凶人たちの誓い
戦いを終えた賢一は、彼らの死体を見つめる。裡から、強い衝動が湧き上がってくるのを感じていた。
この死体を食らいたい。肉をちぎり、血を啜ることを想像しただけで胸がぞくぞくした。死闘の末に殺した獲物を食らう、これは獣の本能だ。
だが、賢一は堪えた。ここで欲望に負け、三人の肉を食らってしまったら……歯止めが利かなくなってしまう気がする。いつか本能のままに、あの二人をも襲ってしまうかもしれない。それは、想像することも許されない罪であった。
賢一は意思の力を振るい起こし、どうにか死体から目を逸らす。凄まじい勢いで土を掻き、深い穴を掘った。その中に、三人の死体を投げ込んでいく。土をかけ、完全に視界から消し去った。もっとも、匂いはまだ残っている。
肉の匂いから、無理やり意識を逸らして作業を終えた。
直後、一気に高く飛び上がる──
賢一は、翼を広げ空を舞った。上空から、奴らの仲間とおぼしき者がいるかどうかを、鋭い目で確認する。
一通り周囲を見回してみたが、それらしき者の姿はなかった。どうやら、当面の危機は去ったらしい。再び地上に降りると、自身の体にこびりついた血や肉片などを、川で綺麗に洗い流す。
そして、二人の元に帰って行った。
「お帰り」
どこか不安そうだが、それでいてホッとしたような声で出迎えた真理絵。そんな彼女を、賢一は心底から愛しいと思った。こんな感情は、生まれて初めてだ。
これまでの人生で、女と付き合ったことなどない。それどころか、女を好きになった経験すらなかった。
しかし今は、真理絵の存在が何よりも尊い。出来れば、刑務所などに行かせたくなかった。この先もずっと、自分のそばにいて欲しい。
その時、ある考えが浮かぶ。
「なあ、明日みんなで遊園地に行かないか?」
言った途端、優愛の目が輝いた。
「ほんと!? 行きたい行きたい! 遊園地行きたい!」
「ちょ、ちょっと待ってよ! あたしは行けないから!」
真理絵が、慌てた様子で口を挟む。すると、優愛が不満そうな顔になった。
「えええっ!? なんでえ!?」
「あ、あのね、ママは……」
しどろもどろになる真理絵。すると、賢一が声をかける。
「明日でなくてもいい。明後日でも、来週でも構わないよ。あんたが行きたいと思う日でいい」
「でも、急に言われても困るよ」
困惑した表情の真理絵に、賢一はなおも言葉を続ける。
「あんたは……その、いずれ外国に行くだろ。だから、その前に三人で思い出を作りたいんだ」
「ママ、いいでしょ?」
懇願する優愛の顔を見せつけられては、さすがの真理絵も折れざるを得なかった。
「わかった。でも、明日じゃ急すぎるから──」
「やったあ!」
満面の笑みを浮かべ、優愛ははしゃいでる。この少女を見ていると、賢一の心も自然と和んでいく。つい先ほどまで見ていた血生臭い光景を、綺麗さっぱり忘れていた。
この時、賢一は自らの置かれた状況をあまりにも軽く考えていた。
それも仕方ない部分はあった。超人的な力を持ってはいるが、その中身は十代の少年なのである。それまで暴力的な日々を過ごしてはいたが、しょせん子供の喧嘩レベルだ。さらに、己の強さを過信していたことも、原因のひとつだろう。
南条たちとの戦いは、子供の喧嘩とは違う。言ってみれば、ひとつの組織を相手にした戦争なのだ。戦争は、相手を徹底的に叩き潰すか、全面降伏させるか、あるいは手打ちの話し合いをしない限り終わらない。場合によっては、話し合いでケリがついたはずなのにズルズルと続いてしまうこともある。
ところが賢一は、終わらせるための行動を何もしなかった。己の力を過大評価し、相手の力を過小評価していたせいもあるだろう。
そもそも、リッチーたちは賢一らの居場所を簡単に探知できたのだ。その事実を考慮すれば、相手の強さが侮れないものであることは容易に推察できたはずだった。ところが、賢一はその点について深く考えていなかった。何度来ても、自分ならば簡単に撃退できると軽く考えていたのである。
