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シャーロックホームズ スペックルドバンド

作者: 青木隆志

シャーロックホームズ スペックルドバンド



●●不機嫌な目覚め●●

ワトソンNA:

寒さもすっかり和らいだ4月のある朝、下宿の友人、シャーロック・ホームズが身支度を調え、枕元から私をのぞき込んでいた。

普段は昼過ぎまで眠っている男なのに、暖炉の上の置き時計の方を見れば、まだ7時を回ったばかり。

私は何ごとかと眉をひそめながらホームズの方を見上げた。


ホームズ:

すまないね、ワトソン。今朝は僕も君と同じでね。

ハドソンさんのノックで私がたたき起こされ、そして今度は私が君をたたき起こす。


ワトソン:

何ごとだ・・・、火事か?


ホームズ:

いや、依頼人だ。年の若いご婦人が私に会いに来たらしく、今はリビングでお待ちいただいている。

どうだね、若いご婦人がこんな朝早くベイカー街の小さな下宿に現れ、眠り込んでいる我々を叩き起こすとなれば、よくよく差し迫った事情があるに違いない。

これが本当に面白い事件だとすれば、君はきっと、関わりたがる。

なので善意にて叩き起こしたところなのだが・・・、どうする?。


ワトソンNA:

ふっ、まったく長々と・・・。すでに眠気は去った。

私はむくりと起き上がり・・・、


ワトソン:

もちろん、どこまでもついていくさ。どんな事件も逃すものか。



●●OP●●

ホームズ:

シャーロックホームズ スペックルドバンド



●●ご婦人の相談●●

ワトソンNA:

この世に、ホームズの捜査に立ち会うことほど刺激的な楽しみはなかった。

私は大急ぎでご婦人の前に立つに恥ずかしくない服装に着替え、ホームズと一緒に下宿の1階にあるリビングへ入った。

そこには黒い服に身を包み、顔には厚いベールをかけた一人のご婦人がいた。ベールで多少隠されているとはいえ、白く美しく、そしてはかなげな顔立ちが見て取れる。朝から眼福である。

しかし、そんな腑抜けた考えはすぐに打ち消された。

我々に気づいたご婦人は慌てた様子で椅子から立ち上がる。

その表情はとても切迫したものであった。

これは重大な事件の予感がする。


ホームズ:

おはようございます。僕がシャーロック・ホームズです。しがない探偵業をやらせていただいております。

こちらは僕の友人で助手のドクター・ジョン・ワトソン。


ワトソン:

よろしく。


ホームズ:

医者という仕事柄、口の固い男で私同様に何を聞いてもけして口外いたしません。

おっと、ハドソンさんが気を利かせて暖炉に火をつけてくれたようですね。

どうぞ火の方へ。熱い紅茶はいかがですか?春先とはいえ、まだ寒いですものね。


ご婦人:

いえ、寒くて震えているのではございません・・・。


ホームズ:

なるほど、お話をお聞かせいただけますかな。


ご婦人:

怖いんです、ホームズさん。とても恐ろしくて。


ワトソンNA:

そう言うと、依頼人は黒いベールをあげたが、気の毒なほどに憔悴しきっていた。顔はやつれて血の気がなく、目はおよぐばかりで、狙われた獲物のようだ。顔や体つきから見れば、まだうら若き女性だというのに、頭には早くも白いものがまじり、疲れと焦りが顔から見てとれた。


ホームズ:

ご安心を。


ワトソンNA:

ホームズはやさしく、依頼人の腕に手を置いた。


ホームズ:

朝一番の汽車で私らに会いに来て下さったんだ。僕らがすぐ解決して差し上げます。


ご婦人:

え、どうして汽車のことを?


ホームズ:

ええ、機関車の出す煙の埃が服や帽子についておりましたので。

朝早くお出になり、二輪馬車に乗って、ぬかるんだ道を通り、駅までいらっしゃったのでは?もし道に迷われてなければ、最寄り駅からここまでは石畳で泥はねをするような場所は少ない。多少郊外から来られたのではと。


ワトソンNA:

依頼人はハッとして、我が友人を不思議そうな目で見つめた。


ホームズ:

不思議なことではありません。

上着の左袖に七つも泥の跳ねがあります。しかもまだ付いたばかり。

そうしたところへ泥をはねあげる乗り物と言えばホロのない二輪馬車だけで、しかも御者の左側に腰を下ろした場合に限られます。


ご婦人:

おっしゃる通りです。私は今朝六時に家を出まして、村の宿屋で二輪馬車を頼み、20分ほどでレザーヘッド駅へ着き、それからウォータールー行きの始発に乗ってこちらへまいりました。

お噂以上の智謀の持ち主なのですね。


ホームズ:

光栄です。


ワトソンNA:

するとご婦人は椅子から腰をあげ、身を乗り出すようにホームズの手を握り返し顔を近づける。


ご婦人:

お願いです、助けてください。私は、わたくしはもうこれ以上耐えられません。このままではおかしくなりそうです。ですが、どうすればいいのか、まったくわからないんです。

少ない人付き合いの中、なんとかファリントッシュさんからホームズさんことをうかがって、この住所を教えていただきました。

どうかわたくしを覆う恐怖を取り払ってください!


ワトソンNA:

目に涙を浮かべ懇願するご婦人。女性の涙は男の心を奪う。手を握られているホームズがそのうるんだ瞳から目が離せなくなっているような気がしたのは、私の考えすぎだったのだろうか。


ご婦人:

今のわたくしでは満足なお礼はできませんが、あとひと月もすれば結婚して、自由にできるお金があります。

そうすれば相応のお礼もできるかと思います。


ワトソンNA:

するとホームズは笑みをたたえ、ゆっくりとご婦人の手をほどき、席を立って机の引き出しの小さな事件簿をめくった。


ホームズ:

ファリントッシュ・・・。

そうか、思い出した。オパールのティアラか。

ワトソン、君と知り合う前の事件だ。

このホームズ喜んで、あなたを取り巻く謎を解決してみせましょう。

お礼のことですが、私たちにとって事件そのものが既に報酬です。支払う金額はお任せしますし、時期も都合のよいとき結構です。


ただ1つだけお願いがあります。


全てをお話ください。

どんな些細なことも。


ご婦人:

ですが、何から・・・どこから話せばいいのか。

他人から見ればつまらないことかもしれません。本来頼りにすべきフィアンセでさえ、神経質な女のたわ言だと考えているくらいなのですから。


ホームズ:

僕はあなたの言うことを全てお聞きします。

思いつくことを最初からゆっくりとお聞かせください。

ミス・・・、いやミセス・・・。


ワトソンNA:

依頼人は自分が名乗りもせず、話をしていたことに気づき、多少落ち着きを取り戻した。



●●打ち明けるヘレン●●

ヘレン:

失礼しました。わたくしはヘレン。ヘレン・ストーナ・ロイロット。

もうじき苗字も変わりますので、ヘレンとお呼びください。

今は義理の父親のドクター・グリムズビー・ロイロットと一緒に住んでおります。

一応ワトソンさんと同じ医者なのですが、あの人はもう何年も診療をしていません。


ホームズ:

ほう、ロイロットというと・・・。


ヘレン:

ロイロット家は英国でも古い家柄でサリー州の西、ストークモランに家を構えております。


ホームズ:

大陸からやってきたサクソン系の名家だ。

自己紹介も兼ねて、そのあたりからお話いただければ幸いです。


ヘレン:

ええ、ロイロット家はその昔大変裕福だったのですが、代を追うごとに没落し、今は築200年の古びたお屋敷と耕す者もいない小さな畑を残すのみ。

義父のロイロットはそんな苦境を脱するために医学を学んで、インドのカルカッタで診療所を開いたのですが、なんと申しますか・・・血の気の多い人ですぐに周りと衝突し、その・・・。


ホームズ:

すべてを、お話になって。


ヘレン:

現地で雇った執事を殴り殺してしまったそうです。死刑はすんでのところで免れたのですが、長い禁固刑に苦しめられたそうで。

子供の頃、しつけのためによくその話を聞かされたものです。

出所後は、またインドの別の病院で雇われの医師となり、そこで義父とわたくしの母が出会いました。

当時わたくしの母は、ベンガル砲兵隊にいたストーナ少将の若き未亡人で、わたくしと、姉のユリアは双子で、再婚したときはまだ赤ん坊でした。

女の細腕に2人の子供を連れて、遠いインドの地で生きるのは大変だったと思いますが、母はかなりの金持ちでして、死んだ父の年金に加え、実家からの財産分与で年に1000ポンド以上の収入がございました。


ワトソン:

1000ポンドか~。このイギリスでも家族数人、働かずに暮らしていける。

物価の安いインドならずいぶん贅沢ができるなあ。


ヘレン:

母はそのお金はそっくり父に譲ってしまいました。

父は、異国の地で夫を失った母の心の支えになったんでしょう。

ですが、急に多額のお金を手にしたせいで義父は医師の仕事をやめ、身の丈以上の生活をし、博打まがいの事業に手を出しては失敗して、結局のところ我が家の暮らしはそれほど楽ではありませんでした。

ただ、お金の方は義父と一緒に暮らしている間のことだけで、もしわたくしが結婚すると、その半分を分ける決まりになっています。そこから報酬はお支払いします。


ホームズ:

ありがとうございます。半分・・・ですか。

お母様は?


