#77 味方のような今日の敵
高校の明るい色のない控えめなグラウンドには、サッカーの練習試合を目的として、様々な色の人々がゾロゾロと流れ込んでいた。
あなたは地の底を這っているような表情をし、この世に無数にある、駒のひとつとして、動かされているような感覚を持っている顔にも見える。
複雑な騒音への驚きによって、あなたから放たれた不規則な奇声の旋律は、辺りに不気味に広がっていき、それは未来で待ち受けている戦慄を予感させた。
いないと駄目だ、とあなたが私に放った言葉が今も身体に残り、あなたから少し前にされたハグが、彼女としての必要性を示してくれているようで、今は身体が平常運転出来ていた。
草原とは程遠い、小石混じりのダークなグラウンドでは、隣にいるあなたとはかけ離れた、ほぼ正反対の爽やかさを振り撒く先輩が、キラキラと光り輝いて見える。
最前列にいるサッカー少年が、ずっと先輩に視線を送っているのをそっと見つめていると、あなたのナヨナヨしたところが気に食わない、というような言葉を口にした噂のある、私のクラスメートの女子が私たちの視界に現れた。
あなたの手には、あの日から常にキーホルダーが握られていて、あなたを落ち着かせるように、あなたの手と一緒に握ったキーホルダーからは、痛くて愛おしい刺激が流れた。
あなたの過呼吸の名残は微かしかなく、あなたの心にある蝋燭の小さな炎を絶やさないようにと、あなたを身体の影に隠すように、後ろに引き寄せながらクラスメートの視線や言葉を全身で受け止めた。
「菜穂さん、おはよう」
「お、おはよう」
「二人は付き合ってるの?」
「うん、そうだよ」
「菜穂さんには似合わないと思うよ」
「えっ?」
「男らしくないし、すぐ驚くみたいだし。もっといい人は沢山いるからね。もっとピッタリの人はいっぱいいるよ」
「私には玲音しかいないの」
「菜穂さんには幸せになってほしいから」
「十分に幸せだよ」
「色々大変でしょ?」
「大変だけど楽しいし、一緒に乗り越えていくことに生き甲斐を感じてるの」
「私は海原先輩みたいな人と付き合って欲しいんだけど」
「私は玲音がいいの」
「そ、そう。私ね、あなたが好きだったの。ずっと憧れていて、ずっと喋り掛けられなくてフワフワしてたの。困らせて本当にごめんね」
「いいよ。玲音に迷惑をかけることさえしないなら」
良くないものなのに、神様が苛立ちというものを人間に与えたということは、苛立ちは人間が成長を重ねる上で必要不可欠なもの、ということなのだろうか。
そのクラスメートはすぐに走り去り、落ち着くために手首につけた、少量の香水の匂いが風でフワッと舞い上がり、その匂いが役目をしっかりと、十分すぎるくらいに果たしてくれた。
あなたのお母さんの唐揚げの味や、幸せが溢れたあの食卓のイメージたちがまだ残っていて、それらが苦々しい唾液を無くそうとしてくれていたが、じんわりと苦みが抉るようにして染みてゆく。
苛立ちは抑えられるのに、抑えきれない涙が自然と頬に流れ出し、その水色が、鮮やかさのないグラウンドをゆっくりと柔らかく染めていった。
フォワードの点取り屋、芸術的なフリーキッカー、そして若い年代の日本代表候補の話もある先輩以上に、この場で目映さを周囲全体に放っているものなどない。
先輩がゴール前に現れる度に前のめりになり、あなたの手のか弱さも考えずに力んでいる自分がいて、先輩が頭から消えない確信が、この胸には存在していた。
熱を帯びながら、ゴールネットに視線を突き刺し続けるあなたの、手から溢れる汗さえも愛おしくて、私から溢れた汗と混ざり合い、密着度の増した手はムズムズして、ウズウズも僅かに流れ出していた。
パスは気持ちいいくらいに繋がり、改心して丸くなった先輩によってチームワークが深まり、仲間の輪が出来上がって、サッカー部がさらに強くなっているように感じた。
視線を移すと、1ピース足りないジグソーパズルのように、何か物足りなかったあなたの胸のキャンバスには、私が渡したボタンが、すでにしっかりと埋め込まれていて、違和感なくそこに収まっていた。
お調子者で、心をくすぐる声を持ち、明るいゴムで髪を束ねた、憎めないあのクラスメートのことが頭に浮かんでしまい、それが身体と未来を蝕んでしまっているように感じた。
あの少年のパワーある拍手が、離れていても私の鼓膜を揺らし、どんなに和やかな空気になっても、変わらずに些細な物音で呼吸が乱れているあなたは、しっかりと私の胸に突き刺さることを止めなかった。




