〈12〉転生令嬢の入学
望もうと望まざるとにかかわらず、時間というのは無情にも過ぎ去っていく。
引き籠もりのレイチェルだが、対人恐怖症を理由にお屋敷に閉じ籠もっていられるのにも、とうとう期間満了を迎えてしまった。
――貴族学園への入学式の日が訪れたのである。
カライ王国の貴族は、十六歳を迎える年の一月から三年間、王都ニューアデルに構える貴族学園に籍を置き、貴族たるものの心得・教養・精神性等々を学び取らなければならない――ということにはなっているが、将来的な人脈作り(政略結婚の相手探しを含め)のためというのが、どの貴族家においても主目的となっていた。……まあ、乙女ゲームの世界に「学園」はお約束なので、あまり深く考えても仕方ないか。ただし、レイチェル的には破滅へのカウントダウン以外の何物でもなかった。
実のところ、遥か辺境の地に定住していたり、ほとんど市民階級と変わらない身のうえだったりすると、貴族学園なんかスルーしてしまう事例もある。しかし、名門ルビンアート侯爵家のご令嬢とあってはそうもいかない。しかも、本人の意志とは関係なく、レイチェルはランドルト公爵家への輿入れが決まっているのだ。――決まっているだけで、そうなるとは限らないのだが、それでも貴族学園の卒業証書は、このさきの人生(隣国移住計画における余生――いや、自活)の必須アイテムと考えられた。
入学式の朝、貴族学園の制服に身を包むと、なんとなく前世に逆戻りしたかのような感傷に見舞われる。
だって、制服が、高橋萌子の知るそれと、たいへんよく似ているのだ。
この国のイメージカラーである深い緑色をした、シンプルなブレザースーツである。中のブラウスは白であればデザインは問わないということだったが、あえて目立ちたくないレイチェルは、リボンもスカーフも付けなくても大丈夫なように、オープンカラーの真白いものを選んで、ブレザーの上に大きめの襟を重ねた。
「……大丈夫?」
やや……いや、かなり緊張しているレイチェルに、義母であるリズベットが声を掛けた。
こちらも、明るい時間帯の儀礼用として、踝丈のドレスを着用している。貴族学園の入学式は、父母たちにとっても貴重な社交場――当事者であるレイチェルだけでなく、両親も参列しなければならないのだ。
それも、一般参加ではない。
……いや、レイチェルは一般新入生としての参加なのだが、両親は違う。この国の宰相でもあるヘルマン・ルビンアートは、夫人同伴で来賓席から臨む立場なのだ。役割が人間を作るというか、宰相職の長い父親はさすがに場慣れしているだろうが、騎士階級出身のリズベットのほうは、レイチェル以上に気負っている様子だった。
「ごめん」
「……なんであなたが謝るのよ?」
「だって、セミ令嬢の母親だっていって馬鹿にされるわ。私のせいでお義母さままで恥ずかしい思いをするのは、ちょっと」
「――あなたのせいじゃないわよ」
今日の晴れ姿を着付けてくれたメイドたちが下がるのを待って、リズベットは面倒くさそうに窓の外を眺めた。
着付けたといっても、ブレザースーツぐらい、レイチェルは自分で着られる。ボタンを留めるぐらい、余裕でクリアだ。メイドたちは、リズベットのほうを飾り立てていたのだ。騎士階級出身のリズベットもたいていのことはひとりで出来るが、さすがにコルセットだけはメイドの手を借りないとどうしようもない。
「……いまだに慣れないのよ。貧乏騎士の娘――そんな視線でジロジロ値踏みされるのには。これは、あなたのせいじゃないわ」
ふたりして深く嘆息してしまった。
それでも、別室で支度を終えた父親と合流して、侯爵家の馬車で貴族学園へと向かう。
父親だけは、妙に上機嫌だった。
引き籠もりのひとり娘が一人前に貴族学園に入学できるというのだから、それなりの感動を覚えているのかもしれない。
貴族学園大講堂での入学式は、予定調和で完了した。
会場となっていたホールは社交場へと早変わり、付き添いの父母たちは、そこで有意義な各種活動(ビジネスとか娯楽とかあるいは密会とか)を展開することになる。
新入生のほうは、何組かに分かれて校舎に案内された。どうやら、学力別・階級別にクラス割りがなされているらしい。引き籠もりのわりに自己学習に励んでいたレイチェルは、侯爵令嬢という身分もあり、学力優秀者が揃うA組に割り振られていた。クラスはあとふたつあり、中堅貴族中心のB組、騎士階級が集中するC組――それぞれ三十人程度の小集団だった。
学力優秀者といっても、事前テストなど受けた覚えなどないのだが――入学式の準備を整えていたころ、レイチェルが疑問を口にすると、父親が明快に教えてくれた。基本は家格別なのだそうだ。下のランクから上位を狙おうとすれば、特別課題――つまり、学力テストが課される。何もしなければ、ただの階級順……それもどうかと思うのだが、とりあえず上を狙える手段は残されてるというのだから、今のところはよしとしておこう。
「では、成績が悪くても、ずっと上位クラスに在籍していられるのですか?」
「……ははは、まさか。そんなのは一年次だけだよ。二年次からは、学園での成績もかなり考慮されてくるよ。レイチェルは勉強熱心だけど、女の子でも武芸なんかは必要だから、ちょっと心配だなあ」
