奇人たちの会談
賢一は、地面に降り立った。背中の翼をしまい込み、二人の乗っている車へと静かに歩いて行く。
真理絵と優愛は、車の中で不安そうな様子で話をしている。賢一が来たことには、まだ気づいていないらしい。そんな二人を見て、思わず笑みが浮かんだ。荒んだ気持ちも消えていく。
先ほどまで、賢一を突き動かしていたのは獣の本能であった。超獣の血の命ずるまま、殺戮の場へと身を投じていた。正直言うなら、今も奴らの後を追いたい。三人の体を引き裂き屠り、肉を食らい、生き血を啜りたい──
そんな獣の本能にストップをかけたのが、この二人の存在だった。
そっと車に近づいていき、窓を軽く叩く。すると、二人はこちらを向く。直後、親子の顔にも笑みが浮かぶ。
だが、真理絵の表情はすぐに変化した。
「ちょっと、服はどうしたの?」
怪訝な顔つきで聞いてきた。賢一は、思わず頭を掻く。先ほど脱ぎ捨てた後、ついさっきまであちこち飛び回っていた。その姿のまま、ここまで来てしまったのだ。
もっとも、車で引きずられた時すでにボロボロになっていた。あれを着て歩くのも、かなりキツいものがあるが……。
「ああ、いろいろあってな。ビリビリに破けたから捨ててきたよ」
その言葉に、真理絵はふうと溜息を吐く。
「もう、何やってんの。仕方ないから、後でコンビニ行って買ってくるよ」
呆れた口調で言うと、真理絵はかぶりを振った。すると、今度は優愛が口を開く。
「ねえ、賢一は天使なの?」
「て、天使?」
ポカンとなる賢一に、優愛はなおも聞いてくる。
「だって、背中から羽根が出てきて、空も飛べるじゃん! 賢一は、本当は天使なんじゃないの?」
真剣な表情で問われ、さすがの賢一もうろたえた。
「い、いや、天使じゃない──」
「そうだよ。賢一は、私たちを守るために神さまがよこしてくれた天使なんだよ」
言いかけた賢一の言葉を遮り、真理絵が答える。優しく微笑みながら、優愛の頭を撫でた。
賢一は何も言えなくなり、下を向いた。自分は天使ではない。むしろ、どちらかと言えば悪魔の側である。ついさっきまで、血に飢えた超獣の本能で動いていたのだ。
そんな彼を見つめる優愛の目は輝いていた。純粋な親愛の情がある。それは、今の賢一には直視できないものだった。
「と、とにかくホテルに戻ろう」
少女から目を逸らし、ぶっきらぼうな口調で言った。
・・・
永石市の山の中には、奇妙な建物があった。
黒く四角い形で、高さは四階建てのビルと同じくらいか。広さは東京ドームひとつぶん……よりは確実に小さいが、小学校の体育館ほどの大きさはあるだろうか。壁は全面が黒く塗り潰されており、肉眼では隙間は見当たらない。
洒落た雰囲気など欠片もない、箱のごとき殺風景な外観である。ただし、至近距離からロケットランチャーを撃ってもびくともしないくらいの頑丈さも兼ね備えている。
内側も、殺風景なものだった。完全に、機能性のみを重視した雰囲気である。お洒落な家具も、気の利いた調度品もない。ただ、壁は丈夫で防音設備もしっかりしている。
その室内には、年齢も性別も人種もバラバラな男女が集まっていた。
大きな丸テーブルが設置されている居間では、スウェット姿の南条が奥のソファーに腰掛けている。居間は広く、ちょっとした運動場くらいのスペースはある。壁は白く、床にはタイルカーペットが敷き詰められている。
南条の目の前には、初老の紳士が立っていた。その横には、着物姿の中年男が神妙な顔つきで控えている。中年奥の隣には、三味線を背負った老婆がいた。
この三人組は、数時間前に賢一と戦ったものの、敗走させられた者たちである。山岡は南条に、先ほどの戦いについて詳しい報告をしていたのだ。
南条はというと、静かな表情で彼の話に耳を傾けていた。山岡らを責める気はないらしい。落ち着いた表情で、黙って話を聞いている。
南条たちから少し離れた位置には、数人の外国人がいた。うちひとりは、キリー・キャラダインである。白いTシャツを着て黒ぶちメガネをかけたラフな姿だ。真剣な面持ちで、じっと南条ら四人の話し合いに聞き耳を立てていた。
その横で床に座り込んでいるのは、小山のような体格の黒人である。分厚い筋肉の塊のような肉体を、作業服のような灰色の衣装で覆っている。髪は短く刈り込まれており、目からは生気が感じられず顔にも表情がない。南条たちのやり取りを無視し、ずっと床の一点を凝視している。
ヘラヘラ笑っている白人の青年もいる。髪は金髪で背は高く、黒人ほどではないにしろガッチリとした体格だ。しかし、顔にはとぼけた雰囲気を漂わせていた。灰色のスーツ姿であり、ポケットに手を入れ突っ立ったまま、南条と山岡の話に耳を傾けている。
部屋の隅では、二人の若い女が座り込み、ひそひそ話し合っている。片方はジェニーだが、もう片方はサングラスをかけた黒髪の女である。彼女も痩せており、顔が青白い。細身の体を、レザージャケットとレザーパンツで覆っている。病的な雰囲気の二人は、お互いにしか聞こえないくらいの音量でひそひそ話している。
