落ちぶれて捨てられた侯爵令嬢は辺境伯に求愛される~今からは俺の溺愛ターンだから覚悟して~
◇◇◇
毎日君の夢を見る。
君が何もかも失って国を追われて俺の手に転がり落ちてくるとか。俺が王位を簒奪して君を無理やりこの手に奪い取るとか。
できもしないような夢物語ばかりみて、手の届かない君を想う。
ああ、どうしたって君は手の届かない高嶺の花。苦労知らずの君と血に塗れた俺とでは、到底釣り合わないのだから。
だからこれは全て、俺の都合のいい夢なんだと思う。
「セシル・アルティメス侯爵令嬢。申し訳ないが君との婚約は破棄させてもらう。代わりにと言ってはなんだがアレクシス、お前がセシル嬢と新たに婚約を結んでくれ」
◇◇◇
大嫌いなダマス王子に呼び出され。無茶苦茶不機嫌なままソファーに寝転んでたら俺の女神がやってきた。
ああ、俺の女神。愛の使者セシル。今日もなんて美しいんだ。キラキラと煌めく金の髪。神秘的な紫水晶の瞳。いや、やめよう。どんな美辞麗句を並び立てたって、彼女の美しさを表すことなんてできやしない。
とか思っていたら馬鹿王子がとんでもないことを言い出した訳で。
「アレクシス、お前にはまだ婚約者がいなかっただろう?私の代わりにセシルを幸せにしてやってくれないか」
「……はぁ!?」
コイツを嫌いな理由は色々あるが、一番の理由はセシルの婚約者だからだ。セシルがこいつの婚約者に選ばれた瞬間から、ずっと死ねばいいのにと思っていた。それなのに、その婚約者の座を俺に譲る、だと?冗談にしてもたちが悪い。ちらりとセシルを見ると、真っ赤な顔で震えていた。ほら、品行方正で温厚なセシルだって死ぬ程怒ってるじゃないか!
「ダ、ダマス殿下!いきなり何をおっしゃるのですか!」
彼女がこんなに声を荒げるところをみるのはこれが初めてだ。しかし、怒るのも無理はない。何しろ彼女はコイツの嫁になるために何年も研鑽を重ねてきたのだから。
誰よりも気高く、美しい人。成績優秀、品行方正。貴族令嬢の鏡とまで言われる彼女は、成績底辺、体術も剣術もまるで駄目。王子という身分と顔しか取り柄のないダマスなんかには明らかに不釣り合いだった。けれども、馬鹿な子ほどかわいいと思うのか、愛妾に生ませた後ろ盾のない末王子のためにと、国王がごり押ししてセシルとの縁組みを決めたのだ。
彼女は家のため、ダマス王子の婚約者になることを受け入れた。そこに葛藤が無かったはずはない。その献身が全て無駄になる?そんなの、悪夢以外の何物でもないじゃないか。
「ああ分かってるよ。君は悪くないんだ。これまでも本当によくやってくれた。ただね、先のモンスターパレードの影響でアルティメス侯爵家は甚大な被害を受けただろう?領地の復興に掛かりきりになると、当分は中央の政治にも関われまい。ここまで家門の力が弱くなってしまった以上、私としては君を王子妃として迎えるメリットがなくなってしまったんだ」
「そんな……」
(今までアルティメス侯爵家に散々世話になってきたくせに、クズ野郎がっ!)