ヘレン:

母はイギリスに帰ってまもなく亡くなりました・・・。八年前、鉄道事故で。

良い思い出のないインドを離れ、イギリスに戻って心機一転、ロンドンで開業医をするつもりだったんです、父は。

ですが、母の死ですっかりやる気を失い、葬儀の後、父は私たちを連れ、ストークモランの今住んでいる屋敷に住むことになりました。ご近所の方々も古の領主様が戻ってきたと最初のうちは歓迎してくれました。


ホームズ:

最初のうちは?


ヘレン:

ええ、母がいなくなってから、父の様子は変わってしまいました。

人と付き合うことを極端に嫌い、家の中に閉じこもってばかり。

たまに外出しても、道で会った村人に難癖をつけケンカをふっかける有様。

何度も警察沙汰になり、そのたびに私たち姉妹は代わりに頭を下げて回りました。

見た目も身長7フィート・2メーター近い大男なので、村の人々はすっかり怯えてしまい、父を見たら皆あわてて逃げるようにさえなってしまいました。


父のお友達は唯一、大道芸をしているペイズリー柄のスカーフを巻いたジプシーの音楽隊だけで時折、耕作放棄した畑でキャンプをさせています。


ワトソン:

赤いペイズリー柄・・・。たしかバンドオブロマだっけ?大通りで見物したことがあるよ。


ヘレン:

義父は彼らに影響されてか、インド産の動物にはまってしまい、よく動物を買い入れております。今も我が家には、ヒョウが1頭とヒヒが1頭、いずれも放し飼いになっていて、ある程度手懐けられているとはいえ、周囲から気味悪がられている一因になっています。


ワトソンNA:

ヒョウはライオンより素早いと言われる猫科の猛獣だし、ヒヒはかなり大柄の怪力の猿のことだ。


ヘレン:

わたくしと姉ユリアがどれほど気苦労の絶えない日々を送ってきたか、ご理解いただけたでしょうか。


ホームズ:

はい、大変でしたね・・・。

お姉さんはどうされていますか?


ヘレン:

ちょうど2年前に他界しました。

そう、実はお話ししたいのも、この姉の死についてです。

今、わたくしは姉と同じ道をたどっているようにしか思えないのです。


このような暮らしですので、恥ずかしながらわたくしたち姉妹は男性とのお付き合いは皆無だったのですが、母の妹に当たる叔母がロンドン郊外に住んでおりまして、父もここを訪ねることだけは許してれました。

そこで叔母がうまくとりなしてくれて、ユリアは2年前に休職中の海軍少佐の方と出会い、婚約の運びとなりました。

厳しい父も娘にふさわしい屈強な海の男を前に、この婚約を黙って許してくれました。

そして、結婚式の2週間前に、あの恐ろしい事件が起こりました。



●●事件・恐怖の過去●●

ホームズ:

できれば、現場の状況・・・お屋敷の間取りなども含め、詳しくお教えいただけますかな?


ヘレン:

はい。わたくしたちのお屋敷は大変古く2階建てではありますが、上は天井の低い物置で、寝室は一階で西側にあり、中ほどに居間があって、東側には炊事場などがあります。

一番西側がわたくしの部屋。その隣の真ん中の部屋が姉、母屋に近い方が父の部屋になっております。

寝室同士は行き来できませんが、各部屋の入り口は同じ廊下に並んでおります・・・。

ああ、そうです、そういった感じです。


ワトソンNA:

いつの間にかペンを持ち、さらさらと屋敷の間取りを書いて見せるホームズ。

フリーハンドで良くもこんなに綺麗な直線がひけるものである。この男、画才もあるのか。


ヘレン:

寝室の窓からは庭の芝地が見えます。

事件の夜・・・、あのことは、あまりの恐ろしさに、今もわたくしの記憶にはっきりと焼き付いております。

ロイロットは早くに寝室へ下がりましたが、おそらくまだ眠ってはいなかったと思います。

姉は父が吸っているインド煙草のきつい臭いのせいで眠れないと言っていました。

ですので、姉は自室を出て、隣のわたくしの部屋へ来て、しばらくフィアンセとのノロケ話や新生活への不安など取り留めのない話をしていました。

11時に姉は帰ると言って立ち上がりましたが、ふと戸口のところで立ち止まり、振り返ってこんなことを言いました。


ユリア:

ねえ、ヘレン。あなた真夜中に、口笛の練習してたりする?


ヘレン:

いいえ、全然。


ユリア:

こう、まだうまく口笛の吹けない子供みたいなシュー、シューっていうヘタクソな口笛。

この頃、毎晩のように、そんな変な口笛が聞こえてね。

あたし、いつも眠りが浅いから、音が聞こえると目が覚めちゃって。

どこで吹いてるのか分からないんだけど……隣の部屋か、ひょっとすると芝地の方か、一度あなたに聞かなくちゃと思ってたの。


ヘレン:

うーん、聞いたことないわ。あたりにいるジプシーの仕業じゃない?


ユリア:

そうかもね。でも、芝地で吹くんだとすると、あなたの耳にも聞こえるはずなんだけど。


ヘレン:

あたし、姉さんと違って、一度寝るとなかなか起きないのよね。


ユリア:

まあ、何にせよ くだらないことね、おやすみ。


ヘレン:

姉は笑って、わたくしの部屋の戸を閉めました。


ヘレン:

その後、それにつづいて姉が自室の鍵をかける音が聞こえました。その音を聞いたので私も鍵をかけました。


ワトソン:

自宅なのに鍵をかけるのかね?


ヘレン:

はい、いつも。父がヒョウとヒヒを飼っていることは申しましたね。

鍵をかけないとには、安心して眠れないので・・・。


ホームズ:

ごもっともです、どうぞ先をお話ください。


ヘレン:

その夜は眠れませんでした。何だか胸騒ぎがして。

姉とわたくしとは双子でした。双子は、強い縁で結ばれ、不思議な感覚で、お互いのことをものすごく敏感に感じ合うのです。

その晩はひどい嵐でした。外は風がビュウビュウとうなり、窓は雨に叩かれて鳴っていました。

その時です。


ユリア:

キャー!!!


ヘレン:

激しい嵐の音の中に、つん裂くような女の声が聞こえました。

間違いなく、姉の声です。まだその時は恐怖より姉への心配の方が勝っていました。

わたくしはショールを巻き付け、ランプをもち、扉の鍵を外して、廊下へ飛び出しました。

すると聞こえたんです。姉の言っていた低い口笛が・・・シューっと。1度だけ。それに続いて、ガチャンと何か重い金物でも落ちたような音がしました。

わたくしは廊下を駆け出していき、ユリア、ユリアと叫びながら、扉を叩きました。そのまま中に入ろうとしたのですが、鍵がかかっていました。

ですが、すぐ扉の鍵を外す音がして、ゆっくりと重たく扉が開きました。

わたくしはもう、何が出てくるのかと、怖くなって息を呑みました。


ランプの光を浴びて、姉が戸口に現れたのですが、

それは暗がりでもわかるほど恐怖で真っ青になった顔、すがるような手つき、千鳥足でふらふらと進み出てくるのです。

わたくしはすぐに駆け寄って、姉の身体を抱きとめようとました。ですが右手にもったランプをどうしようかと一瞬ためらう間に、姉の足の力が抜けて、その場に倒れてしまいました。

ああ、ユリア!

