第79話 ― 動乱(轍を追って)
「ひ、ひどい有様ね……って、ミ、ミームは?」
そうだ。ミームはついさっき、
「せんせえ、いまからさいごのもこもこのぼりしてくるー」
と言って出て行ったからここに居るはずなのだけど、いくら見回してもその姿はなかった。ならばこっちかと、隣接したクイーンの厩舎の扉の前に立つ。ミームは『キングは煩くすると大声で鳴く』ということを知ってるから、自らキングの厩舎に立ち入ることは考えづらい。だから、希望的観測ではあるけど、こっちにいるに違いない。そんな不確定な願いに縋り扉を開けた。
(居ない……)
そこに居たのは、こんな騒動にも関わらず、寝息を立てるクイーンだった。思えばミームが『もこもこのぼり』を見せてくれたのは目の前のクイーンであってキングじゃなかった。だとすれば、わざわざキングに『もこもこのぼり』をする理由がない。にも関わらずここに居ない、ということは……。
「た、大変ですエイミーさん! ミ、ミームがっ!!」
厩舎の入り口から聞こえた声に弾かれて振り向くと、肩で息をするジムさんが血相を変えて立っていた。その様子を見るに、一大事であることは容易に想像がつく。いやな予感が当たらなければいいけど……。
ジムさんが言うにはこういうことだった。というか、ジムさんこういう時って訛りが一切出ないんだ。緊急事態ながら少し笑ってしまう。普通逆でしょ?
ジムさん自身も、事の顛末は見ていない。というのも、この騒動を受けて、まずは牧場の厩務員の安否を気遣い奔走していたのだ。そこで一連の騒動を見ていた厩務員から聞いた話なんだが、と前置きして話し始めた。
「キングの厩舎の前でミームが辺りを警戒しながら中に……多分キングの厩舎に入ることで注意されるのを警戒したんだろう。その厩務員も遠くで見ていたから間に合わなかったらしいんだが、とりあえず厩舎に走ったら、中で暴れるような音がして近づくのをやめて様子を窺ってたらしい。で、次の瞬間、目を真っ赤にしたキングが厩舎を破壊してあっちの森に逃げた、っていうのが全貌なんだ」
そう聞いて辺りを見ると、森へと続く大きな轍が残っていた。地面は大きく抉られて、生えていた牧草も根こそぎ抜けて散乱し、ひどい有様だった。
ジムさん曰く「盛りの時期のキングは気が立つものの、ここまで暴れるのは初めて」らしい。慌てふためきおろおろするジムさんに、
「ミームとキングの方は私が探してみますので、ジムさんは引き続き厩務員さんの安否の確認を。あとは観光客の動揺を抑えるようにしてください」
「で、でもエイミーさん、一人は危険なのでは?」
「いえ、大丈夫です。いざとなったら魔道詩でなんとかしてみせますから」
と、細腕に力こぶを作ってはみたものの、根拠なんかどこにもなかった。まずは人払いをして、おそらくキングを追跡しているであろうシルフィードと話をしなくちゃ、と考えてこう言ったのだ。
私の言葉に弾かれたジムさんは、踵を返し事態の収束に走っていった。
よし。まずは、状況を整理してみよう。
キングが脱走した。脱走する前に、キングの厩舎に入って行くミームが目撃されている。当のミームは今ここに居ない。そしてミームは『もこもこのぼり』をすると言って出ていった……、つまり。
(ミームはキングの毛の中に居て、その状態のままキングが脱走した!?)
嫌な汗が全身を覆う。私も見てないし、ジムさんも人伝で聞いたのだからこれは私の推測でしかない。だけど『最悪の事態』を想定していないと、私自身の心が折れてしまう。まずはシルフィードを呼び出さないと。
(シルフィー? シルフィー!?)
念話で呼び出すも、彼女からの返事があったのはしばらくしてからだった。
(クイーンの厩舎の裏手に居ますので、お手数ですがエイミー様、こちらへ来ていただけますか? 今も禍魔威太刀を発動していますので、そちらに行くことができません)
(事情はわからないけど、すぐに行くわ)
すぐにクイーンの厩舎の裏手に回ると、見るからに落ち込む様子のシルフィードがいた。
(申し訳ありません、私が付いていながら……)
(謝罪は後で聞くから。ミームはどこに居るの?)
(はい、それはご安心ください。ミーム様は森深くの安全な場所に移動させました。気絶はしているものの外傷などもなく、呼吸も安定しています。本来なら私がこちらまで運ぶのが最適なのですが、それですと私の存在がこの村の方々に知られてしまうかと……)
シルフィードならある程度は未然に防げたんじゃないの? と疑問をぶつけると、自分を責めるような顔を浮かべて、
(私の想像を遥かに超える速度で走り始めたのです。私でも追いつけないほどでした)
(そういえばシルフィーが全速を出したところを見たことがないのだけど、あなたどのくらいの速度で移動できるの?)
(はい、エイミー様の元いた世界の速度に換算すると、時速40kmくらいになります。対してキングの速度ですが、おそらく時速70〜80kmくらいはあったかと……)
あの巨躯でその速度? 確かサラブレッドがそのくらいの速度だよね。俄には信じがたいけど、一部始終を見ていたシルフィードの言葉を今は信じるしかない。
(なるほど……こういう『想定外』が起こることもあるのか。少し考えなきゃならないわね)
(キングの意識を刈り取るために禍魔威太刀を首に巻き付けたものの、あの身体ですから、時間がかかってしまうと思い、前肢にも巻き付け転倒させようかとも考えたのですが、そうするとキングが倒れた際にミーム様に危険が及ぶと考え、もう一方の禍魔威太刀はミーム様を覆うことで衝撃を防ぐようにしました。仕様上、禍魔威太刀が二つしか出せないことが口惜しいと思ったのはこれが初めてです……)
(なるほど、エアバッグのようなものね。シルフィーの判断は正しいと思うよ、だからもう自分を責めるのはやめなさい。じゃあ今はミームは無事で、キングは森のどこかで意識を無くしている……ということでいいのね?)
未だ俯いて後悔の念を現すシルフィードに諭すように言うと、
(はい、それは間違いありません……今もミーム様の周辺に、禍魔威太刀で結界状の風のドームを展開しています。ですからミーム様に危険が及ぶことはありませんし、キングも気絶、行動不能なことは確認済みですので、一旦首の禍魔威太刀は解除して手許に戻しました。以上が報告になりますが、許可なく【ノーマルモード】に移行したこと、お許しください……)
(そういうことなら仕方ないよシルフィー。あなたは自分で出来る最善のことをした……だからもう元気出して? はやくミームのところに行ってあげないとね? きっとミームも私たちのこと待ってるはずだから)
(……はい! エイミー様!!)
シルフィードからミームの安否は確認できたけど、自分の目で見ていない以上油断は禁物。私は案内されるがままに不穏を滲ます轍を追って、森へと駆け出すのだった。




