#31 店員の親切さに押印
あなたの家のような取っ手ではなく、四角い大きな取っ手が付いたコンビニの手動の扉を押しながら通り抜け、音を立てないようにそっと戻し、閉まるのを見届けてから手を離した。
レジでタブレットを操作していたアラフォーくらいの女性店員が、あなたにはない笑顔でこちらを向き、ハキハキと口を動かしてしっかりと、いらっしゃいませを放ち、丁寧に頭を前へと傾けた。
女性店員の前にある、大きなはんぺんが浮かぶ四角く区切られたお風呂の優しい匂いから逃げるように、右奥のペットボトルの壁へ進むと、優しさのない暖房臭が鼻を凍りつかせた。
先輩が私とハグをしている時に言った最後の一言が、先輩にそぐわない店内で流れる軽快なポップチューンをBGMとして再生され、脳を空っぽにしようとしても淡々とリピートされ続けた。
ペットボトルの集団を見つめていると、幾つもの見たこともない商品の中に、あなたが昼休みにいつも飲んでいるミックスジュースの薄い黄色を基調とした、カラフルな果物たちのパッケージが浮かび上がるように目に飛び込んできた。
あなたを送った帰り道のコンビニで、あなたに関連するものに出会えて嬉しくなり、あなたがこのコンビニで何かに怯えながらゆっくりと動き回る映像を、パッと瞼の裏に流してしまっていた。
鉄のヒンヤリとした棒を引き、自ずから閉まろうとする扉を左半身で押さえながら、微量の水滴に包まれたギザギザのキャップを、先輩へのぽっと出の恋の芽を摘み取るように掴むと、あなたの手ほどではないゆったりとした冷たさを感じた。
あなたと手を繋ぐように左手でキャップを上から覆い、しっかりと握りしめ、足を一歩一歩前へ踏み出していくと、だんだんと強くなるダシの匂いにより、レジに着いても目は鍋から立ち込める湯気を見つめることを止めなかった。
「いらっしゃいませ、こんにちは。あっ、このミックスジュース美味しいですよね。いつも買われるんですか?」
「いえ、このコンビニは今日が初めてで、珍しいものがあったので買ってみただけなんですけど」
「これ、私のオススメなんですよ。あっ、テープでもよろしいですか?それとも袋にお入れしましょうか?」
「テープで。すみません!あと、おでんをください」
「はい。何にいたしますか?」
「大根とはんぺんとタマゴください」
「一つずつでいいですか?」
「はい」
「少々お待ちください。あの、お嬢さん第二高校の人ですよね?」
「はい、そうです」
「息子もそうなんですよ」
「あっ、そうなんですか」
「お嬢さん?さっき息子と同じ制服の生徒と抱き付いてましたけど、彼氏さんですか?なんかいいですね」
「違います、彼氏ではないです。あの人は友達で、彼氏は別の人で」
「青春ですね。その人はカッコいいんですか?
「はい。不思議な魅力があっていい人です」
「いいですね。あの、サービスでつゆ多めに入れておきますからね」
「ありがとうございます」
「お嬢さん可愛いからモテるでしょ?さっきの人にも告白されたんでしょ?」
「あっ、まあ」
「お嬢さん?後ろに誰も並んでいないですし、暇なので私の話もっと聞いてくれます?」
「はい、いいですけど」
「実は最近息子の体調が悪くなってきてしまって。治療費や薬代が結構掛かってしまって。それでアルバイトを最近始めたんですよ。でも治療しても息子の体調が全然良くならなくて」
「そうなんですか」
「息子、部屋で毎晩泣いてるんです。どうにかしてやりたいんですけどね」
「そうですか、大変ですね。絶対に負けないでくださいね。アドバイスとかは全然思い付かないですし、何も言ってあげられませんけど」
「大丈夫ですよ。聞いてくれるだけで嬉しいですから。初対面なのにいろいろ聞いてくれてありがとうございます」
「いいえ」
「溢れないように容器のフタ、しっかりとテープで止めておきますね」
あなたを楽しませる伊呂波を知らず、あなたを思い出そうとすると出来事の記憶よりも喉につっかえるような感情が先行してしまう私だが、いつかこの店員さんのような心の奥が黄色い人になりたいと願っている。
口の中が溶けきったミルクティーキャンディーの甘さ一色に染まり、先輩から貰った先輩が好きな味で口の中が支配されてはいるが、口以外の私の全ての部分はあなたで溢れ返っていた。
店員さんのような優しい匂いが、ネコのキャラクターが描かれたビニール袋へ閉じ込められていき、閉じ込められなかった残りの食欲をそそる香りは、四角い鍋から容赦なく私に降り注ぎ続けていた。
牛スジの串が出っ張る鍋、黒の何の変哲もない店員さんの制服、胸元に名札のない店員さん、人が溢れることのない静かな店内などが、見渡せば目に映る。
素早い動き、且つ丁寧で正確な身のこなしで、おでんの入った容器を二重に袋に詰め、キツく蝶々結びをする店員さんは悩みがあるにも関わらず余裕のある表情をし、私にもあなたにもない余裕を大量に放っていた。
ありがとうございます、という口の形と感謝の気持ちが詰まった会釈を繰り返し、店員さんに優しい視線を送り、ちょうどの小銭を渡してレシートを受け取った。
あなたの驚きが気にならなくなったと言えば嘘になるが、あなたの驚きが私の心の一部になり、身体の一部になってきていることは事実で、今、身体があなたを求めてウズウズしている。
外に出ると身に覚えのない雨の足跡がアスファルトを均等の水玉模様に染め終わった後で、上には無数の光が溢れ返り、あなたを抱き締めた満天の星を思い出させてくれた。
暇だからと外まで送ってくれ、厳重に梱包されたおでんが入ったビニール袋を手にぶら下げて運んでくれ、私の足元にまで気を配る店員さんの優しさに、私は心を揺さぶられ、見習ってあなたに実践したいと心から思った。
白抜きの店名のシールが貼られたペットボトルをカバンへ急いで仕舞い、店員さんの想いがこもったビニール袋を冷たい風が吹き抜ける中で手渡されると、あなたみたいに細くない分厚い手が私の手に触れ、私全体のあたたかさと他の人に触れた後のあなた恋しさが深みを増した。
手を繋げる回数にも限度があるということが頭を掠め、あなたに逢いたい、引き返したい、という気持ちは風の音と共に強くなっていき、店員さんが言ったありがとうございましたの声、息子の嫁にしたいくらいいいお嬢さんねという和やかさたちが聞こえていた、ちょうどその頃、私はあなたの声が聞こえるであろう方向を迷わず向いていた。