確かにアルティメス侯爵領を襲った今回の魔物の襲撃は、特産品である収穫前の農作物に甚大な被害を与えたと聞く。アルティメス侯爵は現在領地で対応に追われているらしく、ここしばらく登城していない。
「実は私の新しい婚約者として、キャサリーヌ姫の名が挙がっているんだ。私も辛いんだよ。けれど、これも国のためだ。受け入れてくれるね?」
「キャサリーヌ姫と……」
やたらソワソワと浮足立っている原因はこれか。聖エクストピア帝国のキャサリーヌ姫は、銀髪にアメジストの瞳が神秘的だと評判の美姫。最近成人を迎え、各国から婚約の申し込みが嵐のように押し寄せていると聞く。キャサリーヌ姫がよりにもよって我が国の馬鹿王子を婚約者候補に選ぶとは驚きだが。……まあ、好みは人それぞれだしな。
セシルは一瞬ぐっと息を呑み静かに目を閉じると、次の瞬間すっと顔をあげ、王子に向かって見とれるほど美しいカーテシーをしてみせる。
「……かしこまりました。それが、この国のためと仰るならば。謹んでこの婚約破棄をお受けいたします」
真っすぐに前を見つめるその瞳に、もはや迷いはなかった。ああ、彼女はこんなときだって涙一つ見せないのだ。
「すまないな、セシル」
まるで気持ちの籠らない薄っぺらい言葉一つで、彼女は全てを失ってしまうのに。
ぐっと拳を握りしめていると、俺を見つめるセシルと目が合った。
「けれど、今回の婚約破棄とアレクシス様との婚約は別問題ですわ。わたくしはダマス殿下のおっしゃる通り、今や落ちぶれかけた侯爵家の娘。アレクシス様にとって、何の価値もない女です……」
ありえないセシルの言葉に、俺は思わず目を見張った。
「なんの価値もない……君が?」
彼女が何を言っているのか理解できない。
「ええ。身分以外何も持たない私ですもの。名誉あるロイター辺境伯であるアレクシス様のお荷物にしかなりませんわ」
伏せた瞳に影が落ちる。ああ、彼女は今、酷く傷ついているんだ。こんな馬鹿のために!
俺は思い切って彼女の前に跪いた。
「セシル・アルティメス侯爵令嬢。私と、婚約していただけますか?」
思わず声が上擦る。差し出した手も情けなく震えている。けれど、真っ直ぐに彼女の目を見て愛を乞う。
「どう、して。同情ですか。そんなことで婚約しては、この先きっと後悔なさいます!」
セシルの声は頑なで、震えていた。
「貴女がこの手を取ってくださるのなら。後悔などするはずもありません」
俺の言葉を受け、セシルは恐る恐る手を差し出してきた。俺はすかさずその手に指輪をはめる。
「これは……」
いきなり薬指に付けられた指輪に驚くセシル。
「母から大切な方に渡すようにと受け継いだものです。受け取って貰えますか?」
「アレクシス様のお母様から……でも、これは……」
セシルの瞳が戸惑いに揺れている。いきなり指輪を贈るのは少々気が早かったか。
「気に入らなければ捨ててください。もっとセシル嬢に相応しい品を後日改めて贈ります」
「と、とんでもない!……大切に致します」
良かった。俺の嫁になる女に渡せと母上に押し付けられたものだからな。
俺の治める辺境の地には王都のような華やかさは微塵もない。気の良い奴らばかりだが、荒くれ者も多い。そんな場所に箱入りの令嬢を連れて行くなどとんでもないと思っていたが。
―――それでも。彼女を想う気持ちは誰にも負けない。
◇◇◇
「見渡す限りの草原なんて初めて見ましたわ。まだ王都から一日も離れていないのに、こんなにも自然が豊かな場所があったなんて」
「何も無いところでしょう?疲れていませんか?少し休憩しましょう」
俺は従者たちを下がらせ、いそいそと彼女のために場所を整えた。木陰のできる樹の下にふわふわの敷物を敷きつめ、火をおこして沸かした湯で暖かい紅茶を準備する。用意していたバターたっぷりのクッキーも添えて。疲れたときは甘いものが一番だよな。紅茶にはたっぷりと蜂蜜を入れて飲むのが美味い。
「アレクシス様は一人でなんでもおできになるのね。わたくし、これまでなんのお役にも立てていないわ」
