〈20〉ヒロインの野望
本日、2話目のアップです。
「――ルッツさま。あたし、ルッツさまと正式に結ばれる筋道が立って、本当に嬉しゅうございます」
「ああ。愛しいローデリカ、私もだよ」
「ルッツさま。……もっと近くでルッツさまを感じさせてくださいませ……!」
大講堂での婚約破棄劇は、早々に収束させた。
一部の大貴族の一身上の都合だけで、善良な大多数のお楽しみを奪ってはいけない。……多分に興醒めしたし、不愉快な思いをしてしまったものが存在するであろうことは否めないが、それでも、式典後のフリータイムへと強制的に誘導して、その場を収めた。
断罪劇の助演を務める彼らがその場に君臨し続けるのは、参加者たちから大いなる顰蹙を買うことになるだろう。だから、一曲だけでも踊りたいというローデリカを宥めすかして、可及的速やかに控室へと引き上げてきたのだ。
……本当に、なんとも後味が悪い。
鉄壁の無表情で内心を覆い隠すと、傍らの新たな婚約者――ローデリカ・リラールが、ルッツの右腕をぐいと掴んで、そのまま豊満なバストを押し付けてきた。
「ランドルト公爵夫人になれるなんて、……あたし、夢のようです……!」
「夢ではなく現実だよ、ローデリカ。きみがこの学園を卒業したら、すぐに結婚式をあげよう。きみの兄君も、領の畜産業の発展に尽くすと同時に、最近では美術品売買にもビジネスを拡げ、驚きの才覚を発揮しているというじゃないか。王城にも商務という部署があるから、そこに取り立ててあげよう」
「まあ。嬉しい……! 兄も喜びますわ……!」
感謝の気持ちを具現化したかったのか、ルッツの頬にキスが飛んできた。ローデリカのやわらかなストロベリーブロンドに手が掛かりそうになって、ふとルッツは我に返る。
「――そういえば。きみ、『侯爵夫人のエメラルド』を持っていたね」
「あ。……はい」
「それ、出してごらん。レイチェルが素直に渡さなかったから、強引に引きちぎってしまっただろう。……高価なものなのに、修理に出さないと」
レイチェルが拒んだわけではない。
ルッツもローデリカも、彼女に何の要求もしなかった。
ローデリカが、突如としてあれを奪い取ってしまっただけだ。
――しかし。
そのようなことはどうでもいいのだ。
これは、ローデリカに所持されてこそ相応しいものなのだ。あの、セミ令嬢――対人恐怖症のレイチェルではない。
だから、かなり乱暴な――野蛮ともいえる手段で持ち去ってきてしまったとしても、ローデリカには何の悪意もないのだ。
「大丈夫ですわ、ルッツさま」
チェーンの部分が破損しているので、首から掛けることは出来ない。だから、ローデリカは、丁寧にハンカチに包んでポケットに入れていた。
ルッツの目前に取り出すと、大事そうに見せてくれる。
「……本当に綺麗なエメラルド。あのセミ令嬢にはもったいないですわ」
「あの女の髪は派手な赤毛だからな。――エメラルドの緑色とは対照的すぎて、嫌味しかない。しかし」
傍らのローデリカの、やわらかなストロベリーブロンドを撫で付ける。
「きみの色は穏やかで――どんな色調にも美しく映える」
「このエメラルドは、ルッツさまの瞳の色にもよく合いますわ。結婚式であたしがこれを付けたら、きっと、完璧なふたりに見えますわ」
「では、それを、こちらへ――」
しかし、真新しい婚約者に戦利品を手渡すことなく、ローデリカはもとのとおりポケットに仕舞い込んでしまう。
――戦利品。
そう、戦利品。
引き籠もりの侯爵令嬢から略奪してきた。
家宝の首飾りも――そして、この男も。
「……これは、あたしが修理に出しておきますわ。兄の商会には宝石を取り扱っている部門もありますの。そこに任せておけば、今よりも立派にアレンジし直してくれますわ」
「それでもいいけど。――そうだ、そんなものより、私からも宝石をプレゼントしよう。ローデリカに似合いそうなのは、エメラルドというよりも――」
「嬉しいっ……!」
ストロベリーブロンドが大袈裟に抱きついてきた。無意識なのかわざとなのか、ルッツの顔面に豊満なバストが押し付けられる。夜会用のデコルテラインを強調したドレスだから、素肌部分が生々しいというか――かなり際どい。
「ルッツさまが、あたしに似合う宝石を考えてくださるなんて……!」
「当然だろう。本当に、この身が恨めしいよ。高等大学院への進学さえなかったら、今頃はルビンアート宰相について政務補佐官の任務に就いていたんだ。そうすれば、宮廷での存在感も増していただろうし、きみとだって、すぐにでも結婚できたのに……!」
