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#34 胸が膨らんだり萎んだり

萌那が来ても、いつもと何も変わらない部屋の中は、机の上に散乱する本やノート、皺を寄せたふわふわの掛け布団が安定感を放ちながら存在している。


学校の制服よりも明度が数倍増したスカートを着用し、絨毯で胡座をかきながらスマホをいじる萌那は、アルバイトを始めて少し経った頃から濃くなった化粧の集大成を、それとなく見せびらかしていた。


発声練習で喉の調子を整えた後、中央の小さなテーブルから萌那のデジタルオーディオが部屋の隅まで響き渡らせている音楽に合わせて、ヘアーブラシをマイク代わりに使い、声を轟かせた。


耳からは萌那の声や音楽や自分の声が入ってくるが、鼻水とあなたからの恋しさは体内から溢れ出そうとしていて、鼻からは何かが出ていくばかりで何も入っては来なかった。


出てきたものをティッシュで優しく包みゴミ箱へと放り、小さいテーブルのペットボトルに手を伸ばし、いつものミックスジュースであなたを補給すると、甘い甘い味が口内を覆い、横取りする萌那の顔にも甘い笑顔が溢れた。


久し振りに低温となった室内で、小さいストーブが渾身の力で熱を発しようとしていたが、暖かさは私の肌を撫でる程度で、どこか私のあなたに対する愛に似ている気がして、少しだけ寒気が増した。


ポテトチップスを包んでいたビリビリに引き裂かれた銀色の断面は丸まり、未だに元の姿に戻ろうと奮闘し続けていて、音楽が止み閑散とした部屋の中では唯一ポテトチップスの袋だけがパーティー気分を開け放していた。


萌那のスマホは頻りに鳴り、その度に萌那の顔は綻び、その合間を縫うように萌那はノールックでポテチに手を伸ばして口に入れ、ノールックで私との会話を繰り広げていた。


「誰とメールしてるの?男の人?」


「そうだけど」


「もしかして、バイト先の人とか?」


「うん、そうだよ」


「萌那、その男の人のこと好きなの?」


「まだ、そこまで好きじゃないけど。そんなことより菜穂の恋愛話の方が聞きたいけどな」


「前とそれほど変わってないし、普通だけど」


「そっか。でも菜穂、少し前から化粧始めて、より女の子らしくなってきてるよね。菜穂が化粧しちゃったら私、お手上げなんだけど」


「萌那、私のことを意識して化粧がそんなに濃くなったの?それとも男子を意識してとか?」


「それもあるけど、接客のバイトやってるから自然とね。ねえ、菜穂って前からこんなに胸、大きかったっけ?」


「あっ、最近大きくなってきたの」


「童顔巨乳って最強じゃん。玲音が羨ましいな」


「玲音くんは胸の大きさとかそういうのに興味がないと思うけどね」


「いやっ、意外と興味あるっぽいけどな」


「そうかな?」


「うん、絶対そうだよ」


「まあ、どっちでもいいけどね」


「あのさ、玲音って交際人数を1にしたいみたいな感覚で菜穂と付き合ったらしいよ。自信がなくて菜穂にもすぐフラれるって思ってて、この先誰とも付き合えないみたいなことも思ってるんだってさ」


「そ、そうなんだね」


「でも最初から菜穂のこと好きだったことに変わりないから安心して」


「萌那は玲音くんのことまだ好きなの?」


「うん、大好きだよ。でも、玲音とは親友だから。偶然でも事故でも玲音とキスはしてないし。それに菜穂より先にキスはしたりしないから」


「えっ、私とした後にキスする気なの?」


「したい気持ちはあるかな」


「えっ、恋愛感情は無いんでしょ?あっ、ごめん萌那。私、嫉妬が止まらなくって。玲音くんのこと好き過ぎるみたいで」


「知ってる。私でさえ菜穂の愛が怖いもん」


「うん。最近、近くの大学の女子大生にまで嫉妬しちゃってて、どうしよう萌那」


「落ち着いて菜穂。これ、クラシックに最近ハマってる玲音から教えてもらった音楽なんだけど、今からかけるから聞いて心を鎮めてよ」


「クラシック?」


絵が全くなく、文字の色も赤と黒しかない殺風景なカレンダーの背景はほぼ真っ白で、上に鎮座する大きな2という数字と、はなまるで囲まれた赤い、誕生日、という手書きの文字だけが目立つ。


萌那の以前より長くなったつけまつげは上を向き、口紅ははっきりと境界線を示し、髪の毛も不規則な編み方へと変わっていたが、恋愛対象はあなたから変わっていないような顔をしていた。


自信がなくても物語を紡ぐことは出来るが、ある程度の自信を持ち合わせていない限り、真の恋愛の物語は紡ぐことが出来ないだろう。


クラシック音楽が流れる中、ベッドの上で掌を毛布のごわごわに押し当て、腕と足だけで身体を支えながら、歌声を世間に轟かせるために、そしてあなたを守るために、腕の伸び縮みを繰り返した。


始めてまだ数えられるほどの日数しか経っていないにも関わらず、全身が筋肉痛を引き起こし、動くだけで腕や足を中心に電気が走っていて、これがきっと未来であなたと私を救ってくれると信じている。


頑張れの声が断続的に聞こえていた部屋の窓際のベッドの上で、不意に後ろから胸を萌那に揉まれて身体はビクッとなり、鷲掴みにされた柔らかい物体に痛みはほとんど無く、僅かな擽ったさだけが押し寄せてきた。


視線の隅にある窓に動き回る私の白すぎる足が映り込んで、あなたの半分にも満たない驚きを発動し、その白の背景となっている窓の外の不安定な空を見た途端、不安定なあなたへの逢いたさがどんどんと膨らんでいった。


そんななか、萌那は床に寝転び始め、よりコワモテになった私の父の話を度が過ぎる自然体を保ちながら放ち、あなたが萌那に心を許せる理由が分かった気がして、あなたと萌那の教室での関係性を想像して僅かばかりの怖さが脳に滲んだ。


ドアノブをゆっくりと回して通路を歩き、オレンジ掛かった木の質感が溢れる壁を通り抜け、キッチンにお菓子や飲み物を取りに行く前に、ついでにトイレへと立ち寄った。


鼻を掻き乱し、脳を揺さぶり、眉間にしわを及ぼすトイレ特有のニオイはせず、時折あなたや萌那からも漂い落ち着きをくれるラベンダーの強くて柔らかい匂いが、スッと入ってきた。


体内に残るクラシック音楽と共に耳を落ち着かせていると、萌那から発せられたハッキリとした声が自室から通路を介してトイレにいる私へと伝わり、誰かと電話しているような声の中にはあなたの名前のような単語も、どうやら含まれているようだった。

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