不安の波が自分の頭の中にどんどんと流れ込んでくる、そんな感覚がしました。

姉は、どこかひどく痛むらしく、激しく身もだえをして、手足をブルブルと震わせていました。そして、最期の力を振り絞るようにか細い声でこう言いました。ええ、忘れません。

『バンド、まだらのバンド!』


それから姉は、もっと何か言いたそうにして、指を高く上げて父の部屋の方を突き刺すように指しましたが、ひきつけの次に姉から体の力がみるみると抜け、もはや2度と言葉を発することができなくなりました。

わたくしが父の名を呼びながら廊下を駆け出したところ、厚手のガウンを着た父が現れました。

父も医者です。いろいろと処置をし、古い薬箱の中からお薬を飲ませたりしたのですが変わりなく、次に村のお医者様を呼びましたが、何もわからずじまい。

そこで、馬車に乗せロンドンの大きな病院に連れていこうと身支度をしていたのですが・・・、村のお医者様はもう脈がないことを告げました。

姉は意識の戻らぬまま息を引き取ったのです。

これが愛する姉の恐ろしい最期です。


ワトソンNA:

鬼気迫る事件の一部始終に私もホームズも飲み込まれていた。

姉ユリアの奇妙な断末魔が、私の耳にこびりつく。

まだら、まだらのバンド・・・。

私はそれが何を示すのか少々考えをめぐらせた。


まずは庭でキャンプを張っていたジプシーのバンドオブロマ。彼らが頭に巻いているペイズリー柄のスカーフは遠目にはまだら模様に見える。


他にはヘアバンド。女性が眠る時、髪の毛が乱れないようヘアバンドを巻いて寝ることがある。そのヘアバンドに何か細工がしてあったとか・・・。


それにまだらといえば、ヒョウ柄。ロンドン動物園でみたヒョウは、しっぽまでその模様があった。飼っているヒョウのしっぽをバンド・ひもと見間違えたとか・・・。


ホームズ:

大変残酷で気の毒なお話ですが、僕はさらにこと細かに聞かなくてはなりません。お姉様と同じことがあなたの身に起こりつつあるなら。


ヘレン:

はい・・・。


ホームズ:

口笛と金属音というのは確かですか?聞き間違いではなく・・・。


ヘレン:

そのことは検視のとき警察の方からも聞かれましたが、わたくしは確かに聞きました。部屋の鍵も金属なのですが、明らかに違う音でした。

ただ、嵐の夜です。風で農具か何かが倒れたりしたのかも・・・。


ホームズ:

お姉さまの服は?


ヘレン:

寝間着のままでした。右手には燃えカスになったマッチを一本、左手にはマッチの箱を。


ホームズ:

するとお姉さまは、何かを察知して、マッチを擦って辺りをご覧になった。

なるほど。それで検視官は、どのようなご結論を?


ヘレン:

ずいぶん詳しい取り調べが行われました。父の日頃の行いがあまりにも悪かったものですから。

けれど、姉の死因について、はっきりとしたことは分からずじまいで…。

内側から鍵がかかっていたことは、わたくしが証言致しましたし、窓には鎧戸がついていて、夜にはいつも太い鉄の棒をはめて閉ざしていました。姉が死んだ夜もです。

警察の方は四方の壁も全部叩いていましたが、どこもしっかり固いというだけでした。床も天井も同じです。

煙突は多少太さがあるのですが、内部に十字に鉄の梁が通っている箇所があり、人・・・それにヒヒやヒョウも入ることはできません。ですから、亡くなったとき姉ひとりだったことには間違いありません。

それに・・・姉の身体には傷痕ひとつ見つからなかったのです。


ホームズ:

毒殺については?


ヘレン:

村のお医者様がお調べになりましたが、結果は何も。

夕食も父・姉・私と同じものを食べました。


ホームズ:

途中で話されていたジプシーは、そのとき、敷地内にいたのですか?


ヘレン:

はい。ただ、そのときは6人の子供と女性が2人。他の男性陣は興行主のところで夜通しまでお酒を飲んでいたそうで、昼過ぎまで帰ってきませんでした。

彼女たちはお屋敷でそんな大事件が起きているとは思ってもみずに、私と父と警察の方が来るまでずっと幌馬車の中で寝ていたそうです。

そして、ジプシーの奥さんからこう言われました。


ジプシーの奥さん:

昨日の雨で幌馬車の周りはひどくぬかるんでる。その中で足跡は今、アンタたち3人がつけたものしかない。私たち一家は昨晩1歩も外に出てはいないわ。


ホームズ:

賢い奥さんですね。

流浪のジプシーは事件が起こるとすぐに犯人に仕立て上げられ、自白を強要される。身の潔白を証明するためすぐにアリバイを探したわけですね。


ワトソン:

動物たちは?


ヘレン:

父の部屋の横にある屋根のついたオリに入っていました。

普段は放し飼いなのですが、雨が降っていたせいでヒヒもヒョウも自発的にオリに入っていて、父がカギをかけていたとのことです。


ホームズ:

なるほど。


ヘレン:

結局、姉の死因は何かの発作・・・病死扱いとなりました。

事件から1年半ほど、わたくしたち一家は失意の日々を過ごしていました。

けれど半年前、叔母を通じて、わたくしにも結婚を申し込んでいただける方が現れました。お名前はパーシー・アーミテージ。

名家の息子さんで、父も反対しませんでした。

あと、「2週間」ほどで式を挙げる予定です。


ワトソン:

2週間・・・。

先ほど聞いた数字だ・・・。


ヘレン:

ええ、一昨日からお屋敷の壁の修理が始まりました。

わたくしの寝室には工事のためやむを得ずわたくしは、亡くなった姉の部屋へ・・・、姉の使っていたベッドへ移ることになりました。

考えてみてください、昨日・おとといとわたくしがどれだけ恐ろしくて震えたことか。

姉の恐ろしい最期が頭から離れずにいると、ついに昨夜、真夜中の静けさの中に、聞こえたんです!

シュー・・・シューと姉が死ぬ間際に聞いた、あの・・・あの低い悪魔の口笛が!

わたくしは飛び起きてランプをつけましたが、部屋には何も見あたりません。

ですが、もうわたくしは恐ろしくて…。この2日まったく眠れていません。


ワトソンNA:

依頼人は、姉の部屋で寝た初日にフィアンセやファリントッシュさんの元に相談に行き、2日目はホームズのところへ来たというところか。

しかし、2日まともに寝られないほど恐怖にさいなまれているのであれば、3日目、4日目に寝れるという保証はない。悠長なことをしていては彼女の体がもたないな・・・。


ホームズ:

ミセ・ヘレン。まだあります。父親のことで隠していることがありますね。


ヘレン:

え、どういうことでしょうか?


ホームズ:

失礼。


ワトソンNA:

そういうとホームズは再び、依頼人の手を取り、黒いレースの袖口をすっと上げた。そこには五本指でつけた青あざが、白い手首に残されていた。

ご婦人は顔を赤らめ、すぐに手首を袖を戻した。


ヘレン:

すぐ手の出る人で、きっと力の加減がわからないのです。


ワトソンNA:

長い沈黙が続いた。

ホームズは両手にあごを乗せ、暖炉に燃えさかる火の中をじっと見つめていたが、やがて・・・


ホームズ:

深い事情があるようで。


ワトソンNA:

そういうとホームズはすくっと立ち上がり・・・。


ホームズ:

これからどうするかを決める前に、知っておきたいことが山のようにあります。

百聞は一見にしかず。

僕たちがストークモランへ出向いて、御父上に知れないようお屋敷を見せていただくことは可能でしょうか?なんなら今日にでも。


ヘレン:

そうですね・・・。父にうまく外に出てもらう理由を探さないと・・・。



●●招かざる客●●

カポカポ・・・ガチャ

ワトソンNA:

依頼人があれこれ思案している最中、下宿の前に馬車が止まる音が聞こえた。窓を見やると2輪馬車だ。

が、なぜか、ホームズはカーテンを閉める。


ホームズ:

日も高くなって、日差しが入るようになり、少々暑くなってしまいましたね。

隣のハドソンさんのお部屋でお話ししましょう。さ、お立ちになって。

ハドソンさーん!


