余命半年 回避!
空白
空白
……………がや。
がやがやがやがや。
あ…なんか、懐かしい。
パチンコ屋の前を歩いてたら、自動ドアが開いて一気に騒がしくなるあの感じ。
とても懐かしかったから、私の耳に音が戻ったって気づくまで時間がかかった。
私の手の甲に、とんとんとん、とんとんとん。
とても馴染みの感覚がする。私と彼の暗号。
とん3回はね…
「死なないで…」
そう。<死なないで>。あれ?
「…このままあと数日生きたとしても、彼女はさらにできることを失って、そして亡くなっていたはずです…そういう病でした」
「わかってます…でも、それでも、彼女がいないと…。さっきまで笑ってたんです…話してたんです…なのに、なんで…。置いていかないで…。」
たぶん先生と、大好きな彼が話してる。
わあ、久々だなあ。彼の声だあ。
私はしばらくノー天気に幸せにひたってたんだけど、だんだん頭がはっきりしてきて会話の内容がわかってきたら、さっきまでの出来事も思い出した。
あ、これ私死んだと思われてる。
あれ?でも私なんで死んでないの?
あ、幽霊?幽霊かな私?
はて、生きるとはなんぞ。そして死ぬとはなんぞや。
ていうか意識はっきりしてきたら、いたたたた。
痛い痛い。体中が悶絶の痛さ。死して尚この痛みはないでしょう、だからたぶん私生きてる!
とりあえず目を開けてみた。
ぼやあとしてよく見えない。でも光がある。
目を何度かぱちぱちしたら、ちょっとずつ視界もクリアになってきた。
私の手を握る彼と、その横に先生と、あと忙しげな看護師さん達が見える。
あ、なんか言わなきゃ。でもなんて言えば…。
とりあえずでも、彼をこのまま泣かせるわけには!と思ったら、私、とてもいいこと思いついた。
私の手を握る彼の手の甲に、とん、ってする。
私と彼はね、これだけでいいの。
ほら、彼が涙に濡れた顔をあげる。
目があって私が微笑む。
「奇跡だ…」
と誰かが言った。
****
「恥ずかしながら生きながらえました」
という有名な言葉を言ったら、彼が私にすがりついた。ああ、体中痛いし腕が重い。でも頑張って重力にあらがって持ち上げて、彼の背中をなでなでしたよ。
そして私は先生を見る。先生は驚きながらも理性を取り戻して落ち着いて質問をしてきた。私もわかる範囲で答える。
「今、どのような体調ですか?」
「体調は…最悪です…。でも…視力と聴力が戻っていて、あと、匂いも。口の中も嫌な味がします」
「あなたの体を調べたい。いいですか?」
「はい」
足や手をとんとん触診される。まぶたの裏を見る。目に光を当てられる。
「本当は精密検査や血液も取りたいところですが、まだ負担がかかるでしょう…とりあえず点滴を再開して、時期を見て食事も試してみましょう。…あなたの機能が、回復してるように見えます。」
「…私も、そう思います。あ、痛覚も戻ってて、体がすごい痛いです…たぶん動かしてなかったから」
「ええ、では、痛み止めも再開しましょう」
そうして先生がいなくなり、看護師さん達が「よかったね」と私達に声をかけてくれていなくなった。
病院がばたばたしてる。
彼はなんか、痩せたね。私も人のこと言えないけど。私は久々に彼を見れるだけでもとても嬉しいのに、もっともっとって欲張りになって、声をかけてみる。
「ねえ、なにかしゃべってみて?」
「…ずっと君に話してなかったから、なにを言えばいいかわからないよ」
「顔見せて?」
「…泣いてるから嫌だ」
「じゃあ、ティッシュが私の枕元あたりにあるはずだから、それ使って?」
「うん、わかった」
そうして視界から消えた彼が戻ってきて目の前に座る。
「目が見えるの?」
「うん」
「音も?」
「聞こえてるよ…また、会話できるね」
「そっか、夢みたいだ…」
「うん」
「生きてる?」
「うん、たぶん?」
彼が私の顔に触れる。ほっぺたつんつんして、なでてくる。くすぐったい。そして私の体を持ち上げて、抱きしめた。
****
「えーん、リハビリがつらいよう」
衰えた筋肉を復活させるのがこんなに大変だったなんて!
