超獣復活
永石市は、もともとは日本でも有数の産業地帯であった。あちこちに工場が建ち並び、人の出入りが多く税収も地方都市の中ではトップクラスだった。駅前には小洒落た店もあり、昭和から平成にかけての時代には住みたい街のひとつに挙げられたこともあった。
ところが、日本全土を襲う不況の波をまともに被る形となり、中小企業の倒産が相次ぐ。工場は全て閉鎖され、大企業のほとんどが撤退した。夜逃げする業者も多数でたが、それはまだマシな方である。借金で追い詰められた挙げ句、家族を道連れに一家心中をした工場経営者も珍しくなかった。
地価は暴落し、住民のいなくなった古いアパートやマンションがあちこちで無惨な骸を晒している。
そんな永石市であるが、さらなる問題が起きる。安い地価に目を付けた裏社会の人間たちが、次々に入り込んでいったのだ。持ち主もはっきりしていない家に、勝手に住み着いてしまった者も少なくない。また、プロの犯罪者や行き場を失った外国人たちも流れ込んでいった。今では、日本でもトップクラスの犯罪多発地帯となってしまったのである。
昔は活気のあった商店街も、今ではほとんどの店がシャッターを閉めたままだ。まともな商店主は、ほとんどが引っ越すか夜逃げしてしまった。僅かに営業している店も、裏社会の者たちと組んで仕入れ先もよくわからない怪しげな品物を扱っている。通りでは、昼間からヤクザと半グレと不良外国人が闊歩し堂々と商売の話に花を咲かせる。夜になればポン引きや違法薬物の売人やらが堂々と立っている。最近では、イタリアンマフィアの経営する違法カジノや、臓器売買のための病院が営業している……などという噂も囁かれる始末だ。
犯罪を取り締まるはずの警察官は、完全に見て見ぬふりである。そもそも、パトロールすらほとんどしていない。マスコミの間では、永石市の話題はタブーである。テレビや一般紙はおろか、アングラ系雑誌のライターたちも滅多に取材に訪れない。
ただしネットでは「世紀末シティ」「ヒャッハーの養殖場」「マッドマックスタウン」などと揶揄され、話題になっていた。荒廃した町の動画を撮影するために、命知らずの若者たちが訪れ内部に侵入していく。
日本の恥部といっても過言ではない永石市。しかし、町の動画が公開されたことを境に状況は変わる。噂に聞く世紀末シティの様子を一目見ようと、日本全国から観光客が集まって来るようになってしまったのだ。
それだけではない。永石市の無人工場群や、取り壊すこともなく残っているデパートの骸は、海外の廃墟マニアたちの話題になる。やがて、外国人観光客も訪れるようになった。そんな観光客のために、装甲車のような観光バスに乗り、危険な地域を回るツアーまで組まれる。
悪趣味な話ではある。だが皮肉なことに、そうした観光客たちの落としていく金により、永石市の財政を立て直すことに成功したのだ。
今では、永石市は完全に二極化していた。本物のスラム街と化した南地区と、その南地区を観光地として栄えていった北地区とに分かれている。
・・・
そんな永石市南地区の外れには、広い森林地帯があった。狸や野うさぎや鹿といった野生動物の姿も珍しいものではない。この動物たちは、人を恐れることなく、ずんずん近づいて来る。一見すると、のどかな風景ではある。
しかし、とある母娘にとっては惨劇の場と化していた。
周囲を高い木に囲まれた空き地に、数人の人影があった。今風の服に身を包んだ少年たちが、ひとりの女を取り囲んでいたのだ。
女の見た目は二十代、Tシャツにジーパンというラフな服装だ。しかし、少年たちとは明らかに人種が違っていた。彼女は美しい顔を歪め、震えながら下を向いている。
少年たちは薄笑いを浮かべ、じっと女を見つめている。彼らは進学も就職もしていないし、将来に何の希望も持っていなかった。永石市の南地区に生まれ育った……その事実だけで、今の日本では負け組が確定するのだ。