肩を落とす彼女に微笑んで見せる。俺たちの婚約は慌ただしく結ばれ、ロイター辺境で暮らす両親の元に向かっていた。俺が現在住んでいる屋敷は王都寄りにあり、王都から馬車で三時間ほどのところだが、両親はそこから更に数日ほどかかる本邸で暮らしている。
「辺境で育てば誰でもこうなります。ロイターでは、男は五歳になれば冒険のひとつや二つこなすようになるんですよ」
まあ、辺境では、女性も十分過ぎるほど強いが。むしろ女性の方が強いかもしれないが。
「ここは、とても自由な土地なんですね」
柔らかな髪を風に靡かせる彼女に思わず見惚れる。
「ええ。ここでは誰もが自由で、自分の心の赴くまま行動しています」
───だから君もそんなに悲しい顔はやめて、微笑んで欲しい。
セシルはそっと目を伏せた。
「私は、ロイターで上手くやっていけるでしょうか」
「セシル嬢?」
「私は淑女になるために様々な教育を受けてきました。妃教育もそう。でもそんなもの、貴族社会を離れたらなんの役にも立たないわ。アレクシス様、私に、ここでの生き方を教えていただけますか?」
その言葉を、あなたとともに生きたいと言っていると、俺は都合よく解釈することにした。
◇◇◇
「こ、これは本当にロイターでの礼儀ですの?本当に!?」
「間違いありません」
俺はセシルを膝に乗せると真面目な顔で頷きクッキーを口元に差し出す。
「ロイター辺境は危険な土地です。魔獣や隣国からの侵攻にも備えて、いついかなるときも油断は禁物です。夫は愛する妻を守るため、外では妻を自分の膝の上に乗せて食事をとります」
「そ、そうなんですか。で、でもわたくし自分で食べられますわ」
「夫婦は信頼の証としてお互いが差し出したものを食べるのがマナーです。ほら、口を開けて?」
「信頼の、証……」
セシルは真剣に悩んだ後、恥ずかしそうに俺が差し出したクッキーをぱくりと口にした。
「お、おいしい!」
ぱあ~と顔を輝かせるセシル。
くっっっっっそ可愛い。ナニコレ、こんな可愛い生き物今まで見たことある?普段の凛とした彼女ももちろん死ぬほど好みだが、俺の手から直接クッキーを口にするセシルの可愛さたるや、筆舌に尽くしがたいほどだ。今この瞬間を永久保存したい。網膜から脳裏に焼き付けておこう。
「あ、あの、アレクシス様もどうぞ。あ、あ~ん?」
今度はセシルが俺の口元にクッキーを差し出してくれる。俺は遠慮なくセシルの手からクッキーを食べた。
「お、おいしいですか?」
上目づかいで真っ赤になるセシルが可愛すぎてもう。
「今まで食べてきたクッキーで一番甘く感じます」
神様。今までろくに祈ったことがなくて申し訳ありませんでした。俺は今ほどあなたに感謝したことはありません。俺の嫁が可愛すぎて辛い。
幸せを噛み締めながらわざと遠回りして屋敷に到着すると、俺達の到着を今か今かと、待っていた両親と、屋敷の皆に出迎えられた。
「父上、母上、今戻りました!そして手紙で知らせた通り、最高に素敵な婚約者ができたのでご紹介します!セシル・アルティメス侯爵令嬢です!」
「おお!あなたがアレクシスの心を射止めたお嬢さんか!これは美しい!ロイターへようこそ!」
熱烈に歓迎する父上の横では、穏やかな顔で母上が優しく出迎えてくれる。うちの両親はまさに美女と野獣の組み合わせで、いまだになぜ父上が母上と結婚できたのか分からない。
「初めまして。アレクシスの母のエレシアよ。こちらはアレクシスの弟のダニエル」
「ダニエルです!いやぁ~まさか兄貴にこんな綺麗な婚約者ができるとはなぁ。俺も王都で花嫁を探そうかな。セシル姉さん、ここは田舎ですが良い所ですよ!後で色々ご案内しますね」
ダニエルは俺の二つ下の弟だが、ロイター騎士団を率いているためまだ王都に出たことがない。俺が綺麗な婚約者を連れて帰ってきたことが心底羨ましいようで、しきりにセシルを褒めていた。あまり見ると減るので今度絞めておこう。留守の間ロイター辺境の警備を一身に担ってくれたことには感謝しているが、それはそれ。これはこれ。美しすぎるセシルに懸想すると面倒臭いので、早めに王都に送り出してやるとするか。お前も運命の人が見つかるといいな!まぁ、セシル以上の令嬢はいないがな!