もう死を覚悟してた最後のほうは、手が動けばあとはいらない、くらいな極限状態だったから…足とか捨ててたし、まさか筋肉0からの鍛え直しになるなんて思わないよね。
っておや?愛しの彼女が苦しんでいるというのに、薄情な彼は笑っております。
「むう、なんで笑うの?」
「え、面白いから。もっとしんどい時は前向きなことしか言わなかったのにって思うとさ、今余裕あるよね。よかったね」
「うーん、確かに…?」
「今つらくても、頑張ったらまた歩けるようになるんでしょ?」
「うん」
「じゃあ頑張ろう?で、退院したら遊びに行こうよ」
「うん、そうだね」
彼はとてもにこにこしてる。
色々私、先のこと考えると遠い目になるけど…彼が笑顔だからまあいっかってなる。
「そういえば今日ね、おかゆ一口食べたよ」
「おおー。どうだった?」
「気持ち悪かった」
「あはは。わからなくもないかも」
「久々に食べてもおいしいものってなんだろうね?」
「そうだなあ…りんごとか?」
「あ、いいね」
「ジュース買ってこようか?」
「うん、飲みたい」
「了解。じゃあ待ってて」
そうして私はりんごジュースで、彼はコーヒー牛乳を飲む。
「おいしい?」
「うん、おいしい。幸せー」
「そっか、よかった」
彼はもう、すっかり私の手に触れるのが癖になってて、無意識で私の手のひらを、とん、ってしたりするの。だから私も、とん、って返す。そして2人で微笑み合う。
話せなくなっても心が繋がっていられるように、2人で決めた暗号がいくつかあるんだ。私が絶望しないでいられたのは、彼の力がすごく大きい。また会えてよかったな。
「退院したらどうするの?」
「うーん、とりあえずライフラインの確保だねえ…」
なんせ私、住む場所も仕事も人との繋がりもスマホも口座もカードも、なにもないという。
ああもう考えるのしんどすぎる、断捨離しすぎたなあ…。
目が見えるようになったのに、遠い目になる。
「住むところとか探すの大変でしょ?よかったら、うちに来る?」
「え、いいの?」
「うん、そうしたらサポートもできるし。君がうちにいてくれたら、毎日家に帰るのが楽しくなると思うんだ」
私の彼って天使かな?
「ありがとうー!当面の住む場所が一番ネックだったの…すごい助かる!じゃあお布団買うだけでしばらくどうにかなりそうだね。ふふ。あ、家賃半分出すね?はーよかった、住所があれば色々契約できるし仕事も決めやすいし、仕事決まれば家も探しやすい!生活基盤整うまで迷惑かけちゃうけどよろしくねっ」
「え」
「え?」
ん?
なんだろうこの微妙な雰囲気。
「うんと。食費や光熱費とかかな?お金関係は大事だし、ちゃんと決めようね?」
「ああ、うん、うーん。えっと、とりあえず食費や光熱費とかはいいよ。仕事してるから気にせず頼って?」
「そう?ありがとう。もう充分すぎるくらい頼ってるよ」
そう言うとなぜか彼が苦笑してた。
ところで私、障害者手帳とかもらったりできるのかな?できればそういう制度利用して雇用とか確保したい…先生にあとで聞いてみよう。
あと、とりあえず入院してる間にタブレットでも買っておいて、Wi-Fiスポットで仕事とか一人暮らし家電とか色々検索だ!
あ、そういえばね、私、腕の力はそこそこ残ってたから、車椅子に乗れるようになったんだよ。すぐ疲れるけど。
でも休み休みなら病院の中うろうろできるし、疲れてどうしようもなくなったら看護師さんに部屋まで連れ帰ってもらってる。世界がすごい広がったんだ。
私、半年くらいずっと病室で過ごしてたからすごい楽しい!
「ん?今なに考えてるの?心の中で話してないで、口に出してよ。くるくる変わる顔見るのも面白いけども」
そう言って彼が笑う。
「あ、ごめんごめん。うんとね、最近車椅子に乗れるようになって楽しいなあって思ってたの」
「なんかずいぶん遠くまで行くらしいね」
「うん。今日は売店に行ったよ。あ、そうだこれあげるね。売店で売ってた変なキーホルダー」
「ええ…うわあ。まあもらうけど」
「もらうんかーい」
「うん、嬉しい。ありがとう」
「…どういたしまして」
なんやかんや言いつつ素直に喜ぶ彼に、若干の罪悪感を持つ私であった。
****
「もしもし、お母さん?私。わあーごめんごめん。連絡しなくてごめんなさい…っ!