若さゆえか、あるいは己の強大な力に酔いしれていたのか……その甘さが、最悪の事態を招いてしまう。
・・・
その頃。
数キロ離れた場所にある南条慎吾の隠れ家は、物々しい空気に支配されていた──
大きな丸テーブルが設置されている居間で、スウェット姿の南条は椅子に腰掛けていた。部屋の中央では、ジェニーが座り込んでいる。目をつぶり膝を抱え、体を小刻みに震わせていた。
そんな彼女の周囲には、キリー・キャラダインがいた。さらに、山岡と和服姿の二人もいる。皆、神妙な顔つきでジェニーを見つめていた。
やがて、ジェニーの目が開く。
「ドロウの意識が消えた。死んだんだよ……」
取り憑かれたような表情で語った。すると、キリーが顔を歪める。言うまでもなく、憤怒の形相だ。
「じゃあ、他の奴らも死んだんだな!」
「死んだよ。皆、賢一に殺されたんだ」
呟くような口調で、ジェニーは答える。その途端、キリーは壁を思い切り蹴飛ばした。
さらに、英語で何やら喚きながら拳銃を抜いた。だが、南条が音もなく動く。彼に近づき、肩を掴んだ。
「待てキリー。奴を仕留めるのなら、皆でやろう」
そう言って、皆の顔を見渡した。
ドロウ……彼女もまた、超人的な感覚の持ち主である。その力を活かし、リッチーやトランクらと組んで裏の仕事をしていた。ジェニーとは、同じ能力を持つ者同士で気が合い、ある意味では家族以上に硬い絆があった。
さらに二人は、テレパシーによる会話も可能なのだ。ドロウは、自身の目で見た賢一の情報をジェニーに伝えていた。
その代償として、三人は命を失ったが……賢一の持つ能力を伝えることには成功していた。
「あの男は、悪魔の力を持っている。悪魔と取り引きして得た力。そして、超獣と化した」
ジェニーが、不意に口を開いた。
「魔獣? なんだい、それは?」
訝しげな表情の南条に、ジェニーは暗い表情で語る。
「悪魔の力により、人も獣も超える力を得た者。かつて、フランスのジェヴォーダンにも現れたと伝えられている。ただし、賢一はそんなものとは比べものにならない。本当に強い。獣たちは、あいつを心から愛していた。その愛が、賢一に恐ろしい力を与えている。今のあいつは、小さな国くらいなら単独で制圧できるほど強い。まともに戦ったら、あたしたちも返り討ちに遭うだけ」
その時、キリーが咆哮と共に壁に蹴りを入れた。直後、憤怒の形相でジェニーを睨む。
「じゃあ、俺たちは賢一に勝てないってのか! あの三人の仇を討てないのか! 冗談じゃねえぞ! 俺はひとりでも奴を狙う! 絶対に殺す!」
その時、ジェニーが立ち上がった。
「落ち着いて話を聞いて。今いった通り、黒田賢一の中には獣がいる。悪魔の力を得た獣がね。その獣こそが、奴の力の源。だけど、その獣は奴から切り離すことも出来る。獣さえ切り離してしまえば、あとは人間の体が残るだけ。普通の人間よりは遥かに強いけど、殺すことは出来るはずだよ」
淡々と語るジェニーに、南条は頷いた。
「なるほど。では、どうやって切り離すんだ?」
「私に作戦がある。まずは、斬魔刀が届いてからね」
その言葉を聞き、南条は権藤の方を向いた。
「斬魔刀は、いつごろ届くんだい?」
「あと二日もすれば、届くはずです。斬魔刀さえあれば、必ずや賢一を仕留めてみせます」
重々しい口調で、権藤が答える。次いで、山岡も口を開いた。
「我々とて、不覚を取ったまま済ますつもりはありません。奴は、私の人生において最高の獲物です。あの化け物を、必ずや仕留めてみせます」
直後の傍らに控えていた老婆も、三味線のバチを握りしめ深く頷く。
「俺もやってやるよ。あの三人の仇は、俺が必ず討つ……賢一の野郎、跡形も残らねえくらい弾丸をぶち込んでやるぜ」
キリーが、静かな口調で言った。その瞳は、異様な光を帯びている。
さらに、ジェニーが凄絶な笑みを浮かべた。
「その気持ちは、あたしも同じだよ。ドロウの仇は討たせてもらう。黒田賢一の奴は、必ず地獄に送り返してやる」
そう言ったジェニーの瞳にも、狂気の光があった。