる。どれだけ優れた者でも、優れる人間特有の症状として『加速』と『改善』をしてしまう悪癖がある。


 これを突き詰めると、優生思想に繋がりボトムの足切りをすることでリソースの効率運用を考えてしまう。 それを回避するには『減速』と『停止』だが、これは社会的弱者が得意とするもので、能力が高く優秀なものとは相容れない。


 トップとボトム、どちらに寄るのはよろしくない。だから現実的な提案として、平凡な人間がバランスを見て、強者と弱者のスタイルを使い分ける必要性が出てくる。しかしそれはそれで歩みが遅く、停滞を招いてしまう。


 大きな破滅はないが、緩やかに世界は磨り潰されていく運命にある。それが消費文明であり、物質文明の末路だ。


 しかし今は『無』から『有』を生み出し、『時』を操り『空間』を支配する技術がある。過去に発生した大崩壊で、物理法則が変異したからこその解決策である。


 それはそれで個人が世界を左右できてしまう欠点も生んでしまったが、しかし文明の発達という側面だけみるなら望ましい。


 ロマネスクの重厚な石とゴシックの軽やかな尖頭アーチが絡み合い、技術開発局のガラスと金属がその隙間を埋める。


 塔の頂上から見下ろせば、聖都はまるで神の掌に収まる精巧な工芸品。だが、その完璧さの裏に、ひび割れのような不協和音が潜んでいることを、ルーファスとアロラは知っている。


  塔の縁に立つアロラは、目を細めて街を見下ろす。彼女の黒いローブが風に揺れ、まるで闇そのものが形を成したようだ。


 厄災の魔女と呼ばれる彼女の瞳は、人の心の奥底を覗く魔性の光を宿す。


「うーん、護衛対象のアルファちゃんに同情する傾向は見られるけど、闇堕ちの兆候はないわね」


 彼女の声は、軽やかなのにどこか冷たく、風に溶ける毒のように響く。

その隣で、聖騎士ルーファスが頷く。銀の甲冑が陽光を弾き、彼の瞳は剣のように鋭い。だが、その奥には、聖都の守護者としての重圧が宿っている。


「そうですね。なんというか、普通です。護衛対象に寄り添った良い行動なのではないでしょうか?  戦力的には我々がいますし、アルファのメンタルケアを自分からしてくれるなら、言うことはありません」


 彼の言葉は、確信と迷いの狭間を漂う。クレアの行動は、確かに「正しい」。だが、聖都の正しさとは、常に裏に犠牲を孕むものだ。


 ルーファス、アロラ、クレア――三人は、アルファを護る護衛チームの仲間だ。だが、ルーファスとアロラは強すぎる。

 聖騎士の剣は神の裁きを下し、魔女の呪は世界を歪める。彼らがアルファに近づけば、その存在感だけで彼女の心を砕いてしまう。


 だからこそ、クレアが選ばれた。 人間の範囲内の力しか持たない、平凡なクレア。

 彼女は、アルファにとって唯一の「日常」だった。 遠くの市場で、クレアとアルファが屋台の前で立ち止まる。


 アルファが串焼きを手に取り、クレアが笑顔で何か話しかける。その光景は、聖都の完璧な石畳に浮かぶ、ささやかな彩りのようだ。だが、アロラの瞳は、その彩りの裏に潜む影を見逃さない。


「けど、ジェノバに精神汚染されている可能性あるのよねぇ」


 アロラの声は、まるで呪文を紡ぐように低く響く。彼女の手の中で、魔力が小さな渦を巻く。


「汚染されると、ネガティブ感情や劣等感の過渡な活性化。更にジェノバから供給されるエネルギーに魅入られて、変異する……って感じですよね」


 ルーファスが続ける。彼の声にはクレアに対する不安が滲む。


「うん、予想の段階だけど、そうなると思う。さっきクレアちゃんの心を覗いた時に、強い劣等感と自己嫌悪があったし、ジェノバから力を与えられた感触もあった。だからクレアちゃんはいつ変異してもおかしくないんだけど」


 アロラの言葉は、運命の予言のように重い。彼女の魔術は、人の心のひび割れを暴く。クレアの心に巣食う「何か」は、確かにジェノバの性質であるものだ。


 ジェノバ。

 反生命組織のリーダーにして、生命そのものを否定する存在。彼女は、自らに隷属する者に力を与え、無限に再生させる。その力は呪いだ。心を侵し、肉体を歪め、魂を闇に沈める。


 ルーファスたちの上司、神祖は、ジェノバと対立する聖都の守護者だ。だが、神祖の正義は、時に非情な選択を強いる。


 防衛側であるがゆえに、後手に回り、犠牲を強いられる。正義を掲げる以上、非人道的な手段は取れない。

対して、ジェノバは違う。彼女たちは野蛮で、目的のためなら手段を選ばない。


 生命を否定するその理念は、聖都の礎を揺さぶる毒だ。

 クレアは、その毒に侵されているかもしれない。護衛チームの一員でありながら、彼女の心はジェノバの囁きに揺れている。


 ルーファスとアロラは、だからこそ彼女を監視する。仲間でありながら、敵となる可能性を秘めた存在として。


 市場を抜け、クレアとアルファは隔離エリアへと向かう。技術開発局の隔離エリアの巨大な防御壁が、聖都の中心にそびえる。


 壁の向こうには、アルファと同じ「被験体」たちが閉じ込められている。


 金髪の獣人、水色髪のツインテールエルフ。彼らの瞳には、希望も絶望も溶け合い、ただ「生きる」ことだけが刻まれている。


  アルファが手を振る。クレアも振り返す。防御壁が轟音とともに降り、アルファの姿を呑み込む。その瞬間、クレアの笑顔が一瞬だけ歪むのを、アロラは見逃さなかった。


「クレアちゃん、ほんとギリギリのところで踏みとどまってるわね」


 アロラが呟く。


「彼女の心は、まだ人間かな」


 ルーファスが問う。


「どうだろう。ジェノバの力は甘い毒ね。飲んだ瞬間は気づかない。けど毒だと気づいた時にはもう手遅れ。クレアちゃんがその毒に溺れるか、踏みとどまるか……それは、彼女自身が選ぶしかない」


 塔の上に、風が吹く。

 聖都の美しさは、嘘のように輝いている。だが、その輝きの裏に、どれだけの犠牲が隠れているのか。ルーファスは剣の柄を握り、アロラは魔術の渦を握りつぶす。



「もしクレアが変異したら?」


 ルーファスの声は、自分自身に問うようだった。


「その時は、私たちが止めるしかないわね。仲間だろうと、敵だろうと」


 アロラの笑みは、悲しげだった。だけどそこには原初の人間としての達観があった。こういう『仕方のない現実』や『不条理や理不尽』を経験して慣れているんだろう。


 聖都の石畳を、クレアが歩く。その背中は運命の糸に操られる人形のようだ。彼女が選ぶのは、人間としての人生か、ジェノバの闇の使徒か。


 塔の上から、ルーファスとアロラはただ見つめる。聖都の光が、彼女の背中を照らす。

 その光が届かない場所に、クレアの心は揺れている。



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