「あら。そんな贅沢を言ってはいけません。一度にすべてを得ようなんて、愚かものの考えることですわ。ルッツさまは優秀なのですから、いずれ、立場のほうから転がり込んできますわよ」
「……本当に、きみは優しいな。――私の顔を見るたび訳知り顔で婚約解消だの婚約破棄だの主張し続けてきたあの生意気女とは大違いだ。まったく……貴族令嬢のくせにひとりで生計を立てるとか、何を馬鹿げたことを――!」
「ふふふ……では、念願叶って婚約解消できたのですから、レイチェルさまにとっても喜ばしいことですわね。あたしたち、よいことをしたのですわね――!」
むぎゅっと、またもやローデリカが密着してきた。
レイチェルが願っていた婚約解消が平和的友好的なものであり、家宝の略奪とか実家からの勘当とか修道院送りとか――そんな不穏な付帯事項がてんこ盛りの断罪イベントこそを強烈に恐れていたのだという事実は、ローデリカはおろかルッツさえ知る由もない。
「麗しいですわ……!」
ローデリカの細い指が、ルッツの首元に掛かった。
そのまま礼服用のアスコットタイを解こうとして、わずかな違和感に眉を顰める。
「……ルッツさま。変わったアクセサリーを身に付けておられるのですね」
しなやかな指先が、奇妙に凹凸のあるタイピンを捕捉した。当然、宝石かと思ったのだが、少し違う。……いや、それなりに宝石には間違いないのだろうが、キラキラと輝く装飾用の貴石とはかなり異なる。
「装飾品なのですから、もっと豪華なものをお付けになられたらよろしいのに。――次期公爵閣下なのですから」
指先でまさぐっているだけではよくわからないので、ローデリカは身を乗り出してルッツに向き合った。上質な絹製のタイから丁寧にピンを引き抜いて、まじまじと観察する。
「……不思議な形ですわ。黒っぽいうえ、何かヘンな出っ張りがあります」
「クワガタムシを模して作らせたんだ。――おもしろいだろう?」
「クワガタムシ……ですか……?」
「黒曜石を加工してもらった。あまりリアルすぎると貴族服には馴染まないとか言われたので、まあ、モチーフだけなんだけど」
「ふふふ……おもしろいおかたですね、ルッツさまは。このような玩具で、あたしを驚かそうとでも――?」
「――まさか。昔は本当の虫を停まらせていたんだ」
「えっ」
「……冗談だよ。さすがに、そんな子どもじみたことはやらないよ」
「そ、そうですわね。ルッツさまはとても聡明ですから、そんな悪戯、やらないですよね。……だって、虫ですもの」
「虫は嫌い?」
ルッツが問いかけると、途端にローデリカの表情が鈍く曇った。
「……だって、気持ち悪いというか、汚らしいというか。人間を襲ってきたりするし、叩いたりすると気味悪いことになるし、本当に……大っ嫌いです」
ふと、ルッツのビリジアンの瞳が、微妙に翳った。
「大丈夫だよ。――これはクワガタムシだから。蚊とか蜂とか、ローデリカを困らせるような悪い虫じゃないよ」
「あ……そうですわね。でも、ルッツさまには、もっと高尚なモチーフが似合うと思うのですわ。獅子とか、鷲とか――それこそ、王者に相応しい」
ローデリカの蜜を滴らせた微笑が、最大出力でルッツに浴びせかけられる。
ほどよくムードも乗っていて、……これで落ちない男はいない。
ルッツの端正な美貌も、ふっと揺らめいた。
「あの女は、そんなこと言ったことはない。あるときなど、私にカエルの置物を押し付けてきた。――カエルだぞ? あり得ないだろう――? 私の顔を見れば、いつだって婚約解消、婚約解消……見たか、あの顔? 自分から望んでおきながら、実際に捨てられてみれば……傷付いた顔。滑稽だ――!」
一頻り笑い立ててから、思い出したように告げる。
「――そうだ。きみ、公爵家に移ってこないか」
ローデリカの勝負顔に両手を添えて、さらに続ける。
「リラール領は遠い。きみは、王都では、学園の近くに部屋を借りて通学しているのだろう。――貴族家の娘が、メイドのひとりも連れず、たったひとりで……大したものだ。あの引き籠もり娘とは大違いだ。公爵家で、私と一緒に暮らそう」
「嬉しいですわ……」
うるうると、ローデリカは瞳を潤わせた。
それから、コクリ……恥じらうように俯いてみせる。
「ですが、そういうことは、兄とも相談してみませんと――」
「――もちろんだ。テレル殿も王都に拠点があったほうが何かと便利だろう。公爵家に部屋を設え……いや、城下にリラール屋敷を準備しよう」
「本当でございますか……!」
ローデリカ・リラール――ヒロインの、さも庇護欲をそそりそうな美貌が華やいだ。
……ここで終わるのも気持ち悪いので、もう1話アップします。




