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セミ嬢! ~転生悪役令嬢は断罪からの大逆転を狙いたい~  作者: 度会有子
〈第1章〉悪役令嬢レイチェル、九歳
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〈4〉転生令嬢の婚約者

一晩寝かせたら、レビューが輝いていました! ありがとうございます!

(2023/6/29)表現の不足を追記しました。

 ランドルト公爵家次男ルッツ、十二歳。


 ――それが、ルビンアート侯爵家嫡女(ちゃくじょ)レイチェルの婚約者だった。


 王宮の風景式庭園で紹介されたとき、高貴な……キラキラと輝く印象を受けたはずだ。


 お父君の公爵閣下は、この国の国王陛下のお兄君なのだ。お母君のご身分ゆえ王位には()けなかったが、(まか)り間違っていれば、ルッツだって「王子殿下」と称されていたかもしれない。っていうか、ルッツ自身、王位継承権(それも一桁!)すら保持しているという。――そりゃあ、眩しすぎるのも当然といえよう。


 父親が語ったところによると、自らの珍しい菫色(すみれいろ)の頭髪に(せみ)がしがみ付いていることを、ルッツはしっかり認識していたらしい。しかし、それがどうした――というか、そんなのはまるで日常なので、まったく気にならなかったというか、普通に忘れていたというのである。レイチェルの婚約者だというあの美少年……実はかなりの天然ではないか――? 当然、家族もそれぐらい慣れたもので、まったく動じないのだという。同じテーブルに着席していたのだから息子の頭部には当然気付いていたが、父親であるランドルト公爵含め、「おお、蝉か、夏よのう」――とか、いと風流に解釈していたのだという。……いや、ちょっと待て、そりゃあ、家族のほうも能天気が過ぎるというものではないか――?


(少しは気にしてよ……!)


 そしたら、私がオシッコ引っ掛けられることもなかったのに。


 レイチェルとしては恨み(ぶし)のひとつでもぶちまけたいところであるが、なにしろ相手は王室とも縁続きの公爵家、そんな不敬は許されない。


 ルッツは公爵家の次男で、爵位は長男が承継することが決まっていたので、それなりの貴族家と縁組をして身分を担保しよう――ということで、数ある縁談の中から、ルビンアート侯爵家に白羽の矢が立てられた。……らしい。選ばれたのは侯爵家であって、けしてレイチェル本人ではない――というところがミソだ。


 つまり、ひとり娘であるレイチェルと結婚すれば、ルッツは自動的に「ルビンアート侯爵」になれるというわけだ。ルッツにとっては、人生の選択肢――というか、妥協点のひとつだろう。


 その、ルッツが、レイチェルのお見舞いにやってきた。


 両親である公爵夫妻もご一緒だ。


 そんな、重病人でもないのに……前世の記憶の五百万倍速早戻し攻撃で精神的に混乱していただけのレイチェルとしては、非常に申しわけないというか後ろめたい気持ちでいっぱいになる。しかし、すぐに、「蝉のことを謝りたいのかも」と思い直して、自らの罪悪感を軽減することに成功した。


 客間に入ると、漠然とした既視感に襲われる。


 とにかく、目立つ、キラキラする――荘厳な清涼感すら視覚にまとわり付く。


 ……あー、あの日、この光景見たわー、――この、やたらと眩しい家族連れ。


 ただし、あのときは、突然の前世襲来で個体識別している余裕などなかったが――。


「――おお、レイチェル嬢の元気そうな姿を拝見でき、安心しましたぞ」


 派手な赤毛の紳士が、本心から安堵したかのようにやわらかな笑顔を見せた。ゾルゲ・チタン・ランドルト公爵――つまり、国王陛下のお兄君だ。しかし、あの怖そうな国王陛下とはあまり似ていない。だって、美しい暖色系の頭髪がふさふさしている。同じ赤毛でも、レイチェルの毒々しいというか禍々(まがまが)しいというか不穏(ふおん)な色彩ではなく、光沢のある深紅色(カーマイン)をしているのだ。高貴なる貫禄は感じられるものの、むしろ、お優しそうな印象のほうが強かった。