ワトソンNA:

ハドソンさんの名前を呼びながら、ホームズは依頼人をなぜか隣の部屋に移動させようとする。

隣とは・・・ただのキッチンだ。


ワトソン:

お、おい。


ワトソンNA:

あっけに取られている私の目の前を通り過ぎるとき、ホームズがヘレンに耳打ちする言葉にハッとなった。


ホームズ:

絶対に動かず、声を出さないで。


ワトソンNA:

ホームズと依頼人がキッチンへ入ると同時に・・・

ガシャン!

乱暴に敷地の入り口にある鉄の扉が開く音がした。

嫌な予感がして私は下宿の入り口に向かう。いつも下宿の入り口にはカギがかかっていない。急げば間に合うか!?

カツガツと早足に靴を鳴らす音が聞こえる。私も慌てて早足でドアのカギに手を伸ばしたが、一歩遅かった。

ガチャ!

ドアは勢いよく開く。

まず感じたのは鼻を突くキツいタバコの臭い。

私がゆっくりと首をもたげると、そこには見上げるほどの大男が仁王立ちし、外の光をさえぎって大きな影を私に落としていた。

かぶっている山高帽を含めれば確実に7フィート・2mを超えるであろう巨体。肩幅もガッシリとしていて見るからに腕っぷしの強さを感じさせる。

山高帽、フロックコート、長いゲートル、手には狩猟鞭。すべてが真っ黒でまるで悪魔のようにも見えた。

大きな顔は赤黒く日に焼けていて、鋭い眼光・高いカギ鼻などは、凶暴な獣のようであった。


ワトソン:

うっ!


ワトソンNA:

恥ずかしながら、一目見て圧倒され声を出してしまった。

大男は鬼形相でにらみつけこういった。


ロイロット:

どっちがホームズだ?


ホームズ:

僕です。


ワトソンNA:

いつの間!?

私が振り向くと、そのままホームズはひょうひょうとした面持ちで1歩2歩前に出た。このオーガを前にしても平静を保っている。


ホームズ:

ですが、まず自ら名乗るのが礼儀では?


ロイロット:

ふん!

わしはストークモランのグリムズビー・ロイロットだ。


ワトソンNA:

聞きしに勝るとはこのことだ。

確かにこんなのに道端で急にケンカをふっかけられたのでは、村人も恐れて近づかないはずだ。


ホームズ:

どうも、”先生”。

立ち話もなんですし、中へお入りになられますか?


ワトソンNA:

私はギョッとした。中にはこの大男が探しているお嬢様がいるんだぞ。

なんてことを言うのか。

しかし・・・


ロイロット:

お断りだ。


ワトソンNA:

大男は少し部屋の奥を見やっただけで、中へ入ることはなかった。

後で聞かされたのだが、自信満々に隠している場所へ誘導しようとすると、探している側はすでにそこには何もないという先入観をもち、捜索をしないという心理効果だそうな。

探偵という探す方の仕事をする者は、隠す側の心理もよく研究しているのだ。


ロイロット:

おい、ホームズとやら。さっき、わしの娘へレンがココへ来たな。

駅前でたむろしていた馬車の使用人を締め上げたら、ここまで案内してくれたぞ。

ヘレンと一体何を話した?


ホームズ:

さあ、そんなお嬢さん 来られましたかな?


ロイロット:

ごまかすな!若造が!!

どうせ双子の姉のことで来たんだろう。

教えといてやる。あの姉妹は怨霊に呪われているんだ。


ワトソン:

怨霊!?


ロイロット:

あの子の本当の父親は軍人だ。それも若い頃、砲兵隊長として砲弾の雨を降らせ何万という敵を虐殺して少将になった血塗られた英雄だ!

そのせいでヤツは祖国に戻れず、怨霊の悪夢に苦しみもだえながら死んでいったのだ。

ユリアの話は聞いただろう?

ユリアもヘレンも軍人の血を引いている。ストーナ家は末代までたたれているのだ。逃れられない運命なのだ!


ワトソンNA:

当初は大男に圧倒されていた私だが、あまりの言動に怒りを抑えることができなくなった。


ワトソン:

やめろ!私もインド・アフガニスタンを転戦した大英帝国陸軍の元・軍医だ。

貴様の言動に反論する権利がある。軍務経験もなく銃後で守られていた立場であっただろうに、前線で勇敢に戦った者に対し、よくもそんな言葉が吐けたものだな!英国国民として恥ずかしくないのか!


ロイロット:

む!


ワトソンNA:

一瞬だけご老人が気圧されたように見えた。

そこへホームズがたたみかける。


ホームズ:

呪っているのは敵の兵士ではなく、あなたではないのですかな?


ロイロット:

ぬうう!言ったな、このクソガキめ!!


ワトソンNA:

危ない!

にわかに激高し大男は右手を振りかぶってホームズに殴りかかる!

ホームズは頭をすっと後ろに下げ、ロイロットの拳は宙を舞う。

ドシーン!

空振りした拳はそのまま壁を殴ってしまい下宿全体が揺れたような気がした。壁のしっくいがバキバキに割れてしまっている。まるで老人のパンチとは思えない。

ロイロットはお構いなしに2発目を繰り出そうと、左手を大きく頭上へと振り上げた。

友人もボクサーのように両手を前に構え、カカトあげた。しっかりと脇が締められて素人のポーズではない。

いや、そんなことより、2人のちょうど中間にいる私は結構危険ではなかろうか!?


ハドソン:

待って。お客様。私の下宿を壊さないでください。


ワトソン:

ハドソンさん・・・。


ワトソンNA:

大男は腕を掲げたまま、ピタリと止まった。

われらの下宿の大家であり、管理人のマーサ・ハドソン。

実は探偵業に絡むこのような騒ぎは1度や2度ではないのだが、それでも我らを下宿に置いてくれる頼もしい女性である。


ハドソン:

ヘレンさんがホームズさんにどんな相談をされたかは存じませんが、ヘレンさん自身は郊外のお母さまが眠る墓地へ、結婚の報告に向かわれました。陽気もいいので、日の高いうちは墓前にいたいとおっしゃられていましたわ。

お客様自身で娘さんが一体何を話されたかお聞きになられてはいかがでしょうか?


ワトソン:

え?


ワトソンNA:

そうなのか?この騒ぎの間に墓地に行ったのか?

それより、自分の下宿を守るためとはいえ、依頼人の行き先を話してしまうような人だったのか、ハドソンさんは・・・。


ロイロット:

ふん、女の言う通りだ。ホームズとやら、他人のことにあまり首をつっこむなよ。わしを敵に回すと後悔するぞ、見ろ。フン!


ワトソンNA:

するとかたわらに置いてあった暖炉の火掻き棒を力任せに曲げてしまった。


ロイロット:

この鉄の棒より、お前の手足を曲げる方が容易だ。


ワトソンNA:

カランカラン

曲がった鉄の棒を捨て、きびすを返すと、大男は背中越しにボツリと言った。


ロイロット:

愛する娘を呪うはずがあるものか。


ワトソンNA:

意外な言葉に思えた。一応あんなヤツにも父親らしい一面はあるのか・・・。

ロイロットは扉も閉めず、おもむろに外に出ると、そのまま待たせていた馬車に乗り、走りだしていった。

なんにせよ、ひと段落ついたと私が振り向くと、目をむいてしまった。

体をわなわなと振るわせてキッチンからヘレンさんが出てきたのだ。


ホームズ:

名演技でしたな。ハドソンさん。


ハドソン:

ふー、心臓が飛び出すかと思いましたわ。


ホームズ:

君もだよ、ワトソンくん。

「えっ?」という、たった1言でハドソンさんの言動に真実味が増した。


ワトソン:

ははは・・・。


ワトソンNA:

私もロイロットもホームズにうまく騙されてしまったようだ。

苦笑いするしかなかった。


ホームズ:

さてこれで日の高いうちにはストーク・モランのお屋敷にお父様が戻ってくることはありませんね。お部屋をしっかり調べることができる。


ワトソンNA:

私もヘレンさんもハッと気づかされた。

なんという抜け目なさ。あの短い間に機転を利かせ、これほどまでの筋書きを作るとは。

ピンチをチャンスに変えるとはまさにこのことである。

あまりの手際に呆けていると・・・。


ホームズ:

ハドソンさん、お昼のお弁当用にサンドイッチでも作っていただけますかな?


