奇人たちとの死闘
賢一は走っていた。
木の生い茂る中を、凄まじい勢いで進んでいく。森に棲む動物たちは、超獣の放つ殺気を敏感に察知し道を空ける。そんな中、賢一は危険な匂いの元へと真っすぐ向かって行った。
一分も経たぬうちに、彼の目は目当てのものを発見した。その場で立ち止まり、様子を窺う。
森のそばを通る道路に、大きなトラックが止まっている。危険な匂いの元は、ここにいるのだ。恐らく三人いる。ただし、とても奇妙な匂いだ。普通の人間のそれとは、明らかに違うものである。
異様なものを感じつつも、そっと近づいていく。するとタイミングを計っていたかのように、後ろの荷台から人が降りて来た。
まず現れたのは、岩石のような体つきの黒人であった。身長は、確実に二メートルを超えている。肩幅は異常に広く、腕の太さは丸太のようだ。体の厚みも尋常ではない。巨大な体に着ているのは、迷彩柄のジャンパーだ。その様は、おとぎ話に登場する狂暴な森の悪魔のようである。
成長しきったゴリラですら、小さく見える……そんな異常な体格の大男が、大地にスクッと立っていた。その細い目は、賢一をじっと睨みつけている。
「すげえな。何を食ったらそんなガタイになるんだよ?」
軽口を叩きながら、賢一はニヤリと笑ってみせる。もっとも、その言葉は嘘でも冗談でもない本音であった。目の前にいる黒人は、彼よりも巨大だ。こんな大きな男は見たことがない。
その時、トラックから奇妙な声が聞こえてきた。
「そいつの名はトランクさあ。ステロイド、ステロイド、ステロイド……いっぱいやったら、こんな体になったのコトよ。俺なら死んじまう量だけんどな。おかげさまで、千ポンドのグリズリーでもブン殴り殺せるのコトよ」
おかしな片言の日本語で言いながら、荷台から降りて来たのは灰色のスーツを着た白人だ。こちらも背は高いが、ひょろっとした体つきである。髪は金色で、狂気めいた表情を浮かべつつ語り続ける。
「ちなみに、俺はリッチモンドのコトよ。リッチーと呼んでくんろ。で、お前は賢一のコトか? トニーとマイク殺ったのお前か?」
聞いてきたリッチーに、賢一は苦笑しつつ頷いた。
「ああ、俺が黒田賢一だ。トニーもマイクも、俺が殺したよ。ところで、お前なかなか愉快な奴だな。面白外国人枠でテレビのオーディション受けてみろよ。人気者になれるかもしれねえぞ」
「悪いけど、こいつはテレビなんか出られないよ。存在自体が放送禁止だから」
聞こえてきた声は、女のものだった。次いで荷台から、サングラスをかけた長い黒髪の女が降りてくる。こちらは、黒い革のジャンパー姿だ。
「おいおい、またかよ。前回も三人だったが、今回も三人とはな。お前ら、何とかレンジャーみたいだな。いっそ、ガキ向け特撮に出てみたらどうだ? 殺し屋より儲かるかもしれねえぜ」
言いながら、賢一は笑みを浮かべる。彼の中に流れる獣の……いや超獣の血が、戦いを前に歓喜の声を上げていた。
今すぐ、こいつらを血祭りにあげたい。そして、肉を食らいたい。
「ヒョヒョウ、そいつは光栄だね。でも人気者になっても、お前には俺らの晴れ姿見られないのコトよ。なぜなら、ここがお前の命日やねん」
リッチーのセリフが、開戦の合図となる──
まず口火を切ったのは、トランクと呼ばれた黒人であった。荷台から、巨大な鉄塊を引っ張り出す。それは、アメリカ軍で採用されているロケットランチャーだった。砲口は、真っすぐ賢一の方を向いている。
次の瞬間、砲口が火を噴く──
発射されたロケット弾は、狙い違わず賢一に炸裂する……はずだった。だが賢一は、無造作に手を振る。まるで、虫でも追い払うかのような動きであった。
その手の動きで、ロケット弾は払いのけられてしまったのだ。あらぬ方向へと飛んでいき、大木に命中する。
