14話:研究所襲撃⑥
ルーファスは、自室でのアロラとの一夜を経て、心身ともに奇妙なまでに軽やかだった。
彼女の温もりと優しい言葉が、彼の心に巣食っていた黒い泥を一時的に溶かし、自己嫌悪の重荷を軽減していた。
神祖教皇から、新基準の脅威に相対するべく新たに与えられた力は、彼の身体をこれまでとは比べものにならないほど強化していた。
その力は、数十倍とも言えるほどの跳躍を遂げ、雷を操る聖剣の威力はもちろん、純粋なフィジカルすら人外の領域に達していた。だが、その力を適切に扱うためには、制御の訓練が必要だった。
訓練場に立つルーファスは、聖剣を手に、対戦相手のクレアを前にしていた。彼女の魔剣騎士としての技量は、ミッドガルでも指折りのものだった。
魔力の操作と剣術の冴えは、凡百の戦士を圧倒するほどのものだ。だが、ルーファスの目的は、彼女を殺さず、気絶させること——つまり、自身の力を完全に制御し、加減を誤らないことだった。
戦いが始まった瞬間、ルーファスの動きはまるで別人のようだった。
雷を一切使わず、純粋な膂力と聖剣の重みだけで、クレアを圧倒した。彼の剣は、ただ振り下ろすだけで空気を裂き、地面に浅い溝を刻んだ。
クレアの魔剣が放つ鋭い斬撃も、ルーファスの動きの前ではまるで子供の遊びのようだった。彼女の攻撃を軽々と受け流し、逆に彼女を追い詰めるその姿は、獣が獲物を弄ぶかのようだった。
クレアの顔に驚愕が浮かんだ。
「強い……以前とは比べものにならないほどに……!」
ルーファスは、理想の騎士の仮面を被り、穏やかに答えた。
「ああ、神祖教皇様から力を頂いた。前の俺とは違う」
「そんなポンポンと強くなられても困るんだけど!?」
クレアの声には、焦りと苛立ちが混じっていた。 ルーファスの剣は、ただのフィジカルによるゴリ押しだった
。
複雑な技も、華麗な魔力操作も必要なかった。彼の圧倒的な力は、クレアの剣術の冴えを無意味なものに変えた。
彼女の魔剣が放つ光が、ルーファスの聖剣に弾かれ、彼女の計算された動きが、彼の単純な膂力の前に粉砕された。戦いは一方的だった。
クレアに勝ち目はない——それが、明白な事実だった。ルーファスの心に、ふと冷めた思考が浮かんだ。
(気合と根性による英雄的な限界突破……くだらないな)
彼は、かつてそんな物語に憧れた。
気合と根性で不可能を可能に変える英雄たち。限界を超え、世界の抑圧を打ち破る姿は、確かに美しい。
衆生の心を掻き立て、希望を与える物語だ。だが、ルーファスはその裏側を知っていた。
(「頑張ればできる」という言葉は、「できない者は頑張っていない」という思考を招く。だが、それは違う。人生は総合力の勝負だ。才能、努力、環境、運——全てが噛み合わなければ、勝利は生まれない。一位が一番頑張っているわけじゃない)
彼は、クレアの動きを見ながら、そんな考えに囚われていた。彼女の剣術は、努力と才能の結晶だ。だが、ルーファスの神から与えられた力の前では、その努力も才能も無力だった。
総合力で圧倒する彼は、クレアの全てを否定する。
(美しい物語は危険だ。気合と根性で全てが解決するなんて幻想だ。人はそれを信じ、盲目に突き進み破滅する。結局は、最後にものをいうのは総合力 )
ルーファスは、クレアを追い詰めながら、なおも思考を巡らせた。
人生の総合力——能力、容姿、環境、仲間、目標——全てが揃った者だけが輝く。
ミッドガル聖教皇国のような完璧な組織、潤沢な資金、清廉な仲間たち。そんな環境に身を置く者が、どれほど恵まれているか。 だが、ルーファスは知っていた。
そんな完璧な人間に、気合と根性だけで勝つことは可能だということを。背後からナイフで心臓を刺せば、勝てる。
だが、その勝利はあまりにも虚しい。失うものの大きさに比べ、得られるものはあまりにも小さい。
戦いの終盤、ルーファスはクレアを完全に圧倒した。
「さぁ、終わりだ。クレア」
「勝利宣言なんて生意気な!」
クレアの反撃も虚しく、ルーファスの聖剣が彼女の動きを封じ、気絶させた。 勝負はついた。ルーファスは、自身の強化された力を完璧に制御し、クレアを傷つけずに勝利した。
彼女を叩き台にしたことで、彼は力の運用を完全に掴んだ。だが、クレアの視線には、苛立ちと悔しさが滲んでいた。
「それで、力の使い方は学べた?」
クレアは、気を取り直したように尋ねた。
「ああ。しっかりと。これなら加減を誤ることもない」 「そう。なら良かったわ」
二人は模擬戦の片付けをしながら、雑談を始めた。クレアがふと口を開いた。
「そういえば、ティルフィング様率いる第一騎士団が忘れられた古都プラーガ・アレクサンドリアまで遠征に行ったって」
「この状況で?」
「なんでもドラゴンを殺しに行ったらしいわ」
「ドラゴン……最強の伝説種か」
ルーファスは眉をひそめた。
反生命組織ジェノバの脅威が聖都に迫る中、ティルフィングの遠征は不可解だった。
「神には神の考えがあるのでしょう。俺達が考えても仕方ない。上から来る命令には粛々と従うまで」
「そうね……そうなんだけど」
クレアの顔には、隠しきれない不安が浮かんでいた。 ルーファスはその表情を見逃さなかった。彼はクレアに近づき、両手で彼女の手を握り、瞳を覗き込んだ。
「不安なんだな、クレア」
彼の声は、確信に満ちていた。
「どんな敵が現れても、俺が全て薙ぎ払うさ。俺を信じてくれ」
その言葉は、真っ直ぐで、堂々としていた。聖騎士の輝く笑顔が、そこにあった。アロラとの一夜で溶かされた自己嫌悪は、迷いを消し去り、彼を純粋な使命感で満たしていた。
今のルーファスは、神の名の下に力を振るい、衆生にその輝きを見せつけることだけを欲していた。
クレアは、その美しい顔に見つめられ、心が揺れ動いた。だが、すぐに我に返り、ルーファスの脛に軽く蹴りを入れた。
「ちょっと、仲間を口説かないでよ」
「そ、そんなつもりはないのだが」
ルーファスは苦笑したが、その胸には、かつての空虚さが消えていた。
(さぁ、来いよ悪鬼羅刹の軍勢よ。神の恩寵を受けた無敵の聖騎士が、雷鳴と共に鳴き祓わん。汝らの命運は、絶滅でしかあり得ない)
彼の心は、聖騎士の輝きに照らされ、世界そのものが彼を中心に収まるかのように感じられた。




