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アイさん、貴方おねしょしたでしょ!

 伊吹は温かなものの中でまどろんでいた。

 ゆっくりと目を開け、障子から差しこむ陽の温もりで、朝ではなく昼のようだと察した。

 けれどまだ意識がはっきりとせず、どうして昼寝をしたのかは分からなかったし、気にもしない。


「うーん……」


 寝汗のせいか、敷き布団がじっとりと湿っている。

 軽く伸びをしようとしたところで、右脇に何か柔らかいものがあるのに気づいた。

 寝ぼけ半分の蕩けた眼で傍らを見ると、子猫でも潜りくんだかのように布団が膨らんでいる。

 いつも抱いて眠るテディベアより、僅かに大きい。

 上半身を起こすと布団が捲れて、中から眠っている外国人の女の子が現れた。

 つい先程、隣町で出会って連れ帰ってしまった少女だ。


「おっぱいあげなきゃ」


 時計を見れば十五時だ。

 お昼ごはんを食べてから二時間ほど経過しているから、そろそろ授乳しなければならない。

 赤ちゃんは何かと手間がかかるのだ。

 アイをそっと胸元に抱き上げると、伊吹はシャツを捲り、下着を外した。

 寝ぼけたまま、ぽけーっと待つ。

 が、アイは眠っているので何時まで経っても吸ってこない。


「んー。お腹……。減ってないの?」


 視界の片隅で何かがキラキラと優しく揺れている。

 よく見てみれば、金色に輝く自分の頭髪だった。

 アイと出会ってから発症した謎の特異体質だ。

 驚きにより、ようやく脳が覚醒した。


「ひっ」


 状況を把握し、叫びそうになるが、必死に叫び声を飲み込む。

 赤ちゃんにおっぱいをあげるのは夢の中の話であって、結婚してもいない自分が現実世界でやってしまえば、ただの頭がおかしい人だ。

 頬が熱を帯びてきた。

 慌てつつもアイを起こさないようにそっと布団に戻す。


「アイさんがお昼寝して、私まで釣られて寝てしまったのね。

 可愛い寝顔は反則よ」


 伊吹はアイの金髪をすくい、額を撫でてやる。

 天使に祝福されたように穏やかで安らかな寝顔だった。

 大蛇に襲われたことなど、悪夢にすらならないようだ。


「貴方みたいな赤ちゃんなら欲しいけど、外国人と結婚しないといけないわよね」


 ふふっとつい笑みが零れてしまう。

 頬をぷにっとつつけば、ぷにょっとした弾力で押し返してくる。

 つきたてのお餅のように柔らかい。


「にゃあっ」


「うっ……」


 可愛い寝言が、伊吹に悪戯心を芽生えさせた。

 自分の長い金髪を手に取り、先端を刷毛のようにしてアイの鼻をくすぐる。


「くふっ」


 くしゃみともつかない寝息を聞いた瞬間、伊吹は胸に甘い締め付けを覚えた。

 心臓から熱い血がこみ上げてくる。

 鼻血でも噴きだすんじゃないかと思い、鼻と口を両手で覆う。

 顔中の筋肉がトロトロになっているのが、自分でも分かる。


「うっ。ううっ。もう、限界ッ!」


 伊吹は掛け布団を蹴り除けると、アイに抱きつく。

 アイに触れた二の腕から生まれた快感が、肩から首へと昇り、頭へと突き抜けていく。

 伊吹はむずむずを我慢できず、アイを抱きかかえたまま畳の上を転がった。


(可愛い、柔らかい。やわらかわいい!)


「ノン、ノーン!」


 アイが眼を覚ましたが構わずに、抱いたまま転がり続けた。

 長いのと短いのと、二つの金髪が、まるで妖精が踊るように絡み合っていく。


「貴方、私の娘になりなさいよ」


 部屋の隅で止まると、伊吹はアイに頬擦りをし、早口でまくし立てる。


「貴方くらいの年齢なら今の私でも、

 剣道、居合道、合気道なら教えてあげられるわ。

 毛筆、硬筆を問わず、書道も教えてあげられる。

 料理やお裁縫は絵理子さんに一緒に習いましょう。

 でも時間が限られているし欲張りは駄目かしら。

 寝室は当分ここで良いわね。自室が欲しくなったらいつでも良いわ。

 この家、古いけど部屋はたくさんあるの」


「ママ」


 アイは寝ぼけた顔で頬をすりすりしてきた。

 お風呂上りにベビーパウダーを塗ってあげたから、お肌がすべすべしていて気持ち良い。

 けど不意に、妙な冷たさを覚えた。

 布団から出たせいだろうか、腰が冷える。

 身体の中がぽかぽかしていただけに冷たさが際だつ。

 まるで、真冬にこたつから出てしまったときのように腰だけが冷え込む。

 腰を触ってみたら、微妙に濡れていた。

 勘違いかと思って指先を動かすと、わき腹がかなり濡れている。


「ん、ちょっと待って。何で濡れているの」


 自分の寝汗では説明が付かない。

 まさか先ほどの豪雨で雨漏りしたのかと思い、天井を見上げても異常はない。

 桐原家は蔵から江戸時代以前の巻物が発見されるような旧い家だが、見事に午前中の豪雨を耐えきった。


「何でこんなに濡れているの。コップ一杯や二杯じゃないでしょ」


 そういえばと、思い当たる節がある。

 