「セシルです。ロイターに骨を埋める覚悟で参りました。どうぞよろしくお願いいたします」
きりっと真面目な顔で古風な挨拶をするセシル。埋まるときは俺も一緒に埋まることを許してくれるだろうか。
「まぁまぁ、そんなにかしこまらないで。ここはむさ苦しい男ばかりであなたのような可愛らしいお嬢さんが来てくれて本当に嬉しいの。ぜひ仲良くしてね」
「はいっ!」
母上も、セシルが来て嬉しそうだ。何しろ野暮ったい男ばかりだからな。俺以外は。
◇◇◇
セシルは少しずつ辺境での暮らしに馴染んでいった。ひと月もすると、やたら声は大きいが真面目でよく働く使用人たちや、領主に対して気さくに話し掛けてくる領民達にもすっかり慣れたようだ。
「アレクシス様!ほら、こんなに大きなかぼちゃを頂きました!」
「これは凄いな。今夜はトムに言ってかぼちゃのスープにしてもらおう」
「まぁ素敵。トムの料理はどれもとても美味しくて、わたくし太ってしまった気がするわ」
トムはうちのお抱え料理人で、元は大国で宮廷料理人をしていたのでその腕は確かだ。昔母上に助けてもらったことがあるらしく、俺が小さいころから仕えてくれている。
「セシルは細すぎるくらいだよ。もっと沢山食べたほうがいい。今日のティータイムはマイヤーおばさんから貰った木苺のジャムを使ったパイを焼いてもらおう」
「まぁ、それはお断わりできませんね」
顔を見合わせてクスクスと笑い合う。ああ、幸せってこういうことだったんだなぁ。結婚式の準備も着々と進み、結婚式は王都の大聖堂とロイター辺境の両方で大々的に執り行う予定になっている。心配していたセシルの実家の被害も、ロイターから食糧支援と技術支援部隊を送ったら早めに回復したらしく、早いうちに政務に復帰できそうだと手紙が届いた。
母上ともすっかり打ち解けて、何かとお茶会を開いたり一緒にピクニックに出かけたりしているらしい。俺が辺境伯としての地位を引き継いだ後、父上と母上は気ままな隠居生活を送っているが、可愛い娘ができたと喜んでいる。
純白のウエディングドレスに身を包んだセシルを想像するだけで顔がにやけて止まらない。セシルは絶対に俺が世界一幸せにしてみせる!
◇◇◇
「はあ?」
俺の絶対零度の視線に、突然押し掛けてきた王国近衛隊第三部隊(第三王子担当)の隊長が、顔を青くしながら縮こまる。
「あ、あの、セシル嬢を王都まで護衛するようにと、ダマス殿下から仰せつかって参りました」
「……なぜセシルがお前たちと一緒に王都に戻らなければならないんだ?俺が納得できる理由を言って貰おうか」
「そ、それは……」
口ごもるあたり、大方ろくな理由ではないのだろう。
「と、とにかくセシル嬢に直接お目通り願いたい!」
「断る。セシルは俺との結婚式の準備で忙しい。こちらでの式が終わったら王都の大聖堂で式を挙げるから、話があるならそのとき聞こうか。話は終わりだ」
立ち上がって扉を開けようとする俺に隊長が叫ぶ
「王家を敵に回すおつもりか!」
ふ~ん。それを言っちゃうとはね。よほど困ったことが起こったらしい。
「面白い。ならばこう伝えてもらおう。ロイター辺境伯を敵にまわすつもりかとね」
一歩も譲らない俺の言葉に隊長が怯む。
「……後悔しても知りませんぞ」
捨て台詞を吐いてぞろぞろと出ていく近衛隊の騎士たち。
───その様子をセシルが柱の陰からそっと見ていたことに、俺はまったく気が付いていなかった。
やけにあっさり引き下がった近衛隊の馬車に、セシルが乗っていたと報告を受けたのはその一時間後。俺はすぐさま馬を駆ってその隊列に追いついた。案の定街道をそれた山道を選んでいた。慣れない山道で右往左往していたため、いくらも進んでいなかったのが幸いしたが、もうすぐ日が落ちる。夜になる前に追いついて良かった。
「セシル!!!」
「アレクシス様!?どうしてここに……」
「君が突然姿を消して、俺が手をこまねいているとでも思う?」
俺の言葉にセシルがうつむく。王族からの呼び出しと聞いて、真面目なセシルは応じなければいけないと思ってしまったのだろう。馬鹿王子のことなど放っておけばいいものを。