直後、爆発した。樹齢百年を超えていそうな大木が、音を立てて倒れる──
「ヒョオホホホ! こんなん初めて見たのコト!」
愉快そうに叫ぶリッチー。トランクはといえば、顔をしかめている。さすがに想定外だったのだろう。
「そうかい。だかな、驚くのはまだ早いぜ。もっと凄いものを見せてやるよ。もう二度と見るこたあ出来ねえ貴重な映像だ。網膜に焼き付けときな」
ニヤリと笑うと、猛然と襲いかかって行った。まずは、手近な位置にいるトランクから始末するつもりだ。賢一は、凄まじい勢いで大男に突進した──
だが、トランクは怯まない。撃ち終えたロケットランチャーの残骸を片手で軽々と振り上げた。賢一の顔面めがけ、ハンマーのように叩きつける。
だが賢一は、振り下ろされた鉄塊を素手で受け止めた。普通の人間なら、簡単に叩き潰せる威力だろう。が、この男には通用しない。
「大した力だよ、人間にしてはな」
言いながら、鉄塊を弾き飛ばした。
直後、拳を叩きつける。これまた、並の人間なら一撃で撲殺できる威力だ。
トランクは、その拳をまともに額で受け止めた。にもかかわらず、びくともしていない。女性のウエスト並みの太さの首と、ボーリングの球のように頑丈な頭蓋骨なのだ──
その時、リッチーが怒鳴った。
「ナメんじゃねえ! トランクは、戦車でもひっくり返せるのコト!」
「ほう、そりゃあすげえや。なら、これはどうよ」
次の瞬間、賢一の右手が変化した。筋肉と骨が瞬時に肥大化し、獣毛に覆われていく……脆弱な人間の腕から、巨大な虎の前足へと変わったのだ。
「ワオー! 驚愕だねえ! ヘンタイしやがったぜ!」
またしても、リッチーが歓喜の声を上げる。賢一はその声をBGM代わりに聴きながら、トランクの顔面に横殴りの一撃を叩きこんだ。
黒人の巨体は吹っ飛び、アスファルトの上を転がる。だが、賢一もまた顔を歪めていた。前足に伝わってきた感触……それは、今までとは異なるものだ。いくら大きいとはいえ、人間としては有り得ない感触である。これは、もはや獣に近い。
その時、銃声が轟いた──
「ウオォウ! たぁのしぃいねえぇ!」
奇声を発しながら、拳銃を乱射し出したのはリッチーだ。たて続けに銃声が鳴り響き、弾丸は全て賢一の体に命中した。
だが、賢一は痛がる素振りすら見せない。平然とした態度で、弾丸を全て体で受け止めている。
「どうした? もう終わりか?」
尋ねる賢一に、リッチーはヒュウと口笛を吹いた。
「ヒョオホホホ! 驚きだねよ! こんな化け物が、ニッポンにいたとはな! 愉快なコトよ!」
言いながら、白人は上着の中に手を突っ込む。
次に取り出したのは、さらに巨大な拳銃である。楽しそうな表情で、その拳銃を構えた。
「こいつはデザートイーグルだ! 世界で五本の指が入る威力のハンドガンだぜ!」
「五本の指に入る、な。そこ間違えると、えらいことになるぜ」
冷静な口調で言い直しながら、賢一はトランクの様子も横目で窺う。驚いたことに、トランクは何事も無かったかのように立ち上がり、こちらを見ているのだ。
こんな人間がいるとはな。
こいつら、本物のバケモノだな。
だったら、こっちも本気でいくか。
賢一の体が、またしても変化する。その肉体は、さらに獣へと近づいていった。筋肉が肥大化し、体が獣毛に覆われていく。両足は力強い猛獣の後足へと変わり、太く鋭い爪が生えてきた。
「ギャッハー! ヘンタイだヘンタイ! ヘンタイしやがったぞ! たぁのしいぃねえぇぇ!」
叫ぶと同時に、リッチーはデザートイーグルのトリガーを引いた──
恐ろしいエネルギーを秘めた銃弾が、賢一の体を貫いた。だが、彼の体は微動だにしない。
リッチーの目つきが、さらに鋭くなる。
「くおぉの! いくじなしがぁ!」