したがって、この少年たちにあるものは今現在だけである。刹那の快楽を得ることが、彼らの全てであった。そのためなら、少年たちは何でもする。
時には、人殺しさえ──
やがて、女が顔を上げた。
「お願いだから、娘だけは許してあげてください」
震える声で懇願する女に、少年たちは下卑た笑い声で返した。
「はあ? ざけんじゃねえぞコラ」
ひとりの少年が、女の襟首を掴む。
「いいか、お前がトロトロ車を走らせてっからよう、俺らは迷惑したんだよ! その迷惑料を払ってくれねえかな!」
「そ、そんな……」
怯える女の前に、幼い少女が引きずり出されて来る。こちらは、まだ十歳にもならないような小さな子供だ。恐怖のあまり、表情が硬直している。泣くことすら出来ないのだ。
その途端、女の表情が一変した。
「ま、待って! 娘には手を出さないで!」
「バカ野郎、俺らはガキには興味ねえんだ。ガキに教えてやろうかと思ってな……子供を作るやり方ってものを、よ」
別の少年が言うと、女は恐怖に満ちた表情で後ずさる。
「や、やめて……娘の前では──」
「だったら、お前の見てる前で娘をヤっちまうぞ。おい宮崎、出て来いよ」
その声に、ひとりの男がのっそりと前に出る。背は高く、がっちりしている。かなり体脂肪率の高そうな体型ではあるが、腕力は強そうだ。体重は、百キロを軽く超えているだろう。入門したての若い力士のような体つきだ。
ただし、その目には奇妙な光が宿っている。
「この宮崎はな、デカイだけじゃねえんだ。ヤクのやり過ぎで、完全に頭イッちゃってるんだよ。穴さえあれば、幼女でもヤッちまうぜ。そうだろうが?」
その言葉に、宮崎と呼ばれた巨漢は頷いた。よく見ると、半開きの口の端からよだれが垂れている。目つきも普通ではない。まともな頭の持ち主ではなさそうだ。
女は、思わず顔をしかめる。この巨漢、普通ではない。本当に、娘に手を出しかねない。
「いいのかい、こいつが娘の初めての相手で……もし宮崎にヤられたら、お嬢ちゃんは壊れちまうかもしれないぜ。さあ、どうするんだよ?」
別の少年の言葉に、女は震えながら頷いた。
「わ、わかった。その代わり、娘には手を出さないで」
「初めから、素直にそう言えばいいんだよ。ほら、さっさと脱げや」
少年たちは、ニヤニヤ笑っている。女は顔をひきつらせながらも、服を脱ごうとした。だが、手が震えて上手くいかない。
「何やってんだよ! もったいぶるんじゃねえ!」
「さっさと脱げや!」
「どうせなら、ストリップみたいにエロくやってくれよ!」
「なんなら、BGMかけてやろうか!」
周囲から、少年たちの罵声が飛ぶ。彼らは、弱い者をいたぶることに喜びを感じる人種なのだ。
だが、彼らにとって予想だにしていなかった事態が起きる。
「お前ら、そんなに裸が見たいのかよ? しょうがねえなあ。俺のでよけりゃ、いくらでも見せてやる。ただし、代金は高いぜ」
不意に、大木の陰から声がした。少年たちの視線が、一斉に動く。
のっそりと現れたのは、異様な風体の男だった。大柄な体格であり、身長は百八十センチを超えているだろう。肩幅は広くがっちりしていて、胸板は分厚い。上腕は太く、瘤のような筋肉がうごめいている。黒髪は肩まで伸びており目つきは鋭く、野生味あふれる顔立ちだ。まるで、映画のターザンがそのまま現実に現れたような姿である。
その野獣のごとき男こそ、先ほど現世に舞い戻って来たばかりの賢一であった。体格は、生前よりさらに逞しくなっていたが、それよりも体内にみなぎるパワーには段違いの強さを感じる。今すぐ、このパワーを解放させたい……その気持ちを、どうにか理性で押さえていた。
