#54 バレンタインの心の糖度
放課後、あなたの教室へ向かう景色を眺めれば、愛が空中にプカプカと浮かんでいるような、そんな幸せが溢れる賑やかな空間がそこにはあった。
教室に足を踏み入れ、優しい顔をして一緒にキッチンに立つ、昨日の母のシルエットを思い浮かべながら見た、俯き加減のあなたの作り笑顔が酸っぱかった。
数日前の長い電話の後、一向に耳の奥底で鳴り止んでくれない愛しのあなたの声が、今聞こえてきた本物のあなたの声とがっちりと重なった。
絆創膏越しにあなたの腕に触れると、その瞬間、昨日不注意により包丁の刃で切ってしまった親指の先端に、微量の苦しみを感じ、あなたから僅かな苦しみを分けてもらった気がして、少しだけ頬の皮膚が引き締まった。
鞄を覗けば、サッカーボールチョコの小さなもの、巨大なもの等が入った紙袋がちらほらあり、それらを押し退けて、特別な飾りを施したものが紙の袋に隠れながらも、フォルムとしての存在感を放っていた。
普通ではない恋も、恋は恋だと心にぎゅっと力強く埋め込み、あなたをピンクの心で見つめていると、自分の髪の毛を人影だと思ったのか、あなたは首を揺らし、髪の毛もバサッと一緒に揺れ動いていた。
掌を擦ればバラのハンドクリームが薫り、ほどよく日光の香りも漂い、人間だけでは作り出すことの出来ない空間を自然が生み出し続けていて、あなたと萌那と過ごす時間は弾みが良かった。
あなたはグチャグチャになった紙袋を鞄から取り出すと、私の知人から貰ったチョコレートだと申し訳なさそうに話し、その衝撃のあるあなたの言葉により、舌にいぶし銀のような苦さが走った。
「玲音、今が一番のモテ期なんじゃない?」
「へっ、あっ、違うと思いますけど」
「絶対そうだって」
「萌那?玲音は今までと特に変わってないよ。玲音にモテ期とかないから」
「そうかな?あっ、ねえ、なんか玲音って髪の毛が伸びるの早すぎない?」
「そうですか?」
「絶対そうだよ」
「確かに玲音の髪、いつの間にか長くなってる気がする」
「恋してると髪の毛の伸びが早いとか言わない?」
「そんなの聞いたことないけど」
「菜穂に恋してる証拠だよ」
「そうかな?」
「二人とも、ちょっと言いたいことがあるんだけどいい?」
「えっ、何?」
「私、先輩のことをまた追いかけてみようと思ってるんだよね」
「えっ、そうなんだ」
「まだ好きに戻った訳ではないんだけどね。それでさ、菜穂にはまた手伝ってほしいんだよね」
「何をすればいいの?」
「玲音と一緒に私の良いところをアピールしてくれたり、色々アシストしてくれればいいから」
「私は別にいいけど、玲音はそういうことはあまりね」
「玲音にはもうオッケー貰ってるから。じゃあ、決定ということで。玲音、分かった?」
「あっ、すみません、何ですか?聞いてませんでした」
「私の恋を応援してっていう話」
「あっ、はい、分かりました」
「玲音、どうしたの?」
「心を許すと話を聞き流してしまうタイプなんです。緊張や動揺などで聞き逃すことはないんですけど」
「私たちに気を許してるってことだよね。気を抜いてくれて、なんか嬉しいよ」
思い立ったように鞄を漁り、充電器やポーチに埋もれた愛に手を伸ばし、引っ張り上げると、口を大きく開けて喉を震わして声を作り、あなたに素直な愛をぶつけた。
胸の大きな膨らみがあなたとの壁になっている気がして、腕で押さえつけ、フワフワしたくすぐったい胸騒ぎになりながら、チョコレートを手渡しした。
あなたが私を嫌いになるまで好きでいさせてという言葉を放ち、あなたからそこまでの大きな愛を感じられていない私は、もし大好きと大嫌いの二択しかないとしたら、私に大好きという言葉を言ってくれるのだろうか、という疑問で頭がいっぱいだった。
見覚えのあるボサボサの髪、私の目に馴染んだ怪しい瞳、それらを携えて左の席の男子が、自分の教室から遠く離れたこの別の教室へと、息を切らして現れた。
愛のようにしっかりと結んであるリボンを、照れた表情でほどくあなたが、綺麗にリボンをほどいたとしても愛がほどけることはないが、左の席の男子に逆チョコを、精一杯伸ばした手で渡された途端、私の心は波打った。
あなたが紙の袋を開ける優しいガサガサと、心のザワザワが一緒に鳴り響き、愛に満ち溢れ、鋭峰のようだった左の席の男子の語気は、あなたにヤスリをかけられたように丸くなっていった。
あなたの手を、労りながら包み込むように握ると、水分を含んだ冷たさが皮膚に吸い付き、あなたの敵と見なすべき男子への怯えも含む、ハキハキとした震えが犇々と伝わってきた。
私の瞳の表面に少しずつ滲み、ジワジワと揺れている透明な液体が、日の光や照明の光を浴びて、丸く神々しい結晶を咲かせていた。
男子があなたに優しさの溢れる敵意を剥き出しにし、大きく力強い声を発すると、怯えて動揺したあなたは私の手を飛ばし、右手から地面に転げ落ち、手首を打ち付けて捻ったように見えた。
私の好きの塊である、あなたの強い部分や弱い部分などの全てが、あなたを平穏にするためにある私の頭脳や閃きをうっちゃろうとしていて、手足は動かせず、ただ小刻みに震えているしかなかった。
私の弱さを全身で受け止めてくれる、弱々しい強さが滲み出ているあなたの頭から足の先までを見て、あなたのことが大好きすぎる私が大嫌いになりそうになった。