「ロイター辺境伯、お下がりください。セシル嬢は自ら王都に戻るとおっしゃったのです。護衛は私達だけで十分です」
ふんっと慇懃な態度を取る隊長を軽く睨みつける。
「軟弱な近衛兵ごときに俺の大切な人を任せられるわけないだろう」
「なっ!我が部隊は王族を守護する精鋭部隊!いくら辺境伯と言えどあまりにお言葉が過ぎるのでは!?」
こいつらは全く分かっていない。この辺境の恐ろしさを。
「ならば、お前たちの剣術がロイター辺境でどれほど通用するか見せてもらおうか」
すらりと抜いた剣に隊長が一歩後ずさる。
「馬鹿な!気でも狂ったか!私たちに剣を向けることは王族に歯向かうも同じ!」
声を荒げる隊長。はいはい。こいつらが辺境で暮らす俺たちを心の底では馬鹿にしているのを知っている。だが、そのプライドの高さがいつまでも続くといいな。
「誰が俺の相手をしろと言った。お前らの相手は、あいつだ」
俺が軽く顎をしゃくった先にあるものを見て、全員が凍り付く。
「ヒッ、ま、魔物!そ、そんな、来たときはあんなものでなかったぞ!」
木の陰から、三メートルを超える巨大な魔物、ビックベアーがのっそりとその巨大な体を現した。その距離およそ数百メートル。こんなに近くに接近を許しておきながら、気配にすら気が付かないとはおめでたい連中だ。
「魔物の活動時間は日が落ちてから。そんなことも知らないのか。なんのために街道沿いに宿屋があると思う?街道には魔物除けの魔石をふんだんに使って魔物が近寄らないようにしてるんだよ。日が落ちてから魔の山に入るなど、魔物の餌になりたいと言っているようなものだ。大方俺に追いつかれないために王都への最短距離を行こうと思ったんだろうが、勉強不足だな」
「ヒッど、どうすれば……このままでは全滅……」
さっきまでの勢いはどこへやら。貴族の坊ちゃん連中で固められた近衛騎士どもはみな情けなく足を震わせている。こんなへなちょこどもに大切なセシルを任せられるわけがない。
「下がってろ」
短く言い放つと俺は剣を構える。勝負は一瞬で決まる。ビックベアーもまた、足に力を籠めると、一気にこちらに向かい走り出した。瞬きするほどのわずかな時間で距離が縮まる。しかし、するどい爪が振り上げられた瞬間、俺は懐に飛び込み一刀のもとに切り捨てた。
轟音を上げて倒れるビックベアー。
「ば、馬鹿な、Sランク冒険者でも手こずる危険度Aランクの魔物をたった一人で……」
ごくりと唾を呑む騎士たち。
「ふん。ビックベアーごとき狩れずにここで生き残れると思うな」
俺はすらりと剣の血を払い鞘に納めると、セシルに向き合った。こいつらはどうでもいいが、セシルはさぞ恐ろしい思いをしただろう。こんな恐ろしい魔物が出る辺境など、やはり耐えられないと言われるかもしれない。
「セシル……」
彼女の元に一歩踏み出すと、
「こないでください!」
と拒絶の言葉が返ってきた。
どうしよう。死にたい。
「セ、セシル、怖がらせて悪かった。だが、ここは危険なんだ。いったん屋敷に戻ろう」
俺の言葉にふるふると首を横に振るセシル。
「わたくしはこのままダマス王子の元に向かいます。どうしても直接会ってお話したいことがありますの。わたくし一人で平気ですわ。アレクシス様はお戻りください」
「ど、どうしてダマスの元に?それなら俺も一緒に行く……」
「これは、わたくしの問題です」
きっぱりと言い切られて心が折れそうだ。だが、彼女を危険な山に放置してこいつらに任せるなんてどうしてもできない。
「ならば俺は護衛に徹する。ダマスの前で君の邪魔はしないと誓うから、それだけは許可してくれないか」
セシルはしばし迷った後、ちらりと近衛騎士達を見る。騎士たちは先程の魔物の襲撃にすっかり怯えたのか、縋るような目でセシルを見つめていた。
セシルは仕方がないなと言うように一つ溜息をつくと、
「分かりました。王城までの護衛をお願いしますわ。でも、絶対に邪魔しないで下さいね」
とにっこり微笑んだ。その笑顔に少し怯む。
(セシル、めちゃくちゃ怒っていないか!?)