今?今はね、病院にいる。入院してたんだ。あ、もう全然大丈夫だよ?治ってきたから最近は毎日リハビリしてるの。
えー?来なくていいよー。再婚したばっかりじゃん。…うん、私のほうから、今度遊びに行くから。ふふ。卵焼きが食べたい。
今ね、スマホ持ってなくて、買わなきゃなんだ。買ったらまたこっちから連絡するね。はーい、またねー」
ふう。スマホ処分する前に、連絡先手書きしておいてよかった。一本の蜘蛛の糸くらいの希望を捨てきれなかった私は、引き出しの2番目に、病気が治ったら使う系のものをまとめてたの。連絡先リスト、免許証、印鑑、雇用保険…そういう諸々のやつ。
公衆電話を使う人なんて全然いないから、今日は紙パックのお茶にストロー差したやつと連絡リストをででんと置いてイスに座って、朝からずっと病院の公衆電話を占拠して、平日の日中でも電話に出てくれそうな人に電話をかけまくっている。
そして、私がスマホ解約して半年間音信不通だったものだから、電話かける度に相手からめっちゃ怒られる。ぴえーん。
彼はねえ昨日「明日飲み会に行ってきていい?」って言うからさ「行きな行きなー!っていうかもう私元気だし、お互い日常生活に戻していこうよ」って言ったんだ。たぶんお互いずっと、非常事態モードだったから。
「もう来るのは週一とか月一くらいでいいよ」と言ったら「うわ酷すぎる」とか言われた。なぜに。
でも「退院したら一緒に住むんでしょ?」って言ったら「そうだった」って笑ってね、これからは週一くらいで来てくれることになったよ。
次会う時には、立ち上がってびっくりさせよ。ふふふ。
最近、フラフープみたいな持ち手でさ、下に車輪がある…歩行補助器?あれで歩いてるの。リハビリは最初すごくしんどかったけど、最近はめきめき回復してるの感じるからすごく楽しいよ。
そういえば障害者手帳って、回復見込が低くないともらえないんだね?私はそんなわけでダメだった。…まあ、嬉しいことだよね?ありがたいことですよ。
病院の中をうろうろしてるとさ、今まで知らなかった世界がいっぱいあるの。この病院はちびっこの遊び場みたいなところがあってね、たぶんお母さん達がお見舞いしてる間、遊んでいられるような場所、かな?いつも同じちびっこが2人いる。
入り口のところに監視員さんみたいな人がいて、本読んでる。
「入ってもいいですか?」って聞いたら「どうぞ」と言ってもらえたから、部屋に入ってみた。
あ、ちびっこ達が気づいた。
「おねーちゃんそれなにー?」
「ん、これ?歩く用のやつだよ」
「なんで普通に歩かないの?」
「うーん、難しいなあ。ずっと歩いてなかったから、歩く練習してるんだよ」
「ふうん。私歩けるよ?」
「ほんとだ、すごいねえ」
「えへへー」
「ぼくはねえスキップできるよ!」
「ん?それははたしてスキップかい?」
大人に構ってもらうのが嬉しいのか、きゃいきゃい話しかけてきて可愛い。ちょうど私も歩き疲れてたし、補助器から抜けてクッションに座ると、女の子がひざに座って、男の子が背中に乗ってくる。ういやつめー。
くすぐったり頭わしゃわしゃしたりしたらとてもなつかれて「明日も来る?」って聞かれた。うん、暇だし来ようかな。何気に体力もすごい使うからトレーニングになりそう。
そんな感じでね、一人でもやることたくさんあるんだよね。あ、でももうすぐ退院だからこの子達とは、時期がきたらちゃんとお話をしないとだなあ。
****
なんとモテ期です。
ちびっこ2人と戯れてたら、彼が嫉妬して、ちびっこと私を取り合っております。
「お兄ちゃん大人でしょー」
「甘えるなんて変なの」
「変でいいよ。それにこの人は彼女だから」
そう言って私を後ろから抱きしめる彼。私の肩にあごを乗せて、ちびっこにむすっとした声でぼやいていて、とても大人げない。おや、こんな人だっけ?どしたのー?
「おねーちゃんこの人の彼女なのー?」
「うん、そうだよ」
「おねーちゃんも、おにーちゃん変だと思うでしょ?」
「うーん、相変わらず難しいこと言うね?まあ、でも、彼氏特権だよ。私にしかしないから、いいの」
そうしてにこっとすると「ふーん変なのっ」って言うちびっこ達。あ、私達に興味をなくして積み木遊びをはじめた模様。
「変なのって言われてるよ?」って彼に言ったら「君に彼氏特権って言ってもらえたからいいよ」って言う。どうやら機嫌を直したご様子。そして頬にキスしてくるから、こらこらこら。人前!人前だよ!?
「あとからいっぱい甘えていいから今は我慢してね?」
って囁いて頭をなでると素直に離れたから、ちびっこ達に声かける。
「ねえ、おねーちゃんね、もうすぐ退院するの。」
「もうここに来ないの?」
「うーん。リハビリで時々来るかもだけど…あんまり来なくなるかな」
「やだー」
「毎日きて!」
「うーん、ごめんね。だから今日はぎゅーってさせて?」
そして1人ずつぎゅーってした。
すぐに別れると知っていて、仲良くなるのって…いいことなのかな?悪いことなのかな?
