#74 想定が宇宙を越えているかのように
学校になかなか姿を現してくれないあなたが気になり、あなたの元にお見舞いという名目で向かっていると、古い小さな一軒家が、いつもより控えめに瞳に映り込んだ。
あなたが学校を三日連続で休んでしまい、会うことが出来ないでいるので、赤いシャツを着たあなたに、まだ一度もお目にかかっておらず、今も眺めている、この待受画面のあなただけが脳にしっかりと刻まれている。
こうして暫く会えなくなってしまう直前に、あなたから貰った最後の感覚が、愛のあるハグで本当に良かったと思いながら、あなたの心の叫びをしっかりと聞くために、邪魔を取り除き、耳回りを自由に開放させた。
ドミノが倒れ続けることを拒みたかったが、身体が日常から離れて踏み出すことを認めず、あの日の男性と接した記憶が先輩で終わっている事実たちで、再度胸が震え出した。
あなたの家の扉の前に着き、壁の右側の小さな突起をゆっくりと押し込んでから、あなたのように不安定な目線は下へ下へと向かい、様々なものが上には、なかなか向かえないでいた。
私が押したチャイムに呼ばれてドアが開かれると、そこにはいつもより翳りのある僅かに暗い表情で、あのよく喋るコンビニの店員さんが立っていて、中途半端に開いた口が塞がらなかった。
握り締めていた、あなたとお揃いのキーホルダーが、掌から不安を吸い取ってくれ、ナチュラルに降ろしてすきま風に靡いた髪が、首筋や肩をさする。
あなたと抱き付く快楽を欲するがあまり、気持ちは前のめりになり、口の速度上限を想いが上回って空回りし、気付けば包み込んでくれそうなあなたのお母さんの手を、キーホルダーごと力強く握っていた。
「本当に驚きました。お嬢さんは息子と知り合いだったんですね」
「私も驚きました。あなたが玲音くんのお母さんなんて」
「はい。前にお嬢さんには彼氏がいると聞いていましたけど、まさか息子だとは思いませんでした」
「そうですよね」
「あのコンビニで働いているのは、玲音のためなんです。敏感な症状を治すには、色々とすることがあるので」
「それで、今はどんな感じなんですか?全然連絡が取れなくて心配なんです」
「相当、気分が下がっていますよ」
「そうですか」
「昔は普通だったんですけどね。兄が亡くなってからです、おかしくなり始めたのは」
「ああ、そうだったんですか」
「相当ショックだったみたいで。それが敏感さを強くした原因だと思います」
「ああ」
「昨日は、兄が大事にしていた猫ちゃんが亡くなりました。その猫ちゃんは兄にすごく懐いていたんです。その猫ちゃんがいなくなったことで、今は兄の時と同じくらい落ち込んでいると思います」
「お兄さんのこと、全然知りませんでした」
「玲音はそういう子なんです。本当に何も言わなくて困っているんです。もう、兄が亡くなったその日から夜になると、ずっと部屋で泣いています」
「そうでしたか」
氷は何処に挟まっても、熱があれば溶けて消えてしまうものだから、情熱があれば、挟まった負の要素だって何だって、溶かせると信じたい。
死があなたを狂わせているという現状が、ニオイとなって自らの体内から溢れ出ている気がして、不快という塊が鼻を埋め尽くしていた。
あなたのお母さんによって、あなたの部屋の前に通され、口から溢れた精神が絞られたときに出る独特の甘さが、ツラさや哀しさを追い込むことなく、段々と緩和に向かわせてくれた。
運命の針金の礎が横臥を始めても、曲がらない心が私にはあり、あなたの心にある壁が、この薄っぺらな茶色い板一枚くらいの壁ならば、打ち破れそうな気がしてきた。
スマホの画面で微笑を浮かべ、しっかりとこちらに目線を向けるあなたに、視線をガンガンぶつけながら、壁の向こう側に投げ掛けるのに相応しい言葉を吟味し続けた。
震える手を目一杯のグーにして、硬そうな板をあなたの心の扉に見立て、想いを込めてしっかりと二回叩いた。
反応を待ちながら、心臓の近くにある小さなポケットに納めてある、父の第一ボタンをぎゅっとポケットごと握りしめると、ゴツゴツとした刺激が掌に走った。
目の前に茶色を纏った平面の板しかない状態で、あなたの名前をハキハキと呼んでいるうちに、段々とドアの木目や細部がくっきりと、瞳に刻まれていった。
あなたのあの細い身体も、あの綺麗な眉毛も、あの驚いた表情も、今は現れる気配が全くなく、奇跡は完全に地中に埋まっているようだった。
先輩とデートをすることが考えられない身体にまで陥り、涙が溢れるときに起こる、ぎゅっと握られるような目の周りの感覚が、全身へと広がっていった。
耳を澄ましても、あなたがいるということが確信に変わらず、音でしかあなたを確認出来ない状態にあるというのに、あなたの音は完全に死んでいた。




