#79 足元に収まるパス
先輩に怯えているような、昔のあなたの顔を思い出してしまういつもの駅で待ち合わせをしていると、危うさを感じるくらい勢いよく走ってくる少年と、日差しが迫りながら揺れていた。
何も聞かされず、ただ先輩に呼び出され、駅前に立たされた私の前には、一番の崩れた笑顔で、右肩に背負った網入りのサッカーボールにお尻を叩かれ翻弄される少年がいた。
ハッキリとした、元気突き抜ける声で話しかけて来た少年に、鏡に映ったような対応していると、後ろで耳を揺する低い声が鳴った。
振り返ると、それはやはり先輩で、ねだってきた小さな少年を挟んで、先輩と橋のように繋がると、私服の私たちが、端から見れば若い夫婦と子供に見えているような気になった。
何も聞くことなく流れるように、三人で歩く非日常から見える人々の表情を、噛み締めるように堪能しながら歩いていると、歩行者信号の青い点滅がヤケに目をザワつかせた。
先日の練習試合では、それほど喋ることが出来なかったからなのか、少年は目をキラキラと輝かせ、ピョンピョンと飛び跳ね、先輩の瞳を先輩の全てに訴えかけるように見つめていた。
あなたがこの世のどこかでビクッとなってないか心配で、あなたのことを考える度に、腕の毛穴一つ一つがビンビンと引っ張られるように動いてゆく。
少年の手のひらが私から離れ、手が折れるほどの強い握力から解放されたが、その後、痺れが余韻を深く放ち続け、手首を勢いよく振り、それを空気中に紛らわせた。
「とりあえず街をブラブラしたら、サッカーが出来る場所に行こうか?」
「うん」
「ここら辺で、どこかあるかな?」
「私の家の方に公園がありますよ」
「じゃあ、そこにするか。少ししたら、そこまで案内してくれる」
「分かりました」
「ねえねえ?」
「何?」
「僕、絶対プロサッカー選手になるから」
「いいね。夢を持つのはいいことだから」
「将来は海原選手と一緒にプレーしたいな」
「まだ俺もプロになれるか分からないけど、一緒に頑張ろうな」
「うん。あのさ、海原選手は高校の日本代表とかに呼ばれたりしてないの?」
「まあ、今は部活のサッカーだけに専念したいからね」
「そうだよね」
「俺は一度にひとつのことしか出来ないタイプなんだ」
「カッコイイね。なんか、やっぱりお姉さんと海原選手、すごい似合ってる」
「ありがとう」
「あっ、言い忘れてたけど、海原選手が出たテレビ番組見たよ。あれは海原選手の全てが映っていて本当に良かったよ」
「ありがとう」
「僕が一番好きなのは海原選手のフリーキックなんだ。海原選手のフリーキックは正確で、本当にスゴいよ。僕もあんなフリーキック蹴りたいな」
「ありがとう」
ドリブルやオフサイド程度のサッカー知識が、今の私の脳を埋め尽くしていて、それは昔では考えられないことで、あなたや先輩に染まっていることをしっかりと実感した。
公園に足を踏み入れ、先輩は土の薫りを纏い、特訓を始める前に少年と距離を取り、ボールを足に納める仕草をすると、それが私の緊張と呼吸のうねりを引き起こし、鼻腔の張りが強まってゆく。
パスをしている最中に、先輩が見せた躍動的なリフティングを、少年が見よう見まねで真似すると、ボールは少年の身体の一部のようにくっつき、それを目の当たりにして、私は口内に溜まっていた七色の唾液を、ゴクリと飲み込んでいた。
子供の頃より縮んだ私の家の近くの公園で、小さな少年はドリブルで抜こうとしたり、シュート対決を挑んだり、思う存分この状況を楽しんでいた。
萌那の気持ちになって眺めた先輩は、男の形をした偶像のようで、重圧から解き放されているような自然な笑顔をしていた。
少年は相変わらずパワーがあり、飛距離がとんでもないことになっていたり、コントロールは悪いがドリブルのリズムが独特で上手くて、私は勝手に手を叩いたり振ったりして、一人盛り上がっていた。
私の皮膚まで発熱を始めるほど、少年の熱は先輩のどんな女性ファンより熱く、初めて先輩と接した、あの日よりも爆発性が感じられた。
スマホを構えるお姉さんたちが塊になることなく、あちらこちらにポツポツと現れ、お姉さんたちの目線の先では、先輩が父親になることがイメージ出来るほど絵になっていた。
少年の質問攻めに、先輩の顔が雲掛かったように暗くなるのを確認したが、その先にある、夏の日射しのような眩さがジンジンと湧いているのが分かった。
サッカーというスポーツ自体が、私の心に寄り添うようになり、少年の強烈なボールを褒める先輩の声に、自然と私の身体は天に引っ張られるように、小さなジャンプを繰り返していた。
少年が蹴ったボールが、吸い寄せられるように私の足元に転がり、こちらに手を振る先輩のもとに、思い切り足を振り抜くと、鼓膜を叩くような綺麗な快音が鳴り響いた。




