第63話 ー オーヴィス村
「せんせえ? おきて?」
馬車の座り心地にもようやく慣れて、揺れのせいで微睡んでいた私の頬を、ミームがつんつんとする。か細い指がちょっとこそばゆい。
気づくと馬車はどうやら緩やかに上っているらしく、少し体が後ろに引っ張られるのを感じた。
「このおかをこえるとおーびす村だよせんせえ!」
「いよいよなんだね。……ってミーム、そんなに馬車から体を乗り出しちゃ危ないよ!」
「じゃあせんせえわたしのこともっててー」
はいはいわかりましたよとミームのお腹に両手を回して、私もミームの肩に顎を軽く乗せて、越えたであろうその丘の先に目をやると――
一面に眩しいばかりの緑の絨毯が一面に広がっていた。極僅かに波打つ丘陵のところどころに真っ白な動物が散在していて、いずれも足元の草を食んでいるように見える。
凄い凄い! ひたすら牧草の広がる景色、時折吹く緩やかな風がそれを揺らし、草擦れが自然のハーモニーを奏でている。その中を這うように伸びるでこぼこの街道を、私たちの馬車はのんびりと進んでいく。なんて素敵な風景だろう。
きょろきょろと、眼前に広がる風景を余すところなく逃さないように目線を滑らすと、遠くの方に人影をひとつ見つけた。どうやら真っ白な動物――おそらくあれがゴライアスアントゴートなんだろう――に近づいているようで、なんとなくそれを目で追っていると、言いようのない違和感を感じた。
(あれ、なんかゴラ……って長いな、ヤギとヒトの縮尺おかしくない?)
私の知識、つまり前世のものでしかないのだけど、ヤギってせいぜい体長1mくらいだよね? だけど、人影が近づくにつれて、ヤギがどんどん大きくなっていくのだ。やがて人影がヤギの側まで近づくと、その尋常ではない大きさに驚きを禁じえなかった。
(いやいやアレおかしいでしょ!? どれだけ大きいのアレ?)
初めて見るゴライアスアントゴートは、その名に負けないくらいのゴライアス具合だった。もう私の想像なんてその巨体で軽く蹴散らすほどにゴライアス。
「ねぇミーム? ア、アレがゴライアスアントゴートなの?」
「そうだよ〜! おおきいでしょ〜! かわいいよね〜」
「え、えぇ、可愛い……ね?」
そっかミームは可愛く見えるのねアレ。私の目には畏怖そのものにしか見えないのですが。前世では、動物園には時々一人で行っていたくらいには動物好きなのだけど、あんな大きな動物を、しかも放し飼いされてるのを見るのは初めてで。はしたない言い方になるけど、正直漏らしそうです。
そしてその傍に立つ人影は成人男性らしく、その身長とヤギの比率からして、その動物は確実に象くらいの大きさはありそうだ。
「お〜い、よう来たなぁえぇ〜」
その人影はこちらに気づいたようで、被っていた麦わら帽子を高々と左右に振りながら言った。それにミームはおじちゃーんと手を振って呼応する。
「ミーム、あの人ってどなた?」
「あれはねー、ママのお兄ちゃんのジムおじちゃん!」
「へぇぇ、そう言われてみればジェシーさんに似てるね」
「ジムおじちゃんは、おーびす村の村長さんなんだよ!」
ここオーヴィス村の村長さんは随分若いんだなぁなんて思っていると、馬車を降りて先に行こうよとミームに手を取られる。
馬車には慣れたとは言っても正直体中が凝り固まっていたので、丁度いいやと手を取られるのに任せたまま、馬車を降りた。
(うーーーーん、いい気持ちー)
体を大きく伸ばして深く息を体中に取り入れる。草原の匂いが一気に流れ込むのを感じながら、ミームに手を引かれてジムさんの元へ向かう。
……向かうのはいいのだけど、ちょっと、いやかなり怖い。草を食むくらいだから草食動物であろうことはわかる。でもそれを言ったら象やカバだって草食動物なわけで。海外の動物ドキュメンタリーなんかだと、カバが実は凶暴で、近寄らない方がいいとかなんとか観たことがある。だから草食動物だからといって侮っては駄目なのだ――
という、私の『知識で誤魔化した恐怖心』とは裏腹に、ミームは少しも怖くないらしく、ずんずんと近づいて行く。ちょ、ちょっと先生怖いんですけど!
「よ〜こそ遠いとこオーヴィス村まで来んさったねぇ〜。俺がここの村長でミームの叔父のジム・フォレストンっていいます〜」
「は、初めまして! 私、ハカランダ村で勉強を教えてます、エイミー・ライトウェルと申します。お招きくださってありがとうございます」
軽く挨拶をして感じたのは、随分と変わった訛りだということだ。ハカランダ村からオーヴィス村まではそんなに距離は離れていないと思うのだけど。ただ前世とこの世界では交通事情が大きく違うから、そういうものかと納得することにした。そもそも私の話し言葉も、訛っているのかしれないし。そう考えると、如何に自分がこの世界を知らないのかがよくわかる。
「これはこれはご丁寧にありがとねぇ〜」
「で、わたしはえいみーせんせえのでしのミームです!」
「お〜そうかいそうかい。弟子にしてもろたんやねぇ。そら〜なんともよかったなぁミーム〜」
うん、なんか師弟関係を外堀から埋められてるような気がする。でもこうして初対面の人に言われると、どうにも心の置きどころが難しい。
いいでしょ! と言わんばかりに胸を張るミームの頭をぽんぽんと撫でながらミームの言葉に付け加える。
「でも、つい昨日弟子になったばかりで、私もまだ実感がないんです。そもそも弟子を取るのも初めてで……」
「お〜そうでしたか〜。まぁ『習うより慣れろ』っつー言葉もありますよって、身構えんで二人で慣れればえぇんでないかね〜」
ジムさんの言ったこの言葉は、淀みなく私の胸にスッと落ちてきた。そうだよね、何も無理して師匠になる必要はない、一緒に育っていけばいいんだ。だって私、まだ16歳だし。一応この世界では成人だけど、前世の基準に照らせばまだまだ若いんだし、ね。
なんて考えてるけど、すぐ側には巨大な毛の塊のゴライアスアントゴートが相変わらず草を食んでいて、正直生きた心地がしない。私のHPは既に1しかありません!