……大丈夫です、お父さま。
こう見えて、レイチェルは悪役令嬢なのだ。だから、それなりのことは、意識しなくても普通に熟せてしまうのだ。A組に残るぐらいなら、余裕だろう。
階層別だからといって、制度的・待遇的な違いはない。同じ校舎内、似たような教室、共通の教師たち――講義のたびに教室を移動するわけではなく、生徒たちは、自分たちのクラスルームで教師を待つ。雰囲気は、大学というより高校に近いかな――レイチェルの中の高橋萌子が、そんなことを回想した。
とにかく、泣いても怒っても泣き喚いても、ここで三年間を過ごさなければならない。
学びの場というよりは、むしろ、社会性を身に付けるための実践練習場なのだが――だからこそ、レイチェルにとっては針の筵に違いない。しかし、入学してしまった以上は後戻りは出来ないし、とにかく波風立てないよう、目立たず騒がすただただ平穏に流されるだけだ。
かくして、レイチェル・ルビンアートの試練ともいえる日々が火蓋を切った。
――どうのこうのいいつつ、ルビンアート侯爵家は名門である。
子爵家アガリと陰口を叩かれながらも、ヘルマンは宰相として政務を取り仕切る立場にある。「名」宰相ではなく――すなわち敏腕すぎないのが絶妙で、上手に立ち回っては国王や重鎮たちを引き立て踊らせているらしい。つまり、地味だし存在感は薄いがそれなりに影響力はあるのだ。
少しばかり父親の権力を利用して、レイチェルは、「クラス名簿」というものを入手した。
――いや、同級生なのだから、氏名ぐらいは当日には通知されることになるだろうが、念のため、個人情報満載の入学申請書を事前に取り寄せたのだ。周囲の環境を精査する……もっと正確にいうと、「ヒロイン」が混じっていないか確かめるのが、主たる――いや、唯一の目的だった。
ヒロインは攻略対象に接近するものだから、悪役令嬢のほうに寄ってくるとは思えない。しかし、念には念を入れて入れ過ぎということはない。なにしろこちらは命が懸かっているのだ(――たぶん)。
怪しい名前は、いくつかあった。
さすがに特殊能力保持者などという記載はなかったが、成績優秀者の中には気になる情報も混じっていた。男爵家・子爵家あたりで養子にはいっている生徒がいたら諸に臭うのだが――さすがに絵姿までは添えられていなかったので、外見的特徴からの推測は不可能だった。これといった決め手もなく、候補として数人をなんとなーく絞り込むのがやっとだった。
――しかし。
入学式を終えて、A組のクラスルームに落ち着くなり。
(あ――!)
レイチェルは、野生獣のような金色の瞳を大きく見開いてしまう。
淡いストロベリーブロンドの小柄な女性が、軽やかな歩調で入室してきたからだ。
なんと、よく見ると瞳も珍しい紫色ではないか。まるで、紫水晶のようだ。
――自然界では絶対にあり得ないような、スィートで繊細な色彩。
加えて、男性陣の本能をスパーっと抉るかのような、絶妙にあどけない仕草。
妖艶でなく、幼稚でなく、可憐さだけを凝縮したような髪型の、流れるような踊るような毛先。
……乙女ゲームの、ヒロイン以外にあり得ない。
彼女は、黒板の前できょろきょろとあたりを見渡したかと思うと、ステップ状態で歩を進めてきた。壁際に自分の居場所を見付けて、天使が降臨するように着席する。
(あそこの席は――)
レイチェルは慌てた。ごくんと息を呑んで、入学式資料一式として配布された席次表を取り出す。ローデリカ・リラール(子爵家令嬢)という名前が確認できた。
ぶっちゃけ、訝しんでいたうちの大本命だった。
――だって、子爵家であれば、B組が妥当。
なのにA組――成績が抜群に優秀なのか、特段に秀でた才能(魔法とか魔法とか魔法とか)があるのか……いずれにせよ、ヒロインなのだから、彼女がこの場に存在するのは絶対的な正解なのだ。
とにかく小柄で可愛らしくて「守ってあげたい」感がぎっしりで、珍しいストロベリーブロンドは肩先で清らかに揺れているし――乙女ゲームのヒロインの特徴らしき条件をフル装備。あまりにベタすぎて、悪役令嬢であるレイチェルのほうはドン引きしてしまいそうになる。
――ただし。
何かがおかしい。何かが間違っている。――とにかくなんだか思いきり盛大な違和感が、あたり一面ずーんと立ち込めている。
(えっ……? ヒロイン……? ヒロインって、普通は美少女……の、はず、よ、ね――――?)
美少女……に、見えないことはない。かなり無理をすれば。
しかし、この娘は、むしろ――。
とろんと誘うような目付き、半開きで肉感的な唇、きっちり襟元を詰めていてさえ隠しきれない、ムンムンと拡散する濃密な色香……ああ、ブレザーのボタンが内部からの圧力に負けて、ぶちんと弾けて飛びそうではないか。すっかり成熟しきった、美女というか熟女というか。
貴族学園のストイックな制服を着用していてさえ溢れ出る、隠しきれない無意味なエロス。
(これで十五歳って……あり得ないでしょう――――!?)
レイチェルの思考回路が、にわかに不調を来す。
――『転生悪役令嬢レイチェルとお色気ヒロイン』
自らの人生の物語が、この瞬間にして次の展開を迎えたような気がした。
ようやく物語が動いてきました。
本日は夜にもう1話アップする予定です。