「アイさん、貴方、寝る前に柚美さんと張り合うようにしてオレンジジュースを飲んでいたわよね?」


「ウイ」


 大蛇に追われて走って、喉が渇いていたのだろう。

 小さい子が寝る前に大量の水分を摂取したらどうなるか、考えるまでもない。

 伊吹は先ほどまでアイが寝ていた布団を恐る恐る見た。

 予感的中。蕩けていた頬の筋肉が一瞬で引きつる。


「正座!」


「ひゃあっ」


 伊吹は正座し背筋を伸ばして、畳を小さくトントンと小突く。


「アイさん、貴方おねしょしたでしょ!」


「う、あ、うう……。ノン!」


 アイは、ぷるぷるっと首を振ったあと小さな足で逃げだした。

 おねしょがいけないことだと知っているらしい。

 サイズの大きいTシャツをふわふわさせながらアイは駆ける。

 着替えが無かったので、伊吹のTシャツを着せてあるのだ。

 伊吹はアイのお尻の辺りが濡れているのを、確かに見た。

 

「待ちなさい。畳が汚れるでしょ」


 家具の少ない十畳の和室は、子供が駆け回るのには十分すぎる広さがある。

 伊吹が捕まえようとすると、アイは必死に逃げまわる。

 だが直ぐに、鬼ごっこでもしているつもりなのか、嬉しそうにはしゃぎだす。


「待ちなさい。逃げないで。遊んでいるんじゃないのよ」


 さすがに伊吹はアイみたい走るわけにはいかないから、大股で追いかける。


「ノン、ノーン! ママ、こっち! こっち!」


「畳が汚れるでしょ。待ちなさいと言っているでしょ。

 ほら。……んっ、やっと捕まえた。さっさと脱ぎなさい」


 小柄で意外とすばしっこいアイを部屋の隅に追いつめ、脇の下に両手を回して抱えあげた。

 すると、アイは最後の抵抗とばかりに両手足を暴れさせた。

 伊吹の死角で、ぷすっという間抜けな音が鳴った。


「よくも人の布団におねしょしてくれたわね!」


「ノン! アイじゃないもん!」


「じゃあ何で私のお布団が濡れているのよ」


「ママがおねしょした!」


「私、来月から高校生よ。おねしょなんて、するわけないでしょ」


 言い争っている間にも、ぷすぷすと音が鳴る。


「何よ、さっきからぷすぷす、あっ」


 ようやく障子に穴が開いていることに気づく。

 伊吹がひるんだ絶妙のタイミングで、アイが転がるように逃げだした。

 両手を広げて元気に部屋の中央に戻ると「きゃあっ」と嬉しそうに掛け布団に潜り込む。


「背を見せて逃げるとは士道不覚悟ね……。

 潔く切腹すれば許したのに」


 伊吹はゆらりと部屋の中央へと向かう。

 視線の下では小さなお尻が布団からはみ出ている。

 ちっちゃな可愛らしいお尻を見ていたらむくむくっと、言いようのない欲望がこみ上げてきて、また頬がトロトロと落ちそうになった。


「駄目よ。甘やかしたら。私は怒っているんだから。

 そう。私は怒っている。

 これはもう、アレしかないわ。おしりぺんぺんね。

 べ、別におしりがちっちゃくて可愛いから叩きたいとか、そういうわけじゃないのよ」


 足先でお尻をつついたが反応はない。

 隠れているつもりらしいので、知らないフリを通すのだろうか。

 指先で柔肉をぐりぐりとこねくりまわす。

 とっくにおねしょへの怒りは収まっており、結局、伊吹は自分でも怒るフリをしてじゃれていただけだったことに気付いた。


「ほら、アイさん、怒っていないから出てきなさい。シャワーを浴びるわよ」


 丸みを帯びた両足を掴み、引っ張る。

 アイの身体は十キログラムのお米袋よりもやや重く、非力な伊吹には意外と強い負荷があったが、一気につり上げる。


「大きなお芋が掘れたわ。食べちゃおうかしら」


「ノン、アイ、お芋さんじゃないもん!」


 アイが逆さ吊りのまま「きゃっきゃっ」と嬉しそうに暴れる。

 引っかかる所が無いので、パジャマ代わりのTシャツがすとんと落ちた。

 サイズの合う下着が無かったので、アイは全裸だ。

 幼児が全裸をさらけ出すのと同時に襖が開き、柚美が登場。


「起きたー?」


 柚美は、部屋の状況を目の当たりにして、何をどう誤解したのか顔を引きつらせる。


「い、伊吹ちゃん……。そういうだったの?!」


 手が震え、触れてる襖ががたがたと音を立てる。


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