ワトソンNA:

こうしたところも抜け目ない。



●●ストークモランへ●●

ワトソンNA:

数時間後・・・

ウォータールー駅で運よくレザーヘッド行きの汽車を捕まえ、数十分ほどで駅に到着。そこからは馬車を頼んで、美しいサリー州の田舎道を四、五マイルほど揺られていった。

申し分のない天気で、日はうららか、まるで行楽に向かうような面持ちでいる私の横で、ハドソンさんのサンドイッチを食べながら落ち着きなく顔を左右に振る友人。まったく、行儀の悪いことだ。


ヘレン:

さっきからよく見ていますね。都会の方ですから田舎は珍しいのですね。


ホームズ:

いえ、付けられていないかと思って。


ワトソンNA:

なんという用心深さ。ホームズのプロ意識には毎度頭が下がる。

私もパートナーを務めるのならもう少し彼を見習らおう。

そうこうしている間に、少し小高い丘に数本の木々とお屋敷の灰色の壁・高い屋根が見え始めた。

私は軽く身を乗り出し、御者をしている小男に聞いた。


ワトソン:

君、あそこがストークモランか?


御者:

へい、グリムズビー・ロイロット様のお屋敷でごぜーマスだ。

それにアッチが村でさ。


ワトソンNA:

御者は左手奥の集落にも指さした。


ホームズ:

お屋敷の後は、村へも行ってみるか。


御者:

3人とも、お気をつけくだせえ。ロイロット様はなかなかに気難しい御仁で、先日も、流しの薬売りが売り込みにいったのですが、キツイ一発をおみまいされて、目にタンコブをつけて命からがら逃げてきましたわ。

売り込むはずのお薬を自分に付けておりましたぜ。へへ。


ワトソンNA:

ヘレンさんは御者の言葉にうつむいたままだった。娘さんの前で、なんというデリカシーのない男だろう。

しばらく沈黙が続いたが、最初に口を開いたのはヘレンさんだった。


ヘレン:

このあたりで止めてください。

そして帰りもお願いしたいので、待っていていただけますか?


ワトソンNA:

道はゆるやかな坂でまだ続いており、石段で1段高くなっている屋敷を半周ぐるりと回って、玄関前広場につくような形だったが、ヘレンさんが止めた場所のすぐ脇には石垣を登る急な階段があり、そこから屋敷に上がることができるようだ。


御者:

こりゃ、ありがたい。屋敷の門は開けにくいし、真ん前に止めると難癖つけられたりしますからなー。


ワトソンNA:

まったく、この男は・・・。ホームズは行きの代金だけ払う。

そのとき私も多少機転を利かせ、小声でホームズに耳打ちした。


ワトソン:

なあ、この御者が駅でロイロット氏に会った時、余計なことを言うかもしれない。少し多めにお金を払い、口止め料としては?


ホームズ:

大丈夫さ。彼の方からもう十分に口止め料を払ってくれているよ。

この御者はヘレンさんをロイロット家の人間であるとは知らないようだ。

知っていれば、ロイロット氏の悪口を言うはずがない。

今のうちは薬のセールスマンを装っておこう。


ワトソンNA:

そのままヘレンさんたちに続いて我々は石段を登って行った。



●●ロイロット邸宅●●

ワトソンNA:

石段を上がった先は屋敷の裏手にあたるようで、物置と使わなくなった家財道具が雑然と置いてある。ホームズが何に気づいたかというと、獣の臭いのする腰丈くらいの頑丈な檻が2つ3つ置いてあったことだ。例のヒョウとヒヒのものか。

私たちは、屋敷の正面に出た。

ストークモランのお屋敷は、苔むした石造りで、中央部が一段と高くなっており、東西へ棟がそれぞれ翼状にのびていた。台所などがあるとされる東側はかなりボロボロでひどい有様だが、寝室のある西側は比較的綺麗だ。

西側の棟の外れに足場が組んであり、石の壁が崩れていたが、我々が訪れたとき、職人の姿はどこにも見えなかった。


ワトソン:

工事の人もいないし・・・、ジプシーもいないのですかな?


ヘレン:

工事は途中までやった段階で父と工事の親方様とケンカをしてしまい、中断している状況です。

ジプシーの方たちは今は別のところに興行に行かれているそうです。


ホームズ:

お屋敷が無人なのは捜査にはもってこいです。

確認しますが、この端の部屋があなたが本来いつもお休みになるお部屋で、真ん中がお姉様のお部屋、それから母屋に一番近い方がロイロット氏のお部屋ですね。


ヘレン:

ええ、そうです。


ワトソン:

工事は西側だけなのですかな?東側もだいぶ傷んでいるような・・・。


ヘレン:

これはわたくしの素人の意見なのですが、見た目はかなり悪くてもそれは外観だけで、正直工事をするほどの状況ではなかったように思います。雨漏りもまったくしませんでしたし・・・。


ワトソンNA:

ホームズは姉ユリアさん、今朝はヘレンさんが寝ていた部屋の窓を確認する。


ヘレン:

いつもなら開いているのですが、今朝は閉めっぱなしで家を飛び出しました。


ホームズ:

外からは開きそうにないですな。


ワトソンNA:

ホームズは取り掛かりのない鉄の鎧戸を押したり、上下左右にスライドさせてみるが、開きそうにない。

古い装飾ではあるが、この鎧戸自体は新しいもので、扉と扉の隙間にナイフなどを入れて開くような隙間を許さないための覆いがしてあったり、チョウツガイは頑丈な鉄製で、固い石壁にしっかり埋め込んであった。


ホームズ:

お屋敷の内部を確認させてください。


ヘレン:

はい。


ワトソンNA:

大仰な玄関から中に入ると、すぐにリビングであった。

外からは想像つかないほど綺麗にしてある。


ワトソン:

随分綺麗にされていますな。


ヘレン:

ええ、父は医者のせいか綺麗好きなので。

掃除をするのは私のお仕事ですが。


ワトソン:

ハハハ・・・。


ヘレン:

三つの寝室が並ぶ白壁の廊下に出た。ホームズはすぐさま二番目の部屋、すなわち今ヘレンさんが使い、彼女の姉が非業の死を遂げた部屋に向かった。

そこは質素な小さい部屋で、低い天井、大きい暖炉、いかにも田舎屋敷風である。

西側、つまりヘレンさんの部屋の方の壁には茶色のタンスとドレッサーが置いてあり、ロイロット氏の部屋の方の壁には白い布団をかぶせたベッドがある。

後は、小さな椅子2つ。これらがこの部屋の家具の全てであった。

部屋の中央に高そうなウィルトン絨毯が敷かれている。

床も壁も褐色のカシの木で、頑丈な作りである。

ホームズは椅子の一つを一方の隅に引いていって、しずかに腰を下ろすと、上下左右にぐるりと目をやり、部屋の隅々まで見回した。

そして、次は椅子の位置を変え、反対側から同じように見回した。


ホームズ:

失礼だが、ちょっと部屋の外に出ててもらえませんか。

扉は閉めなくてよいので。


ワトソンNA:

観察するのに、視界に我々がいるのが邪魔なようだ。言うとおりにして、しばらくするとホームズは何かに気づく。


ホームズ:

あの呼び鈴は、どこへ通じていますか。


ワトソンNA:

ホームズは寝台のそばに垂れ下がっている太い綱を指さした。


ヘレン:

えっと・・・、たしか2階の納屋へ通じております。

一応納屋を整理して家政婦の部屋にする予定でした。


ワトソン:

このお屋敷には家政婦がおられるんですか?


ヘレン:

いえ、姉がお嫁に行くというので、その分私一人では家事が大変になるので家政婦さんを呼ぼうという話にはなっていたのですが、結局うやむやになっていますね。

紐は各寝室と居間にあり、取り付けたのは父です。


ホームズ:

ふむ。なんというか、随分綺麗な綱で、白く真新しいですね。


ワトソンNA:

バンド・・・。ひも・・・。だがこのヒモは「まだら」模様ではない。


ヘレン:

ええ、そういえば2年前につけたばかりです。

姉が亡くなる1ケ月くらい前だったでしょうか。


ホームズ:

しかし、呼び鈴にしてはヒモの太さが・・・。


ワトソンNA:

呼び鈴の引き綱をつかんで引っ張った。

その手ごたえがおかしいのか、2度3度と引っ張って見せる。


ホームズ:

呼び鈴が鳴りませんな。

ちょっと失礼。


ワトソンNA:

そういうとホームズは靴を脱ぎ、ベッドに上がり背伸びをした。


ホームズ:

これは興味深い。引き綱はクギに軽く一巻きされていて動かないようになっている。

ヘレンさん、工事中のご自分の部屋の綱をひっぱっていただけませんか?


