始まりの始まり
「何で、わざわざ外で飯を食わなきゃなんないんだよ。別に、うちでもいいじゃねえか。ああ面倒くせえ」
黒田賢一は、車の中でブツブツ言っていた。ワイルドな雰囲気がぷんぷん漂う外見であり、いかつい顔には露骨に不満そうな表情が浮かんでいる。
この少年、まだ十六歳だ。しかし百八十センチで九十キロという、筋骨隆々とした体つきである。体格では、既に父親を上回っていた。ところが今は、その大柄な体を縮めて、後部席でちょこんと座っていた。
「なんだ、まだ言ってるのか。お前は、本当に往生際の悪い奴だな。たまには、外での食事もいいだろうが。母さんにも、楽をさせてあげないといけないしな」
父の黒田晋三の言葉に、母の静江も微笑んだ。
「ふふふ、ありがと」
「でもまあ、賢一の気持ちもわからんでもない。何たって賢一は、母さんの作るご飯が大好きだからな」
からかうような父の言葉に、賢一はたちまち怒り出した。
「は、はあ!? べ、別にそんなこと言ってねえし! 大好きってわけじゃねえし!」
顔を赤くして言い返した。すると、静江は後ろを向く。後部席で、思いきりふて腐れている息子を見つめた。
彼女の顔には、悲しげな表情が浮かんでいる。
「賢一は、母さんの作るご飯は嫌いなの? まずいの?」
切なげな母の言葉に、賢一はうろたえた。目線を逸らし、口を尖らせる。
「そ、そんなこと言ってねえだろ」
「じゃあ、好きなの? 母さんのご飯、美味しい?」
静江に問い詰められ、賢一は頬を赤らめる。
「き、嫌いじゃねえよ……」
口ごもりながら答える。すると、晋三と静江はくすくす笑った。どうやら、両親にからかわれていたらしい。
「まったく、しょうがない奴だな。賢一、マザコンもほどほどにしとけ。でないと、いつまで経っても彼女が出来ないぞ。ただでさえ、お前は顔が怖いんだからな」
晋三に言われ、賢一はまた怒鳴り返した。
「は、はあ!? マザコンじゃねえし! 余計なお世話だ!」
賢一は幼い頃から、気が荒く喧嘩早い少年であった。同年代の少年たちと比べると、顔が怖く体が大きく腕力も強い。同世代の者たちが相手では、敵にならない。あっという間に、ガキ大将へとなっていた。
やがて中学生になり、その暴れっぷりにもますます磨きがかかっていく。なにせ気が短い上、口より先に手が出るタイプだ。あちこちで喧嘩に明け暮れる生活が続いた。
時には複数の不良たちを一度に相手にすることもあったが、恵まれた体格と高い身体能力、さらに強い闘争心とを併せ持っている男だ。街の不良レベルが相手なら、連戦連勝であった。賢一の名は、またたくまに地元の中学や高校に知れ渡る。
高校生になっても、彼の性格は変わらなかった。ある事件がきっかけとなり、以前ほどむやみやたらと喧嘩はしなくなったが、他人とすぐに衝突してしまう性格は変わらない。もともと馴れ合うことが嫌いな性格であり、見た目の恐さも相まって、周囲からは完全に敬遠されていた。学校では、完全に孤立していたのである。
そんな彼の強さを利用しようと、不良の集団から仲間に誘われたこともあった。しかし、群れることを嫌う賢一は、怒鳴りつけて追い散らした。時には、スカウトに来た集団全員を叩きのめしたこともある。
学校では孤立し、不良集団からは恐れられ……彼はいつもひとりぼっちだった。もっとも、寂しいと感じたことはない。
なぜなら、家には親友がいたからだ。
学校が終わると、道草せずに真っすぐ家に帰る賢一。部屋に入ると、さっそく出迎えてくれるものがいる。
「ナアナアナア」
嬉しそうに鳴きながら、足に纏わり付いてくるのは猫のシェリーだ。もう十二歳になる雌猫で、賢一にとても懐いている。真っ白の毛並みで、肉付きのいい体と長い尻尾が特徴的だ。性格はおとなしく、家の中をのそのそ歩き周り、時おり賢一にジャレつく。
そんなシェリーは、賢一か帰ってくると、喉をゴロゴロ鳴らす。そして、親愛の情に溢れたまんまるの目で見上げる。その姿は、思わず笑みがこぼれるくらい可愛い。
「ケンイチ、コノヤロウ! ケンイチ、バカヤロウ!」
