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#59 憧れを目の前にして

飛び跳ねる者、手を振り回す者、そして涙を流す者などが、暗い視界を賑やかし、あなたの用事のせいで離れつつある私とあなたの距離は、東京にいる今が一番遠い。


怖い顔を謙遜する山崎さんのハニカミの余韻を消すように、歌姫の美しい歌唱姿の余韻が段々と広がりを見せ、歌手への熱意はグングン増してゆく。


人が溢れる狭い通路を抜けても、女子達の燥ぎが豪雨のようにガンガン降り注ぎ続けて、その中にあなたのウーと唸る声が何処からか聞こえてきそうな、そんな予感に包まれていた。


スニーカーの紐が鞭のように足の甲を叩き、ほどけていることを知らせてくれ、私はおもむろに端へと進み、膝と背中を丸めて手先を細かく動かし、今にも飛んでいきそうな蝶々を作り上げた。


会場から出ても、ハートのTシャツ姿で満ちていて、そのハートのひとつに被さる何処かの美女がしているピンクのタオルを見て、私から先輩が奪ったハートのタオルが数時間前に、テレビ画面に堂々と映っていたことを思い出した。


歌姫の歌声が、喉や身体や心を動かす原動力になっていて、それは今いる周りのほとんどの人物に当てはまり、歌姫と同じ金髪の長いストレートヘアで埋まった街はあなたには刺激が強すぎる、という警鐘が頭の中で鳴り響いていた。


ツインテールは、さすがに朝のような元気を無くしてしまっていたが、芯は確実に残っていて、その芯を心の底に送った後、昨日の夜に撮影していたあなたへのラブソングを、指先から発信した。


お腹は静けさを取り戻し、腹痛の他にも痛みは何もなく、次に東京に来るときはあなたの心臓になって、あなたに全てのものを寄せていきたいと、興奮冷めやらぬなかで、もうすでにあなたを想っていた。


「もしもし」


「玲音?」


「あ、はい」


「ライブが今終わったところ。すごく楽しくて、すごくカッコよかったよ」


「よかったですね」


「うん。次は一緒に行こうよ。次は絶対に玲音と行きたいな」


「そういう場所は人が多くて、大きな音が溢れているのでちょっと」


「そっか。無理にとは言わないけど、私は玲音がいないと不安だから」


「はあ、はい」


「あっ、送った動画見てくれた?」


「まださっき来たばかりですよね。なので、まだです」


「そう。その曲は今日、生で聞いた曲で、私の十八番だから」


「すごく楽しみです」


「玲音、髪の毛伸びたよね?」


「はい」


「邪魔だし、切った方がいいんじゃない?私が切ってあげるよ」


「えっ」


「昔はパパの髪の毛を切ったりしてたんだよ。いいでしょ?切らせてよ」


「そうなんですか。じゃあ、お願いします」


「あっ、ごめん。なんか踏み込みすぎちゃって」


「いいえ。僕は何事もどちらかに振り切れて欲しいタイプなので、その方がいいですけど。すみません、用事がありますので切りますね」


「うん」


あなたとの会話が突然去り、煙が鼻の奥の方で渦巻くかのように、何処からともなく入り込んだ重たい空気が、鼻の中で煙たさをグングンと昇り上がらせる。


あなたの声は全身の感覚を綻ばせ、体内から染み出たほんのりとした甘さが、舌の上でコロコロと転がり、幸福な身体に育っていることを十分に実感させてくれた。


植物は太陽の当たっていない夜中の、睡眠中であっても育つものなので、あなたの愛も、私の視線や身体が当たっていない現在のような状況でも育つといいなと、心の中で密かに思っていた。


暗闇に満ちている車窓が視界に入る位置に座り、金色の髪の毛に挟まれながら萌那のSNSを隅々まで覗くと、あなたの断片や影をいくつも発見した。


スマホ画面を、容量の大半を占めているあなたの画像のひとつに切り替えると、斜め下を向くあなた、丸いレンズにも目線を合わせられない優しい表情のあなたなどがいて、それが闇より先に私を飲み込もうとする。


あなたに逢ったら、真っ先に指と指を絡ませたくて、空中で手をギュッと握ったり、パッと広げたりしていると、カサカサとした感触がより際立ち始め、潤いを体内から湧かせようと念じた。


山崎さんへの愛しい気持ち、先輩にサッカーボールのように蹴られて未来へ飛んでいきたい気持ち、ザワザワする予感、そしてあなたの全てが胸を存分に掻き乱す。


瞳に馴染んだ光景を前に、改札を抜けて帰り道を進むと、私の白い皮膚とピンクの腕時計越しにある、駅前の光の当たらない場所に、萌那としっかりとしたハグをするあなたが光っていた。


ほんの一瞬の出来事が、1分よりも1時間よりも濃いものに感じられ、掴むと落ち着くという手首を、もう片方の手で掴むあなたの癖でさえも、私の瞳には全く美しく映らなかった。


あなたの強敵である子供のはしゃぎが、予想以上の迫力を放ち、歌姫の歌唱するメロディーをあなたとの思い出のメロディーとして、頭の引き出しに仕舞うという夢は、他の音と共に消えかかっていた。


扉を抜ける直前に舐め始めた飴を、驚いた拍子に飲み込んでしまい、向こうの駅で買った父へのマカロンを振り回し、落ち着きが落ち着いてきたあなたから、足を最大限に使って走って逃げた

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