こうして俺は襲いかかってくる魔物をバシバシ倒しながら山を抜け、街道に戻るとセシルの護衛に徹した。ちなみに屋敷の皆にはセシルと共に王都に行く旨、伝令を飛ばして知らせておいたので問題ないだろう。
途中狩った魔物の魔石やら素材やらを街で売り払い、かなりの額になったので王都についたらセシルに宝石やドレスでも買ってなんとか機嫌を取ろうと思案する。高値で売れる魔石や魔物の素材は辺境では貴重な資源。男の甲斐性の見せ所とも言えるのだ。
王都ではそんな俺達を野蛮だと揶揄されることも多いが。
(セシルは喜んでくれるだろうか)
あれ以来気まずくて話し掛けられない。セシルに血に塗れた姿を見せてしまった。俺自身を怖がられたかもしれない。
それでも、セシルから離れることなんてもう、俺には耐えられない。
何度でも何度でも、みっともないぐらい愛を乞うてしまうだろう。恋をすると男は愚かになると父上が言っていた。その言葉がやけに今日は胸に染みた。
◇◇◇
結局セシルとろくに話せないまま王城に到着した。
「ダマス殿下はセシル嬢に折り入ってお話があるそうです。アレクシス殿は許可が出るまでドアの前でお待ち下さい」
侍従の言葉にムッとする。
「婚約者の俺が同席することに何か不都合でもあるのか?」
「私は殿下のお言葉をお伝えしているだけです」
慇懃な態度を崩さない侍従をギリッと睨み付ける。
「アレクシス様、ここからはわたくし一人で大丈夫ですわ」
ダマスの部屋の前でなおも渋る俺に、セシルはにっこり微笑んでみせる。
「何かあったら大声で叫んでくれ。すぐにドアを蹴破って助けるから」
侍従が目を吊り上げて俺を睨むが知るもんか。セシルに何かしたら俺は絶対にダマスを許さない。
セシルの消えた扉を穴が空くほど凝視して待つことしばし。
「た、助けて!!!」
中から上がった悲鳴に俺はすぐさま扉を蹴破り飛び込んだ。
「ダマス!!!貴様!セシルに何をしたんだっ!」
だが、次の瞬間俺は目を疑った。
「セ、セシル……?」
そこにはにっこり微笑みながら椅子を高々と持ち上げたセシルと、何故か腰を抜かし、みっともなく床に這いつくばるダマスの姿が。
後から飛び込んできた侍従も目を白黒させている。
「ア、アレクシス、セシルを止めてくれ!こ、殺される!」
とりあえずセシルを止めなければ。重い椅子をあのように抱えていては、セシルの腕が筋肉痛になってしまう。
「セシル、椅子を降ろして?ダマスが何かむかつくことを言ったのなら代わりに俺が殴っておくから」
俺の言葉にぎょっとした目を向けるダマス。
「ア、アレクシス!?私たちは友人だろう!?」
「いや、俺はお前のことを友人だなどと思ったことはただの一度もないが」
「酷い!!!」
ギャーギャーわめくダマスを冷めた目で見る。
学友に選ばれてしまったから仕方なく貴族学園では一緒に過ごすことが多かったが、貴族学園を卒業してこいつとの縁が切れて清々したところだ。勝手に友人認定するのはやめて欲しい。
とりあえずセシルの手がプルプルしてかわいそうなのでそっと椅子を取り上げる。
「で?話を聞こうか」
とりあえず全員で一度椅子に腰かける。うなだれたダラスと怒りを隠さない様子のセシル。セシルがこんなに怒るなんて。場合によっては殴るだけでは足りないかもしれないな。
「実はセシルに君との婚約を破棄して、もう一度私と婚約を結ばないかと打診したんだが……」
ダマスの言葉に静かに耳を傾けていた俺は、大きく頷いた。
「よし。ぶっ殺す」
迷わず柄に手をかけると侍従が慌てて止めに入る。
「お、お待ちください!!!」
「いや、こいつの馬鹿はいっぺん死なねーと治らないみたいだからな。お前もこんな奴に仕えなきゃならないなんて大変だな」
「くっ……」
さすがの侍従もダマスの言い分に反論の余地がないようだった。
「な、なんだ!お前たち!揃いも揃って無礼だぞ!僕を誰だと思っているんだ!不敬だぞ!」
「一方的に婚約破棄しておきながらもう一度婚約したいだと?舐めてるのか?そもそもお前はキャサリーヌ姫と婚約するんじゃなかったのかよ」