鳥かごの中から叫んでいるのは、九官鳥のエリックだ。家に来て、かれこれ十年以上は経つだろうか。黒い体にオレンジ色のくちばしで、帰宅した賢一の名を連呼する。彼のことが、本当に好きなのだろう。ただし、二言目には「コノヤロウ」「バカヤロウ」という悪口まで一緒に叫ぶのが困りものではある。両親も、このエリックには呆れていた。もっとも賢一にとっては、エリックの悪口こそがどんな名曲にも優る素晴らしいBGMであった。
さらに、部屋に置かれた大型の水槽のでは、ジョーズが悠々と泳いでいた。ジョーズなどという恐ろしい名前ではあるが、その正体は真っ黒い出目金である。幼い頃の賢一が、縁日の金魚すくいで取って来たものなのだ。この少年は、いかつい外見に似合わずまめに世話をしており、その甲斐あってか夜店の金魚には珍しく長生きしている。賢一が学校から帰ると、楽しそうに水槽の中をひらひら泳ぎ回ってくれた。
そんな動物たちの存在は、気は荒いが孤独な少年の心を癒してくれていた。部屋の中でシェリーを撫で、エリックを肩に止まらせ会話し、ジョーズの泳ぐ姿を眺めるのが、賢一にとって最も幸せなひとときである。
不思議なことに、猫のシェリーと九官鳥のエリックは争ったりもせず、お互いに干渉もしなかった。どうやら、本来なら敵同士であるはずのお互いのことを、家族だと認識しているらしい。ジョーズに対しても同じである。三匹は仲良くもならず、かといって敵対もしていない。不思議な関係であった。
彼らペットたちとのふれあいの時間こそ、賢一にとってかけがえの無い貴重なものだった。
しかし今日は、その親友たちを自宅に置いたまま、家族と一緒に外で食事をしなくてはならない。
先日、買い物をしていた母の静江が、気まぐれでやってみたのが商店街の福引きである。馴染みの店で貰った福引券で、試しにやってみたのだ。もともと彼女は、ギャンブルには無縁の生活を送ってきた。今まで、宝くじすら買ったことがない。今回の福引きも、参加賞のポケットティッシュ欲しさであった。
ところが、ビギナーズラックとでもいおうか……生まれて初めての福引きで、一等賞の高級レストラン食事券を引き当ててしまったのだ。
そのため、本日の黒田家は家族みんなでレストランへと出かけることになった。賢一はさんざん文句を言ったが、父と母のしつこさに根負けして連れ出されることとなった。もっとも、この少年は未だに納得していなかった。
やがて、車は駐車場へと入っていく。そんな状況でも、賢一は不満そうな顔であった。
黒田家の三人は、落ち着いた雰囲気の店内に入って行った。派手な調度品などはないが、それでも細かいところにこだわりが見られる内装である。洗練された物腰のボーイに案内され、テーブルに着く。
「な、なんか落ち着かねえなあ」
小声で言いながら、賢一は周囲を見回す。
自分たちの他には、四人の家族連れと思われる人たちが来ていた。父親と母親、それに二人の兄弟……という構成だろうか。その家族は、見るからに金持ちそうな雰囲気を醸し出していた。四人全員が落ち着いた態度であり、にこやかな表情で会話をしている。顔つきや物腰からも、上品さと知性とが感じられた。まるで、海外ドラマに登場するセレブなファミリーのようである。
黒田家とは大違いだ。
「おい、あんまりキョロキョロするな。みっともないだろうが」
そう小声で注意する晋三も、若干ではあるが顔が引きつっている。彼も、こんな高級レストランに来るのは初めてなのだ。緊張のせいか、全身がカチカチに硬直した状態で座っている。
しかし、母の静江は呑気なものだった。
「まあまあ二人とも。今日は美味しい料理を、お腹いっぱい食べましょうね」
そう言って、ニッコリと笑った。家族三人の中で、彼女だけが堂々としている。一番リラックスしているように見えるから大したものだ。
「すげえなあ、母さんは」
思わず呟く賢一。だが次の瞬間、平和な空気は一変する──
突然、店内に二人の男が入って来た。どちらも日本人ではなさそうだ。髪は金色で、肌は白い。二人とも大柄な体格で、身長は百九十センチは有るだろうか。ゴーグルのようなもので目を覆い、口元をマスクで隠している。
その上、着ているものは黒いツナギのような服だ。いや服というより、作業着のように見える。さらに、どちらも肩から大きなカバンを下げていた。
