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最中? きな粉餅? あんころ餅?

「どおりで私が露骨にアプローチしているのに気づいてくれないはずだよ!」


「何を言っているのよ。気付いたから以前、盛大に喧嘩をしたんでしょ……。

 あと、声をかけてから襖を開けなさいよ……。

 それと、立ったまま開けるのは失礼だって、何度も教えたでしょ」


「あっ、あっ! おねしょ!」


 震える指が指し示すのは濡れた布団。


「わ、私、見てない。見てないよ。遅い子だっているよ。

 だから、気にしないで!」


「貴方、もしかして凄く失礼な勘違いをしていないかしら?

 私とアイさんしかいない部屋で、二択なのよ。

 どちらが粗相をしたかなんて、考えるまでもないでしょ」


「ママァーン」


 妙にだらけたアイの声が聞こえた。

 逆さづりのままだから頭に血が上ったのかもしれない。


「あっ、ごめんなさい」


 慌てたため思わず手を離してしまい、結果、当然のごとく、アイが頭から布団に落下した。


「きゃあっ!」


「わっ。アイさん大丈夫?」


 即座に抱き起こしたがとっくに手遅れで、アイの顔は紅潮し瞳は決壊寸前にまで潤んでいた。

 自分の身長以上の高さから逆さまに落とされたのだ、怖かったし痛かったに決まっている。


「ごめんなさい。ごめんなさい。大丈夫。

 ほら、泣かないで。高い高ーい」


 あろうことか伊吹はアイを抱き、頭上へ高く持ち上げた。

 あやす方法で真っ先に思い浮かんだ方法だ。

 落下した直後のアイは恐怖が蘇ったのか、手足を振って暴れる。


「ノン! ノン!」


 悲劇が、起こるべくして起こる。

 先ず、アイの膝が伊吹の顎を直撃した。

 渾身の一撃を食らい、緩む伊吹の握力。

 再び宙に舞うアイ。

 一瞬、ふたりの視線が交差する。

 剣道で培った反射速度が伊吹の手を動かした。

 だが、アイは全裸。

 丸みを帯びた身体に掴むところはない。

 滑る手。

 ぼばふっと音を立てて落下。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああんっ!」


「ごめんなさい。ごめんなさい!」


 膝の上に抱き起こすが完全に後の祭りだった。

 アイはいったい小さな体の何処から出しているのかというほどの大音量で泣く。

 三十部屋ある桐原家でも、目覚まし時計はこれ一つで事足りそうだ。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああんっ!」


「お願い。お願いだから泣き止んでよ」


「うわあああああああああああああああああああああああああああああんっ!」


「貴方、蛇は平気だったでしょ。ほら、貴方は強い子よ。だから、ね」


「うふっ、うははっ」


 部屋の入り口で柚美が笑い始めた。

 膝を着き、掴んだふすまをがたがた揺らし、ひーひー息を吐いている。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああんっ!」


「うっ、ううっ。何でこんな」


 耳元で鼓膜が破れそうなほどの泣き声を聞き、罪悪感の中にイライラが芽生えた。

 さらに背後で遠慮もせずに笑っている親友がいる。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああんっ!」


「あはははははははははははははははははははははははははははははははっ!」


 泣き声と笑い声に挟まれ、イライラが膨らんでいく。

 騒々しいだけでも不愉快なのに、そもそもの原因はアイのおねしょなのに、泣かれるのは理不尽だ。


「黙りなさい!」


 剣道で慣らした腹から出す声は、太鼓のようにドシンと部屋いっぱいに響いた。

 ピタッと鳴き声が消えた。

 アイは目をまん丸と開いて伊吹を見上げる。

 泣きやんだのも束の間、直ぐに顔を真っ赤にし涙を零し「あっ、あっ」と咽び始めた。

 アイの小さな身体や手がぷるぷると震えだす。

 陸の魚みたいに、口をぱくぱくし、ひゅー、ひゅーと息を吸っている。

 伊吹は直前のを上回る爆発の予兆を見て、やらかしたことに気付いた。


「落ち着いて。アイさん。落ち着いて聞いて。私が悪かったわ。ね」


 自分の失敗を反省したところで、どうにもならない。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああんっ!」