少年たちの方は、唖然となっていた。森の中から、ゴリラも逃げ出すような恐ろしい体格をした男が、いきなり出現したのだ。しかも、一糸まとわぬ姿で平然と歩いて来る。向こう見ずな少年たちも、完全に呑まれて目を白黒させている。
もっとも、賢一は彼らの事情などお構いなしだ。少年たちの前を全裸で練り歩き、両手を高々と挙げて左右に振って見せる。ファンの声援に応えるスターのごときアクションだ。
「どうだ、俺の体はなかなかセクシーだろう。ほら、好きなだけ見せてやるぜ」
「な、何言ってんだコイツ……バ、バカじゃねえのか」
ひとりの少年が、乾いた声で言った。だが、その言葉に応える者はいない。皆、今の状況を理解できずにいるのだ。
一方、賢一は余裕の表情だ。彼らひとりひとりを、ゆっくりと見回していた。
が、不意に真顔になる。
「さて、充分に堪能したろう。そろそろ代金をもらおうか。ただ見はさせねえよ」
その言葉に、少年たちはようやく我に返る。
「はあ? 何言ってんだよ? てめえ、もしかして露出狂の変態か?」
ひときわ凶暴そうな少年が、肩をいからせ前に出てくる。薬物のせいか目は充血し、前歯は欠けていた。髪を金色に染めており、痩せてはいるが背は高い。三十センチほどの長さに切った鉄の棒を片手に持ち、時おりブンと振っている。
見たところ、この男がリーダー格らしい。
「変態だあ? お前らよりマシだろうが。さて、俺さまのヌードショーの代金だがな……お前らの有り金全てと服、あと持ち物の中で使えそうなのをいただく。それとな、この体の使い方も知らなきゃならないんだ。実験台になってもらうぜ。てなわけで、全員ここで死んでくれ」
賢一がそう言った直後、少年たちの表情が変わる。
「ざけんじゃねえ! 死ぬのはテメエだ!」
叫ぶと同時に、リーダー格が鉄棒を振り上げる。
直後、賢一の頭めがけて何のためらいもなく振り下ろした。この一撃には、頭蓋骨を砕けるくらいの威力はあった、はずだった。
ところが、賢一は何事もなかったかのように、その攻撃を右の前腕で受け止める──
直後、鈍い音が響いた。鉄棒が肉を打つ音だ。しかし、賢一は表情ひとつ変えていない。逆に、殴った方のリーダー格が顔をしかめている。鉄棒を握っていた腕に、強烈な痺れを感じたのだ。まるで大木を殴ったような感触である。
しんと静まる中、さらに奇怪なことが起きる。賢一の右手が、皆の前で変化した。成人女性のウエストほどはありそうな太さへと膨れ上がり、真っ白い毛に覆われていく。獣の体毛のようなものが、一瞬にして右の前腕を覆っていたのだ。
腕の形状そのものも変化している。猫の前足のような形だ。いや、大きさからして虎の前足だろうか。
「な、なんだよこいつ」
信じられない光景に呆然となり、リーダー格は呟きながら後ずさる。
それが、彼の最期の言葉となった。
「次は、こっちの番だぜ。あ、そこのお姉さん。悪いことは言わねえ、子供の目はふさいどけ。見たら、一生のトラウマになるからよ。まあ、俺の知ったことじゃないけどな」
言った直後、賢一の手……いや、前足が振るわれた。そこには、力みも気合いもない。猫が玩具にジャレ付く時のような、きわめて無造作な動きである。
だが、その軽い動きで少年は叩き潰された。グチャリという音の直後、汚ならしい体液や臓物を撒き散らす。一瞬にして、潰れた肉の塊と化していた。蝿叩きで潰された蝿のようだった。
他の少年たちは、その場で硬直していた。今の出来事は、彼らの理解を超えている。自分たちのリーダー格が、一瞬にして潰れた肉塊になったのだ。彼らは皆、ただただ唖然とするばかりであった。
だが賢一の方は、自分のなすべきことを心得ている。
「悪いがな、全員死んでもらうぞ。お前らの魂は、悪魔に捧げてやるからな。まあ、お前らの魂じゃ一文の価値もなさそうだけどよ」
のんびりした口調で言った。
直後、異様な速さで襲いかかる。手近な少年の顔を、獣の爪で薙ぎ払う──
