#51 レンズの向こう側へ
両親の愛が詰まった日の余韻が残るなか、グラウンドでは、私の首に掛かったデジタルカメラが赤ん坊に思えてしまうほど、立派な黒を担ぐ男性と、その取り巻きが蠢いていた。
エースである先輩を、スーツを着た大人たちが多数見つめ、ここにあるほぼ全ての視線を独り占めにした先輩の坊主には、光が満ちていた。
全国大会に出場したことのないチームに、期待や注目を含んだ歓声という音色の波がズンズンと、そして、確実に押し寄せて来ていた。
あなたといるときにも、あまり感じたことのない感覚がここには溢れていて、先輩への心配から来るドキドキで沸いた雫が、掌を包むように広がっていった。
道路側に溢れんばかりに殺到するファンの群れ、先輩の頭を乱暴に撫でる私のハートのタオルなど、心臓を揺らす要素たちがしっかりと目に映り、同様にテレビカメラもそれを捉えていた。
人だかりのなかに、あの日のサッカー少年を見つけて口角が少し上がったが、公園で私に怪我をさせてしまったせいか、少年は目が合った瞬間、あなたの十分の一ほどの驚きを見せていた。
距離を詰めていくと、少年は微笑を浮かべ、緊張から解き放たれたかのように私の鼻腔も解され、今まで感じることの出来なかった煙たさが鼻から勢いよく入り、脳を突いた。
喋ることを暫くして来なかったせいか、唾液や顎、筋肉、唇等が少し強ばり、粘っこい声でしか少年を迎えることが出来なかった。
「こんにちは、少年」
「あっ、お姉さん。こんにちは」
「少年も見に来てたんだね」
「うん。あの?傷のことは本当にごめんね」
「大丈夫だよ。ほら、もう治ったから。それにしても、すごい人だよね」
「テレビなんて珍しいし、それに選手たちがカッコいいからね」
「もしかして海原先輩目当て?」
「そうだよ。僕の憧れの選手なんだ」
「そっか。お姉さんはサッカーよく分からないからさ」
「ドリブルもトラップも完璧で、フリーキックも蹴れるし、他の選手とスピードが違うんだ」
「そんなに有名で天才な選手だったんだね」
「そうだよ。ねえ、お姉さん海原選手とどういう関係?海原選手の彼女?」
「違うけど、少し仲が良いくらいかな」
「そうだよね。だってこの前、公園で一緒にいた人が彼氏だもんね?」
「まあ、そうだけど」
「うらやましいな、海原選手と知り合いなんて」
「そうかな?」
「僕と海原選手を繋げてくれないかな?」
「えっ、どうしようかな。まあ、考えておくよ」
父と母が私にしてくれたような気遣いを、私もあなたにしてあげたいなと思っていたが、少年や先輩には何の気も使わずに、控えめに手を振っている私がいた。
自分なりの力が出せていればそれでいい、未来なんて誰も分からないから思った通り突き進めばいい、そんな父の言葉で心の鉄板は今も燃え続き、もう冷めたりしないと確信していた。
右の掌の皮膚で、右の掌の皮膚の全く同じ場所は触ることが出来ないのが当たり前だが、私は永遠に感じることの出来ないそのような感覚を、あなたに心の底から求めていた。
突如、吹き始めた強い風が、髪、衣服、砂、木々などの軽いモノたちを軽々と巻き上げたり、ヒラヒラと靡かせたりしていたが、私の気持ちは変わらず、ドスンと仁王立ちしていた。
私に拳を突き上げた先輩からは、天性の真面目さ、優しさ、弱さが全て解放されている気がして、あなたといる時よりも楽な時もある私の場面の一部として、躊躇しながらも飲み込んだ。
弱音は挙げずに、喜びの声を挙げたいと心に決めて、奇声に近い歓声にも、地を這うような風の奇声にも負けないほどの心の声で、気付けば遠くにいるあなたを呼んでいた。
誕生日にあなたから貰ったクマのぬいぐるみをあなたに見立てて、鞄の中で抱き締めるように手を添え、優しい感触を確かめながら、あなたの優しさを想った。
絵画では再現出来ないような、白く小さな螺旋が無数に生まれ、それが幾重にも重なり合って出来た複雑な雲が空を牛耳り、それがこの世界も牛耳っているように思えた。
家で寝込んでいて、ここにはいないあなたと私を、両親のような夫婦像に重ね合わせた後、あなたの円やかな顔を鞄のクマさんに、まじまじと重ね合わせた。
カメラのレンズがこちらを向き、慌てて呼吸を最小限に留めるようにお腹を凹ませて、少しでも細い女性に見せようと演出を加え、体幹をさらに鍛えてあなたの支柱になるという演出も、私は未来に加えようとしていた。
あなたへの情熱を活力に、選手たちに歓声を浴びせようとしたが、口の角に僅かに入った切れ込みの痛みを避けるために、脳が口を開ける大きさのボーダーラインを設定してしまったようで、躊躇い抜きで上手く浴びせることは出来なかった。




