#06 愛は廃れた刃物
清潔感のある白い内装に飲まれそうなほど主張の少ない黄色い床を歩めば、白の厳格さは増していき、白い天使がちらほらと目に映る。
黒いダッフルコートと制服、黒い鞄と紙袋、黒い靴下と靴を身に付けた萌那は、白が多数を占めるこの場所で鮮明化を果たし、あなたの頭のスクリーンでもこの鮮明さのままで居座るのではないかと心配している。
萌那の明るい髪色と心の目映さで、あなたの頭にいる萌那の姿がぼやけてしまうことを私の心の一部が願っていることに気付く。
萌那の歯切れのいいノックの音に圧され、唾を飲み込む音、喉を動かして整える音、お腹の音、心臓の音が萌那に聞こえるか聞こえないかの狭間で鳴っている。
消毒系の匂いが掻き回す個室内の空気に、萌那のいつもとは異なる優しい香水の香りとあなたの優しさの薫りは数パーセントしかないが、凛々しく向かってくる。
外と同じ色合いをした部屋の中央よりやや左にいる萌那に重なり顔の見えないあなたの左側で、私から見ると正面にある窓からは光が差し込み、それはあなたと私と萌那に希望を忘れさせないための光のように思えた。
全身を白に包み込まれた白いあなたは、白を巻かれた太い足で横たわりながら萌那と声を交わしていたが、徐々に間隔を狭める私の存在をようやく捉えた。
「フェッ!」
「大丈夫か、長木玲音?足も大丈夫そうだし、寝てて倒れる心配がないところで良かったよ」
「あっ、はい」
「あのさ、何で私が来た時は反応が薄かったの?私が長木玲音のお見舞いに来るのは当たり前じゃないよ。そんなに仲がいい訳でもないし、私が少しお節介な性格なだけだから」
「すみませんでした」
「菜穂、何か話しなよ」
「大丈夫ですか?骨折したと聞いて心配で来ました。話すのは初めてですよね」
「ふぁ、はい。ありがとうございます」
「私、萌那の友達の家山菜穂です。一応、同じ学年です。特進クラスで会う機会は少ないですけど、よろしくお願いします」
「は、はい。よろしくお願いします」
「足だけですか?どれくらいの骨折ですか?」
「骨折は右足だけで、一ヶ月もかからないくらいで治るみたいですけど」
「菜穂?長木玲音は好きな人に迫られると心臓に負担がかかっちゃうから、もう少し抑えなよ」
「うん」
「長木玲音ゴメンね、菜穂は私を上回るくらいの心配性みたいだからさ。誰かが心配になるとお見舞いまで来ちゃうくらい度が過ぎてるのよ」
「そうでしたか。家山さん、わざわざありがとうございます」
「いいえ、好きで来ているので」
「玲音?慣れてきて驚いても声出なくなってきたんじゃない?それでさ、さっき菜穂のことすぐ気付かなかったけど玲音って鈍感なの?それとも敏感なの?」
「両方です」
私は顔を下に向け、左手にぶら下がっていたビニールから右手で中身を取り出し、両手で掴んで、その手を丁寧に前へ差し伸べた。
視線があなたの首より上にいかないように脳が操作され、身体が冬とは思えないほど蒸し暑くなり、手が持っているパズル雑誌を早く手放したがっていた。
あなたの傍らの隅の机に置いてある小さなテレビの他に目立つものがほとんどない空間を、私の初の贈り物であるパズル雑誌の表紙の猫が掻き乱す。
萌那が渡した目の前に座る無表情のクマのぬいぐるみ以下だったあなたの顔は私の贈り物で笑顔に変わり、あなたは敏感さにも表情にも波があるのだと感じた。
私の手にあなたの手が触れることはなく、雑誌の厚みとツルツルとした滑らかな表紙の感触の余韻だけをただただ感じていた。
口を開閉したが動かさない時間の方が長く、首は真っ直ぐに出来るもののすぐ前に倒してしまい、手は後ろでフラフラさせているしかなかった。
あなたの不器用な優しさに包まれたなら、運動をしなくても、絶望に襲われなくても、十分に酸素があっても呼吸は苦しくなるものだと今、実感した。
帰り道、スラスラ遠ざかる黒い後ろ姿ではなく、廊下を照らしている行きよりも10ワットほど少ないと感じる光に私は釣られてしまっていた。
振り返った萌那は、恋の救世主、弾けたギャル、幸せに導く聖母の三つの要素が合わさった、とても頼もしい顔で笑いかけてくれた。
今、口に入れた私の鞄で横たわり刺激を与えないほどの温度となったペットボトルの水が、心に大半の潤いを奪われた口全体に優しく染みゆく。
外に出ると、車とバイクの唸り、烏の喋り、子供の叫び、風の呟きなど、私が普段気にもしない、あなたが驚くであろう音で埋め尽くされていた。
一番近づいた、つい数分前に鼻で覚えたあなたの繊細な柔らかさは、漂う甘ったるいソースと油の香りに邪魔されようとずっと守り続ける。
ここに来る前、制服に付いた先輩の愛を振り落とすように身体を揺らし、走って逃げてきた私を素直に受け入れてくれた萌那。
そして、私のことを心配性の女の子くらいにしか思ってないであろう素敵なあなたが途轍もなく愛おしい。