意味不明な日本語を叫びながら、リッチーはなおトリガーを引く。大型の獣でも倒せる銃弾が、獣の体に撃ち込まれていった──
賢一は強力な銃弾をまともに受け、衝撃で体が揺れた。もし人間が、この拳銃で撃たれていたなら、たとえ防弾ベストを着ていても重傷はまぬがれない。即死の可能性も充分に有り得るのだ。
ところが、この男は倒れない。痛がる素振りすら、見せないのだ。
「お、おい……どうなってんだ?」
さすがのリッチーも、思わず首を傾げた。さらにトリガーを引く。放たれた銃弾は、賢一の体に次々と炸裂した。
にもかかわらず、賢一は平然とした様子で立っている。痛みすら感じていないらしい──
リッチーは呆然とした表情を浮かべ、英語で何やら呟いた。一方、賢一はニヤリと笑う。
「じゃあ、次はこっちのターンだな」
直後、賢一は走った。一瞬で間合いを詰め、巨大な前足を降り下ろす。その一撃が当たれば、白人は肉塊と化すはずだった。
だが、賢一の突進を止めた者がいる……トランクだ。この巨体の黒人は賢一の正面に立ち、人間には有り得ない腕力で彼の体を抱き止めている──
「邪魔をするな!」
怒鳴ると同時に、賢一は右前足を振り上げる。
一撃で叩き潰そうとした瞬間、破裂するような音が響いた──
直後、賢一の顔に痛みが走る。チクッとしたものであったが、彼は反射的に目を閉じていた。
その瞬間、トランクが動く。一瞬の隙を突き、賢一の背後に回った。と同時に、彼の腰に両腕を回す。
吠えると同時に、賢一をバックドロップで投げた──
賢一は、凄まじい勢いで地面に叩きつけられた。硬いアスファルトは、凶器と化して賢一の体を打つ。常人なら即死しているはずの強烈な衝撃である。さしもの賢一も、思わずうめき声を洩らした。
直後、トランクが彼の上に飛び乗った。馬乗りの体勢になる。
その巨大な拳を振り上げ、賢一の顔面へと落とす。しかし、この男はびくともしない。それどころか、ニヤリと笑ったのだ。
「お前の負けだよ、マッチョマン」
言うと同時に、賢一の伸ばした手が変化した。獣の前足から、粘土のようにぐにゃりとした形状になる。
その粘土から、虎の顔が出現した。大きさは、人の頭よりも大きい。さすがのトランクも、何が起きたかわからず呆然となっている。
だが、虎の方は彼の事情などお構い無しだ。唸り声をあげながらトランクの顔面に噛みつく。
直後、一瞬で噛み砕いた──
「て、てめえ! よくもトランクを!」
リッチーが吠え、デザートイーグルの銃口を向けトリガーを引く。だが、カチカチと空しい音が響くだけま。既に弾切れになっていた。
「Son of a bitch !」
英語で叫びながら、白人は弾倉を交換しようとする。しかし、遅かった。
「サノバビッチじゃねえよクソが!」
声と共に、飛んで来たのはトランクの死体だ。賢一が力任せにぶん投げたのである。二百キロを超える巨体が、恐ろしい速度で飛んでいく──
避けることも出来なかった。リッチーは、トランクの巨体により潰される。高速で飛んで来る二百キロの肉塊は、バイクに跳ねられるのと同じくらいの衝撃であろう。
しかも倒れた直後、リッチーは後頭部をアスファルトに打ち付けてしまった。衝撃により、脳が大きく揺れて頭蓋骨にぶつかる。脳挫傷により、彼は即死した──
「さて、残るはてめえだけだな」
荒い息を吐きながら、賢一は立ち上がった。目の前にいるのは、サングラスをかけた黒髪の女だ。いつのまにか、その手には革の鞭が握られている。先ほど賢一の目を襲った一撃は、この鞭によるものだろう。
ただし、こんな鞭では決定的なダメージは与えられない。賢一なら、一瞬で殺せるはずだった。しかし彼の獣の嗅覚は、おかしな違和感を伝えていた。この女は、奇妙な匂いを発している。他のふたりとは、明らかに違う種類のものだ。
なんだこいつは?
