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第78話 ー 動乱(魔獣を野に放て)

「おはようございます、エイミー様、ミーム様」


 いつものように穏やかに耳を撫でるシルフィードの声が私たちの目を覚ます。

 今日も変わらずの好天らしく、カーテンの隙間からはそれを押し退けるように朝日が差し込んでいる。上半身を起こし、ぐーっとひとつ体を伸ばしてから気づく。

 あ、そうか。昨日はミームと一緒に寝たんだっけ。隣を見れば、やっと目を覚ましたミームが目元を両手でくしくし擦っている。襟ぐりの広い彼女のネグリジェからは、艶のいい肩口が少し露わになっている。軽く襟ぐりを摘んで肩を直してあげて声をかけた。


「おはようミーム」

「お……おはようございます、せんせえ……」


 どうやら昨日のことを思い出してるらしく、顔が真っ赤に染まっている。それにつられて私の顔も微熱を帯びた。


 あまりにも恥ずかしすぎて詳しくは語らない。おそらく母親と間違えたらしいミームが、その……胸を吸ってきたのだ。年齢からしたらかなりしっかりもののミームではあるけど、まだまだ彼女は九歳の子供なのだ。こういうことがあっても不思議じゃない……よね? 


 胸を吸ってきた、とはいっても先端部までは体を捩ったりして到達させずに阻止したのだけどね。でも、結局膨らみ部分は結構長い時間吸われてしまって、数ヶ所に所謂『キスマーク』が残っていた。


「あの……ごめんなさいせんせえ」

「あはは……ママがいなくて寂しくなっちゃったかな……?」

「わかんない……あ、せんせえそれ。痕ついてる」


 上胸に着いた痕をつんつん、そしてくるくる指先を這わせるミームの接触がこそばゆくて、反射的に肩が竦む。


「っ! いたい……?」

「ううん、痛くないよ。ちょっと痕がついてるけど大丈夫。服着ちゃえば隠れるから」


 そう言い諭しても、俯いて絵に描いたような猛省を見せるミーム。まぁ親離れするには早すぎる年齢なのだから、ああいった行動は致し方ないと半ば無理矢理に納得するしかないかなぁ、と思案に耽っていると。


 ……バサッ!


 激しい衣擦れの末に現れたのは、薄桃色の下着一枚で女の子座りするミーム。何か言いたげに、ゆっくり頭を挙げて、絞り出すかのような声で。


「……わたしにも、痕……つけて?」

「え……えっ!?」


 何この甘々ラブコメみたいな展開。しかも同性な上に幼女とか、そもそも元男性だし、どれだけタグ付いてるの!? 流石にそれはちょっとなぁ……。というかどういう意図なんだろう。


「だって……わたしがせんせえのこと……いたくしちゃったから……」


 あぁなるほど。『キスマーク』が『痣』に見えちゃったんだね。まぁ痣であることには間違いないけど、子供には痛く見えてしまうのはしょうがない。

 ほんとに痛くないんだよ? と、いくら言っても彼女は『痣』で『傷』であることを頑として譲らない。


 散々の押し問答の末、『鎖骨にキスマーク』で許してもらった。上目遣いで「せんせえ……だめ?」とか言われたら断れないじゃない。おかげで朝からドッと疲れたよ。しかもシルフィードはそれを止めもしないで見守ってるし。「仲良き事は美しき哉」とか言ってるし。

 ミームに至っては、鎖骨に付いた痕を愛おしそうに撫でながら、


「おとなになったらせんせえのおよめさんになるからね……?」


 とか言う始末。私もこの子が一体何を言ってるのか理解に苦しむ。幼馴染同士が小さい頃によく言うアレなのかな。でもまぁ、所詮は子供の言うことだし。だから、


「そうだね。じゃあお嫁さんになって貰おうかな〜」


 と、軽口をついたのだけど。

 

