#55 甘くもあり、苦くもある
真っ白な細長いテーブルには、黄色染みたコーヒーと、白石さんからのチョコ、そして、店の透明なガラスの向こうには、ちらほらと私たちと同じ制服がいる。
あの時のような酸っぱい笑顔は徐々に変わっていき、刮目に値するあなたの安心感が、顔からも身体からも見受けられるようなった。
自分の髪の毛を人影だと思って、また驚いたあなたは、イスの足を思い切り擦り減らし揺れ動き、その際に鳴り響いた伸びのある音に、再度身体を揺らしていた。
足が熱を帯び始め、靴下の生地が足の裏に吸い付くような感覚が広がり、足が拘束されているような感情が溢れ出したのだが、その感覚はどこか、義理チョコを渡した先輩と私の関係に似ている気がした。
十分な落ち着きを放ち、あなたの顔から出るオーラは不安が少ないように感じたのだが、顔は所詮身体の僅か10分の1に過ぎないので、その顔だけで人の全てを判断出来ないことに、モヤモヤが溢れ出した。
怪我をさせてしまったせいで、その直後から怪しい瞳が、申し訳なさそうなものへと変化していったあの男子の顔が、頭の裏側にプカプカと浮かんでいた。
チョコレートの甘さや、コーヒーの香ばしさなどが混じった茶色くて濃い薫りが、コンビニの隅の方にあるゆったりとしたスペースを濃密に席巻する。
私の知人と名乗る女子高生から貰ったというチョコレートをあなたから奪い、それに込められた想いと一緒に頬張ると、内臓がクラクラするほど甘ったるいものだった。
「これ、甘すぎるよ」
「えっ、そんなに甘いんですか?」
「あっ、いいよ。玲音は食べなくて」
「はい」
「他の人から貰ったやつは私が食べるから。顔も見たことない私の知人から貰ったものでしょ。どうしても気持ちが良くなくて」
「あっ、はい。分かりました」
「隣の席の男子から貰った逆チョコは玲音にあげる。私が食べたら気持ちを受け入れた気がして嫌だから」
「あっ、ありがとうございます。あっ、あのっ、菜穂さんのチョコレート、本当に美味しかったです」
「ありがとう。バレンタインにこうやって、のんびり二人でいるのもいいよね」
「そうですね」
「こういう何でもない感じがすごく幸せだよね」
「あ、はい」
「手首、大丈夫?」
「はい、痛みますけど動くので大丈夫です」
「玲音の右手とは繋げなくなったから、また左側だね」
「あっ、はい」
「最初は左側だったから、なんか懐かしいな」
私を嫌いになるまで好きでいて欲しいという気持ちから、人生最大のモテ期であるあなたをずっと見つめ、ずっと手に力を込め、ずっとずっと胸をピンと張っていた。
去年まで0個だったあなたのチョコレートの数が、今年たくさん増えたせいで、少し力んでしまい、昨日包丁の刃で切ってしまった親指に分かりやすく少量の痛みが表れた。
自分が抱いている苦手が、全て多数派とは限らず、苦手には正解なんてひとつも存在しないと思っているが、好きには正解しか存在しないと、ずっとずっと信じ続けている。
ポケットを探り、取り出してみると、身に合わないスカートに揉みしだかれた夕方のマスクはしっかりと萎れていて、それでも挫けることのない今の私に似ていた。
男子の声に怯えて、右手を地面に打ち付け捻ってしまったあなたの手首が、痛々しく赤みを放ち、手首を触るあなたの皮膚には、他にも驚きが原因ではないと思われる傷がいくつも存在していた。
鼻の水分を全て出し切る覚悟で、四角い紙を当てて、脳にある悪い記憶も水分として出し切るように力を込めると、耳でヘリコプターのような音が鳴り響いた。
手に纏わりつく、ネチョネチョと溶け出した微量のチョコレートの痕跡から来る感触も、あなたの左手の柔らかさも暖かさも、何かしらの幸せが混ざっているように感じた。
愛の欲は最高潮に達し、私はあなたの瞳に映る私を眺めるようにしてじっくりと目を突き刺し、あなたも私の瞳に映るあなたをキョロキョロしながらも、ずっと眺め続けていた。
すると、不意に扉から見覚えのあるボサボサ髪の男子が現れ、ゆっくりと自動ドアを通りすぎて奥に消えていき、その男子に怯えるあなたのビクビクは断続的に続いた。
あなたに敵意を抱く男子が来ても、愛とは対照的に私の身体が動かず、口も喉も制止した状態が続いたが、好きが思考を阻害して行動が抑制されている訳ではなく、別の何かが邪魔していた。
男子がそこのドアからやって来た時のように不意に、腹部に重い空気が立ち込め始め、中から蹴り上げてきているようなハリが生まれ、その空気があなたの心のように澄み切った素直なものであることを願いながら、そっと宥めていた。




