#90 大音量で満ち溢れている
あなたの家へと通ずる細い道の塀や木々達は、いつ見ても心をあなたと一緒に現実感に近づけてくれる、貴重な存在である。
あなたの姿から発するエネルギーの強さからして、今日は何をしても底を這いつくばり続けるという、一ヶ月に一回ほどあるダメな日のようだ。
電線に停まるカラスにも聞こえないくらいの、私が発する小さな言葉一つ一つにまであなたは反応を見せ、息を吸いながら、ハッという音を何度も何度も発していた。
繋いでいる手は、予想を裏切る方向に突然引っ張られたり、揺さぶられたりして、重だるさがあなたの優しさを越えて、じんわりと滲み出す。
あなたの家の中に、あなたに続いて入り、振り返ってドアを閉めると、玄関のガラス部分から射し込む夕陽と、リップクリームが残る自分の中指が、キラキラと光っていた。
残業続きで、夕食の時間帯にいつもいないあなたの父親らしき人物が、眼鏡を掛けた真面目そうな姿で奥から姿を表し、いつか見た映画館で右の席だった人物に少し似ているという情報が、脳内に流れてゆく。
手を差し出され、あなたの手からあなたの父親の手に握り変えると、ふたつの手の分厚さの違いに、皮膚が僅かな震えを起こした。
緊張から言葉に詰まり、足も手も唇も動かせないまま、行動の何もかもが制限された状態で立ち尽くしていると、あなたの父親から映画館というキーワードを挙げられ、私の頬は少し上がった。
「あなたは、いつか映画館で隣に座っていたよね。綺麗だったから覚えてるよ」
「ありがとうございます」
「こんにちは、菜穂ちゃん」
「あっ、お姉さんこんにちは」
「おっ、いたのか」
「いるよ。お父さんは、綺麗な女性に対する記憶力だけはいいよね」
「そうかもな」
「私に似て、弟は冴えない顔をしてるし、家族全員がこんなに可愛い子なのにいいのかなって思ってるよ」
「私はそんなではないですよ」
「弟は私が元気吸い取ったみたいに大人しいけど大丈夫?話は成立してる?」
「はい。私はどちらかというと、元気が溢れていない人の方がいいので」
「じゃあ、私のことは苦手だ」
「そんなことはないですよ」
「じゃあさ、三人でどこか行かない?玲音と菜穂ちゃんと私の三人でさ」
「はい。私は行きたいですけど」
「とりあえず、どこか出掛けることは決定でいいね?玲音もオッケー?」
「うん」
だいぶ前にあなたに送った、私がラブソングを歌う動画を、今もあなたは残してたまに見てくれてるだろうかと、急にその行方が、異常なほどに気になり出した。
あなたの父親に食卓の椅子へと導かれ、立派な椅子へと座ると、一気に色とりどりの野菜から、甘い薫りや香ばしさなどの、食欲をそそる薫りの猛襲が始まった。
微かな苦味の他には一切、味を感じることが出来なかった口の中に、箸でまとめたカラフルを押し込むと、しっかりと花が開いたような鮮明な味を感じることが出来た。
幸せな食卓の図のなかで、地肌の見えたキーホルダーを手に馴染ませると、次第にこのキーホルダーのように心を剥き出しにしたいと、思い始めるようになっていった。
エネルギーが下を向いてしまっているあなたは、少量の野菜を箸で掴みながら、力の限り私に精一杯の視線を送ってくれていて、心が何だかすごく暖かい。
校門前であなたの頬にキスをしていたあなたの姉が、今日は父親の頬にもキスをしていて、私はそれから目をそらす行動をあえてしなかった。
暑さやむずむずとした違和感が表れ出したので、気持ちに似合わないツインテールを、そっとほどいて下に降ろし、肩になんとも言えない重みをかけた。
あなたは突拍子もなく手提げを漁り始め、その手提げから出てきた紙を強引に渡され、それを広げると、そこには白黒で出来た本物そっくりの私がいた。
あなたの母が優しく見守るなか、水分を含んだ口を必死に窄めて、一気に飲み干すあなたの唇は、分断していた亀裂が目立たなくなってきていた。
あなたの淀みある雰囲気に呑み込まれることなく、アメリカノリであなたの柔らかさを引き出し続ける、あなたの姉に憧れを抱き、身体が熱くなってゆく。
家の敷地内にある物置の上に、飛び降りたであろう野良猫がヤケにうるさく、予期しない音が不定期に訪れる予感は止むことを知らないが、どんな音が轟こうとも、突き進んでいく覚悟はしっかりと持っている。