明らかに、ここの店にそぐわない格好の二人組である。客ではなく、店の工事を担当する業者にしか見えない。ボーイは、怪訝な表情で近づいて行った。
「失礼ですが、どのような御用件でしょうか?」
何の挨拶もなく入ってきた二人組に、ボーイは丁寧な態度を崩さずに尋ねる。
それに対し、二人組は無言のまま下げているカバンを開けた。カバンというより、ずだ袋といった方が正確かもしれない。
その中から、何かを取り出す。黒光りする金属製の道具だ。かなり大きく、両手で持っている。
いや、あれは道具ではない。
自動小銃だ──
店内の客、そしてボーイらが気づくより前に、事態は動き出していた。二人組は、店内に向けて銃を乱射する。
パタパタパタ……という、渇いた音が店内に響き渡った。現代の日本では、まず聴くことが出来ない音、すなわち銃声である。
同時に、大量の銃弾が店内に撃ち込まれた。辺りには硝煙の匂いが立ち込める。
中にいた者は、体に多数の銃弾を受ける。血を吹き出しながら、次々と倒れて行った。いったい何が起きたのか、なぜ自分たちが撃たれなければならなかったのか、何も知らされないまま絶命していった。
ありったけの銃弾を撃ち尽くし、ようやく二人組は発砲を止めた。時間にして、ほんの二分から三分であろうか。床は血まみれであり、壁は銃弾により穴だらけだ。
そんな中、二人は倒れている賢一たちやボーイには目もくれず、先に来ていた四人家族へと近づいて行く。
父親らしき男を見下ろし、二人組は拳銃を抜いた。さらに、数発の銃弾を打ち込む。ゴーグルとマスクで表情は見えないが、行動にはいささかの躊躇いもなかった。
男の死亡を確認した後、二人組はカバンに銃をしまった。直後、店内に液体を撒き始める。
撒き終えた後、彼らはドアから外に出ていく。が、入口のところで立ち止まった。野球のボールくらいの大きさの何かを、店内に投げ入れる。
二人は車に乗り込み、その場から去って行った。
静けさが、レストランを支配する。が、それは長く続かなかった。突然、店の中で爆発が起きた──
店内は、紅蓮の炎に包まれた。炎は、何もかもを燃やし尽くしていく。死んでいった者たちの体もまた、炎に包まれた。
やがて、空から大粒の雨が降り出す。それは、天が突然の死を迎えた者たちを悼んでいるかのようであった。
賢一もまた、レストランの中で命を落としていた。
薄れゆく意識の中、彼が短い人生の最期に見たものは……自分を守ろうと必死で覆い被さってきた、父親と母親の顔だった。
そんな彼ら家族の体も全て、炎に包まれていった──
・・・
とある高級マンションの一室。
落ち着いた雰囲気のリビングにて、二人の男がソファーに座っている。
片方は日本人だ。年齢は二十五歳であり、肌は白く、髪は長すぎず短すぎず……ほどよい長さでまとめてある。中肉中背の体をブランド物のスーツで包んでおり、端正な顔にはにこやかな表情を浮かべていた。とても美しい顔立ちであり、その瞳には知性の輝きがある。
この青年の名は、南条真吾。最近、裏の世界にてめきめきと頭角を現してきた男だ。端正な顔立ちに似合わず、極めて冷酷かつ残忍な性格の持ち主である。やることにも、一切の容赦がない。彼を敵に回した者は、みな地獄で後悔することとなる。
その南条の隣に座っているのは、キリー・キャラダインだ。とぼけた顔をした白人の若者であり、アメリカのコメディ映画にでも出てきそうな風貌だ。身長は百六十センチ強であり、欧米人にしては小柄な体格である。顔つきも、ユニークなものを感じさせる。全体的に親しみやすそうな雰囲気を醸し出しており、子供にも好かれそうだ。
もっとも、この男がユニークなのは見た目だけである。キリーの凶悪さは、日本のヤクザや半グレなど比較にならない。これまでに当人すら数え切れないほどの人間を殺しており、ここ永石市に潜む裏社会の住人からは、警官よりも恐れられているのだ。
この男は、もともとはマフィアの構成員だった。アメリカの裏社会では、リトル・キリーの異名で知られていた有名人である。
