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#09 前進することの大切さ

名残惜しさと人の群れが交差する、年月が染み付いた食堂の白くて丸いテーブルとイスの居場所に規則性はなく、視線の方向も感情のニュアンスもバラバラで、自販機だけがしゃんと胸を張る。


隣を歩く萌那の高速で動く口元は、先輩の名前を連呼しているようにも、来てしまった冬期休暇に文句を言っているようにも見える。


甘党の私と甘党に属さない萌那の持つ紙カップからは同じ、砂糖と小豆が一体となった嫌み漂う甘い香りが放たれ、甘さを香りや味以外で感じることの難しさに打たれていた。


腰を下ろし、紙カップを変形するほど両手で握り、引き寄せ、口を窄めて、吐いた息で暗紅色の水面を揺らし、何色にもなりきれない私と白紙の休暇地図の鮮明化を願い、体内に流す。


喉元を過ぎる度に、あなたへ連絡する術の無さと焦りと見えない道が姿を現し、飲料の温かさのせいで、チクリチクリと細い針で刺されたような感覚の汗が至るところから顔を出す。


決心し、迷いも共に捨てるが如く、グシャグシャの紙カップを満ちているゴミ箱に投げ入れ、いつもと同じ色と形を横目で確認しながら歩き、いつもよりだいぶ早めのグラウンドの陽から伝わる言葉を真に受けて萌那と定位置に着く。


片隅に身を置くあなたの服装は、動きやすい青ではなく格式ある黒で、ただならぬ顔で立ち尽くし、線のような身体にサッカーが詰まったバッグが斜めにのし掛かっていた。


本来の積極性はあなたの敏感性に制御され、萌那さえも知らない番号やアドレスは未だに聞けぬまま時は過ぎているが、今日の勇気が残り僅かな今年を左右することとなる。


耳馴染みになり、今も頻繁に聞こえてくる、ハイッというあなたの返事にも似た特有の驚く声を、久方ぶりの美しくて苦手な声が遮る。


「菜穂!」


「あっ、菜穂どうしよう?先輩こっちに来てるよ。緊張する……」


「落ち着いて、萌那」


「う、うん」


「菜穂、ごめんな。俺、反省してるから」


「えっ?」


「強引だったというか、嫌な思いをさせてしまって本当にごめんな!」


「だ、大丈夫です。ビックリはしましたけど、もう気にしてませんので」


「そうか、良かった。俺、お前が好きだから。俺はお前が世界一好きだからな」


「……ありがとうございます」


「あのさ、お前クリスマスって予定とかある?」


「特にないですけど」


「クリスマスイブの日、俺とデートしない?」


「二人きりでですか?」


「おう、その方がいいけど」


「萌那も一緒じゃ駄目ですか?」


「あっ、別にコイツが一緒でもいいぜ。じゃあデートしてくれるんだね?」


「はい」


「コイツが俺を好きなのは知ってるけど、お前は俺のことどう思ってんの?」


「今は好きではないですけど」


「もう一度言うけど、俺はお前が世界一好き。それだけ」


「はい……」


「そうだ、連絡先教えてくれるか?」


「はい」


「萌那ちゃんだっけ?ついでにお前のも聞いとく」


「あっ、は、はい」


先輩は去り、長方形の箱に映し出されている先輩の番号、それに先を越されたあなたの番号がこの先そこに映し出される気配は殆どなく、長方形の箱越しのあなたが顔をこちらに向ける気配も僅かしかなかった。


顔が綻びる萌那を理解出来ないことへの怖さを含んだあらゆる恐怖を拭い労るように、密着する申し訳なさも含んだ萌那の顔が何処を向いても視線に入り、おもむろにモヤモヤが引いてゆく。


突然振り返り歩き出し、下を向いて近付いてくるあなたの匂いを何気なしにかき集める鼻は、男らしさと安らぎが入り交じった先輩の匂いを覚えてしまっていた。


私達に向けられたあなたの小規模の会釈と、あなたがサッカー部を辞めるという大規模な事実により、口から一向に立ち去ろうとしないお汁粉の度を越えた甘さが、最上質の悲しみの味として舌に刻まれた。


気合いを注入するように、前に進ませるように、友情や信頼関係を伝えるように、絶妙な力加減で私の左肩を叩いた萌那の手から放たれた安心感は皮膚から全身へ広がってゆく。


連絡先の交換を持ち掛けた萌那に巻き込まれるようにしてあなたの番号と幸せのひと欠片を手に入れたが、スマホ画面の小さなゴミや植物のさざ波や砂のざわめきに目を置いてしまい、あなたの顔は見れずにいた。


あなたの身体も目線も言葉も萌那の方向へ進み定まりつつあり、あなたの心までも浮かれきれない私を縫うように進んで行ったなら、私の心は脆弱の灯火となってしまうだろう。


目尻、口角、頬を僅かに持ち上げ、表情であなたへの気持ちを表現しながら、勇気と共に顔をまじまじと見つめると、あなたはハッと響く声を出して前のめりになってしまい、私はあなたの手を咄嗟に掴まえた。


倒れそうになるあなたを全身で受け止めると鼓動は高鳴り、苦悩を吸いとられる感覚になり、何もかも火照り、私はお互いの愛の温度を表したかのような体温の高低差を埋めるように、刹那を噛み締めた。


荒い息遣いは離れていき、感謝の言葉にも謝罪の言葉にも隔たりの言葉にも聞こえる言葉と深々な御辞儀を残してあなたは去っていった。

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