ヘレン:

あ、はい。


ワトソンNA:

パタパタと廊下に駆け出し自分の部屋に入る。


チリーン

小さな鈴の音が響く。


ホームズ:

居間の方も確認しよう。


ワトソンNA:

そういうとホームズはベッドに腰をかけ、靴をはこうとした矢先、


ホームズ:

ん?


ワトソンNA:

またもや何かを見つけたようだ。靴下のまま這いつくばり、ベッドの下をのぞき込む。


ワトソン:

何かあったのか?


ホームズ:

ああ、ここは波に揺れる船上でもないのに、ベッドがクギ止めされている。

動かせないようにしてあるんだ。


ワトソン:

なんでこんなことを・・・。


ワトソンNA:

ヘレンさんが戻ってきた。ホームズの奇妙な格好にいぶかしげな顔をしていると、ホームズは立ち上がり、ヘレンさんの元へ。


ホームズ:

居間のベルも確認させていただけますか?


ワトソン:

おい、その前に靴!


ホームズ:

あ・・・。


ワトソンNA:

チリン。

居間のベルも確認した。

そして、後残るは・・・。



●●大男の部屋●●

ホームズ:

ロイロットさんのお部屋も確認させてください。


ヘレン:

え!


ワトソンNA:

ホームズや私にとっては捜査をする上で当然のことだが、ヘレンさんは明らかに動揺した。おそらくロイロット家にとって聖域で、あの大男以外誰にも部屋には入れなかったのであろう。

しかし、すぐに気持ちを取り戻し、私たちをロイロット氏の部屋に案内してくれた。

ヘレンさんはロイロット氏の部屋を恐る恐る開ける。おそらく彼女にとって、これが初めての父への抵抗だったのだろう。

彼の部屋は娘たちの部屋よりも広かったが、家具は同様に質素なものだった。折りたたみのできる寝台、医学書ばかり詰まった木製の本棚、寝台のわきに肘掛椅子が一つ、壁に寄せて粗末な椅子が一つ、円卓が一つ、それから大きい金庫。


ホームズはまっさきにお目当ての違和感に飛びつく。


ホームズ:

お姉さまの部屋とお父様の部屋は、紐を通す穴でつながっているようですね。


ワトソンNA:

ホームズはまた靴を脱いでベッドにあがってマジマジと観察する。

そして紐をひっぱってみるが、やはりベルはならない。

その後は姉の部屋と同じくベッドの下を確認。こちらのベッドはクギ止めはされていないようだった。

そして、家具や調度品を一通り観察して回ったが、特に金庫・・・いや具体的には金庫の裏を入念に観察し始めた。


ホームズ:

ヘレンさん、金庫の中身をご存じで?


ヘレン:

いえ、部屋に入るのも初めてです。


ワトソン:

金庫に何かあるのか?


ホームズ:

なんというか、外の檻と同じ獣の臭いがするんだ。

それに裏側はなんというか網状になっていて、金庫の中が見えそうなんだが・・・。

ん?これは?


ワトソンNA:

今度は、金庫の上に無造作に置かれた鞭の方に興味を向ける。

そういえば、下宿に現れたロイロット氏も手に鞭をもっていたな。

飼っている動物を躾けるためのものなのであろう。


ホームズ:

奇妙な形だ。

見てみろワトソン。先端が輪になっている。


ワトソン:

ああ、珍しいがそんな形の鞭もあるんじゃないのか?


ワトソンNA;

ひとしきり鞭を弄り回した後、ホームズはしゃがみこんで、どこかの怪盗のように、金庫に耳を当ててダイヤル部分をカリカリと回し始めた。


ワトソン:

まさか、君は金庫破りの特技までもっているのか!?


ホームズ:

いや、開ないな。


ワトソン:

はあ・・・。こんなときにくだらない冗談を・・・。


ホームズ:

だが、ユリアさんを殺め、ヘレンさんを恐怖に落としこんだ謎の扉は少しだけ開いた。


ヘレン:

え!?



●●推理と思案●●

ワトソンNA:

そういうとホームズはそのまま屋敷の外に出てしまった。

顎に手を置き、眉間にしわを寄せ、右へ左へと屋敷の前の広場を歩いている。

ヘレンさんも私も彼の考えの邪魔をせぬように、遠巻きに見る他なかった。

しばらくすると、ツカツカと私たちの方に歩いてきて、こう切り出した。


ホームズ:

ヘレンさん。僕の言うとおりにしていただけますか?

事態は切迫しています。守っていただかなくては、命の保証はできません。


ヘレン:

はい、わたくしの身はホームズさんにゆだねております。


ホームズ:

まず第一に僕は、あなたの部屋で夜を明かします。


ヘレン:

え!?


ホームズ:

無論、僕1人でです。

僕はあなたの部屋で一夜を明かし、あなたがた姉妹を悩ました謎の正体を突き止めます。

あそこに見えるのは、村の宿屋ですね?


ヘレン:

ええ、クラウン・インという宿屋です。


ホームズ:

こちらからはあの宿屋の2階の窓が見えます。つまり、宿屋からあなたのお部屋の窓が見えるはずです。

お父様が帰ってきたら、あなたは頭が痛いと言って、ご自分の部屋へ下がってください。

それからお父様が夜、自分の部屋に入る音が聞こえたら、あなたは静かに窓の鎧戸を開き、ランプに火をつけ僕に合図をしてください。

できればランプは部屋の中を照らさないよう工夫を。


ヘレン:

はい。


ホームズ:

ランプをつけたままにして、その後、あなたは静かに部屋を出て、本来自分が使っていた部屋で待機します。

壁に穴が開いていますが、一晩だけ何とか我慢できますね?


ヘレン:

ええ、大丈夫です。


ホームズ:

その後は、僕にお任せを。


ワトソン:

待ちたまえ。


ワトソンNA:

私はついに我慢できず口をはさんだ。


ワトソン:

僕ではなく、僕たち・・・にだろ?

私も同行しよう。


ホームズ:

しかし・・・、危険なんだぞ。


ワトソン:

そんな危険な場所に、靴を履き忘れるほど推理に没頭してしまう君だけを行かせるわけにはいかないね。


ワトソンNA:

そういって、彼の靴を突き出した。

ホームズはロイロット氏の部屋のベッドに登った後、靴下のまま外に出てしまっていたのだ。


ワトソン:

それに私は、死地に出向く友人を、指をくわえて待っていられるようなヤワな男ではない。

きっと君の助けになろう!


ワトソンNA:

言葉だけではない。私は目でも語り掛けた。

その熱い眼差しをホームズも受け止める。


ホームズ:

わかった、ワトソン。君に背中を預けよう!


ワトソンNA:

かくして作戦は開始された。

私とホームズは待たせてある馬車に向かった。

手短に村の宿屋クラウン・インへ行くようにと伝えたが・・・。


御者:

あれ?もう一人のお連れ様は?


ホームズ:

彼女はこの家の住人だ。


ワトソンNA:

すると御者はギョッとしてしまう。

彼女が、娘のヘレンということをいまさら認識したのだろう。

ホームズは御者の小男をゆっくりとした口調で諭す。


ホームズ:

大丈夫、僕たちもあなたも口が固い。

あなたが黙っていれば、ヘレンさんも、僕も、彼も、あなたが言ったロイロット氏への悪評を永遠に忘れるでしょう。

駅で、大男に声をかけれても「ハイ」という言葉以外しゃべらないように。


御者:

へい・・・


ホームズ:

はい


御者:

はい


ワトソンNA:

なるほど、口止め料は必要なさそうだ。



●●宿屋での待機●●

ワトソンNA:

ホームズと私は、宿屋クラウン・インで、お目当ての部屋を難なく手配できた。我々は二階に陣取り、窓からはストーク・モランのお屋敷が、門から道にいたるまで見通すことができた。


夕暮れ時、ロイロット氏が馬車で帰宅するのが見えた。御者はきっとあの小男だろう。真っ黒な巨体が小男に覆いかぶさるように馬車の上で揺れている。

小男が正門の鉄門を開けるのに手間取っていると、博士の荒々しい怒鳴り声と「はい!」という声がここまで聞こえた。


我々は暮れゆくなか、椅子に腰掛けていた。

私は軍医時代の悪友に譲ってもらったリボルバー、通称エリィNo.2をもてあそんでいた。実は銃弾は1発しかない。しかも使えるかどうか撃ってみないとわからないという代物だ。

だが、相手を脅すには多少役には立つだろう。

ふいにホームズが口を開く。


ホームズ:

今晩、君を連れてゆくか未だにためらっている。それほど危険なんだ。


ワトソン:

私では役者不足かね?