 これが後にとんでもないことになろうとは、今の私には想像すら出来なかったのだった。


―――――――――――――――――


「今日までご苦労さんです〜いやいやほんとに助かりましたです〜」


 ジムさんの緩りとした口調にも慣れてきた朝。今日が最後の毛刈りの日、そして明日は我がハカランダ村へ帰る日。思えば長かったようで短かった。


 この旅行は色々あったなと、食堂の天井を無意識に仰ぎ見て懐旧する。


 まずはなんといっても『ミームを弟子にしたこと』『シルフィードの存在をミームに明かしたこと』が大きかった。弟子にしてほしいと懇願された時は本当に驚いたけど、きっと彼女は私の一助になるだろう。

 事実、私一人の力では、村の子供たちの勉強を見るのに限界を感じつつあった。これは決して子供たちの相手が嫌ではなく、むしろその無邪気さや可愛らしさに癒されていたのだけど、何しろ私の前世は、人に何かを教えることとは無縁の人生。しかもほぼ人と接触しないで済む仕事をしていたから、いつの間にか『人と接すること』が苦手となっていたのだ。


 一助になるとはいっても、いきなりミームを生徒から先生にするつもりはない。私としては、ミームは『学級委員』といった立ち位置になってくれればいいな、と考えている。まぁ要するに『先生のお手伝い』だ。


「ところで先生〜耳のほうはもうだいじょぶですかねぇ〜」


 そう。耳を『キングオオギヨウ』にやられてしまったこともあった。あれは流石に予備知識がないと防ぎようがない。そういえばこれに対処できなかったシルフィード、今まで見たことがないくらい狼狽していたよね。今も私の横で項垂れてしょんぼりしている。


「はい、もうすっかり。今は普段通りに聞こえていますし、一時的なものだったようです。貴重な体験ができたと思えば、いい思い出です」

「せんせえ、ほんとにだいじょぶ? ちょっとでもおかしいとおもったらわたしにおしえてね」

「うん。ありがとうミーム。私ね、あなたが思ってる以上にミームを頼りにしてるんだよ? だから、これからも先生のこと、助けてね」

「っ! う、うん! まかせてせんせえ!」


―――――――――――――――――


 オーヴィス村での最後の朝食を二人して食べていると、


「せんせえ、いまからさいごのもこもこのぼりしてくるー」


 と言いながらミームは食堂を飛び出してしまった。『もこもこのぼり』ってオオギヨウの毛の中に入って動き回るアレだよね? まぁ先日それは見せてもらってどういうものかわかってるし、なんなら護衛、というか見張りにシルフィードを帯同させてもいいかな。


(というわけでシルフィー、お願いね。私は朝食を摂ったらすぐに向かうから)

(了解しましたエイミー様。では行って参ります)


 やっぱり念話って便利だよね。というかシルフィードそのものが便利を体現してる存在なんだけど。


 ミームを追いかけて出ていくシルフィードを横目に、私はといえば、食後のお茶――こちらに手土産で贈答したシルティー――をのんびりと啜っていた。

 そういえばシルフィードを召喚して以来、ずっと彼女と行動を共にしていたから、一人になるのは久しぶりなのだ。まぁたまにはこんな時間もいいよね、なんて思いながら寛いでいると。


ドーン! ドーン! バキッ! バキバキッ! ドドドドド……!


 と、牧歌的な村には到底似つかわしくない重く大きな音が、断続的に続く振動と共に聞こえてきた。


 これは何かあったに違いない! 飲みかけのカップを乱暴にテーブルに叩き置いて外へと飛び出す。


 辺りには毛を刈られたオオギヨウたちの牧草を食む姿が散見できたものの、さっきの音にも驚いた様子もなく、時折メェ〜と鳴きながら我関せずといった様子。というか声ちっさ。普通のヤギより小さいし。


 聞こえた音の中に『バキッ! バキバキッ!』という木材が壊されるような音があったことに気づいた私は、一目散に厩舎の方へと駆け出した。


(こ、これって……!?)


 そこにあったのは、見る影もなく破壊の限りを尽くされた『キングオオギヨウ』の厩舎()()()()()だった。

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