#64 動き回る愛と心
向こう側からやって来た、スポーツ複合施設に向かう電車の外観は薄汚れていて、だいぶ早めの電車で向かう予定のあなたと私は、手と手で繋がりながら、同じホームにいるはずのない萌那、先輩、田中さん、そして、田中さんの妹のこのはちゃんを目で探していた。
車内へと一緒に乗り込んだあなたが、私服として着ている黒いパーカーの紐は、激しく揺れ、その揺れにあなた並みに敏感さを発揮した私の身体は、揺れに揺れていた。
先日、あなたで溢れ返っている部屋に、あなたそのものがやってきたという事実を、考えれば考えるほど、ガタンゴトンという電車の音が、自分の鼓動と重なって聞こえてくる。
メイングラウンドと化したバイト先で、生き生きとしているスマホ画面の萌那を、人差し指で見えない空間に追いやったり、招き入れたりしながら、今の私と遠い存在であることをしっかりと噛み締めていた。
喉の検査の時や、階段から落ちたことによる後遺症の通院で、電車にはよく乗っていたが、座りながらあなたの隣で見ているこの景色は、その景色よりも、どんな風景よりも、格段に淡いものだった。
女性の優しいアナウンスが流れ、案の定それにあなたは驚き、静かに読んでいた文庫本を地面に落としてしまい、あなたの快楽の入り口と共に、文庫本のページがパタリと閉じていくのが分かった。
私の頭で異質の存在感を放つ、あなたとお揃いの瘤に何気なく触れると、なんとも言えないポコリとした丸みを感じ、愛しさに繋がる痛みがそっと通り抜けた。
愛塊の突端の鋭度を、より鋭く削ってあなたに突き刺したいくらい、愛しく感じているあなたの仕業なのだろうか、スマホ画面に反射する私の鼻の赤みは、いつの間にか消えているように感じた。
「玲音ってタピオカミルクティーが好きなんだね、意外」
「はい、モチモチした食感が好きなんです」
「玲音、乙女だね。すごく可愛い」
「あっ、ありがとうこざいます」
「それで、本どこまで読んだか分かった?」
「いいえ、分かりませんでした。あとで探します」
「あっ、今から行く場所はスポーツ系だけじゃなくて、ゲームセンターとかカラオケとかもあるんだって」
「ああ、そうなんですか」
「そういうのもあるけど、そういう音はもう慣れた?」
「はい、大丈夫だと思います。スーパーの外にある機械は、突然大きな声で喋り出すので苦手ですけど、準備が出来れば大丈夫そうです」
「うん、良かった。私がずっと手を握っててあげるからね」
「あ、ありがとうございます」
「先輩の姿がテレビで流れてから、先輩とちゃんと話すのは初めてだよね」
「そうですね。テレビに出られてからは、一躍有名になりましたからね」
「うん。今日もこのはちゃん、玲音に嫉妬してくるかな」
「あれは嫉妬ではないと思いますけど」
「そうかな?」
「そうですよ。ただ僕のことが苦手なだけですよ」
「私は違うと思うけどな」
「はあ」
「わがままだったり甘えてきり、このはちゃんって本当に可愛いよね」
「はい、可愛いです」
「あっ、もう少しで着くよ」
あなたが太い眉であるうちは、何もかもが大丈夫という根拠のない自信と、先日あなたから私を抱き締めてきたという事実を、今はギュッと抱き締めたままで、もうすぐ現れる都会の排気ガスのニオイに慣れる準備をした。
緊張が、リップクリームに含まれる甘くて酸っぱい味を拭い取り、舌に纏わりついた薬品の片鱗が、徐々にゆっくりになってゆく景色へと、絶妙に絡みつく。
あなたの驚きを拒否反応と捉える者がいたとしても、好きゆえの緊張の裏返しと捉える者がいたとしても、驚きが私の好きを脅かす存在になることは一生有り得ないと、そう断言出来る。
ホームの黄色や仄暗さに、人々が溶け込むようにして行き来している場所へ、あなたと覚悟を決めて流れ込むと、複合施設への期待が段々と上がり、ついには喉元まで昇ってきた。
押し潰さない程度に触れ合うことを、決めて握っていたあなたの指は、力の入り具合がいつもと違い、いつもと然ほど変わらないキョロキョロ周りを見ながら先を歩くあなたの、頼りない背中は凄く頼もしかった。
鼻をかむために壁に身を寄せ、あなたから手を離すと、あなたには手首を自分の手で掴む癖が表れ、私は鼻に強く力を入れてかみ、丸めたティッシュを急いで鞄にしまったあと、あなたと同じ癖を放ちながら、あなたのヒンヤリとした手をすぐに掴んだ。
あなたがビクッと腕を揺らす仕草をする度に、喉元辺りがうごめいたり、足の指がふわっとなったり、身体の全ての表面を撫でるような擽ったさがしたりと、身体が忙しくなった。
陰気な空の下、刹那の予感がする雨の中を、二人で傘を差しながら歩いていると、白い蝶々が傘の下へと入り、10mに渡って周りを旋回しながら付いてきた。
曲がり角が苦手なあなたは、歩く人々に月並みに警戒しながら、曲がり角の前ではしっかりと立ち止まり、深呼吸をしてから私の手を頼るようにして、のっそりと狭い通路に曲がっていった。
壮大な心の舞、米粒ほどの苛立ち、正体の分からないモヤモヤなどが合わさった気分によって、打楽器のように打ち合わされた上下の歯が、小気味いい音色を響かせる。
あなたの耳の生存を改めてじっくりと確認し、短くて爽やかさが増したあなたの髪の毛から伝わる、ジグザクからの巻き返しの記憶に、私の口角はグイッと上がり、笑みを生み出す顔の動きが、前よりもたくさん溢れている気がした。




