#70 傷付く練習
白い光が溢れ、道路も自動車も、ちらほらいる通行人も、キラキラと存分に輝き、遠くにはあなたと、あなたの手に握られた小さめの紙袋が見え、光景はいま白寄りにある。
遠目で見ると、透明感がやけに膨れ上がっているあなたの全体像がそこにはあり、身体の線の細さだけに含まれる可愛さが、段々と広がっていった。
小さいながらも底から沸き上がるようなあなたの声に触れ、その声に背中を押されるように、ペットボトルをマイクにして歩きながらあなたに歌声を送った。
あなたの手を握り、足をゆっくり交互に前に出すという、いつもと同じ行動を、ホワイトデーという特別な日にこなせていることを噛み締めながら、周囲に注意して進んだ。
いま何をしているのか、いま何を目標に歩んでいるのか、そんなことを考えるだけで、周りの景色や光景が一瞬消えてしまうことがあり、心地よく揺れる街路樹の、小さな揺れのような優しい心情を、ずっと探していた。
あなたの存在感が、飛び散った心を繋ぎ合わせ、あなたの頬にある茶色の痣や欠けてしまった歯が、それを再び撒き散らすということの繰り返しだった。
私以外の女性に何を渡したのかとか、私以外の誰かにあなたが何かをすることを考えるだけで、僅かな力みが生じ、それによって生まれたあなたの手の落ち着きの無さが、手にガンガンと伝わってくる。
あなたが今日くれた、高級なパッケージに包まれたチョコレートの他に何かを奢ってくれると、道の端で私にボソッと放ってくれたことで、私の顔の全てのパーツは迫り上げられた。
「今日は嬉しかった。チョコレートありがとうね。本当にこの他にも奢ってくれるの?」
「あっ、はい。奢るものは何がいいですか?」
「ありがとう。どうしようかな、クレープが食べたいな」
「はい、奢ります」
「少し人が多い場所だけど、大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
「それで、ホワイトデーは私以外の誰かに渡した?」
「萌那さんにしか渡していません。あと白石さんにも渡す予定ですけど、会えないかもしれません。貰った人には返すのが普通なので返したいですけど」
「この時間、白石さんいるかな?」
「どうでしょうかね。あ、あっ、あの?相談があるんですけど」
「相談?いいよ。何でも言って」
「あの、えっと、人と関わるのがさらに怖くなってしまったんです。どうすればいいでしょうか?傷付いても耐えられるようになりたいんです」
「私に甘えればいいよ。殴られたのは私のせいだから。あの件は本当にごめんなさい」
「いいえ、そんなことはないですよ」
「私も出来る限り本音を言うようにするから、強い心をしっかり持ってね。辛いことがあったら抱き締めてあげるから。前に進んでね」
「はい。ありがとうございます」
白石さんの香りを感じられないまま活気溢れる街へ進むと、香辛料の香りが緩やかな風に乗り、それが強く鼻を突き、クレープの甘そうな香りも、貰ったチョコレートの香りも印象から消してゆく。
下唇にある治りかけの傷の隙間に、どうしても歯の先を差し込んでしまう癖があり、どの場面も血の味が、想い出の道しるべのような存在として、しっかりと居座っていた。
あなたとの恋人としての人生を掻い摘まんでみると、幸せの種類はかなり少ないものの、圧倒的な幸せが、爆発しそうなくらい詰まっていて、幸せだと心から名乗れるほどだった。
あなた以外からの愛の感度は鈍くなり、最近は同じクラスの最前列の女子が、私や私と一緒にいるあなたを睨み付けるように、見下すように突っ立っている姿をよく見るが、脳のアルバムにしっかりと残っているそれが、今も視界を塞いでいる。
クレープ屋さんに着き、笑顔の成分が少ないあなたを見て、表面に溢れたボロボロのあなたとは違い、私と別れたいという気持ちが、しっかりと地に足を付けて立っているように思えた。
頼んだバナナの入った王道クレープを店員から受け取ると、想像よりずっしりと重く、このクレープをあなたの愛に準えて、しっかりと手のひらで感じとっていた。
あなたに、あなたの嫌いなところをひとつ聞かれたが、好きが苦手を嫌いに変えて、好きが嫌いを産み出そうと必死だということなどが脳に溢れ出し、考えただけで身体が震えた。
鞄に付けたキーホルダーのライオンは、磨いても消えない傷が纏わりついたままで、あなたの鞄にいるライオンも、よく見ると幾つもの傷で出来た線の檻に、窮屈そうに閉じ込められていた。
あなたの瞳の上では集団的に前髪がくねり、ズボンのウエストが合っていないのか、ベルトに乗っかるようにして存在しているベルト通しが、もういつ切れてもおかしくないほどに悲鳴をあげていた。
あなたの身体が時々、透明であるように思えたり、触れられないように思える時があり、あなたのか細い声が、いつもそれを元に戻してくれるのだが、今はその声も聞こえないほど、幸せのドミノがバタバタと倒れていくかのような耳鳴りが、ずっと続いている。
クレープを一口かじり、暫し甘さとはお別れしてから、人との関わりを出来る限り絶とうとするあなたに、あなたの全部が好きだと言い放ち、大目玉を食らうことも覚悟した上で、闇の奥へと引きずり込むように、両腕で身体に噛み付き、ぎゅっと抱き締めた。




