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#43 唇から喜びのラブソングを

急な階段を下ると、薄紅色したフリフリの襟と、蝶々のカタチに結ばれた細くて薄いリボンが、首元で私の心と共に揺れ踊った。


個室を出るときに見た限りでは、ひとりでも怪我しないで帰れるくらい落ち着きのあるあなたがいて、心配とあなたに必要とされない恐怖に、微笑みながら怯えていた。


少しずつ少しずつ風食されていく、あなたの自尊心とは反対側にあるような、力強い歌声と激しいドラムが、個室を出ても耳を殴った。


ドリンクバーに着き、タンクの横にある小さな水道でカップを洗ってはみたものの、ココアの茶色は消えず、それに似たしつこさも口に残っており、あなたの味に今すぐ変えたくなった。


カップをセットしてオレンジジュースを注いでも、ココアの香りが主張を止めず、一口飲んでも、ココアの香りがするオレンジジュース、という印象は全く変わらなかった。


ヒンヤリとするカップの柄をしっかり掴み、階段を勢いよく駆け上がっても、あなたから貰ったプレゼントのクマがしていた指輪とハートのネックレスが、私の皮膚に溶けるようにしっかりと馴染んでいた。


今頃になって人差し指だけ太くなった霜焼けの指、ヒタヒタに近いくらい余白のないカップの内側、そして通路から覗く部屋のドアの僅かなガラスからは、どんよりとした空気しか感じなかった。


心が反映された勢いある手のまま、私はドアを開けてしまい、水を溢してしまったビショビショのあなたがそこにはいて、感度のアクセルをべた踏みし、ポジティブのブレーキから足が離せない私は、カップをテーブルに置いて、あなたに抱きついていた。


「あの?ビ、ビチョビチョになりますよ」


「うん、大丈夫」


「えっ?」


「玲音と同じ状態になっただけでしょ?」


「そ、そうですけど」


「すぐにこうしたかったの。このままでいいでしょ?」


「わ、わ、分かりました。でも」


「私はもっと玲音と仲良くなりたいの。もっと深くなりたいの」


「ハッ、はあ。僕はこのままで十分ですし、これでも僕にとっては深すぎるといいますか」


「私は1番近い人になりたいの」


「もう、もうなってますよ」


「玲音、モテるよね?女性に常に優しくされてるイメージがあるけど」


「同情で近寄ってくれるだけですよ」


「じゃあ、私も同情で近寄ったと思ってたの?」


「あ、はい。始めの方はそう思ってました」


「玲音。私だけを見てよ」


上目遣いで、あなたの顔を見つめた後に全身を見つめると、私が贈った細いレディースのパンツと、黒のベルトが、あなたの一部と化していた。


呼吸を僅かに乱し、自分の胸を押さえているあなたは、まるで取り込みすぎた私の愛が体内で暴れているようで、私の呼吸も乱れていった。


繋ぎ合わせた即席の愛情であっても、あなたが愛をくれるだけで嬉しいし、交わした言葉の数では、まだまだ恋人には達していないけれど、肌を交わした数なら夫婦だって越えている。


壁のスイッチを押し、灯りを消し、簡易的なカーテンを横にスライドさせ、あなたの落ち着ける部屋にして、唇を重ねるための空間を浮かび上がらせた。


灯りを消しても、私の顔の灯りは付けっぱなしの状態で、何をしても顔から明るさを消すことは出来ず、暗がりで私の朱色の愛が目立っていた。


押し潰されて、ぐにゃっとなった私の胸は、あなたの溜まった圧力を吸収して分散し、あなたの手からは、ようやく取り戻した優しさが伝わってきた。


あなたが少し前に入れた、声のない曲の伴奏が流れる大画面に、ズキズキする頬が反射して映り、私の目から愛が筒抜けていることも、ハッキリと確認することが出来た。


あなたにそっと顔を近づけると、一度も顔をこちらに向けることなく、何かにぶつけた衝撃で折れて膨れ上がってしまっている手の小指をかばいながら、あなたはドアの向こうへと足早に消えていった。


足を思い切り動かすことも、腰をあげることも、目尻を下げることも、黒目を泳がすこともなく、カップを口元で傾けることしか出来ず、時間はそれなりに経過したが、未だに唇にはカップしか触れていなかった。


ココアとオレンジが混じったようなニオイに苛まれていたが、ハンドクリームの甘いバラ色の薫りが後から覆ってきて、未来へと誘ってくれた。


世間色を気にしていてもどうにもならないことは分かっているので、デジタルカメラのあなたを傍らに置きながら、マイクを持ち、十八番のラブソングの心地いい高音のイントロと共に、ゆっくりと腰を上げた。

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