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スカーレッド 序 エヴァン=ジル  作者: 綴羅べに
1.華の都のドブネズミ
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 医務室から兵舎へと戻る道すがら。

「ありゃあ、どうしたもんかねぇ……」

 グラディスは潮風に鍛えられ硬くなった髪を引っかき回しつつ、そんな独り言をこぼした。

 既に一週間。その間、出した食事はほとんど手が付けられていない状態で戻されている。水だけは減っているようだが、それでもそろそろ本格的に限界を迎える頃だろう。あのままにしておいたら怪我が治るどころか栄養失調で死んでしまう。

 問題なのは、本人がそれを理解していてなお自ら暗い方向へと歩いていっていること。

 端的に言って生きる気力が根こそぎ失われている。

 それを取り戻させる手段は見つけられないまま。グラディスはうまくいかない説得の日々を悶々と過ごしている。あまりにも考え込みすぎて部下から「団長どうしたんですか? え、考え事? それで生返事とかなんか悪いもんでも食べました?」などと失礼千万な心配をされる始末。うるせえ俺だって熟考するときはあるんだよ。

 ただ、相手の言うとおり、思考に意識を持っていかれる感覚というのにあまり馴染みはない。

 だからこうやって――人の気配に気づかず曲がり角でぶつかりかけたりする。

「ん――どわっ!」

「……っと。誰かと思えば、きみか。護譜団の統括者が上の空でうろつくとは、感心しないな」

 この、穏やかな声音でありながら容赦というものを一切考慮していない物言い。

 普段だったら適当な平謝りで済ますグラディスも、場所が場所なだけに面食らった。

「ジル? お前なんでこんなとこに?」

 首筋を流れるは、美しい満月を細く縒り編んだような、柔らかな金髪。

 金糸のわずかにかかる目元は冗談みたいに透き通った蒼穹。

 護譜団の中でもかなりの高身長組に入るグラディスより目線二つぶんは小さいものの、常にしゃんと伸びた背筋が実際よりもいくらか大きく彼を見せている。それは彼が背負った責務の重さの表れであり、また血族としての誇りの輝きでもある。

 この国でただ一人しか袖を通すことを許されない、純白の略式礼装を纏った若き男。

 スコアランド第三十一代国王――名を、ジヴォルニア・アルモニコス・ブルジェオン。

「ようやく政務が一段落したから、あの子の様子を見に来たんだ。あれから全く顔を合わせていないし。報告で、治療は無事に成功したと聞いてはいるが」

 嘆息しつつ彼はそんなことを言った。その呆れ顔は保護した少年に対してではなく、ぼけっとしていたグラディスに向けてだろう。そんなに咎められるもんかねぇと腑に落ちない気分はしたが今は飲み込んだ。

 呆れたのはこっちも同じだったからだ。

「お前ね、そんならそうと事前に面会申請ってもん入れてくれない? 詰め所はともかく突然医務室に麗しの王さまが顔出したら看護婦連中ひっくり返るだろうがよ」

「そんな手続き踏んでいたらいつになるか分からないだろう。大体、ここは王城なのだから国王()が自由に歩き回って何が悪い」

 グラディスは再び瞠目した。以前の……ほんの数年前のジヴォルニアだったら絶対に口にしないような言葉だったから。

「……変わったな、お前」

 元から生真面目な性格だし、それは今でも変わっていない。規律を重んじながらも、民のためなら、仲間のためなら、己の権限の及ぶ範囲でいくらでも破ってみせる奇妙な思い切りの良さもある。

 けれどそれが自分自身に向くことはなかった。王族たれという思いが、彼から一切の私情を奪い、または押さえつけてきたのだ。

 だからこうして、他人に迷惑をかけない範囲での自分勝手をまかり通そうとしている様子は、少し、いや結構嬉しい。

 ジヴォルニアはまばたきを数度したあと、苦笑した。

「間に合わなかった、届かなかった……そんな無念を味わうのは、もうできる限り御免でね。関われないで後悔するより、きみから小言を言われる方が何倍もましさ」

「小言、とはまた……あなたに忠誠を誓う臣下からの、差し出がましい『お願い』ですよ、陛下」

 わざとらしく胸に手を当て一礼すれば、返ってくるのは堪えきれずに漏れた笑い声。

「よく言う。その【陛下】に平気で指をさすくせに」

「え? イヤなら今からでも態度改めましょうか?」

「結構だ。こうして敬語を使われている時点で鳥肌が立つほど違和感がある」

「鳥肌って……さすがにもうちょっと言い方ってもん考えてくれない……?」

 はっきりとした物言いも変わらないことのひとつ。貴族も王族も嫌っていたグラディスを惹きつけた、嘘偽りのないまっすぐな光。

 だから仕えようと決めた。この男になら自分の剣を預けられる。守るために振るうに値する。

 互いがまだ国王でも団長でもなかった頃から続く、それは騎士の誓いのようなものだ。

「……あ。で、面会だけど、今はまだやめといた方がいいぞ」

 流れかけた話題をひっ掴んで戻す。ジヴォルニアの視線が、今しがたグラディスの来た道をなぞった。

「何か問題でもあったか?」

「いや、問題っつーか……あいつ自身の気持ちがちょっと、な」

 思考も振り出しに戻る。

 どうすればあの少年の気力を戻すことができるのか。

 暗闇の方へばかり近づこうとする脚をこちらに向けさせることができるのか。

 この世界は思っているほど汚くないし、綺麗でもないことを、分かってもらえるのだろうか。

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