「本当に、お可愛らしいお嬢さまですこと」


 バネッサ公爵夫人の(つや)やか金髪に、なるほど……レイチェルはにわかに納得してしまう。この両親を交配させると、あんな不思議な髪色の息子が生まれるのか。――この世界の遺伝の法則は、高橋萌子の知っているものとはかなり異なるようだ。


「お見舞いがてら、焼き菓子を持参しましたのよ。我が()の料理人が(こしら)えたもので、息子も大好物ですの。レイチェル嬢と、――そうそう、リズベット夫人のお口に合うとよいのですが」


 公爵夫人はとても社交的な性格をしているようで、場違いにそわそわとしている母親にも何気に会話を振って、場を(なご)まそうとしてくれていた。


 実のところ、侯爵夫人――今、この場に同席しているリズベットは、レイチェルを生んでくれた母親ではない。父親であるヘルマンの後妻(のちぞい)である。その父親は侯爵家の婿(むこ)養子であるから、この中で、由緒正しきルビンアート侯爵家の先祖代々の血脈を受け継いでいるのは、レイチェルただひとり――ということになる。


 そのような内部事情も、ランドルト公爵家のほうは当然承知しているだろう。父親の出自は小さな子爵家だし、継母に至ってはしがない騎士家庭出身だが……侯爵家の純血であるレイチェルさえ手に入れば、あとのことはおまけみたいなものだろう。……いや、案外、そのほうが将来の侯爵家を(ぎょ)しやすい――ぐらいには考えているかもしれない。未成年である息子はともかく、父親である公爵のほうは、柔和(にゅうわ)な表情の奥でそれぐらい計算ずくで不思議でない。


 ――それにしても。


 キラキラ輝いているはずの婚約者――ルッツ・ランドルトは、今日も何かが違和感だった。


 例によって貴族らしく上品な装いに身を包んでいるのだが、涼やかに結んだアスコットタイの中央に、何故だか甲虫(かぶとむし)が居座っているのだ。


(あれは、カブトムシのかたちをした宝石なのかしら――?)


 そういえば、黒光りしているし、よく出来た装飾品のように……見えなくもない。


 とにかく、さっきからずっと動かないのだ。


 ルッツのタイの結び目というのは、そんなに居心地がよいのだろうか?


 それとも、やはり、ただの飾りモノなのだろうか――?


「おお、菓子とは、まことに光栄でございます。公爵家のお(かか)え料理人ともなれば、さぞかし腕自慢でしょう。――それでは、我が所領の自慢の紅茶を合わせることにいたしましょう」


 いつになく緊張気味の父親の声が、意味のないことを追求するレイチェルの思考を吹き飛ばした。


 ……そうだった。今は、あのガーデンパーティでの初顔合わせの続き――まさにお見合いの真っ最中なのだ。他所事(よそごと)を考えている場合ではない。「お見合い」ではなく「お見舞い」だが、この場に集う全員の認識としては、間違いなく前者だ。


 扉近くに控えていたメイドが近付いてきて、公爵家の手土産(てみやげ)を受け取る。その場からはいったん引いた。お皿に取り分けて、紅茶と一緒に再登場となるのだろう。たとえ可能性は低いにしても、厨房(ちゅうぼう)では毒見も行われるに決まっている。


「おお、ルビンアート領の茶葉は品質が良いと評判ですからなあ、王宮でも使われておりますよ」

「そうそう、ルビンアート領の農産物はどれも優秀ですけれど、特に、糖度の高いスイートポテトは、社交界のご夫人方にも好まれておりますわよ」

「なんと、嬉しいお言葉でございまする」


 ……一応は()められているのだろう、一応は。


 なにしろ、この国の王さまはドゲチなのだ。だから、侯爵家といえど、市場のニーズを考慮すると、高級品の取り扱いは限定的となる。ほどほどに安いわりに品質が良い――「優秀」というのは、そう宣告されただけにすぎないのだ。


(大人って疲れるわ……)