ホームズ:

いや、来てくれるとどんなに助かるか。


ワトソン:

なら、もっと頼りにしてくれ。私と君との仲だろ?


ホームズ:

ああ。


ワトソン:

しかし、危険と言うものの、私にはいまひとつ見当がつかない。

私はあの部屋で何か見逃したのだろうか?


ホームズ:

いや。僕は若干の推理をした。見たものは君と変わりないと思う。


ワトソン:

私が妙だと思ったのは、引き綱くらいだ。

なぜ、あんな鳴らない引き綱を用意したのか・・・。


ホームズ:

僕はストークモランへ来る前から、ロイロット氏の部屋と姉の部屋はつながっていると思っていた。思い出してみたまえ、姉のユリアがロイロット氏のインド煙草の臭いがきついと言っていただろ?とすれば当然、二つの部屋が通じているはず。この時点で密室ではない。


ワトソン:

うん、そうだな・・・。


ホームズ:

さらに、ベッドはくぎ打ちされていて、あそこに寝る者は寝台を動かせなかった。通す口と綱に対して、いつも同じ位置関係だったんだ。


ワトソン:

なるほど、君の言わんとすることはわかった。

凶器はいまだ不明瞭だが発射される銃口の位置は確定している。

娘の結婚で年金が減るという動機も検討がつく。

あとは巧妙で恐るべき犯罪を瀬戸際で食い止めれば、全てが判明するということだな。


ホームズ:

ああ、その通り。証拠を掴まなくてはヘレンさんに安息の日は訪れない。

だが、今回、その掴むという行為こそが最大の難関なんだよ。ワトソン。


ワトソンNA;

夜9時頃、屋敷の居間から漏れていた明かりが消えて、ストーク・モランの方向は闇に包まれた。2時間が過ぎ、そして時計が11時を打つと同時に、ふと、正面右の方に、合図の明かりが灯された。


ホームズ:

行くか。


ワトソン:

ああ!



●●出立のとき●●

ワトソンNA:

私は銃をホルスターに入れ、友人はトレードマークのステッキを手に持ち、部屋を後にした。

出かけにカウンターでウトウトしていた宿の主人と言葉を交わす。


ホームズ:

暇だから、これから知人を訪問して、酒でもおごってもらうつもりなんだ。

場合によっては向こうに泊まるかもしれない。先に宿代を払っておくよ。


ワトソンNA:

外に出ると、冷たい風がさっと頬をなでる。

目指す闇の中には、黄色いともし火が北極星のように輝いている。

小さなランプを手に新月の暗い夜の世界を、不気味な使命に向かって走る流星2つ。

窓辺のランプがつけっぱなしだと、そのうち屋敷のオーガに気づかれ、作戦は失敗してしまう。我々は静かに急いだ。


ドライストーンウォーリングというこの英国南西部独特の石積みは、遠目には低いようで、近づくと意外に高い。真夜中にこれを超えるのはとても難儀するはずだが、崩れている個所を事前に調べていたので、容易に屋敷の敷地内へ入ることができた。


そのままランプが置かれている窓へ向かったそのとき!

突然、物音がした!


ワトソン:

う!


ワトソンNA:

月桂樹の茂みの中からおぞましい怪物のようなものが飛び出し、草の上を転がった後、そのまま通り過ぎて闇の中へ駆け込んでいった!

私はうっかり叫びそうになるのをぐっとこらえた。


ホームズ:

ヒヒだ。


ワトソンNA:

博士のかわいがっていた奇妙なペットのことをド忘れしていた。

ヒヒの力はとてつもなく強く、フランスではうら若き女性の首を引き千切ったという話を聞いたことがある。

そうだ、ヒョウもいる。ヒヒよりもはるかに獰猛な肉食獣だ。ひょっとすると、次の瞬間そいつが私の肩を噛みちぎっているかもしれない。

窓辺に置かれたランプを手際よく消すホームズ。

ヘレンさんも心得ていたのか、普通の部屋用のランプではなく、外出用のランプを使ってくれている。

部屋用のランプだと全体を照らしてしまい部屋の中まで明るくなって気づかれる恐れがある。前方にだけ光が出る外出用ランプを使ってくれたおかげで部屋の中は照らされず、今もあの大男に気づかれてはいないようだ。


ここでホームズは私の耳に手を近づけ、声を殺して話した。


ホームズ:

かすかな物音すら立ててはいけない。靴を脱いで中に入れ。

明かりを消し、ジッとしておくんだ。


ワトソンNA:

友人の息が耳に当たってこそばゆかった。

私は大きくうなづき、ランプを消した。

そして、彼をまねて靴を脱ぎ、寝室へ入る。

鎧戸が閉まる音がしないように、窓辺にハンカチを緩衝材として置き閉める。



●●静止した暗闇●●

明かりを消した屋敷の室内は想像以上に暗かった。

ハンカチで作られた鎧戸の隙間のわずかな光をアテに、必死に目を凝らす。

友人は私の肩をポンと叩き、ハンドサインを送る。

ここで座って待機。

銃を用意。


私は軽くうなづき、腰のホルスターから拳銃を取り出す。暴発防止に撃鉄は起こさなかったが、すぐに撃てる練習は普段からしている。


友人も座った姿勢ですり足で前に進み、ベッドの脇に陣取り、何かをシーツの上に置いているようだった。


もはや完全な暗闇の中だ。

私は、この暗黒に包まれた密室で眠ることなく2人で過ごした夜のことを、一生忘れないだろう。

音一つない、絶対の闇と静寂の中で恐るべき犯罪を待ち構えている。

だが、恐怖で縮み上がると思われた自分の精神は、不思議と心地よい緊張感の中で研ぎ澄まされていることに気づく。

そう、友人がいるからだ。

きっと彼もそうに違いない。

静寂の中、猫に似た長く引きつった鳴き声が一度聞こえた。ヒョウが放し飼いになっているのだろう。

ふと通風口の方から、にわかに光が漏れた。ロイロット氏が隣の部屋で手提げランプに火をつけたのだ。

そして、カリカリとした小さな金属音がする。

それもまもなく静まり、あとはただきつい臭いだけが残る。あのインドタバコの臭いだ。

それからまた静寂が訪れた。ごく短い時間が永遠のように感じられた。

すると、違和感に気づく。唐突に別の物音が聞こえてきた。

シュー。


ワトソンNA:

そう、ヘタな口笛!いや、この音は聞き覚えがある。

インドに行ったことがある者なら誰しもが震え上がるあの音だ!


その音が聞こえた瞬間、ホームズは、マッチを擦り、箱を打ち捨てて、右手でステッキを握ると、すばやく一撃を食らわせた!


ホームズ:

見たか、ワトソン!


ワトソンNA:

小さなマッチとはいえ、私は突然の光のまぶしさにホームズが何を打ちのめしたか確認することはできなかったが、大体の見当はついた。


ワトソン:

ああ、まだらの紐!

証拠を掴もうなんて思うなよ!近づけさせるな!!


ワトソンNA:

ホームズはぶんぶんとステッキを振り回したあと、ピタリと止まった。

その顔は恐怖と嫌悪にゆがんでいる。

そうだ、あれの恐ろしさを知っているものなら、そんな顔にもなる。

いや、マッチの火が指に迫って熱いのか。

私は拳銃をポケットに入れ、ホームズが落としたマッチ箱を拾い上げ、2本目のマッチをする。

ようやく彼は指でごしごしとマッチをもみ消したが、目線はずっと引き綱の先を見上げたままだった。

ふと見るとシーツの上には小さな包み紙に軽くつぶしたソーセージがあった。宿屋の夕食で出されたものだ。そうか、ホームズはおびき寄せたんだな。だから正確にステッキを振り下ろすことができた。

新しいマッチで部屋の状況を見ていると、突然!静けさを破って、この世のものと思えぬ絶叫が聞こえてきた。


ロイロット:

うあああああああああああああああああああ!


ワトソンNA:

屋敷が揺れた!