不気味なものを感じた。ならば、さっさと仕留めるか。
いや、もう殺す必要はない。この女には、やってもらうことがある。
「命だけは助けてやる。だから、帰って南条とかいうアホに伝えろ。俺は、もう戦う気はない。だから、これで終わりにしろ。また仕掛けて来るようなら……お前らを皆殺しにする、とな」
言いながら、鋭い目で睨みつけた。しかし、女は逃げようともしない。それどころか、いきなりサングラスを外したのだ。
形の綺麗な瞳があらわになった。彼女は蒼く光る瞳で賢一を睨み返して来る。
賢一は、強い違和感を覚えた。この女、まばたきもせずこちらを凝視している。手にしている鞭を振るおうともしない。かといって、逃げる気もないらしい。その場に突っ立ったまま、こちらを凝視している。
その瞳からは、何か異様なものが放射されている。肉眼では見ることが出来ないもの。だが、賢一にははっきりと感じ取れた。
「君の中には、獣がいるね」
突然、女は口を開いた。賢一は、思わず首を捻った。
「お前、何を言ってるんだよ? 今の状況が分かってるのか?」
「わかってるよ……少なくとも、君よりは理解しているつもり。あたしはね、あの二人と組んで仕事をしてた。あいつらは、どうしようもないバカ。でもね、あたしにとっては仲間だったんだよ。かけがえのない仲間。あいつらを殺されて、黙って引っ込むわけにはいかない」
「だから何だ?」
賢一は、口元を歪める。この女、素直にいうことを聞く気はないらしい。ならば、殺すしかないのか。巨大な獣の前足を振るえば、一瞬で肉塊へと変わる。女も、そのことは分かっているはずだ。
すると、女はくすりと笑った。
「君の体内には、獣が棲んでいる……それも二匹。獣の力は恐ろしい。けど、その力がなければ、君はただの人間。確実に殺せる」
「んだと!」
賢一は、獣の前足を振り上げる。しかし、女には怯む気配がない。
「君は、本当に甘ちゃんだね。ここまでのことをやらかしといて、もう戦う気はない、で済むと思っているの?」
そう言って、女は嘲笑する。
一瞬、殺してしまいたい衝動に駆られた。だが、殺意を必死で押さえ付ける。これ以上、無駄な血は流したくない。
そんな賢一の前で、女はなおも喋り続ける。
「あたしたちの住んでる世界はね、ひとり殺されたら、ふたり殺し返す。それが当たり前なんだよ。君は、こちら側の人間を何人も殺した。もう、話し合いで終わる段階じゃない。どちらかが全滅するまで終わらないんだよ」
「どういうことだ?」
「君の能力は、だいたい分かった。あとは、ジェニーたちに始末してもらうだけ。バカだねえ。君は、何もわかってない。復讐の連鎖……それこそが、あちこちで起きてる紛争の火種なんだよ」
女は目を細めた。賢一の中に、微かな不安感がよぎる。
「お前、いい加減にしねえと本当に殺すぞ」
「好きにしなよ。ただね、南条さまに会った時、君は確実に死ぬ。せいぜい、今のうちに生を楽しむのね」
そう言って、女は嘲笑する。
「ふざけんなよ……来やがったら、死ぬのは南条の方だ!」
吠えると同時に、賢一は腕を降り下ろした。
女は痛みを感じる暇もなく、一瞬にして絶命する。美しい姿をしていたが……今では、骨や肉や内臓の見分けもつかない肉塊へと変わってしまった。