#32 望まない驚きの集大成
所々に黒ずんだ線が刻まれた校舎の壁、アスファルトで構成された校内の道、グレーの空、葉の無い木々などの風景は、あなたの突飛した魅力や特徴の集大成に呑まれていた。
あなたは地面の安全を一回一回確かめるように慎重に足を下ろし、驚いてしまったことに向けた、すみません、の口の動きを連続で登場させ、遠くのサッカーボールが出す音が鳴る度に、スイッチを入れたかのようにビクッと腕を上げた。
あなたに不快な香りを与えないようにと、お口の環境を整えるために溶かしている白くてスースーする塊から発生したミントの香りが鼻を通り抜け、どさくさに紛れてあなたの隣でしか味わえない香りをそっと貰った。
萌那と一緒に初めてあなたを見たときとまったく同じ場所に着き、その時とは違う少し低い声を隣にして、その時とは違い手を握り合って、その時よりも高鳴る鼓動を携えて、その時とは比べ物にならないほど大きな声援の中にいた。
絶えず動き回る濃紺の戦士たちを黒のスカートの集団がウジャウジャと取り囲む中で、いつもより一段と小さく見える白の枠に、いとも簡単にシュートを突き刺す先輩が目に吸い付く。
観衆にカッコいいところを見せつけている濃紺ジャージ姿の先輩を見ても、制服を着て私にハグをしてきた先輩が目の前にちらつき、私への好きが抜けていない先輩の視線が瞳の奥をチクチクと刺し、それとは関係なしに驚いたあなたの口が大きく開かれた。
観衆の連なる拍手に驚いたあなたは、深い関係に対する反骨精神のお膝元から解き放たれたかのように、私への遠慮を感じさせない雰囲気を携えながら優しく私にもたれ掛かり、しっかりとあなたの柔らかさを左側の大半の皮膚で感じることが出来た。
先輩とのハグの記憶の上に上書き保存するように、腕、掌、指などの手の筋肉を巧みに動かして、私はこの上なく優しい気持ちであなたを抱き締め、先輩との間に瞼で盾を作りながら、暫くの間、あなたをふわっと包み込むことを止めなかった。
「大丈夫、玲音くん?」
「あっ、はい」
「落ち着いてね」
「あっ、ああ」
「私がいるから大丈夫だよ」
「はい」
「このままにしてようか」
「痛っ」
「あっ、ごめん。強く抱き締めすぎたかな?」
「いいえ。驚くと痛いって言ってしまう癖がありまして」
「あっ、そうだったね」
「は、はい」
「あのさ、玲音くんって男女に友情って存在すると思う?友情のハグとかってどう思う?」
「あっ、僕には縁の無いことなのでよく分かりません。菜穂さんは友情のハグをされたことがあるんですか?」
「うん」
「やめて」
「玲音くん、大丈夫?」
「あっ、ごめんなさい、これもビックリすると出てしまう口癖で」
「分かってるよ。あのね、玲音くん。少し前に先輩にハグしようって言われてしちゃったんだ」
「あっ、そうでしたか。全然大丈夫ですよ」
「ごめんね」
「いいえ」
「ねえ、玲音くん?山崎さんって幼稚園から一緒なんでしょ?山崎さんとは同じクラスなんだけど、私の隣の席だから玲音くんのこと、たまに話したりしてるの」
「幼稚園から一緒で知ってはいますけど話したことはないです。山崎さんって綺麗な人ですよね。僕のことをなんて言っていたんですか?」
「自分と似たような性格だから、ずっと心配で見守ってたみたいなこととか」
「あっ、そうですか」
「海原先輩も山崎さんも、玲音くんの味方だからね」
「はっ、はい」
人間の100分の1にも満たない小さな蚊が人間を脅かすように、ほんの小さなものがあなたを傷つけ、そして癒し、ほんの小さなあなたの愛が私に多大な影響を及ぼしている。
あなたと触れていた手や身体は満たされているが、それらは厚い皮膚や厚い布に覆われていて、皮膚が一番薄い唇が満たされないことには全て満たされたとは言えず、唾を何度も何度も呑み込んでいた。
90%以上が柔らかさで出来ているあなたの匂いをしっかりと覚えている私の鼻は、目の先で走り回る先輩の匂いも、グラウンドの匂いも遠ざけてしまっていて、そばであなたの匂いを嗅ぐ機会が増えたことで様々な気持ちが複雑に絡み合い始めていた。
黒みを増す空の下、グラウンドの手前の人がいない部分の砂がじっと立ち止まるなかで、飛び上がり続けるあなたの後頭部や側頭部に代わって、次第に喋る口や黒目がチラホラとこちらを向き始めた。
たまに胸に左の掌を添え、ときに左手で耳を塞ぐような仕草をして驚きと戦うあなたを、何も変えることなくただ合うものを探すだけでいいんだよと、心の声で宥めながら見つめていた。
ゴールが決まり、大きくなった声援に驚き遠ざかり、後ろに倒れそうになるあなたを引っ張り寄せて、千度あることだって限度はあるという考えを脳に浮かばせたが、この平穏ではない状況が永久に続きそうな予感に、脳と身体の動きは僅かに制限されていた。
痛みよりも不快感のある、頭、喉、心臓などに纏わりつく蟠りを解き放ちたくて、今ある感情を譲渡して私やあなたに新しい概念を作り出したくて、正と負の身震いが全身を包み込んでいた。
萌那と二人で見ていた風景をあなたと見ていると、あなたと手を繋いで見る風景の煌めきの密度の濃さを感じ、一向に黒い雲が消えない空も気にならないほどに幸せが目を覆った。
私が覗けない普段のあなたの教室で、萌那とあなたが手を繋いでいるところがふと頭に浮かび、家事でボロボロの私の手に纏わり付くあなたの指、真っ直ぐ天を目指すあなたの長い睫毛、私の顔に施された薄化粧を褒めて微笑むあなたの顔など、目に映る全ての幸せでそれを消していった。
滅多に褒めることのないあなたの積極性のある優しさを全面に受けた嬉しさで、ツインテールが元気にピンとそそり立つ感覚が頭の皮膚に表れ、それを追うように頭皮に冷たさが触った。
怖いというあなたの声が、ボイスレコーダーでリピート再生されているかのように、一定のボリュームとスピードで小さく響き続け、間隔の空いた雨の大きい音があなたの凝縮した驚きを幾度も切り裂こうとしていた。