後に聞いた話では、村を通り越して遠くの教会まで聞こえ、多くの人が目を覚ましたという。我々もかなり肝を冷やした。


ホームズ:

なるほど、こういう結末か・・・。



●●その夜の結末●●

ワトソンNA:

私は手に持ったマッチの火でランプをつける。


ホームズ:

行こう、ロイロット氏の部屋へ。

ランプは僕が持とう。

必要ないとは思うが、君はいつでも撃てるようにしておいてくれ。


ワトソンNA:

そういって、姉の部屋を出て私を先頭にロイロット氏の部屋をノックした。

中から返事は何もなかった。

そこでドアノブに手をかけると、鍵はかかっていなかった。

ゆっくりと警戒しながら扉をあけると、

私は世にもおぞましい光景を目の当たりにする!


そこには、椅子に座って目をむき、口からは泡を吹き、長い手足をいっぱいに伸ばして小刻みに打ち震えるロイロット氏の姿があった。

鬼気迫る眼光は自らの肩口に向けている!


さらに異様な光景はロイロット氏の首元を這っていたまだらのひもが、ひざ元に落ち、ずんぐりと太い菱形のフードの頭をもたげたではないか!


ホームズ:

コブラ!


ワトソンNA:

そう、まだらのひも、それはインドでもっとも恐るべき蛇・コブラだった。

毎年数万人という人間が犠牲になる強力な神経毒をもった毒蛇だ。

シューというヘタな口笛は、蛇の出す警戒音だった。

ホームズはとっさに何かを拾い、ランプを私に手渡した。


ホームズ:

すまないが、コブラの意識を君に向けさせてくれ。近づきすぎるなよ!


ワトソン:

え?


ワトソンNA:

どうしたらいいのかよくわからず、とりあえずコブラに向かってランプを上下させてたりするとホームズはコブラの斜め後ろにつき、手に持った棒を伸ばし始めた。

そう、昼間この部屋で見た輪のついた鞭だ。

まるで気がつかなかった。あれは蛇の捕獲機だ。

最初は輪を緩めて蛇の頭にひっかけ、そして束の一番下から出ている紐を引っ張りあげると、輪が狭まって蛇を締め上げる代物だ。

先入観とは恐ろしい。ロイロット氏と初対面したときに鞭をもっていたから、それに似たものは全て鞭だと思っていたのだ。


ホームズは捕獲機を手際よく使ってコブラを捕まえ、金庫の中に入れようとする。開け放たれた金庫の中を見ると、奥の壁は実は虫かごのように網になっていて、実は蛇を入れておく檻だったのだ。

うねうねと必死の抵抗をする蛇。なかなか金庫のドアを閉めさせてはくれない。私も扉を閉めるのを手伝だったのだが、うかつに緩めると逃げ出してしまいかねないので、ホームズもかなり苦戦した。そのうち締め上げられていたコブラは窒息したのか動かなくなり、ようやく安全に金庫のドアを閉めることができた。

2人とも汗だくだった。


ホームズ:

さて、一応聞くのだが、ロイロット氏を救う手立てはあるのか。


ワトソン:

あ!


ワトソンNA:

医師としてなんたる不覚。コブラを捕らえるのに必死でまるで忘れていた。


ワトソン:

かまれた直後に傷口から毒を吸い出せば多少は助かる可能性があるというのを聞いたことが・・・。


ワトソンNA:

そう言った矢先、ヘレンさんが飛び込んできた。実は廊下から一部始終をのぞき込んでいたのだ。

ヘレンさんはロイロット氏に飛びつき、体を見回す。最初どこに傷口があるかわからなかったが、首元に2つ小さな穴があるのを見つけると、その口で必死に血を吸い出し、そして吐き出した。


ヘレン:

お願い!お父様死なないで。


ワトソンNA:

正直、この事件で最大の驚きであった。

私もホームズも、そしてロイロット氏も信じられない言葉を耳にしてしまったという表情だった。

つい今しがた自分を殺そうとした張本人であるのに。


ロイロット:

う・・・あ・・・


ワトソンNA:

オーガの目からあふれんばかりに涙がこぼれ落ちた。


ロイロット:

ああ、ヘレン。愛している。

金が惜しかったのではない。

お前が、ユリアが、他の男に・・・

誰かに奪われるくらいなら、この手でと・・・。

うああ、このバカな父を許してくれ。


ヘレン:

お父様、私も愛しています。


ロイロット:

うおおおおおおおおおおおおおおお!!!


ワトソンNA:

もはや泣き声か叫び声かわからないほどの大声を張り上げ、最期の力を振り絞ってヘレンさんを突き飛ばした。


ロイロット:

ホームズ!娘の口を水でゆすがせろっ!!


ワトソンNA:

・・・これが、ロイロット氏の最期の言葉となった。

傷口から吸った毒を飲み込ませないようにするためなのだろう。


ヘレン:

お父様!


ワトソンNA:

跳ね飛ばされたヘレンさんはもう一度立ち上がり、ロイロット氏に駆け寄ろうとするが、私は彼女を止め、ゆっくりと首を横に振った。


ヘレン:

・・・うあああああああん!!


ワトソンNA:

泣き伏すヘレンさんを前に、我々は立ち尽くすばかりだった。

コブラの毒はゆっくりと体中の力を奪い、呼吸もできなくなるほど弱くなり、絶命に至る。

19世紀末の現在に至っても特効薬はない。最初のひきつけはかまれた時のショックによるものだったのだろう。

ただ、結果としてドクター・グリムズビー・ロイロットの死は、安らかなものになった。



●●エピローグ●●

その後、朝になると警察がやってきた。

我々は、彼の死の間接的な原因でもあるため、ことの真相を正直に全て話した。


だが、ヘレンさんは

『危険なペットの取り扱いを誤ったために起きた事故死』

と答えた。

結局、警察も由緒あるロイロット家のメンツと捜査の手間を減らすため、事故死扱いにした。


それから1ケ月の喪に服した後、多少遅れはしたが、ヘレンさんの結婚式が無事取り行われた。

場違いだとは思いつつも、我々も式に出席した。それは、とても晴れやかな門出だった。

その後、ヘレンさんとホームズはかなり揉めたのだが、結局250ポンドもの報酬をもらってしまった。

最初は遺産の1000ポンドそっくりそのまま渡そうとしていたので、ヘレンさんの我々に対する感謝の度合いがうかがい知れる。

我々は50ポンドをハドソンさんに、残り100ポンドずつを山分けすることにした。これで玄関の壁を修理してもらおう。


ワトソンNA:

季節はもう初夏。

面倒な税務処理を終え、それでも随分な大金が手元に残ったのだが、2人とも放蕩をする気にはなれなかった。


ホームズ:

今回の事件は先入観にとらわれまいと捜査の面ではかなり気を付けて行動したつもりだったんだが、人の気持ちまで気が回らなかったな。

僕もまだまだのようだ。


ワトソン:

おいおい、ヘレンさんに言い負かされて、ずいぶん弱気になったな。ホームズ。


ホームズ:

いやいや、僕は経験した・反省した・そして成長した。

さあ、早く次の謎よ来たれ。

今度こそ華麗に解いてみせようぞ!


ワトソン・ホームズ:

はははは


ワトソンNA:

ベーカー街に無邪気な笑い声が響き渡った。



●●ED●●

ホームズ:

シャーロックホームズ スペックルドバンド


原作:コナン・ドイル

まだらの紐(The Adventure of the Speckled Band)


<終了>

個人的な小説修行の一環で書きました。

が、書いた自分自身でも読み進めていると誰のセリフかわからなくなりますw。

私は普段アニメのお仕事をしているので、慣れているという点から台本形式にしました。


コナンドイルの小説はすでに著作権消滅作品ですが、翻訳は消滅していないものもあります。

原作英文を元にDeep-Lやgoogle翻訳を用い、かつ既存の翻訳にかぶらないようにしています。


さらに翻訳を進めていくと「ドクター(医者)を博士と翻訳してる点」や「一番のネタバレになってる日本語の表題」などを変え、「都合よくロンドンで用事があって屋敷を開けるロイロット」など偶然な部分に疑問を覚えたので自分なりに変え、そして僕自身の中のヘレン像などかなりオリジナル要素を含めました。


ただ、トリックや結末などはなるべく原作を尊重した形です。


やっててすごい英語もモノカキも身についてる実感がしてくるし、何より面白かったので今後も権利消滅した推理小説もののオリジナルアレンジ小説やっていこうかと思っています。

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