その攻撃は、顔面の皮膚や肉を削ぎ落とし、頭蓋骨をも切り裂いた。少年は、痛みすら感じることなく絶命する。
賢一は、さらに動き続ける。巨体に似合わぬ素早い動きで間合いを詰め、獣の前足を振り回す。その腕力は、成長しきったヒグマすら超えていた。周囲にいた少年たちは、虫けらのように簡単に叩き潰されていく。
一方的な殺戮であった。その場にいたのは、それなりに修羅場も潜っている者たちだ。人を殺した経験のある者もいる。だが賢一の腕の一振りで、一瞬にして肉片と化していく。
その様は、荒れ狂う竜巻のようだった──
最後に、賢一は宮崎の前に立った。この巨漢は、目の前で仲間が殺されていったというのに、口を半開きにしたまま硬直している。薬物のやり過ぎのためか、あるいは想像を超えた恐怖ゆえか、戦うことも逃げることもせず立ち尽くしていた。
そんな彼に、賢一はニヤリと笑いかける。
「お前の服なら、サイズが合いそうだ。俺でも着られそうだな。汚すわけにはいかないから……特別に、絞殺で勘弁してやる」
直後、賢一の右手がまた変化する。みるみるうちに萎んでいき、人間のそれに戻った。
その右手が、宮崎の喉を掴む。
次の瞬間、気道を握り潰した──
そこは、地獄絵図と化していた。
ほんの数秒前には、女をいたぶっていた少年たち。しかし今では、みな死体へと変わっている。人間の原型をとどめている者は、ひときわ大きな体の宮崎だけだ。他は全員、無残な肉の塊と化している。熊以上の腕力により、原型を留めることなく潰されてしまったのだ。
女は娘を抱きしめ、顔を覆いぶるぶる震えている。あまりの恐怖に逃げることも出来ず、ただただ怯えるだけだった。
そんな母娘の前で、賢一は宮崎の死体から衣服を剥ぎ取り、慎重に身につけていく。その表情は冷静であり、呼吸も乱れていない。
やがて、賢一は母娘の方を向いた。
とたんに、女は悲鳴を上げた。しゃがんだまま、必死で後ずさる。だが足に力が入らず、離れることが出来ない。
賢一は無言で、女に顔を近づける。
「俺は、あんたを助けたよな?」
いきなりの問い……というよりは脅し文句に、母娘は震えるばかりだ。何せ、目の前には上半身裸の男がいる。それも、今しがた数人の人間を一瞬にして殺してのけた怪物なのだ。
しかし、賢一はお構いなしだ。さらに顔を近づけ、口を開ける。鋭く尖った犬歯が剥き出しになった。
「助けた、な?」
そう言って、死体を指差す。女は、震えながら頷いた。
すると賢一は、ニッコリと笑う。
「助けられたら、お礼をするのは当然だよな。てなわけで、協力してもらうぜ」
言いながら、賢一は母娘を軽々と抱き上げる。次の瞬間、跳躍した──
いつのまにか、賢一の背中には巨大な鳥の翼が生えていた。その翼を広げ、彼は空を飛んでいる。重力を完全に無視し、悠々と大空を舞っていた。
だが、抱えられている母娘は生きた心地がしていなかった。顔を引きつらせ、下を見ないように必死で目をつぶっている。
「おい、あんたらの家はどこだ? この近くなのかい? ちょっと泊めて欲しいんだけどな」
不意に聞こえてきた賢一からの質問に、女は目を閉じたまま叫んだ。
「く、車を!」
「えっ、車って何なんだよ?」
「車が! 私の車が、下に停まったままなんですう!」
女は絶叫する。その声に、賢一は顔をしかめた。
「おいおい、そういうことは先に言ってくれ」
直後、一気に急行下する──
着地した賢一は、二人を地面に降ろした。母も娘も放心状態のままだ。呆けた表情のまま、地面にしゃがみこんでいた。
そんな状態の女に、すました様子で尋ねる。
「おい、あんた。車はどこに停めてんだよ? さっさと行こうや」
その口調からは、女をいたわる気持ちというものは欠片も感じられない。女は震えながら、賢一を見上げた。
目の前にいる、不良少年たちなどよりも遥かに恐ろしい存在を──