「……その話は無くなった。元々キャサリーヌ姫との婚約の打診は、アレクシス、お前に来たものだったんだ。だが、王子である私のほうが一国の姫によりふさわしいと思ったから婚約者を取り換えることを父上に提案した。ところがあのバカ王女、婚約者の条件は国一番の剣の腕前だと抜かしやがった。その上、公衆の面前で試合を行って私に恥をかかせたんだ!あんな脳筋、こっちから願い下げだ!キャサリーヌ姫との話が無くなった以上、私の婚約者であるセシルを取り戻すのは当然の権利だ!」
「はあ?」
なんだそのとんでも理論は。開いた口も塞がらない俺の横でセシルがゆらりと立ち上がる。
「……キャサリーヌ姫だけじゃございませんわよね?これまでもアレクシス様に懸想する令嬢方をダマス殿下が手当たり次第に口説いていたのはよく存じております」
「手あたり次第なんて人聞きが悪い。アレクシスにかこつけて私に近づきたい令嬢が多かったんだ」
「いいえ!みなアレクシス様に夢中だったのです!ダマス殿下を慕っていた令嬢など一人もいません!わたくしだって!」
涙目で叫んだセシルの顔をぽかんと眺める。
「アレクシス様のことをずっとずっとお慕いしていたのに!あなたが!あなたが私がいいと言うから泣く泣く諦めたのに!これ以上勝手なこと言わないで!もう二度と、私の恋の邪魔をしないで!今私は、初恋の騎士様と婚約できて死ぬほど幸せなんです!二度とあなたみたいな馬鹿王子の婚約者なんてごめんだわ!」
はあはあと叫んだあと、はっと口を覆うセシル。
「あ、私……」
かあ~っと真っ赤になるセシルを見て、おもわず口元がにやける。やばい。嬉しい。セシルが俺をずっと好きだった?本当に?
「と、ともかく!このお話はきっぱりとお断りします!行きましょう、アレクシス様」
「だ、そうだ。少しでもプライドが残っているなら、セシルのことは男らしく諦めるんだな」
ツンッと振り返りもせずに部屋を出ていくセシルを、俺は弾むような足取りで追いかける。耳の裏まで真っ赤になったセシルが可愛すぎる。
「ねえセシル、こっち向いて」
「……いやです」
「どうして?」
「今私、すごく変な顔してるから」
「変じゃないよ。セシルはいつだって最高に可愛い」
「か、かわ……からかわないでください!」
そういえばとふと思う。俺は今まで彼女に直接俺の想いを伝えたことがあっただろうか。心の中の声はいつだって自分のうちに留めておくのが癖になっていた。けれど、晴れて婚約者となった今、誰に遠慮もいらないのだ。
「本当だよ。セシルは世界一可愛い俺の婚約者だ」
「本当に?……その、キャサリーヌ姫とのお話は……」
「キャサリーヌ?ああ、あのおてんばか。あんなのほっといていいぞ。俺の名前を出したのは、どうせ見合いを断る口実だからな」
「名前で呼ぶと言うことは、キャサリーヌ姫とアレクシス様は随分親しい関係なのですね」
「ああ、そっか、まだセシルには教えてなかったな。キャサリーヌと俺は……」
そう言いかけたところで、
「アレクシス兄さま!酷いじゃないの!いくら茶番だからってあんなろくでなしを代わりに送りつけるなんて!」
振り返るとぷんぷんに膨れたキャサリーヌが母上と一緒に立っていた。
「キャサリーヌ!?母上も!?一体どうしたんですか!」
「あら、うちの可愛い嫁が心配で迎えに来たに決まっているじゃないの。キャサリーヌとはそこで偶然あったのよ」
「私はお兄様に一言文句を言ってやろうと思ってきたのよ。そしたら王城に向かったっていうから直接こっちに来たってわけ」
「はあ~。全く、護衛も連れずに何をしてるんですか……」
「あら、私たちに護衛が必要だと思うの?」
「思いませんが、お二人には立場ってものがあるでしょう!」
「だって~直接来た方が早いもの」
「ねえ?」
頭を抱える俺の横で、セシルが目に見えて混乱しているのが分かる。
「あ~、実は、母上は聖エクストピア帝国の出身で、キャサリーヌは俺の従妹なんだ……」
「ということは、お義母さまは、聖エクストピア帝国の王族のかた……そう、だったんですね」