いつも悩むんだ、私。
悩むから、仲良くする時もあるし、仲良くしない時もある。仲良くなければ別れが寂しくないけど、仲良くなると別れの寂しさがある代わりに楽しい思い出できるよね。
こうやって小さな子達が、別れを理解して、泣いてぎゅっとしがみついてくれるの見てると、やっぱりどっちが正解かわからない。
でも、大人を恋しがってると思ったから、今回は毎日のようにいっぱい構っちゃった。
「こちょこちょこちょー」
「あはははは」「きゃー!」
「永遠のお別れじゃないよ。だからまた会ったら遊んでね?」
結局そんな風に言っちゃって。
私は2人の頭をなでた。
****
ほほー。へえー。きょろきょろ。
彼の家に来るのが初めての私は、興味津々で色々見て回ってる。
ついでに彼の車に乗るのも初めてだった。これから少しずつ探検してこの辺を覚えないと。
へへー、私、この度めでたく…退院しましたー!パチパチパチパチ。
長時間歩いたりとかはまだしんどいけど、喫茶店とかで休憩しながらとかなら普通に過ごせそうだよ。だから絶賛無職な私は、Wi-Fiのある喫茶店に行って優雅にタブレットで遊びながらお紅茶を飲んだりできますの。
はう、なんて健康で文化的な生活…!
「結構片付いてるね」
「うん、頑張って少しずつ片付けたからね」
「冷蔵庫の中、空っぽ過ぎない?」
「だいたい賞味期限切れてたから捨てた」
「ええ、今まではなにを食べてたの?」
「うーん、カロリーメイトとか?」
「もー!体!資本!」
「あはは、お昼は外でちゃんとしたの食べてるよ」
「私作ったら食べてくれる?」
「うん、食べたい、作って」
「じゃあさ、買い出し行こうよ。お米とか重たいの持ってほしい。調味料見てくるからちょっと待ってて」
「うん。あ、布団は買っておいたよ」
「ありがとう~」
「はいこれ合鍵。平日は定時上がりだと19時には帰れる。頑張ってなにかする必要はないから、自由に過ごしてね」
「うん、ありがとう。ねえ逆にさ模様替えとかしてもいい?」
「うーん、この辺以外のとこならいいよ」
「はあい。とりあえず台所回りキレイだから、汚れないやつ付けたりしたいの」
「ふうん。料理してる人っぽい話ぶりだなあ」
「そうそう、あたかも」
「あたかもかあ」
「スマホ買うのもカード作るのも雇用保険もらうのも口座が必要で、口座作るには住所が必要で、住所証明の為に免許証更新したくって、その為には住民票移すんだけど、それには私が前まで住んでたところの市役所行かないとなんだよね」
「うわなにそれ」
「エグいしょー」
「エグいなー。平日休み取れたらいいんだけどごめんな」
「ううん、大丈夫。ドラクエみたいな気分でやるから」
「どういうこと?」
「ドラクエも、不死鳥ラーミアを呼ぶ為には7つのオーブが必要で、その為には村を発展させないといけなくて、村おこしの為には商人を連れて行く必要あって、その為だけに商人を育てねば…みたいな感じじゃん?」
「あーなるほど。そうか、手続きはドラクエなのか…」
そんな風な感じで、思いつくままに話をしながらお買い物をする。片手を恋人繋ぎして、お互いのもう片方の手で1つのカートを一緒に押す。
恋人繋ぎするの、なんかすごく久しぶりかもしれない。
だって今まではね、手は心を伝える手段だったから。
彼の手のひらの上に私の指を置いて、私の手のひらの中に彼の指がある、みたいな感じの置き方がデフォルトだった。
恋人繋ぎだと暗号が使えないもんね?あれ?できるかも。
試しに親指動かしてみたら、彼の手のひらに、とん、てできた。
彼もお返ししてくれる。ふふ。
そしたらね、彼がふと私のほうを向いて、微笑んで言うの。
「ねえ」
「ん?」
「好きだよ」
「ふふ、知ってるよ?」
いつも暗号でたくさん伝えあってるよ?
「言葉ではちゃんと言ってなかったかもと思って」
「うーん、言われてみれば…」
「君の口からも聞きたいな」
そういえば、ちゃんと言ってなかったのかもしれない。
だってなんか今すごく恥ずかしいもん。
いざ言おうとしてみると、周りの人とかすごい気になってくる。
だから、死角を探してね、そっちに連れて行ってから小さい声で言った。
「…好きだよ」
顔を見上げると、彼がとても嬉しそうにしてる。
そして優しく私の髪に触れる。
私達はがやがやした周りの中に溶け込んでいる。
ああ、世界って綺麗だな。見えるものも、聞こえるものも、触れる手も、なにもかもが愛しい。
彼の顔が近づいて、私は目を閉じた。