たなばたキャンディ
たなばたキャンディを買おうとすると、最後の一個を男が取っていってしまった。りん子は男を追いかけた。濃紺の帽子とケープを身につけた男は、レジに小銭をきらきらと命中させてスーパーをあとにした。
「待ちなさい!」
りん子は出口にあった台車に乗り、道路を蹴って追いかけた。蒸し暑い風が髪を逆撫で、景色が流れていく。
たなばたキャンディを買うと決めていた。去年もその前も買わなかったから、今年こそは食べてみたかったのだ。五色の星と織姫、彦星、そして短冊の形をしていて、近くを通ると懐かしい果物のような香りがする。
台車はあっという間に男に追いついた。轢いてしまう直前で止まり、りん子は道に転げ落ちた。
男は振り向き、りん子を見下ろした。少し長めの髪に、粉砂糖のように水滴がついている。アーモンド型の瞳は、星を閉じ込めたような色をしている。
男はたなばたキャンディを出して見せた。
「これが欲しい?」
「欲しい。っていうか、私のよ。私が買おうとしてるのをあなたが取ったんじゃない」
「じゃあ返すよ。りん子は僕に何をくれる?」
りん子の髪に、青いワンピースに、腕に、足先に、男のまとう水滴がふわふわと移ってくる。りん子は水滴に絡めとられ、いつのまにか夜空に浮かんでいる。
夜空は静かで涼しく、たくさんの星がいる。星はみんな親切で、りん子を新しい住人として迎えてくれる。安い八百屋さんやおいしいラーメン屋さんを教えてくれて、店が休みの時は自分が食べ物になってくれる。
りん子は水滴に囲まれているので、夜空から落ちることはない。星はいくらでもいるので、食べても減らない。甘くて冷たいたなばたキャンディが、いつでも食べ放題だ。
でも帰れない。紺色のケープをまとった男が、瞳の中にりん子の星を持っているので、もう地上には帰れない。男はりん子のために野菜を育て、安い八百屋さんを作る。世界中の職人をさらってきて、安いラーメン屋を作る。全部りん子のものだよ、と笑う。
「りん子は何をくれる?」
何もあげない、とりん子は言った。
途端に雨が降ってきて、星が消えた。
絵の具を溶かしたように全てが混ざり、流れていく。どしゃぶりの雨だ。
りん子は道に立っていた。男の姿が雨に閉ざされ、色を失っていく。今年も会えた。でも会えなかった。男がばらばらに溶けていくのを、りん子はただ見つめていた。
去年もその前も買わなかったから、今年こそは食べてみたかった。
「待って」
男が振り向いた。失いかけていた輪郭が再び現れる。りん子は男の手をつかみ、雨の中から引っ張り出した。
「私、魚のホイル焼き作れる」
「くれるの?」
「バニラアイスも買ったからあげるわ」
「ありがとう。あとバスタオルも欲しい」
男はずぶ濡れのまま、少し笑った。たなばたキャンディの包みをりん子に差し出し、頭を振って水滴を飛ばした。
「ずいぶん濡れちゃったわね」
「平気だよ。僕は水の精霊だから」
「あなたじゃなくてたなばたキャンディ。まあ、食べられればいいけど」
りん子はワンピースの袖でキャンディの包みを拭き、ふと思い出して男の顔を見た。
「久しぶり、よね」
「僕のこと知ってるの?」
「知ってるわ。毎年会ってるじゃない」
昼間の空からいくつも星が降ってきて、次々と新しい色を添えた。言葉よりもたくさんの星だった。
雨の上がった道を、りん子は台車に乗って走った。男はりん子の後ろに乗り、水滴をなびかせてアスファルトを蹴った。ピンクの星を一粒ずつ食べ、二人はどこまでも走った。
りん子シリーズの七夕話、毎年続けてきましたが、ようやくハッピーエンドになりました。
またいろいろな話で、りん子や水野には活躍してほしいです。