やがて、山岡が話を終えた。
「……という訳です。言い訳のしようもありません。我々の完敗でした」
「そうか。苦労をかけたな。まあ、お前たちが無事で何よりだ」
南条の言葉に、山岡は頭を深々と下げる。
「いえいえ。ぼっちゃま、本当に申し訳ありません。まさか、あんなものが現実に存在するとは。我ら三人では、歯が立ちませんでした」
山岡の言葉に対し、横で聞いていた白人の青年が反応する。バカにしたように、ニヤニヤ笑いながら口を開いた。
「おいジジババ、オマエらはボケ始まってるか? アタマ無事のコトか?」
白人が片言の日本語で言ったとたん、老婆がギロッと彼を睨んだ。
次の瞬間、老婆が三味線のバチを投げつける。バチはびゅんと音を立て、白人の顔面へと真っすぐ飛んでいった──
だが、白人はそれを素手で払いのける。バチは、横の壁に突き刺さった。
「なんだババア? 死ぬか? コロスか?」
言いながら、白人は拳銃を抜いた。しかし、老婆も引く気配がない。着物の懐から別のバチを取り出し、白人を睨みつけた。
部屋の空気は、瞬時に変わる。二人は鋭い目で睨み合い、両者の間には強烈な殺気が漂い、今にも爆発しそうだ──
その時、キリーが二人の間に入る。白人に向かい、早口の英語でまくし立てた。かなり強い口調だ。すると白人は、不満そうな顔をしながらも拳銃を収める。
一方、老婆の腕を掴んでいる者もいた。権藤だ。彼女に向かい、深々と頭を下げる。
「先生、怒る気持ちもわかる。だが、ここは収めてくれ。今回は、俺がヘマをしたんだ。全ては、俺の責任だ」
その言葉に、老婆は無言のままバチをしまった。権藤は、老婆に向かいもう一度頭を下げる。直後、南条の方を向いた。
「南条さま、あの化け物は普通の刀では斬れません。奴を斬るには、斬魔刀でないと無理です」
「斬魔刀?」
首を傾げる南条に、権藤は深く頷く。
「はい、斬魔刀です。戦国時代より伝わる、魔を斬るためにのみ打たれた特別な刀です。あれなら、奴を斬ることも可能です」
「おいおい、今どきサムライブレードで戦うのか? オマエ、脳が残念なのか?」
またしても、白人が口を挟む。だが、南条がちらりと彼を見た。
「リッチー、君は少し黙っていてくれ」
静かだが、有無を言わさぬ迫力だった。リッチーと呼ばれた白人も、さすがに口を閉じる。
「権藤、その斬魔刀はいつ用意できるんだ?」
南条の問いに、権藤は顔をしかめた。
「届くのに数日かかります。しかし斬魔刀さえあれば、必ずあの化け物を仕留めてみせます」
「そうか。では、その斬魔刀が届き次第、皆で狩るとしよう」
南条はそう言った後、ジェニーへと視線を移した。
「ジェニー、奴は今どこだい?」
「詳しい位置は、まだわからない。でも、永石市にいるのは確かよ」
「待つのウザイ。俺たちが行って、仕留めて来るのコトよ」
横から言ったのはリッチーだった。直後、いきなり拳銃を握り、天井に向けてぶっ放す──
銃声が、室内に響き渡った。直後、天井の破片がボロボロと落ちて来た。
さすがの南条も、突然の暴挙に思わず顔をしかめる。山岡と老婆は、凄まじい形相でリッチーを睨みつけた。だが、リッチーは涼しい表情だ。
それで終わりではなかった。今度は、大男の黒人がむっくりと立ち上がった。銃声が合図だったかのように、ポケットから注射器を取りだし、自身の太い腕に突き刺す。
中の薬品を、一気に注入した。
次の瞬間、その瞳に光が宿る──
「ほら見ろ、トランクも絶好調だ。行けるのコトよ。そんな奴、俺たちがコロすだけよ。お前らの出番ないね」
リッチーは、上機嫌で黒人の肩をぺちぺち叩く。その時、ジェニーが立ち上がった。彼の前に進み、かぶりを振る。
「無理よ……あんたたちだけでは、絶対に勝てない。斬魔刀が用意できるまで待って──」
「理屈じゃない、面倒くさいのコトよ」
ジェニーの言葉を遮り、リッチーはすたすたと歩いていく。その後ろを、黒人も付いて行った。
不満そうな表情を浮かべ、ジェニーは南条の方を向いた。だが、彼は関心なさそうな様子だ。
「行かせてやれ。こうなったら、奴らは止まらない」
横に控えているキリーも、顔をしかめて頷く。
「ああ。奴らは、完全にイカれてるからな」
その時、座り込んでいたサングラスの女が立ち上がった。二人の後を追い、部屋から出ていこうと歩き出す。
だが、ジェニーが彼女の腕を掴んだ。
「ドロウ、あんたまで行かなくていい」
懇願するような表情のジェニーに、ドロウと呼ばれた女は笑みを浮かべた。
「あの二人はバカだけと、あたしの仲間だからね。行かなきゃならないよ。それに、どんだけ恐ろしい奴なのか、直接見なきゃわからないでしょ」
流暢な日本語である。ジェニーは顔を歪めながらも、手を離した。
「わかったよ……けど、ヤバい時は迷わず逃げて。あんただけでも、生きて帰ってきて」
「大丈夫。何かあったら、すぐに逃げるよ。万一あたしがやられても、あんたに敵の情報を伝えるから」