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その日の夕食は屯所一階の食堂でとった。ここでの食事は基本的に、決まった時間に集まって、厨房の調理婦が作ってくれた大皿料理を各自でつつくようになっている。巡回当番などで時刻に間に合わない場合は弁当という形に包んでもらっているらしい。
本来エバンは護譜団の兵士ではないので対象外なのだが、グラディスの養子であり同じ屯所に生活しているということで特別に許され、ありがたくご相伴にあずかっている。というか、遠慮しようものなら厨房のおばちゃんがものすごい形相で憤慨しながら優に三人前はあるだろう巨大な包みを押しつけてくる。一度そうなりかけた。怖かった。
「私の家……ベル家は、スコアランド建国の時代からブルジェオン王家に仕える剣士の家系なんだ。父上も準剣士第一位として大部隊の隊長を任されている。私もツァイもそんな父に憧れて、五歳から護譜団に入団した……だがあの子はなぁ……」
むさくるしい男の熱気と喧噪に包まれる中、一席だけ、しゃんと背筋を伸ばした礼儀正しさに守られているかのよう。エバンの向かいで秋野菜のシチューを味わっているビュライトである。
「悪い子ではないんだ、ああ。もちろんベル家の長男としてしっかり自覚を持つようにと両親は育ててきたし、本人もそれは分かっている。ただ、姫さま絡みのこととなると急に周りが見えなくなるのが玉にきずで……」
はぁ、とため息をついて、また一口。作法は綺麗だが食べている量はとんでもない。実はここまでに麦飯二杯とビーフシチューも平らげている。
見るだけでも満腹になりそうな様子を前に、エバンは茄子とキノコのグリルをちまちま口に運んだ。香ばしくっておいしい。味付けも塩で風味を引き立てているだけなので全く飽きない。食事っていうのはこういう風に楽しむものなんだなぁとまたひとつ勉強になった。
が、その隣では「味わう」ことなど欠片も考えていない豪快ぶりが展開されていた。グラディスが長茄子の二等分を折り畳んで頬張る。それで難なく口の中に収まるのだから本当にどうなってるんだろう。
「ありゃほとんど病気の域だな。行きすぎた恋が身を破滅させるってのはオレら大人によくある話だが、ツァイの坊主はとっくにそこ飛び越えてやがる」
「そうなの……?」
「おう。強烈な一目惚れだったんだと。それこそ心臓ひと突きで殺されたみたいにな。まあ相変わらずよく似た姉弟だと俺は思うぜ」
「似ている……? どの辺りがですか?」
「ツァイ坊は姫殿下、お前さんは剣。どっちも大事なもののことになるとイノシシもびっくりの突っ込み方するじゃん」
「なっ……どこがですか!?」
「昨日エバンに無理矢理打ち合い申し込んだ話、しっかりレーダンから聞きました」
「むぐっ…………ぅ、それは、すみませんでした……」
せっかく口元まで運ばれていたじゃがいもをのっけたスプーンが、ぎくりと揺れたのちにしょぼしょぼ皿の中へと戻っていった。別にもうエバンは気にしていないのだけれど。
でも、彼女たち姉弟のように、周りが見えなくなるほど真剣に向き合える大切な存在があるというのは、とても尊いことだと思う。
特に、ツァイ。そしてグラディスの言葉。
心臓をひと突きで殺されたような、一目の恋。
エバンには想像もできない。そのぐらい衝撃的な感情に揺さぶられたということ。ならば今まで目にした世界すら色と形を変えてしまうだろう。まるっきり同じではないけれど、エバンも今まさに体験している。世界が刷新する感覚。
それなら講義を終えたあとの出来事も半分ぐらいは仕方なかったんだろう。好きな女の子がいるはずの部屋から見ず知らずの男が出てきたら怒ったり戸惑ったりするのは当然だ。そのぐらいの機微はドブネズミも知っている。
「そういえば……ツァイさん、あのあとどうしたんですか?」
「む、律儀だが『さん』は要らないぞ、エバン。あいつはお前のひとつ下だ。で、もちろん折檻しておいた」
「せっかん……」
「具体的に言うと腰に丸太五本括り付けて屯所外周百回走らせたあと父上に引き渡して追加の謹慎処分が決まった」
うわぁ……うわぁ。
それは、また、かわいそうに。
「そういうわけで団長、ツァイは次の演習会欠席です。任務の要請などありましたらお手数ですが父上か私にお伝え願います」
「ってぇことは一週間ちょいか? 長ぇなぁ……ちょっと短縮してやったらどうだ?」
「お気遣い傷み入ります。ですが今回は家族一同容赦を棄てました。元々、次に姫さまへご迷惑をかけるようなことをやらかせば鉛に縛り付け自宅の池へ沈めても敷地から出さないと約束していましたので」
グラディスが「ひえっ」と悲鳴っぽい声を出した。エバンもつられて動揺し、取り損ねたマッシュルームがころころ皿の上を転がった。
同情……はする。けれどそれだけツァイの身内も困っているということだろう。どちらの肩を持てばいいのか判断に困る。
絶句する男二人の前でぺろりとシチューを完食したビュライトは、丁寧に口を拭くとやはり物憂げな顔で目を伏せた。
「姫さまをお慕いする姿勢、そして忠誠心は、姉の私も羨むほど立派なものだと思います。団長のご指摘通り、私にとやかく言うだけの権利はないのかもしれませんが……あの子にももう少し自制というものを覚えてほしいものです」
身を滅ぼすほどの恋。相手のことしか見えなくなるような想い。
自分には縁遠い話だと思った。実際、話を聞いたときにはそうだった。
けれど、不意に思い出す。
沼底に置き去り、消えてしまった、母の顔。
貴族の屋敷から逃げ出した自分が脇目もふらずに走り求めた場所。
何も見ていなかった。見えていなかった。ただ母さんのことだけ考えて、そこに変わらずいるのだと決めつけた。その結果が、からっぽの行き止まりだった。
あの人は今、どこで何をしているのだろう。
せめて無事なら……なら?
だったら自分は、どうするっていうんだ。
確かめる手段はない。合わせる顔もない。たとえ見つかったとして、その先に自分は何をするべきなのか。何ができると思って、あの人に会いたいと望むのか。
まだ己の生きる手がかりも掴めていない、人間になったばかりのこの手で。
せいぜい先ほど逃がしてしまったマッシュルームをフォークで突き刺し口に運ぶことぐらいしかできない。
だが歯を立てる直前、白い丸みに黄金の光が垣間見えた。同時にポケットへしまい込んでいる耳飾りが、ちゃり、と音を立てたようにも聞こえた。
ぎくりとしつつ、エバンは黄金色でも輝いてもいない白い球体を噛み砕き、飲み込んだ。