 泣き狂った。

 アイは伊吹の膝から転がり落ち、手足をぶんぶんと振り回し続ける。

 盛大なるひとり裸祭りだ。

 伊吹は思わず「ひっ」と両耳を覆った。

 どうしたら良いのか分からない。

 とりあえず裸のままは良くないだろうと、恐る恐る布団を被せてみた。

 あとはただオロオロとしているしかない。

 まるで腫れ物でも触るかのような手つきでアイの頭を撫でてみる。

 が、泣く勢いは全く衰えない。


 かけた布団が跳ね飛ばされた。

 なんというパワー。

 羽毛の掛け布団では、泣き暴れる子のパワーを押さえきれない。


「ほ、ほら熊さんよ。泣き止まないと、ガオーよ」


 伊吹は部屋にある唯一の人形、テディベアをアイの眼前にかざして、興味を引くように揺らしてみた。

 が、効果は無かった。

 アイの裏拳が直撃し、テディベアは部屋の隅っこへ勢いよく飛んでいく。


「お願い。泣き止んでよ。

 そうだ。居間に羊羹があるわ。欲しいでしょ。

 ほら、柚美さん、取ってきて」


「羊羹は小さい子にあげるには渋すぎるよ」


 さすがに柚美も事態を重く見始めたらしく、笑うのをやめ、伊吹の隣で一緒にオタオタし始める。


「じゃあどうすれば良いのよ? 最中? きな粉餅? あんころ餅?」


「和菓子から離れてよ。いまクッキー焼いているから、クッキー」


「いつ出来るのよ」


 伊吹と柚美が何もできずにオタオタしていたら、現在家にいる唯一の大人が、スリッパをぺたぺたら鳴らしながらやってくる。


「泣き声が台所まで聞こえているわよ。どうしたの?」


 高城絵理子がのほほんと笑う。

 絵理子は伊吹の親戚にあたる二十五歳の女性で、十年前から同居している。

 母を早くに亡くしている伊吹にとっては母親代わりの存在だ。


 絵理子は料理をしていたらしく、大きめのエプロンをふわりと着ていた。

 アイが誘拐されそうになったことや大蛇が襲ってきたことは昼食時に全て話してある。

 うふふと笑いながら聞いていたので、何処まで信じているのかは不明だ。


「どうしたのと聞かれても、こうなっているのとしか」


 伊吹が歯切れ悪くしていると、絵理子は軽く溜め息をつきながら部屋に入る。


「一体何事かと思ったわよ」


 絵理子は前屈みになり、右手で「めっ」と言いながら、伊吹の額をこちんと叩く。


「おねしょしたからって、アイちゃんを虐めたら駄目でしょ」


「べ、別に虐めてなんか……虐めたかも」


 絵理子が「むっ」と頬を膨らませたので、伊吹は言い訳が出来なかった。

 絵理子は伊吹の隣に座ると、暴れ続けているアイを慣れた手つきで抱き起こす。


「小さい子は、こうやってあやすの。ほら、抱いて」


 絵理子がアイのお尻を持ち上げて伊吹の膝の上に乗せた。

 アイの頭が伊吹の胸に来る形になり、アイの泣き声が少し小さくなる。


「頭抱えて。ほら、手はこっち」


「う、うん」


 赤ちゃんを抱っこするような姿勢だ。

 ただ、小柄とはいえアイは三歳児なので赤ちゃんにしては、ちょっと大きい。


「ねえ伊吹。何で母親が抱くと赤ちゃんが泣き止むか知っている?」


「……落ち着くから?」


「そうよ。

 生まれる前も、おっぱいを飲む時も、赤ちゃんは母親の心臓の音を聞くの。

 一番安心できる音なのよ。だから泣いた赤ちゃんをあやすときは胸に抱くの」


 絵理子の言葉を証明するように、アイがすっと泣き止んでいく。

 暫くひぐひぐとしゃっくりをすると、腕や脚を小さく折りたたみ、丸まるようにして眠ってしまった。


「胎児みたいでしょ。お腹の中にいた時のことを思い出しているの。

 人間って、こうやって丸まっていると安心するのよ」


「ねえ、何で絵理子さん、そんなこと知っているの? 恋人すらいないのに」


「柚美ちゃんは、クッキー無しね」


 ほわほわした口調だが、同居人の伊吹にしか分からない程度に、声のトーンが落ちている。


「えっ、手伝ったのに?

 私、変なこと言った?

 もしかして絵理子さんって赤ちゃん産んだことあるの?」


「無いわよ。

 ただ私も、世話のかかる大きな赤ちゃんを育てたことがあるだけよ。ね、伊吹」


「そ、そうね」


 伊吹は、視線を逸らした。

 絵理子が言う大きな赤ちゃんに十分以上に心当たりがあった。

 なにせ、伊吹自身のことなのだから。


「どういうこと、どういうこと?」


「柚美さん。アイさんが眠ったから静かにして」


 大きな赤ちゃんが何歳頃までおねしょをしていたのか、いつまで一緒の布団で寝ていたのか……。

 絵理子は伊吹自身よりも詳しく覚えているはずだから、話題がそちらへ向かうのだけは阻止したい。

 特に、今でもたまに一緒にお風呂に入っているなんて知られたら、どれだけからかわれるか分からない。


 仕方が無いことなのだ。

 入院中や退院直後は自分で満足に身体が動かせなかったんだし、万が一のことがあってはいけないから、ひとりでお風呂に入るのは危険なのだ。

 柚美は食い下がってきたが、伊吹は適当にはぐらかした。


「柚美ちゃん。そろそろ焼けるから行くわよ。

 いつまでもオーブンに入れたままだと余熱で焦げちゃうわ」


 絵理子は右手できつねの形を作り、ぷいぷいと振っている。

 料理の本がよく、クッキーの焼き加減をきつね色に例えるから関連を持たせたのだろうが、料理に疎いふたりには何も伝わらない。


「うん。

 伊吹ちゃん、美味しいクッキー待っててね。

 うさぎの形にしたのがあるから」


 絵理子は柚美を促し退出していく際に、一つ言い残す。

 

「あ、そうだ。伊吹、アイちゃんにおっぱいあげてね」


「なっ……!」


 授乳している場面を想像して伊吹の頭が輝き始めるのと、襖が閉まるのは同時だった。


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