ところが、あまりに凶暴な性格と荒い仕事ぶりのため、組織の内外でも数多くの敵を作ってしまう。やがて、敵対する組織とFBIの両方から追われる羽目になり、日本へと逃げて来たのだ。
最初のうちは、日本でおとなしく潜伏しているつもりだった。ほとぼりが冷めたら、アメリカに帰ろうと考えていたのだ。
だが、運命の神の悪戯か……彼は日本でも最悪の人間凶器・南条真吾と出会ってしまう。
たちまち意気投合した彼らは、日本にて既存の組織を叩き潰すべく動き出した。キリーは、マフィアから追い出されたような若者たちを次々に来日させ、組織に吸収していく。
マフィアですら、扱いに困っていた狂犬キリー。そんな彼だが、南条には一目置いていた。
「おやおや、雨が降って来たよ。ところでキリー、彼らは仕事を終えたのかい?」
南条の問いに、キリーはうっすらと笑みを浮かべた。
「ああ、ついさっき連絡が入った。店にいた関係ない奴も、全員殺しちまったらしいけどな。まあ、天災だと思って諦めてもらおう」
流暢な日本語である。発音も完璧だ。この男は、本国ではハイスクールすらまともに行っていないのだが、日本語は完璧に話せる。頭は決して悪くない。むしろ、知能はかなり高い方だろう。もっとも、その高い知能は悪事にしか使われない。
「それは構わないよ。これで、仁龍会の幹部連中も逆らう気を無くすだろう」
そう言って、南条は笑みを浮かべる。
仁龍会とは……日本でも指折りのヤクザ組織である。永石市に本部があり、二次団体も数多く存在している。裏の世界では、大きな影響力を持っていた。永石市に基盤を持つ南条にとって、邪魔で仕方ない。
南条は仁龍会を潰すべく、一気に攻勢に出る。まずはタカ派の幹部を殺すべく、キリーの部下をヒットマンとして送りこむことにした。
キリーのやり方は、非常に手荒いものだった。幹部が家族とレストランで食事をしているところを、自動小銃で武装した部下に襲撃させたのだ。元傭兵の部下は、食事中の幹部を家族もろともみな殺しにした後に火を放つ。
結果、無関係の従業員や客が巻き添えになってしまった。死者は全部で十人以上、店は今も燃え続けている。もっとも一般市民は、まだ事件があったことさえ知らない。警察ですら、今ようやく動き出したところだ。
「残るは、若頭の外川だけだな。奴さえ殺せば、仁龍会に残っているのは腰抜けばかりだ。ほっといても、向こうから尻尾を振ってくるだろう。頼んだよ、キリー」
満足そうな顔で、南条は言った。その時、リビングに入って来た者がいた。
無言のままつかつか歩いてきたのは、ネグリジェ姿の若い女である。切れ味の悪いハサミで適当に切ったような短いボサボサの黒髪と不気味なくらいに白い肌、そしてガリガリに痩せた体つき。顔は美しいが、その体全体から病的な雰囲気が漂っていた。
「ジェニー、どうした?」
南条の言葉に、女は虚ろな目を向ける。ただし、彼女が見ているのはキリーだ。
「キリー、あなたの部下はミスを犯した」
「はあ? どういうことだよ?」
怪訝な表情になるキリー。だが、彼女は言葉を続ける。
「不吉な波動を感じる。恐ろしく危険な波動……こんなもの、今まで感じたことがない。真吾、気をつけて」
真剣そのものの表情で、彼女は言った。その瞳には、異様な光が宿っている。
南条とキリーは、顔を見合わせた。このジェニー島田には、不思議な能力がある。特に危険を予知する力は本物であり、世に蔓延るインチキ霊能者などとはレベルが違う。南条が裏の世界にて短期間でのし上がってこられたのも、彼女の存在が大きい。ジェニーの助言により、南条は数々の危機を乗りきって来られたのだ。
「なあ、危険な波動ってなんだ?」
キリーが尋ねると、ジェニーはかぶりを振った。
「わからない。でも、こんな恐ろしいものは初めて……注意して。何が来るかわからない」
「そうか。だったら、注意しておこう」
そう言って、南条は微笑んだ。横にいるキリーも頷く。
「心配すんなって。何者が来ようが、俺がきっちり潰してやるから」
この時、南条とキリーは事態の重大さを全く理解していなかった。ジェニーの言う通り、キリーの部下はとんでもないミスを犯していたのだ。
そのミスが、彼らにとって最凶最悪の敵を誕生させることとなる──