 当たり(さわ)りのない会話を展開するのが、貴族社会のマナーである。なんでみんなこんなツマラナイ会話を延々と繰り広げているのかしら――ほんの少しまえまでは、レイチェルも、子ども心にそんな疑問を(いだ)いていた。早く帰ってお人形遊びをしたい――(まご)うかたなき、正直なお子さまの心境である。


 しかし、過剰なストレス渦巻く文明社会で企業戦士として使役(しえき)されていた前世を思い出してしまった今となっては、それが重要なコミュニケーション手段であるということも、レイチェルは充分に理解していた。時候の挨拶(あいさつ)、適切な敬語、クッション言葉――ああもうどれもこれも面倒くさいし意味がないように思えるけど、それなりに重要で地味に効果的だったりするのだ。


 公爵家特製のバームクーヘンは、しっとりと焼き加減も絶妙でほどほどに美味しかった。


「ほどほどに」というのは便利な表現で、実のところ絶対的に甘さが足りなかった。


 以前はこれでも絶品だと感じていたと思うのだが、なにしろ高橋萌子の記憶ときたら、この世界では絶対に味わうことの出来ないようなスペクタクルな味覚のオンパレードなのだ。もっと甘味を利かせてよ――そう言いたいのは山々であったが、そこはググッと我慢した。


 だって、この国の北のほうではいまだ戦争が続いているのだ。それが王国の質素倹約方針の元凶でもある。――砂糖なんて贅沢品、たとえ王都の貴族といえど、ふんだんに使用できるものではない。


(……ああ、でも、バームクーヘンの空洞のところに、うちのスイートポテトを添えたらとても楽しいかも)


 真ん中の穴には、クリームを盛り付けてもいいかもしれないし、菓子全体をシロップでコーティングしても、食感が変わって楽しめそうだ。――前世由来のいろいろな知識が頭を(よぎ)って、ついついレイチェルは妄想の中に迷い込んでしまう。


「――どうしたのだ、レイチェル? 甘いものには目がないのに」

「おや、まだ体調が戻っていないのかな?」


 男親ふたりに、まじまじと凝視されてしまった。


 ……しまった。


 前世の三十路(みそじ)女の嗜好(しこう)を封印して、レイチェルは(あわ)てて作り笑顔を浮かべるべく表情筋を整える。


「あ……あの」


 ――とても美味しいですわ。


 レイチェルとしては、全身全霊でそう答えたいのだが、――いや、レイチェルの精神世界においてはしっかり可憐にそのように返答しているのであるが、ハタと現実に立ち戻ってみれば、何故だが言葉が出てこない。


 まずい……相手は公爵閣下ご夫妻――それも、王室に連なるご身分。こんなところで失礼な態度なんてあり得ない。そうは思うのだが、足先がガタガタと震え出してしまって……小さなレイチェルには、どうすることも出来ない。


 ――な……なんで?


 すぐに、震えは上半身にまで及んできた。(わら)をも(すが)るように高橋萌子の記憶を走査(スキャン)するが、やはり、こんな経験は初めてだ。


 (ど、どうしよう……?)


 左手に持っていたフォークが、カタン……テーブルへと落ちる。


 どうしたらいいのかわからずに、小さな身体(からだ)をさらに小さく縮こまらせてしまう。


 ――困った。


 本当に、困った。


 どうやったらこの場を無難に収束できるのか――いや、それ以前に、自分のこの状態をどうやったら鎮静化できるのか、いっそパニック状態に陥ってしまえれば楽なのかもしれないが、残念ながらそんな都合のよい展開は訪れてくれない。――ただ呆然と、自分自身を抱き(すく)めるのみ……。


「――きっと緊張しているのですよ。こんな大人に囲まれて」


 わずかに高音域が残る美声が聞こえた。美少年が、珍しい菫色の頭髪を揺らして立ち上がる。


「ねえ、お散歩に行こうよ。侯爵家のお庭を案内してほしいな」

「は……はいっ」


 金縛りから解放されたかのように、レイチェルはビクンと反応した。


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