あまり言いたくはないが、実は俺の母上は隣国の第一王女だったんだよな。当時婚約者のいた母上は身分を捨て、父上と駆け落ちしたせいで、隣国では行方不明と言うことになっているが。剣を重んじる聖エクストピア帝国で剣聖として名高かった母上は、生まれて初めて自分を打ち負かした父上に恋をしたらしい。ちなみに現在の剣聖はキャサリーヌだ。あそこの王族はなぜか女系なんだよな。
「初めましてキャサリーヌです。あなたがセシルさんね。逢いたかったわ。アレクシス兄さまとは兄妹のような関係なの」
「初めましてキャサリーヌ殿下。セシル・アルティメスと申します。お噂はかねがね」
「あらやだ。ここでも私の美しさが評判のようね!」
ころころと笑うキャサリーヌにセシルも毒気を抜かれたようだ。
「ごめんなさい。わたくしてっきりアレクシス様はキャサリーヌ殿下と深い仲なんだと思っていたの。この指輪も本当は、キャサリーヌ姫から渡されたものかと……」
「あら、ごめんなさい。私が唯一国から持ち出したものなんだけど、聖エクストピア帝国の剣聖の紋章が入ってたから混乱させてしまったのね」
ぽんっと手を打つ母上に頭を抱える。
「母上。なんだってそんな紛らわしいものを俺の嫁に渡そうなんて思ったんですか」
「あら、その指輪を見れば大抵の賊は逃げていくから便利なのに。可愛い嫁の身を案じるのは当然でしょう?私は自分の身ぐらい自分で守れますからね」
「そんな理由ですか……」
「他に何があるって言うのよ」
がっくりと肩を落とす俺の隣で、セシルは必死に笑いを堪えていた。
「ふ、ふふふ。お義母さま、ありがとうございます!何よりの贈り物ですわ。ちょうどひとり暴漢を撃退したところですの。この指輪を見てダマス王子があんなに怖がったのは、きっと、キャサリーヌ殿下のお陰ですわね」
聖エクストピア帝国では真剣勝負の際、剣聖の誓いを立てるため、指輪にキスをして剣を構えると聞く。
「なるほどな。ダマスが「殺される~」とか言ってたのはキャサリーヌのせいか」
「あら、あの馬鹿王子は真剣を抜いただけでみっともなく逃げ出したから、私の剣技を見せる暇もなかったけど?」
「お前のこと、「脳筋」って呼んでたぞ?バカ女とも呼んでたなあ……」
「なんですって!?ふ、ふふふ。あの馬鹿王子、よほど剣のサビになりたいようね……」
「殺さないようにほどほどにしとけよ。国際問題になるからな」
「一度立ち合いした仲ですもの。負けた方は勝者に礼を尽くすのが道理。師匠としてちょ~っと稽古をつけて差し上げますわ。お~ほっほほっ」
背中に異様なオーラを纏いつつキャサリーヌがダマスのところに向かうのをそっと見送る。まあ、死にはしないだろう。そうとうなトラウマが増えそうだが。
「結局あいつ、何しに来たんだろうな」
「さあ。まあ、セシルも無事だったから私もついでにショッピングでもしてから帰るわ。あなたたちはどうするの?」
さて、どうするか。幸い懐は温かい。せっかくだから王都でセシルとデートするのもいいな。
「セシルはどうしたい?」
「アレクシス様と、ロイターに帰りたい、です」
真っ赤な顔で上目遣いに見つめられて。
ああ神様。俺の嫁が可愛すぎて辛い。
「よし!帰ろう!俺たちの家に!」
がばっとセシルを横抱きにして馬に乗る。
「きゃっ!アレクシス様!」
「母上、馬、借りますね!」
「いいわよ。帰りは馬車で迎えに来るように頼んでるから」
「では!」
一刻も早く二人きりになりたくて、胸が高鳴る。
ああどうしよう。この気持ちをどうやって伝えたらいいんだろう。伝えきれないほどの想いが渦を巻く。とりあえず、
「これからはずっと俺の溺愛ターンだから覚悟して?」
俺は腕の中で目を白黒させている愛しい人を思いっきり抱きしめるのだった。
おしまい
素敵すぎるイラストを汐の音様から頂きました!ありがとうございます(*^-^*)
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